正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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1937年11月3日~15日、ブリュッセル会議

1937年8月30日に支那側が国際連盟に対して、
日本の行動は不戦条約および九ヵ国条約(ワシントン会議で結ばれた条約)
違反すると通告、連盟が必要は措置を取るよう提訴した。

この際、連盟総会で支那の代表は、
「支那が日本に抵抗しているのは外国の在支那諸権益を擁護するためである」
と演説した。

「革命外交」で日本の権益の全面的撤廃を高唱してきた支那が、
この期に至ってにわかに「外国権益の擁護」と言い出すのは、
日本にとっては片腹痛いことでもあった。
「抗日は列国の権益保護のため」という論理で欧米勢力を誘い入れて
日本を排斥するやり方は、三国干渉以来の「遠交近攻」政策を
再び支那が試み始めたことを示していた。

支那の提訴の結果、国際連盟は支那絵の精神的援助を決議し、
ベルギーのブリュッセルで九ヵ国条約会議が開催されることになったが、
日本は参加を拒絶した。

理由は、
・連盟の支那援助決議は支那の抗日を鼓舞し、事態収拾を困難にすること。

・日本の行動は支那の挑発に対する自衛行動であって九ヵ国条約違反問題は
発生する余地がない上に、最近の支那における赤化勢力の浸透により、
党案の事態は九ヵ国条約成立当時とは著しく異なってきていること。

・九ヵ国条約会議参加国の大部分は連盟決議に拘束されるため
公正な結果を期待できない等であった。

会議は11月3日から開かれたが、イギリス・アメリカの態度が消極的で、
対日制裁措置を取ることができず、
支那側には大きな不満を残す結果に終わった。
2009/05/30 09:00|年表リンク用資料
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