正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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「大東亜戦争」簡単説明

大東亜戦争は日本が理不尽な武力攻撃を受けて始まった戦争

『日本では「大東亜戦争」が法的に正式な名称』 http://bit.ly/1RBb4Aa
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-714.html

満洲事変は1933年5月31日の塘沽停戦協定で終結していたから
4年後の1937年になって満洲事変を理由に別の場所で攻撃してくるのは不法。

日本人・日本軍は欧米人・欧米軍と同じように条約で中国にいた。

上海共同租界は日本の専管租界ではなく国際租界で、
各国の警察官と、機動隊的な役割で各国軍も役割分担で警備にあたっていた。

1937.8.13.蒋介石軍が上海共同租界の特に日本人居留区を武力攻撃してきた。
日本軍は応戦。

蒋介石軍機が無差別爆撃をして日本人だけでなく
欧米人・中国人など民間人3000人が犠牲になったにもかかわらず、
本来なら米英軍も日本軍と一緒に蒋介石軍と戦うべきところ、
米英は攻撃してきた蒋介石に武器・資金支援した。

上海共同租界内ではイギリス人警官が蒋介石軍に、
日本軍・日本人がいる場所や砲撃のための距離などを教えたり、
イギリス人警官が蒋介石軍に物資を提供したりするところが目撃されていて、
それを記述した文書も残っている。

蒋介石は米英から武器・資金支援を受けているから
日本からの和平提案を拒否し続けた。

米英が蒋介石に武器を輸送する援蒋ルートを遮断するため
日本は仏印と話し合って条約で仏印進駐した。

1940年8月30日の『松岡-アンリ協定』により北部仏印進駐。
1941年7月23日の『日・仏印共同防衛協定』により南部仏印進駐。

すると米英などは日本に対して石油禁輸したから、
日本は蘭印の石油を武力で確保する決断をし、
その前にハワイのアメリカ艦隊が来るのを遅らせるために
日本軍は先手を打って真珠湾攻撃した。

『米の援蒋と対日制裁は不法か?』 http://bit.ly/1ONT3vC
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-694.html
★もっと超簡単に!大東亜戦争にいたる流れの説明 http://bit.ly/1WzbZ2U
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-553.html

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「大東亜戦争」簡単説明 http://bit.ly/1NSjUZV
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-736.html

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2016/01/16 06:00|年表リンク用資料
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