正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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関東軍1万人で張学良軍30万人らを満州から追放した。

圧倒的に少ない関東軍1万人が、張学良が率いる30万人の武装盗賊を
追放できた理由は、3,000万人の満州住民の協力があったからだ。

当時の満州には3000万人の
「満州人・蒙古人・支那人・日本人(朝鮮人含む)・ソ連人」が住んでいた。

関東軍1万人に対して、
張学良が率いる盗賊軍は、約20万人~30万人だった。

これは、人口3000人の村に、30人の武装窃盗団が蔓延って居て、
1人の警察官が居た状況と考えれば良い。
たった1人しか居ない警察官は、
3000人の村民の強い要請や支援がなければ、
30人の武装窃盗団を村から追い出そうともしないし、そもそも不可能だ。

つまり、1万人の関東軍だけでは、
張学良の盗賊軍30万人を満州から追い出し、
満州国を建国することは到底不可能だったわけであり、
3000万人の満州住民の要請と支援があったからこそ実現した。

たった1万人の関東軍が、30万人の張学良軍と3000万人の満州住民を相手に
「侵略」など出来る訳がないのだ。
2010/01/07 06:00|年表リンク用資料
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