●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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すばらしい日本
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簡単に作れそうだったのでブログで この正統史観年表を作成しました。 ブログなので各記事の一番右下に 日付が表示されてしまいますので、 適当な日付を指定しながら記事を 作成していきました。つまり各記事 の一番右下の日付はブログを書いた 日付ではなく、適当な日付です。 まぎらわしくて申し訳ありません。 |
『満州事変』についての反応
◆1931年10月20日、紐育タイムス北平通信 「寧ろ日本の支配を」 数千の満州避難民(大部分富有階級の支那人)の談話を綜合するに 彼等は連盟の主張するが如き現状の回復を望まず。 彼等の満州より避難し来れるは支那兵及び土匪の乱暴を恐れたるが為めに して日本兵を恐れたる結果にあらず。 彼等は張学良の秕政に苦しむよりは日本の支配下に生活せんことを欲す。 蓋し満州の支那軍閥は通貨を下落せしめ、 人民の生産物を無価値の紙幣を以て強制的に買上げて外国の金貨に代へて 巨利を収め、人民の租税は悉く軍隊の支払に充つる有様なるを以て、 張学良の復帰を見るよりは寧ろ日本の支配下に新なる支那政権樹立せられん ことを望むものなり。 蒙古に対する支那の悪政は更に甚だしく、 官吏は土地を押収し重税を課し人民を飢饉に陥れる有様にて 人民は徐々に奥地に逃れつつあり。 特に最近日本兵より武装を解除せられたる支那兵は蒙古に入込み 掠奪放火を恣にし居る有様にて、 蒙古人は支那の悪政より免がるる為め日本の支配を歓迎せんとする状態なり。 ●在支外人の事変観 リベルテ(1931年11月2日) 在支外人は何人も支那政府の約束は日本居留民の生命財産を保障するに 足ると信ずるものなく、実業家連は日本の態度は同時に一般外国人の 自由と安全とを擁護する者として之を支持し、 日本政府の態度は慎重にして其主張も理あり。 日本は寧ろ連盟に気兼し寛容に過ぎたる位なりとして、 理事会が支那の事情に通ぜず支那側に偏する態度を執れるに驚き居れり。 又現在有名無実の支那政府は満州の将来を決する資格なく、 右は満州人及び同地帯に移住せる支那人自身決すべきものなりとし、 欧州大国は貧弱にして赤化に禍せらるる支那に対し 文明を擁護する為め極東に実力を有する日本を助くべしと論じ居れり。 極東に大なる利害を有する仏国が支那政客の空論に与し、 平和と秩序の擁護者たる日本の同情を失ふは解すべからず。 宜しく事実を正視し其政策を定むべし。 ●『ノモンハン事件の真相と戦果――ソ連軍撃破の記録』小田洋太郎・田端元著 張作霖、張学良親子は、武装盗賊の頭領で、 満州で強盗殺人をやりたい放題だったが、 特に朝鮮人(日本臣民)を虐待した。 清国衰弱と共に満州には多くの中国人が流入し、 日本の後援を受けた張作霖が独立国とした。 (張作霖、張学良が満州の民衆を搾取していた実態や、 張作霖の度重なる危機を関東軍が救った話は古野直也氏著の 近著「張家三代の興亡」が好著) 張作霖父子は中国征服に乗り出し、20年先の税金まで一般人から取り、 日本や朝鮮人にも法外な税金を徴収したり、 土地、会社などを没収したりしたので日本に対する忘恩行為と言われたが、 特に朝鮮人は虐待された。 (略) 当時、朝鮮人は日本人だったが、日本人としての権益を認めず、 朝鮮語、朝鮮服の使用を禁止したり、朝鮮学校の没収を行い、帰化を強制し、 あげくには帰化朝鮮人まで追放し、殺害、略奪の対象になった。 ●東京裁判研究会編『共同研究 パル判決書(上)』(講談社)P696 1931年、3000万人の満州住民の要請と支援を受けた1万人の関東軍が 30万人の武装盗賊(張学良)を満州から追放することに成功した。 ところが、国際連盟は、満州国不承認と、 日本軍の鉄道付属地への撤退を決議した。 日本が国際連盟の勧告に従わなかった事実は、大いに利用されている。 国際連盟は、他のどのようなことを討議するよりも前に まず日本軍が撤収することを強要したのである。 一部の人たちが考えているように、国際連盟のこの態度は、 この事件の事情に鑑みて、 正当なものとはみなし得ないかもしれないのである。 日本軍の立場は、国境を侵した軍隊の立場とは異なっていた。 「まったく安全な自国の国境線内に軍隊を撤収させることと、 容易に包囲されうる外国領土内を走る鉄道沿線へ 軍隊を撤収させることは、まったく事情が異なるのである」。 この命令は連盟によって発せられた独断的なものである。 「しかしながら、だれでも、この命令が実行されることもなければ、 またそれを実行させることもできないということを承知していたのである。 もし日本がこの威嚇に屈服し、その軍隊を撤収した暁においては、 満州は以前よりもはるかに恐ろしい無政府状態 および悪政に委ねられたことであろうと思う」。 連盟自身は満州に立ち入って、 その秩序を回復しうる手段をもっていなかったのである。 また同様に連盟は、 日本軍の安全を保障しうる手段をも有してはいなかったのである。 ●『大東亜戦争への道』中村粲著 事変後の目覚しい治安回復と発展 昭和8年ロンドンタイムズ紙は「独立2ヵ年の満州国」 に関する報道記事で、次のように論評している。 「外来の訪客は過去1ヵ年に於ける満州国の財務上の 迅速な進歩に驚くであろう。通貨は安定した。 一文の値打ちもない旧軍閥の不換紙幣の洪水に 悩まされていた満州国にとって、これだけでも計り知れぬ恩恵だ。」 「満州国に於ける在留外人は外国商権の将来に関して 懸念を抱いていることは勿論だが、 大体日本人の施設に対して好感を抱いている。 やろうということを実際にやる実践的な日本人を相手とすることになって 助かったというのだ。 30年も前から支那人がすぐ始めようと言っていた各般の計画が いまや着々実施されるに至った」 「満州国は既成事実だといわねばならぬ。 2ヵ年前に於ける日本の行動の是非は、 極東の現状乃至将来に対して最早関連のない事柄だ。 満洲は今や『啓蒙的開発』というのが最も適切な過程を経過している。 啓蒙的な一番いい証拠は、 三千万の民衆がこの過程から恩恵をうけていることだ。」 ●「満州国の最近の発展」 1934年11月23日、 フィラデルフィアのアメリカ政治社会科学アカデミーにおける 斎藤博(駐米大使)の講演 リットン報告書によれば馬賊は中国の歴史全体を通じて辿ることが出来、 且つまた中国の行政体がこれまで一度として完全に 鎮圧出来なかったものでもある。 その馬賊の問題に関連して、日本当局の 「満州における日本軍部隊の存在は、主要な馬賊グループを2~3年で 消滅させてしまえるだろう」 という主張は今や実質的に実現された。 満州国誕生後2年半の間に、 かつて鉄道沿線はおろか町や村などにも出没していた馬賊は 事実上鎮圧された。 いわゆる満州事変の発火点となった1931年9月18日夜の奉天での 運命的な衝突事件が起きる以前は、満州に十万人前後の馬賊がいた。 事件直後にその数は21万人にまで増えたが、 それは敗残兵の多くが馬賊の仲間入りをしたためである。 しかし今ではその数は僅か3万人にまで減少し、 彼らは事実上吉林省の森に被われた丘陵地帯に追放されてしまっている。 ●1934年末、満州を訪れたイギリス産業連盟の使節団の調査報告 『満州国住民は治安対策の向上と秩序ある政府を与えられている。 軍(満州事変以前に、満州を牛耳っていた軍閥)による 略奪と摂取はなくなった。 課税制度は妥当なもので、公正に運営されている。 住民は安定通貨を持つことができた。 輸送、通信、沿岸航行、河川管理、公衆衛生、診療施設、医療訓練、 そしてこれまで不足していた学校施設などの設備計画が立てられ、 実施されている。 こうしたことから、満州国の工業製品市場としての規模と将来性は 容易に想像することができる。 近代国家が建設されつつある。 将来に横たわる困難はあるが、これらは克服され、 満州国と他の国々の利益のために、 経済繁栄が徐々に達成されるものと期待される』 ●完成後に見学に訪れたフィリピン外相は、次のような歓声を発したという。 『フィリッピンは、スペイン植民地として350年、 アメリカの支配下で40年を経過している。 だが、住民の生活向上に大きく役立つものは一つも作っていない。 満洲は建国わずか10年にしてこのような建設をしたのか』 中国で南京大虐殺は聞いた事ない。満州は素晴らしかった。 |
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