正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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『リットン報告書』は日本の正当性を裏付ける内容だった!

1932年(昭和7年)3~9月、リットン報告書
1932年3月、中華民国の提訴と日本の提案により連盟からリットン卿を
団長とする調査団が派遣され、3カ月にわたり満州を調査、
9月に報告書(リットン報告書)を提出した。

『リットン報告書』 第1章のなかで、
当時、支那は世界平和に対する脅威だったと書かれている。

●第1章 支那に於ける近時の発展の概要

1、近代支那の発展

(一部抜粋)

支那に於ける主導的要素は徐々に行われつつある国民自体の近代化なり。
現代支那は其国民生活のあらゆる方面に於いて過渡的証跡を示しつつ
進展しつつある国家なり。

政治的擾乱内乱、社会的及経済的不安は中央政府の衰微をもたらすとともに
1911年の革命以来支那の特徴となりたり。

之等の状態は支那の接触し来れるあらゆる国家に
不利なる影響を及ぼし来れるものにして、
匡救せらるるに至る迄は常に世界平和に対する脅威たるべく
又世界経済不況の一原因たるべし。

●第2章 満州

2、支那の他の部分との関係

(一部抜粋)

満州は有史以来各種「ツングース」族居住し蒙古韃靼人と自由に
雑居したるが優越せる文明を有する支那移住民の影響を受け
団結心に目覚め数個の王国を建設し此等王国は時に満州の大部分
並びに支那及朝鮮の北部地方を支配せり。
殊に遼、金及清朝は支那の大部分又は全部を征服し数世紀間之を支配したり。

(中略)
1911年革命起こるや共和政体に賛せざる満州官憲は
後日満州及北支の独裁官となるに至りたる張作霖に対し
革命軍の前進阻止を命じ以て内乱の騒擾より此等の省を救うに成功したり。

共和国建設せらるるや満州官憲は既成事実を受諾し進んで
共和国第1大統領に選任せられたる袁世凱の統率に従いたり。
各省には省長及督軍任命せられたるが満州に於いては支那の他の部分と
同様督軍は忽ち同僚たる省長を無力の者たらしめたり。

1916年張作霖奉天省督軍に任命せられ同時に
省長の職を執りたるが其の実力の及ぶ所は遥かに大なりき。
対独宣戦の問題起こるや彼は支那将領と共に
之に反対せる会議の解散を要求せり。

而して右要求大統領に依り拒絶せらるるや
彼は奉天省は北京中央政府に対する功績に依り東三省巡撫使に任せられたり。
斯くして満州は再び特別の制度を有する一つの行政単位となりたり。

張作霖は中央政府の与えたる顕職を受領したるも
其の態度は変転常なき中央政府の支配者たる軍閥との個人的関係の
如何に依り変化せり。

彼は自己と政府との関係を視るに個人的同盟の意味を以てしたるものの如し。
1922年7月其の権力を長城以内に樹立するに失敗し
其の政敵北京政府を支配したる際彼は中央政府に対する忠誠を廃棄し
満州において行動の完全なる独立を維持し遂には
其の権力を長城以南に及ぼし北京の支配者となりたり。

彼は外国の権利を尊重するの意あるを表明し支那の義務を承認したるも
外国に対し満州に関する一切の事項に付いては
今後自己の政府と直接交渉せむることを要求せり。

張作霖元帥は其の晩年に於いては
日本に対し日本が各種の条約及取極に依り取得せる特権の利益を
漸次容認せざる意向を示すに至れり。

日本との関係は特に稍緊張したり支那における党派的闘争に関係せず
専ら力を満州の開発に用ふべしとの日本の忠告に対し
張は憤怨を感じ之を無視したるが、其の子張学良亦彼に倣へり。
馮将軍敗北後張作霖は大元帥の称号の下に北方軍閥同盟の盟主と成れり。

(中略)

国民党の宣伝は同党の教科書に依り学校に侵入し
又遼寧人民外交協会の如き協会出現して国民主義的感情を
鼓舞強調すると共に抗日煽動を実行し
又支那人家主及地主に対しては日本人及朝鮮人たる借人への賃貸料の引上げ
又は賃貸契約の更新拒絶を強要したり。

日本人は当委員会に対し多数の此の種事件を訴え来れり。
朝鮮人移民は組織的迫害を蒙れり。
諸種の抗日的命令及訓令発せられ軋轢の機会は重なる緊張加れり。

1931年3月各省首都に国民党省党部設立せられ
続いて其の他の都市及地方に支部の設立を見たり。
党の宣伝員にして支那より北上し来る者は
次第に其の数を加え日本人は抗日運動の日に激化するのを嘆きたり。

●第3章 日支両国間の満州に関する諸問題

2、満州に於ける日支両国間の根本的利害関係の衝突

1928年春、支那国民軍が張作霖軍を駆逐せんが為、
北京に進軍中なりし時、
田中男爵を首相とせる日本国政府は、
日本国の満州に於ける「特殊地位」に鑑み右地方に於ける平和及秩序を
維持すべき旨の声明を発せり。

国民軍が内乱を長城以北に及ぼさんとする惧れあるに至るや
日本国政府は5月28日、指導者たる支那将軍に左の通告を送れり。

「満州の治安維持は、日本国政府の最も重視する所にして、
苟も同地方の治安を紊し、
若しくは之を紊すの原因を為すが如き事態の発生は、
日本国政府の極力阻止せむする所なるが、
既に戦乱京津地方に進展し其の禍乱、
満州に及ぼさんとする場合には日本国は満州治安維持の為
適当にして且有効なる措置を執らざるを得ざることあるべし。」

右と同時に、田中男爵は日本政府は「敗退軍又は其の追撃軍」が
満州に入るを防止すべしとの一層確然たる「ステートメント」を発せり。

右遠大なる政策の宣明は、北京及南京の両政府よりの抗議を招致したるが、
南京政府の「ノート」は日本の提議するが如き措置は、
唯に「支那国内事項の干渉たるに止まらず、
又領土主権相互尊重の原則の甚だしき侵犯」なりと陳述せり。

日本においても、田中内閣の右「積極政策」は
一党より強き支持を受けたる一方、
他の一党特に幣原派に依り全満州における治安維持は
日本の責任に非ずとの理由を以て、非議せられたり。

5、満州に於ける朝鮮人問題

日本の法律に依り日本の国籍を有する80万朝鮮人の満州内居住は
日支間の諸政策の衝突の先鋭化を促進せり。

右自体の結果諸種の紛争惹起せられ為に朝鮮人自身犠牲となり
厄災と惨禍とを蒙りたり(本報告付属書第9章参照)。

朝鮮人が売買又は租借に依り満州において土地を取得するに対し
支那の反対ある処、日本側は朝鮮人も等しく日本臣民として
1915年の条約並交換公文によりて獲得せる商租権に均霑すべきものなり
と主張して之に反対せり。

而して日本人は朝鮮人が帰化によりて支那臣民たることを否認せるが為に
亦二重国籍の問題発生せり。
朝鮮人の保護の為日本領事館警察の使用は
支那側の忿満を招き日支警察の衝突を惹起せり。

殊に朝鮮の北境に接する間島地方の如く朝鮮人の居住者40万人に
及び同地支那人をして1927年に至るに及満州に於ける朝鮮人の
自由居住を禁止するの政策を採るに至らしめたり。
右政策は日本人側より許すべからざる弾圧の一例として目せられたり。

(中略)

日本側においては若し満州に於ける朝鮮人に対し
他の日本臣民の許与せられたると同様の権利及特権を要求せざらんか、
右は朝鮮人に対し差別を設くることとなるべしと主張す。

(中略)

日本側は1927年末頃より一般的排日運動に伴い、
支那国官憲の煽動に依り満州に於て朝鮮人迫害運動起これることを主張し
又此の圧迫は満州諸省が南京国民政府に忠誠を宣言せる後更に熾烈を
加えたることを陳へ居れり。

或は朝鮮人を強制して支那に帰化せしめ、或は米田より彼らを駆逐し、
或は彼らに移住を強制し、或は彼らに不当の納金及法外なる租税を課し、
或は彼らをして家屋及土地の商租または貸借契約を結ぶことを禁じ、
或は彼らに幾多の暴力を加えるなど、
朝鮮人に対する支那の徹底的圧迫政策の証拠として
満州に於ける中央及地方の支那官憲の発したる多数の命令の翻訳委員会に
提供せられなり。

日本の主張に依れば右惨虐なる運動は特に「親日」朝鮮人に対して行われ、
日本政府より補助金を受ける朝鮮人居留民会は迫害の的となり、
朝鮮人により又は朝鮮人の為に設立せられたる支那学校に非る学校は
閉鎖せられ、
「不逞鮮人」は朝鮮人農民より脅迫に依り金銭を徴収し
又之に暴行加害を為すことを許され、
又朝鮮人は支那服を着用することを強制せらるると共に
其の悲惨する状態に対し日本の保護又は補助に依頼する一切の権利を
放棄するのやむなかりし趣なり。

満州官憲が帰化せざる朝鮮人に対し差別的命令を発せる事実は、
支那側之を否定することなし。
此種命令の数及性質特に1927年以後のものを見るに
満州の支那官憲は一般に日本の司法管轄を伴う限り朝鮮人の侵入は
一つの脅威にして反対すべきものと認めたること明白なり。

日本の主張の重大なるに鑑み、
又満州に於ける朝鮮人の哀れむべき状態に鑑み、
委員会は本問題に対し特別の注意を払えり。

而して本委員会は必ずしも右非難の全部が事実を
適当に叙述せるものとは認めず
又朝鮮人に適用せられたる右抑圧手段の或ものか
全然不正なりしものと断ずることなしと雖も、
只満州の或地方における朝鮮人に対する支那の行動に関する
右一般的記述を確認するものなり。
委員会は其の満州滞在中朝鮮人団体の陳情委員と称する多数の代表者を引見せり。

満州に於ける此の大なる少数民族なる朝鮮人の存在が土地商租、
司法管轄権及警察、
並びに1931年9月事件の序幕を為せる経済的抗争に関する
日支紛争を複雑ならしめたることは明白なり。

大部分の朝鮮人の欲する所は只自由は其の生計を稼がすとするに在るも、
其の中には支那人又は日本人より又は其の両者より
「不逞鮮人」と呼ばるる団体ありて、
右は日本の統治より朝鮮を独立せしめんと主張する者及其の同志、
共産主義者、職業的犯罪人密輸入者及売薬業者を含む職業的犯罪人、
並びに支那人匪賊と結託して其の同胞より恐喝取財を行い
又は金銭を強制する者を包含し居れり。

朝鮮人農民自身も其の無智、
無用心により又彼らより更に狡猾なる家主又は地主より借財せる為、
しばしば自ら圧迫を招来せり。


6、萬寶山(万宝山)事件に於ける反支暴動

萬寶山事件は中村大尉事件と共に満州に於ける日支間の危機を
齎せる直接原因として広く認めらる。

(中略)

其後幾何もなく朝鮮人は日本領事館警察官の援助を
得て水道開穿を続行せり。
(中略)
日本領事館警察官は右暴徒を散逸せしめ朝鮮人を保護する為め
発砲したるも何等被害はなかりき。
支那農民は撤退し日本警察官は朝鮮人が水溝及伊通河の堰を
完成する迄現場に屯留せり。

7月1日事件以後支那地方官憲は在長春日本領事に対し
日本領事館警察官及朝鮮人の行動に付抗議を継続せり。
萬寶山事件よりもはるかに重大なりしは朝鮮に於ける
本事件に対する反動なりき。

日本語及朝鮮語新聞に記載せられたる萬寶山における事態、
殊に7月1日事件の誇大なる報道の結果は
朝鮮全道に亙り激烈なる反支暴動の続発を見たり。
右暴動は7月3日、仁川に始まり急速に他市に伝播せり。
支那側は其の広報に基づき、支那人127名虐殺せられ、393名負傷し、
250万円に達する支那人財産は破壊せられたりと称す。

(中略)

此の重要なる一結果とも云う可きは朝鮮に於ける右暴動が
直ちに支那全国を通じ排日ボイコットを復活せしむるに至れることなり。
朝鮮における排支暴動直後萬寶山事件の未だ解決せられざるに先ち
支那政府は日本に対し暴動の廉に依り抗議を為し
暴動鎮圧失敗に対する全責任を負わしめたり。
日本政府は7月15日、回答を発し、
右暴動の発生に対し遺憾の見を表し且死者の家族に対し賠償金を提供せり。


7、中村大尉事件

中村大尉事件日本側の見解に依れば満州に於ける日本の権益に対し
支那側が全然之を無視せる幾多の事件が遂に其の極点に達せるものなり。
中村大尉は1931年盛夏の候、
満州の僻遠なる一地方において支那兵に殺害せられたり。

(中略)

中村事件は多の如何なる事件よりも
一層日本人を憤慨せしめ遂に満州に関する日支懸案解決の為
実力行使を可とするの激論を聞くに至れり。

本事件自体の重大性は当時萬寶山事件、朝鮮に於ける排支運動、
日本陸軍の満州国境圖們江渡河演習並びに青島における
日本愛国団体の活動に対し行われたる支那人の暴行等に依り
日支関係が緊張し居たる際なるを以て一層増大せられたり。
(中略)
斯くて1931年8月末頃までに満州に関する日支関係は
本章に記述せるが如き幾多の紛議及事件の結果著しく緊張し来れり。

両国間に三百の懸案あり且此等事件を処理すべき平和的手段が
当事国の一方に依り利用し尽くされたりとの主張については
充分なる実証あり得ず。

此等所謂「懸案」は根本的に調和し得ざる政策に基づく一層広汎なる
問題より派生せる事態なりき。
両国は各地方が日支協定の規定を侵害し
一方的に解釈し又は無視せりと責むるも
両者何れも他方に対し正当なる言分を有したり。

●『リットン報告書』 第6章 「満州国」

第1節 「新国家」建設の階段

熱河省は従来満州に於ける政治的変動に対し中立を維持し来れり。
熱河省は内蒙古の一部分なり。

目下三百万以上の支那人移民同省内に住居し漸次遊牧蒙古人を
北方に追放しつつあるが蒙古人は依然として伝統的部族又は
旗人組織の下に生活す。

約百万を数ふる斯種蒙古人は奉天省の西部に居住する蒙古旗人と
若干程度の関係を保持し来れり。

奉天省及熱河省の蒙古人は「盟」を組織したるが
其の中最も有力なるものを「チェリム」盟と為す。

チェリム盟は独立運動に参加せるが従来しばしば支那の支配より
免れんと試み来れる「バルガ」地方即ち黒龍江省西部の「コロンバイル」の
蒙古人も亦同運動に参加せり。

蒙古人は容易に支那人と同化せず。
彼等は自尊心強き人種にして皆「チンギス」汗の偉業及蒙古武人の
支那制服を記憶し居れり。

彼等は支那人の支配を受くることを悪み殊に支那移民の来住を好まず。
蓋し右移住に因り蒙古人は漸次自己の領土より駆逐せられ居ればなり。
熱河省のチチハル及チョサツの両盟は
奉天省の各旗と連絡を取り居れるか後者は
今や委員会に依り支配せられ居れり。

熱河省の主席湯玉麟は9月29日同省に対する全責任を執り
満州に於ける同僚と連絡を取り来りたる由なり。
3月9日の「満州国」建国に当り熱河省は新国家に包容せられたるか、
実際に於いては同省政府は何等決定的措置を執ることなかりき。
同省に於ける最近の出来事に付いては
前章の末尾において言及するところありたり。

以上の如くにして各省に設立せられたる地方自治政府機関は
次いで分離独立せる「国家」として相結合せられたり。

―――――――

2月末に至るまでに奉天、吉林、黒龍江及特別区は既に夫々宣言を発し、
蒙古旗族も亦特別自治区を形成し地方蒙古族の権利を保障し得ること
或は可能ならしむること判明したるを以て其の忠誠を
新国家に対し誓うに至れり。

回教徒は奉天における2月15日の会合に於いて既に彼等の忠誠を誓いたり。
其他未だ帰属せざる少数の満州人の大部分は新国家の執政として
多分前皇帝が推挙せらるべしとのことを知るや新国家を歓迎したり。

各省区が新国家建設計画に対し正式の賛同を與えたる後
自治指導部は2月卅9日、奉天に全満州大会を召集したり。
右大会には各省並びに奉天省及蒙古地方の各郡等より
正式代表其他多数参列し、
又吉林及特別区の朝鮮人並蒙古の青年同盟支部等諸種の団体の
代表者会合し其の総数7百名以上に達したり。

諸種の演説為され、満場一致を以て宣言及決議可決せられたるが
前者は旧制度を攻撃し、後者は新国家を歓迎したり。
又新国家の臨時的元首として
前皇帝の宣統帝(帝はヘンリー溥儀氏として知らる)を推挙するの
第2決議も採択せられたり。

東北行政執行委員会は直ちに緊急会議を開き
6名の代表者を選び之を旅順に派遣し去年11月、
天津出発以来同地に滞在中の前皇帝を招ぜしめたり。
溥儀氏は最初之を拒絶したるも3月4日、
第2回目の29名より成る代表者は遂に僅か1年を期限として
氏の承諾を取り付け得たり。

於此前記執行委員会は陸軍中将張景恵を委員長とし
他に9名の委員を選出して歓迎委員会を組織したるが右委員会は3月5日、
旅順に赴き謁見を賜りたり。
前皇帝は委員の懇請を容れて3月6日、
旅順を出発し湯崗子に至りたるが2日の後、
即ち3月8日には既に満州国の執政としての礼遇を受けたり。

3月9日、新都長春に於いて就任式行われたり。
溥儀氏は執政として新国家の政策は「道義、仁慈、愛撫」を
基礎とすべきことを約する旨の宣言を発したり。

10日には新政府の幹部即ち内閣の閣僚、立法院長監察院長、
参議院総裁及副総裁、各省庁及特別区長、
各省防備司令其他の高官の任命を見たり。
満州国建設に関する通告は3月12日諸外国に発せられたるが、
右通告の目的は諸外国に対し満州国建設の根本目的、
対外政策の主義を通告し、
新国家としての承認を要求するにありとせられたり。

―――――――

第3節 満州居住民の意見

満州に於ける一切の少数民族の団体の内哈爾賓
及其の付近における少なくも其の数10万人を算する白系露人の
小植民地は近年最も迫害を蒙りたり。

彼等は庇護すべき国民政府なき少数民族団体なるの故を以て
支那の官吏及警官により各種の屈辱を蒙りたり。
彼等は故国の政権と不和の関係に在りて満州に在りてさえ
此の故に絶えざる不安の裡に在るものなり。

彼らの内裕福にして教育ある者は生計を立て得るも支那官憲が
彼等を犠牲にし供して或種の利益をソ連邦より得らるると考えるときは
之が為に苦しめらるるを常とす。

より貧困なる者は生活を営むこと甚だ困難を見
又絶えず警察の手及支那法廷において苦を嘗めつつあり。

請負制度により租税が賦課徴収せらるる地方においては
彼等は其の支那人たる隣人よりも餘き割合の課税を支払うを要したり。
彼等は其の取引及行動に関し多くの制限を経験せり
而して彼等の旅券が検査せられ、
其の契約が認証せられ又は其の土地が譲渡せらるるには
官吏に対し賄賂を贈ることを要したり。

彼等の多くにとりては現在よりも劣れる条件を想像し能わざるを以て
日本人を歓迎したるは尤ものことにして
今や彼等の運命は新政権の下に開け行くべしとの希望を
抱懐することは怪しむべきに非ず。

●第7章 日本の経済的利益及支那の「ボイコット」

前世紀の60年代における明治維新の頃、
日本は2世紀以上に亘る孤立より脱却し而して
50年を俟たずして世界の第一等強国にまで発展せり。

以前殆ど停滞し居りし人口は急速に増加し始め
1872年に3300万なりしものが、
1930年には6500万に達せり。
而して此の驚くべき増加は1年に約90万の割合を以て尚継続す。

可耕地1平方哩におけり日本の人口を他の国の夫れに比せんに
日本の割合は例外的に高し。右は島帝国の特殊の地理的構成に起因す。

(中略)

移民は救済の見込みある方法として考慮せられたるも
次章において述ぶるが如き理由を以て現在迄の処解決手段とならざりき。

日本の最初都会の人口増加を支ふる為産業主義に転向せるが右は
農産物の為国内市場を提供し且内地
及外国において使用さる可き物資の生産に労働を向はしむべきものなり
爾后幾多の変化を生ぜり。

以前日本は食料品供給の見地より観て自足以上の状態にありしが
近年は全輸入の8%乃至15%は食料品の輸入及此の輸入必要の
恐らく増加すべきことは既に逆となれる貿易感情を
工業品輸出の増加によりて補うことを要す。

若し日本が増加しつつある人口に対する職業を是以上の工業化の
行程において見出すの要ありとせば輸出貿易の発展
並びに増加しつつある製造品及半製品を吸収し得る外国市場の開拓が
益々緊要なり。而して如斯市場は同時に原料品及食料品の供給地たり得べし。

(中略)

尚日本の支那における利益は単に貿易に止まらず
即ち日本は巨額の資本を工業的企業並びに鉄道、
船舶及銀行に投じ此の方面の財政活動において
発展の一般的傾向は最近30年間に顕著なるものありしなり。

(中略)

右投資以外に支那は日本に対し諸種の国債省債
及市債として債務を負い其の額は1925年に於いては
3億445万円(其大部分に無担保)及利息1803万円なり。

(中略)

ボイコット運動の実行に際し用いられたる方法は
常に適法なりしや否やに在り。
委員会の蒐集せる証拠に依れば不法行為は常に行われ而も此等不法行為は
官憲及法廷により充分に禦壓せられざりしところなりと云う以外に
何等かの結論を為すこと困難なり。

此等の方法が往時支那に於いて用いられたるものと大体に於いて同一なり
との事実は一の説明となるべしと雖も弁明とはならず。

昔時支那の同業公会がボイコットを宣言し被疑者たる之会員の家宅を捜索し、
彼等を公開裁判所に引出し、反則の廉により罰し、科料を課し、
押収品を売却したりしも公会は当時の慣習に従い行動したるなり。

加之右は支那社会の内部問題たりしものにして
外国人の関係なかりし所なり。現在の状態は右と異なる。
支那は近代的法典を採用したるが此等の近代的法律は支那における
ボイコットの伝統的手段と両立せざる所なり。

支那参与員がボイコットに関する支那側の意見を弁護せる覚書は
以上の記述を駁せず、
単に「ボイコットは一般的に言わば合法的手段により行わるる・・・」
と論ずるのみ。委員会の有する証拠は右の主張を支持せず。
 
(中略)

本章中において、第1に、日本は其の人口問題に関連し其の産業能力を
増加せんとし、此の目的の為に頼り得べき海外市場を求めつつあること、

第2に、対米生絲輸出を除きては支那は日本の輸出の主たる市場にして
同時に日本帝国に多くの原料品及食料品を供することを示せり。

加之支那は日本の海外投資の殆ど全部を護し従って現時の如き混乱と
未開の状態を以てすら支那は日本の諸種の経済的乃至財政的活動に対し
有利なる天地を供す。

最後に、1908年より今日に至る迄陸続として起これる種々の
ボイコットが支那における日本の権益に加えたる損害の検討は、
此等の権益は毀損せられ易きものなることに付注意を喚起せり。

日本が支那市場に依存することは日本人自身も充分之を認むる所なり。
他方支那は経済生活の各方面に於ける発展を最も焦眉の急とする国なり。
而して1931年に於いてボイコットにも不拘其の全貿易額に於いて
首位を占めたる日本は、他の如何なる外国よりも
支那の経済的に支那の友邦たるべきものと思科せらる。

此等2箇の隣邦の貿易上の相互依存と両国の利益との為には
其の経済的近接必要なり。
然れども両者の政治的関係が然く険悪にして一方が兵力を、
他方がボイコットなる経済的武器を用いる間は此の如き接近不可能なり。


●第8章 満州に於ける経済上の利益

(一部抜粋)

満州市場は安全性に於いて支那市場に優るべきも、
支那市場に比し其の範囲に制限あり。
経済ブロックの観念は西洋より日本に迄浸透せり。
日本帝国及満州を包括するブロックの可能性に関しては日本の政治家、
学者及操觚者の文書中にしばしば之を見受く。

現商工大臣は其の就任の暫く前に執筆せる論説中に於いて
世界に於ける米国、ソ連邦、欧州及英帝国の経済ブロックの成立を指摘し、
日本も満州と共に斯くの如きブロックを創設すべきことを述べたり。

(中略)

満州の富源は豊富なれども未だ充分に実測せられ居らず。
之が開発の為には人口、資本、技術、組織及国内の安寧を必要とする住民は
殆ど全部支那より送らる。

現在住民の多数は北支諸省の産にして其の故郷との家族的連絡は
今尚密接なるものあり。
資本、技術及組織は今日迄の所主として南満州においては
日本に依り又長春以北に於いては露国により供給せられ来れり。
其の他の外国も程度少なきも東三省を通じ主として大都会に於いて
利益を有せり。

是等諸外国の代表者は近年の政治的危急に際し調停的の役割を演じたるが
経済的に最も優勢なる日本が市場独占を企てざる限り
今後も右役割を行うこととなるべし。

現在最も重要なる問題は住民が受諾し得べく且窮極的の要件を
充たし得べき法と秩序の維持し得べき政権の樹立なり。

●第9章 解決の原則及条件

今や吾人は将来に注意を集中する時期に達したるを以て
本章の考察を最後とし此上過去には言及せざるべし。

前掲各章の読者にとりては本件紛争に包含せらるる諸問題は
往々称せらるるが如く簡単なるものに非ること正に明らかなるべし。

即ち問題は寧ろ極度に複雑なるを以て
一再の事実及其の歴史的背景に関し十分なる知識あるもののみ
之に関する決定的意見を表明する資格ありというべし。
本紛争は一国が国際聯盟規約の提供する調停の機会を
予め十分に利用し尽くすことなくして他の一国に宣戦を布告せるが如き
事件にあらず。

又一国の国境が隣接国の武装軍隊に依り侵略せらるるが如き
簡単なる事件にもあらず。
何となれば満州に於ては世界の他の部分に於いて
正確なる類例の存せざる幾多の特殊事態あるを以てなり。

(中略)

日本は右事実完了に至らしめたる手段は
この種行動の防止を目的とする国際聯盟規約、
不戦条約及華府(ワシントン)九国条約の義務に合致するものなりと主張す。

更に本問題に付初めて聯盟の注意が喚起せられたる際漸く
開始せられたる行動は其の後数ヶ月間に完結せられ且日本は右行動を以て
9月30日及12月10日寿府(ジュネーブ)に於いて
其の代表の與えたる保証と合致するものなりと主張す。

日本の説明に依れば其一切の軍事行動は正当なる自衛行為にして
右権利は叙上の多那的条約中に包含せられ
又国際聯盟理事会の何れの決議に於いても奪われたることなし。

将又東参照に於いて支那の旧政権に代われる新政権は
其の成立が地方人民の行為にして彼等は自発的に其の独立を宣言し
支那との一切の関係を断ち自己の政府を樹立したものなるを以て
正当視せらるるものなりとせり。

尚日本の主張に依れば斯くの如き真正なる独立運動は
如何なる国際条約若しくは国際聯盟理事会の決議に依りても禁ぜられず、
且斯かる運動の既に行われたりと云う事実は
九国条約の適用を著しく改編し聯盟に依り調査せられつつある問題の
全性質を根本的に変更せるものなりとせり。

(中略)

前章に記述せる程度以上に日本の満州に対する経済的依拠を
誇張することなく且経済的関係は日本に対し
東三省の政治的は勿論経済的発達を支配するの資格を
与うるものなりと提言することなく、
日本の経済的開発の為満州が甚だ重大なる事を認むるものなり。

将又日本が満州の経済的開発の為必要なる治安を維持し得べき
安定せる政府の樹立を要求することも不合理なりと考えるものに非ず。
然るに斯くの如き状態は人民の願望に合致し且彼等の感情及要望を十分に
考慮する政権に依り初めて確実且有効に保障せらるべし。

尚右満州の急速なる経済的開発に必要なる資本の集中は
現在極東に見られざる外部の信頼と内部の
平和の雰囲気とに於て初めて可能なり。

(中略)

日本にとり重大利益ある右日支の経済的提携は同時に支那の利益問題なり。
何となれば支那が更に日本と経済的及技術的に合作することは
其の国家改造の第1事業を助成するものなるを発見すべければなり。

支那は其の国民主義の狭量なる傾向を抑圧することに依り
又友誼関係復活するや否や組織的ボイコットの再現することなき
旨の有効なる保障を与えることに依り右提携を助成し得べし。

一方日本としては満州問題を支那関係の一般的問題より切り離し、
支那との友好及合作を不可能ならしむる方法にて
支那問題を解決するが如きあらゆる試みを放棄することに
依り右提携を容易ならしむるを得べし。

(中略)

支那に於いても亦該国家に対する死活問題、
真の国家的問題は国家の改造及近代化なることを認むるに至れる処彼らは
右改造の近代化の政策は既に開始せられ政綱の望多きも其の実現には
一切の国家特に其の最も近隣者なる大国との友好的関係の涵養を
必要とすることを認めざるを得ざるなり。

支那は政治的及経済的事項に於いて一切の主要国の協力を必要とする特に
支那にとり有益なるは日本政府の友好的態度及満州に於ける
日本の経済的協力なり。

新に目覚めたる国家主義の他の一切の要求は如何に正当にして
且緊急なりとも右国家の有効なる内部改造に対する
重大なる必要の前には之を従とせざるべからず。
2010/01/03 06:00|年表リンク用資料
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