正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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フライング・タイガーこそ、
アメリカが真珠湾攻撃以前から対日戦争に参戦していた何よりの証拠だ。

伝説の戦闘機部隊「フライング・タイガー」の元パイロットが訪中―北京市

伝説の戦闘機部隊「フライング・タイガー」の元パイロットが訪中―北京市
4月23日15時43分配信 Record China

2007年4月21日、日中戦争で活躍した戦闘機部隊「フライング・タイガー」の
エドワード元大佐が訪中し、北京航空博物館に訪れた。

フライング・タイガーは中国空軍所属のアメリカ志願兵による戦闘機部隊。
1942年にアメリカ人飛行教官のシェンノート(中国名は陳納徳)氏により
創設された。

200余名の隊員からなり、大きな戦果を挙げたことで知られる。
エドワード氏は当時のパイロットスーツに貼られていた布を見せた。
「来華助戦洋人、軍民一体救護(この者は中国を助けるためにやってきた
外国人である。軍人も民間人もみなこの者を助けよ)」と書かれており、
不時着した時などに現地の中国人の助けを借りるためのもの。
実際、多くの隊員が救われたという。

フライング・タイガーの元隊員も中国人の戦友もかつての友情を忘れていない。
87歳になるエドワード氏は今回が19回目の訪中。
「古い友達に会いに来たんだ」と語った。
北京訪問後は各地をまわり戦友たちと旧交を温める予定だという。

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以下、『大磯正美研究室』より引用
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/5562/column/column088.html

1937年7月、米陸軍航空隊シェンノート大尉が退役して中国空軍を指揮。

1937年12月、南京陥落

1940年12月21日、モーゲンソー財務長官、シェンノートらが
米軍人による日本爆撃を立案。
「木と紙でできている日本家屋には焼夷弾が効果的」と意見一致。

1941年5月、統合参謀本部(JB)が対日奇襲作戦「JB355」を策定。

1941年7月23日、ルーズベルト大統領など米国首脳が
フライング・タイガーによる日本本土爆撃計画に署名。

7月25日、在米日本資産を凍結

8月1日、米国が対日石油輸出を全面禁止

8月下旬、シンガポールに米人パイロット等三百人が集結。
計画では9月下旬に奇襲爆撃決行。しかし機体の到着が遅れた。

11月26日、ハルノート提示

12月7日、真珠湾攻撃

「20/20」のスクープでは、戦闘機の護衛がなくて目的が果たせるかと
疑問が出されていたが、
後に出版された『ルーズベルト秘録』(産経新聞社、2000年12月)では、
カーチス戦闘機350機がロッキード・ハドソン長距離爆撃機150機を
護衛する計画だったと新しい情報を記している。

アメリカ政府がこんなに堂々と対日奇襲作戦を計画し、
実行に移していたというだけでも知らない人は驚くだろう。
日本側の奇襲作戦と同時進行なのだから、
映画的な題材としてこれほど魅力的な事実はないと思うがどうだろうか。

しかし、これだけは付け加えておきたい。
同じ奇襲作戦といっても、
日本側は真珠湾の「海軍力」のみが攻撃目標であり、
しかも直前に宣戦布告をする計画だった。
これに対して米側の計画は、初めから民間の日本家屋を焼き払い、
しかもそれを中国軍の攻撃に偽装しようというものだった。

どちらが「sneak attack」(卑怯な騙し討ち)と断罪されるべきか、
答えは明らかであろう。(06/11/27)(追補12/15)

資料
http://www.preemptivestrikethemovie.com/

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「真珠湾攻撃」の5か月前 米が日本爆撃計画
「大統領も承認」 米ABCテレビ

読売新聞 1991/11/24

◆米・ABCテレビが「米の責任」論評

【ニューヨーク二十二日=藤本直道】

米ABCテレビは二十二日夜の報道番組「20/20」で、
日本軍の真珠湾攻撃の五か月も前にフランクリン・ルーズベルト米大統領は、
中国本土から日本への長距離爆撃計画を承認していたと伝え、
同大統領は日本を意図的に開戦へ追い込んだと論評した。

真珠湾五十周年を前に日本の奇襲を改めて強調する報道が多い中で、
米国の開戦責任を米国側からまじめに論じたものとして異色の番組。

この爆撃計画そのものは一九七〇年に公開された公文書の中にあったが、
その後歴史家に検証されることなくやみに埋もれていたという。

同テレビは当時のパイロットや大統領補佐官などの生々しい証言を伝え、
米政府が日本への石油禁輸を決めた時期と対日爆撃計画承認が
ほぼ同時期であり大統領補佐官の証言からも、
ルーズベルト大統領が日本を開戦に追い込む意図であったと論評している。

この計画はJB355と名付けられ、
一九四一年七月二十三日に大統領だけでなく
当時の戦争長官、海軍長官なども署名。

ビルマから中国への物資補給路を援護するため
中国に雇われた米人パイロット・グループ、フライング・タイガースを率いる
クレア・シェンノート氏がこのJB355計画にもからんでいた。

米政府は日本の弾薬工場や重要な産業施設を爆撃するため、
長距離爆撃機六十六機を供与するほか、
数百万ドルにのぼる経費や兵員も負担することを承認していたが、
これは当時の米国の中立法に反するという。

シェンノート氏は、この爆撃により
「日本の紙とマッチの軸で出来たような建物を灰に出来る」
と報告していたが、作戦実施に手間取っているうちに真珠湾攻撃が始まった。

1/2 米ABCテレビ 「20/20」 1991年12月6日放送


2/2 米ABCテレビ 「20/20」 1991年12月6日放送 「20/20」


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大戦中の義勇軍「フライングタイガーズ」
正規の空軍部隊だった。米紙が報道

1991/07/08, 読売新聞

【ロサンゼルス七日=桝井成夫】第二次大戦で蒋介石総統の
中国国民党軍に協力、中国南部とビルマ戦線で日本軍機を大量撃墜した
ことで知られる「フライングタイガーズ」は、
日米開戦半年前の一九四一年春、米国防総省の承認のもとに
空軍基地から集められた戦闘機パイロット二百五十九人による正規の
“エリート空軍部隊”だった、と
六日付のロサンゼルス・タイムズ紙が報じた。

同部隊はこれまで、民間義勇軍とされ、国防総省自体、
陸軍省や大統領とのつながりをいっさい否定してきたが、
約百人の生存者が国防総省に史実を認めるよう請願、
このほど退役軍人として認められたという。

同紙によると、「フライングタイガーズ」のパイロットは、
蒋介石の軍事顧問クレア・シェンノート氏によって、
当時の新米パイロットの五倍相当に当たる月給六百ドルと
日本軍機一機撃墜ごとに五百ドルという破格の報酬で、
全米各基地から集められた。

全員は農民や伝道師、エンジニアなどを装ってビルマに集結。
蒋介石政権が米国に借金する形で資金を負担、
弱体の中国航空部隊を裏で支えた。

現地で飛行訓練を積んだ後、十二月の真珠湾攻撃直後から
国民党軍のマークが入ったP40戦闘機に搭乗、
中国南部とラングーン周辺で日本軍機と交戦し、
日本陸軍航空隊の戦闘機など日本軍機二百九十六機を撃墜したとされている。

同紙は「フライングタイガーズ」研究家デービッド・フォード氏の
証言として、当時のモーゲンソー米財務長官が取り決めた国民党への
一億ドルの融資が役に立ち、
ルーズベルト米大統領経済顧問のロークリン・カーリン氏が
計画全体の調整役を務めたとの見方を示している。

さらに同紙は、
「フライングタイガーズは大統領と米軍中枢の承認を受けている」
との米陸軍航空隊ヘンリー・アーノルド将軍のメモ(一九四二年)も
見つかったとしている。
真珠湾奇襲の半年前に米側が軍事行動をスタートさせていたことを
示すものとして議論を呼びそうだ。


アメリカが計画した日本本土奇襲攻撃
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1506935

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『フライング・タイガース』ダニエル・フォード著
【ルーズベルト秘録】《素晴らしいアイデア》

中国国民政府の蒋介石主席の要請から日本空爆という
アイデアを得た米財務長官、ヘンリー・モーゲンソーは
一九四〇年(昭和十五年)十二月十九日のホワイトハウス閣僚会議のあと、
ごく内輪の閣僚にだけ知らせることにした。

フランクリン・ルーズベルトの声がかりで「プラス・フォー」と
呼ばれていた財務、国務、陸軍、海軍の四長官がゆっくりと席に着いた。

モーゲンソーは説得に難航すると思われたコーデル・ハル国務長官には
すでに了解を得ており、成否はヘンリー・スティムソン陸軍長官と
フランク・ノックス海軍長官という軍サイドの堅物二人を
どう納得させるかにかかっていた。

閣僚室の大きな机にまず中国の大きな地図が広げられた。
蒋介石の特別代表、宋子文が提供したその地図には中国南部と
東部にある百三十六カ所の滑走路の位置が記してあり、
そのうちの一つには日本の長崎、佐世保の海軍基地から
わずか六百マイル(約九百六十キロ)と書き込まれている。

モーゲンソーはこれによって航続距離の長い新型爆撃機
「空飛ぶ要塞(B17)」なら日本本土に到達し、
爆撃後の帰還も可能なことを説明したのだった。

地図を興味深げにのぞき込むルーズベルトの様子について
「いかにもうれしそうだった」と、モーゲンソーは翌日、
宋子文に伝えている。
ルーズベルトはこの日、
「プラス・フォーの間で計画をさらに具体化するように」と指示を与えた。

モーゲンソーは二十一日の日曜日に中国空軍将官や中国軍顧問の
元米陸軍航空隊大尉、クレア・シェンノートらを自宅に集めた。
シェンノートの計画では、爆撃機は米軍パイロットと搭乗員だけで操作し、
まずフィリピンの米軍基地に飛ぶ。

パイロットらはそこで退役扱いとなって中国軍に月千ドルで雇用され、
中国大陸の空軍基地に移る。そこから日本を爆撃するわけだ。
爆撃機の整備に必要な地上要員も米軍が用意し、
名目はともかく、あくまで米軍が作戦を仕切ることになる。

モーゲンソーは目を輝かせて
「日本の家屋は木と紙でできているのだから焼夷弾で焼き払おう。
爆弾より軽いので航続距離が伸びるというメリットもある」と提案し、
シェンノートから「素晴らしいアイデアだ」と即座に受け入れられている。


資料には、「規律と効率を改善するため、
陸軍航空部隊の士官四、五人が早急に必要である。」とも記述。

『JB355』は、大統領だけでなく当時の戦争長官、海軍長官なども署名。

「フライングタイガーズは大統領と米軍中枢の承認を受けている」
との米陸軍航空隊ヘンリー・アーノルド将軍のメモ。

デービッド・フォード氏によれば、
資金源はモーゲンソー米財務長官が取り決めた国民党への
一億ドルの融資で、
ルーズベルト米大統領経済顧問のロークリン・カーリンが
計画全体の調整役を務めた。


大統領宛
1941年7月18日
カリー大統領補佐官の要請により、
統合本部は中国政府への航空機提供に関する勧告を作成した。
41年7月9日の統合計画委員会報告JB355号に盛り込まれている
この勧告を統合本部は承認しており、大統領による検討のため送付する。
この提案が実現するためには、すでに英国に供与している機材の振り分けに
関する同国の協力が必要であるが、
われわれが推奨する振り分けは克服できない困難を伴ったり、
多大な不利を及ぼすものではないことを特記したい。
われわれはこの報告を承認した。
送付にあたり大統領閣下も承認を与えることを推奨する。

暫定陸軍長官 パターソン(署名)
海軍長官  ノックス(署名)

―――

7月23日
OK。ただし、軍事ミッション(を派遣する)か、
大使館武官(を通じた方法)かを比較検討せよ。

FDR(フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領、署名)

―――

JB355号

発 統合計画委員会

宛 統合本部

中国政府の航空機需要について

(本文省略)

◆(概要)
1-4

◆(政策)
5-6



10-12

◆(短期航空機計画)
13-15
16
17

◆(勧告)
18
a 政策
(1)
(2
(3)

b 短期航空機計画
(1)
(2)

セロー米陸軍准将(署名)
ターナー米海軍少将(署名)

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■アメリカの海軍ヒューイット調査機関が1945年に作成した報告書NO.75
のなかで、真珠湾攻撃の80分前に、アメリカの軍艦ウオードが
警告なしに先に日本の潜水艦を攻撃して沈めていたことが暴露された。
(ただし、アメリカ領海内であった模様)

■アメリカの海軍仕官学校研究所の「戦争への挑発」という報告書の中で、
さんざんルーズベルト政権がラニカイ号などの老朽船を
わざと日本海軍に接近、挑発させ、繰り返し日本から手出しさせるよう、
そして戦争に引きずり込めませるよう、策謀していたと結論づけている。

日本ではなく、アメリカの研究機関がそう結論づけているのだ。

■1995年に公開された
米海軍情報将校の覚書『アーサー・マッコラム』では、
真珠湾に日本を誘い出して戦争に引きずり込む必要性が述べられ、
その報告書にルーズベルトの指紋が検出されたこと、
ルーズベルトが日本海軍の暗号を解読して真珠湾攻撃を事前に
察知していながら、それを現地司令官に知らせず、
ハワイを犠牲にしたことが、20000点以上の文書の分析から、
権威あるBBCのジャーナリストの
17年以上の研究によってすでに証明され、
アメリカならびに世界の学会において、
「開戦責任がアメリカにある」ことは、すでに評価の定まった観がある。

■Robert.B.Stinett の「Day of Deceit」(ルーズベルト偽りの日々)では、
実際に、2000年にアメリカ下院は、情報を知らされずに犠牲にされ、
責任を取らされたハワイの太平洋艦隊司令官キンメル提督
+ショート司令官の名誉を回復する決議をしたことが記されている。

■「大東亜戦争開戦について」 ハミルトン・フイッシュ米上院議員
日米・開戦の悲劇、ハミルトン・フィッシュ、PHP文庫、H4.12

日本は、フイリピンおよびその他のいかなる米国の領土に対しても、
野心を有していなかった。

しかしながら、ひとつの国家として、日本はその工業、商業航行
および海軍のための石油なしに存立できなかった。

非常な平和愛好家である首相の近衛公爵は、
ワシントンかホノルルに来てもよいから
ルーズベルト大統領と会談したいと、繰り返し要望していた。

彼は、戦争を避けるためには、
米国側の条件に暫定協定の形で同意する意思があったが、
ルーズベルトは、すでに対日戦、およびその帰結としての対独戦を
行なうことを決意していたという理由で、日本首相との話し合いを拒否した。
2009/12/16 09:00|年表リンク用資料
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