●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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日本より早く英米ソも他国へ進駐
日本軍の北部仏印進駐に際して、日仏両軍間に衝突が発生した。 これは遺憾なことではあったが、 この局部的衝突は北部仏印進駐に対する日本の基本的態度とは 関わりのない事件であった。 さて東京裁判以来、この北部仏印進駐をもって日本の侵略行為と論ずるのが 定説であるが、英米両国でさえ 他国に同様な軍事進駐を行っていた事実がある。 仏印進駐と同じ1940年(昭和15年)の春、 ノルウェーとデンマークがドイツ軍に占領されるや、 これら両国の属領たるアイスランドとグリーンランドがドイツの手に陥るのを 予防するため、英国は機先を制して5月にまず2万の兵力をもって アイスランドを占領し、同島のノルウェー自治政府は、これを承認した。 日本の北部仏印進駐の実に四ヶ月前のことであった。 一方、グリーンランドには自治政府がなかったので 合法的な進駐は困難であった。 だが北大西洋でのドイツ潜水艦の活動が活発になると、 1941年(昭和16年)4月、米国は駐米デンマーク公使との間に グリーンランドに空軍基地を設定する協定を結んだ。 ドイツの支配下にあったデンマーク本国政府は、ただちに右協定を取り消し、 公使の召還命令を発したが、米国は意に介さず、 グリーンランドに基地を設定した。 日本の南部仏印進駐の三ヶ月前のことであった。 また同年5月、アイスランドが独立を宣言するや、 その承認の下に米軍は7月、英軍に代わって米軍を同島に進駐させた。 斯かる英米の他国への軍事進駐を不問に付し、 日本の仏印進駐のみ侵略と非難されるのは甚だ不公正というほかない。 東京裁判でブレークニー弁護人は、日本を不戦条約違反の罪に問うならば、 戦勝国にも同様に不戦条約違反行為があったとして、 ポーランド、バルト三国、フィンランド、ルーマニア、 およびイランに対するソ連の侵略、英国のアイスランド侵入、 米国のアイスランドとグリーンランド進駐、 豪州とオランダによるチモール島占領等の侵略行為を立証する文書を 提出したが、ウェップ裁判長は東京裁判は日本の侵略戦争以外の戦争を 裁く権限はないと却下した。 「同じ行為をしておきながら日本は有罪とされ、他の国々は無罪であると するのは裁判基準が二つあることになる。」 とブレークニー弁護人は、東京裁判のダブル・スタンダードを鋭く批判した のであったが、結局、ソ連・米・英など戦勝五カ国の侵略行為は裁判に 関連なしとして、それらに関する弁護側の証拠は却下されてしまった。 ――――――― 『大東亜戦争への道』 中村 粲(あきら)著 (展転社) P543~544 より引用 |
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