正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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義和団事変で満洲を占領したロシアは事変鎮定後も満洲に居座り、
日英米などの抗議で撤兵を約束したが期限がきても撤兵せず、
逆に兵力を増強した。
また鴨緑江河口の竜岩浦を軍事占領し、韓国と竜岩浦租借契約を結び、
ここに要塞を築きポート・ニコラスと改称した。

以下、『大東亜戦争への道』中村粲(あきら)著1990.12.8(展転社)P96~97より

◆対露交渉決裂す

満韓に対するロシアの侵略意図が
疑いなきものとなった明治36年(1903年)8月、
我が国は遂に対露直接談判を開くに至った。
談判は翌年1月まで5ヵ月に及んだ。
この対露交渉での我が国の主張の骨子は、

1.清韓両国の独立と領土保全を尊重し、
右両国に於ける通商上の機会均等を相互に約す。

2.ロシアは韓国での日本の優越した利益を、
日本は満洲の鉄道に関するロシアの特殊利益を承認する。

3.韓国の改革と善政のため助言と援助(軍事援助を含む)を与へるのは
日本の専権であることをロシアは承認する。

というもので、ロシアが承諾し難い条項は一つもなかった。
だがこれに対するロシア側の対案は、

1.韓国の独立と領土保全の尊重は相互に約するも、
満洲は日本の利益範囲外なので交渉の対象としないこと。

2.日本の対韓援助は軍事以外とし、
日本は韓国領土を軍略目的で使用しないこと。

3.韓国の北緯39度以北を中立地帯とすること。

満洲の独立と領土保全は交渉外として触れず、
日本が韓国に派兵することを禁止し、
更に韓国北部を中立化することによって、
満洲に於けるロシアの自由行動を
安全ならしめんとする何とも虫のいい要求だった。

これに対して我が国は、清韓両国の独立と領土保全の尊重、
満洲を日本の利益範囲外とするなら
韓国も露国の利益範囲外として相互に承認すること、
中立地帯を設けるなら韓国側だけでなく、
満韓境界の両側各50キロを中立とすること、
及び日本が韓国に軍事援助を行なふ権利を認めること、を主張した。

両国の主張を比べてみよ。我が主張を貫くものは、結局のところ
「互譲」の精神と「相互主義」であったことが明らかであらう。

それ故、ロシアに互譲の用意があったならば
事態はよほど緩和されたかも知れないが、
彼は頑として自己の主張を譲らず、
その間、極東のロシア軍隊には動員令を下し、満洲には戒厳令を布くなど、
急ピッチで戦争準備を進めて行った。

明治37年1月13日、我が国は露国に最終提案を行なったが、
ロシア側は何ら回答を寄せることなく
戦闘準備の完整を推進するのみであった。

空しく回答を待つこと三週間、
我が国は遂に2月4日、対露断交と開戦を決定、
同6日、露国側に国交断絶を通告した。
2009/12/10 09:00|年表リンク用資料
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