正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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1941年(昭和16年)11月26日、ハル・ノート

日本はアメリカとの和解への道を懸命に模索していたが、
アメリカは日本との和解の意思などはじめからまったくなかった。

戦争関係閣僚会議の翌日、1941年(昭和16年)11月26日、
野村吉三郎、来栖三郎両駐アメリカ大使に
「日米間協定の提案基礎の概要(通称:ハル・ノート)」を突きつけてきた。

チャーチルから批判されて
ほとんどヒステリー状態になったコーデル・ハルは、
日本との暫定協定構想の一切を放棄し、
その代替案として10項目の提案(これがハル・ノートと呼ばれるもの)
をまとめ上げたのだ。

この10項目提案の中にはいささかの妥協も譲歩も含まれておらず、
ハルもルーズベルトも、
日本がこれを拒否するであろうことは十二分に承知していた。

ハル・ノートの主な内容は以下の通りである。

●支那大陸やフランス領インドシナからの即時無条件完全撤退。

●汪兆銘政権(南京政府)を見捨てて
重慶の蒋介石政権(重慶政府)を支持すること。

●日独伊三国同盟の死文化(事実上の破棄)。

これらは到底日本が飲めない条件だった。
これはそれまで積み重ねてきた日米関係改善のための交渉を
踏みにじる内容で、それまでの合意を一切反故にした一方的な要求であった。

支那・仏印からの即時完全撤兵、蒋介石政権の支持という条件は、
日本が日露戦争の前の状態に戻ることを意味し、
これまで日本が行ってきたこと、すべてをが水泡に帰すような要求だった。

日本に戦わずして降伏を要求するに等しいものであり、
誰が見ても明らかに最後通牒であった。

この裏には、アメリカ攻府の卑劣な思惑があった。
アメリカは、支那事変の解決を望まず、
日本が支那大陸の泥沼戦争に足を取られて
疲れ果てて大陸から撤退することを望んでいた。
蒋介石政権を支援したのは支那事変を泥沼化させ、
日本の疲弊を誘うためだった。

当時の国務省の文書から、日本の力を過小評価し、
日本を追い詰めても立ち上がることはないだろうというのが
アメリカの見解だったことが明らかになっている。

そのため、アメリカは終始、日米交渉では非妥協的な態度をつらぬき続けた。
大統領のフランクリン・ルーズベルトも国務長官のコーデル・ハルも
当時の白人の感覚で、有色人種を差別していたから
このようなとんでもない条件を持ち出してきたわけで、
日本には妥協の余地はなかった。

しかし、アメリカが戦争に踏み切るには、大きな障害があった。
当時、アメリカは孤立主義が支配的で、
アメリカ世論は外国の戦争への参戦に反対してた。

そこで、日本と戦争するには第一撃を日本に始めさせる必要があった。
日本が先制攻撃をすれば、アメリカの世論も参戦に傾く。
ハル・ノートはそのための引き金だった。

近年、驚くべき事実が明らかになった。
このハル・ノートは財務次官補ハリー・ホワイトが起草したもので、
国務長官のハル本人が作ったものではなかった。
このホワイトなる人物が実はソ連のスパイだったのだ。

要するにソ連のスパイが日本を激昂するような案を作り、
大統領のフランクリン・ルーズベルトに採用させることに成功し、
日米開戦を誘発したのだ。

日本は日露戦争以降、アメリカの標的と目されつつ
何とか日米戦争を回避できるところまでいっていたが、
アメリカ国内のコミンテルンにとどめを刺され、
戦争に追い込まれたと見ることもできる。

ホワイトはコミンテルンの手先であったために、
戦後は世界銀行のアメリカ代表になるほどの重要人物でありながら、
その疑惑のために自殺している。

ハル・ノートは日本の当時の指導部に衝撃を与えた。

もっとも和平を強く望んでいた東郷外相でさえ、
ハル・ノートを野村大使から電報で受け取ったとき、
「自分は眼も眩むばかり失望に撃たれた」と述べた。

東郷は、戦後次のように回想している。
「米国を指導者としての対日経済封鎖のみならず、
軍事的包囲陣も日に日に強化され、日本の生存もおびやかされて来たので、
もはや立ち上がる外ないと云うことだった。
『ハル・ノート』を受諾した後の日本の地位が
敗戦後の現在の地位と大差なきものになるべきであることは、
まったく疑いの余地はなかった」

「日本がかくまで日米交渉の成立に努力したにもかかわらず、
アメリカはハル・ノートのごとき最後通牒を送って、わが方を挑発し、
さらに武力的弾圧をも加えんとする以上、
自衛のため戦うの他なしとするに意見一致した」

嶋田繁太郎元海軍大臣は、東京裁判の法廷でこう陳述した。
「それはまさに青天の霹靂であった。
アメリカにおいて日本の譲歩がいかなるものにせよ、
私はそれを戦争回避のための真剣な努力と解し、

かつアメリカもこれに対し歩み寄りを示し、
もって全局が収拾されんことを祈っていた。
しかるにこのアメリカの回答は、頑強不屈にして、冷酷なものであった。

それは、われわれの示した交渉への真剣な努力は少しも認めていなかった。
ハル・ノートの受諾を主張した者は、
政府内にも統帥部内部にも一人もいなかった。

その受諾は不可能であり、
その通告はわが国の存立をおぴやかす一種の最後通牒であると解せられた。
この通牒を受諾することは、
日本の敗退に等しいというのが全般的意見だった」

東京裁判の被告全員がこれと同じ感懐を述べている。
日本の指導者がそう受け取ったばかりでなく、後日アメリカにおいても、
このハル・ノートに対する非難の声は、日を追うごとに高まった。

◆ハル・ノートに対する発言

東京裁判でパール判事は、
「現代の歴史家でさえも『ハル・ノートのような通牒を受け取ったら、
モナコやルクセンブルク大公国でさえも
アメリカに対し矛(ほこ)をとって立ち上がったであろう」と述べた。

セオボルト海軍少将は、
「まさしくハルノートは、日本を鉄棒で殴りつけた挑発であった」
と述べて、これを激しく非難した。

ジョセフ・グルー米駐日大使はハル・ノートを読み、
「このとき、戦争になるボタンは押された」
と開戦を覚悟したと回顧録で述べた。

フランクリン・ルーズベルトのライバルと
目されたハミルトン・フィッシュ下院議員はハル・ノートの存在を知ると、
「恥ずべき最後通牒」と批判し、
「日本は自殺するか、降伏するか、戦うしかない」と述べた。

戦後、支那は共産化し、アメリカが主張して止まなかった
「門戸開放」どころか、門戸を固く閉鎖してしまった。

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■ハル・ノート詳細

ハル・ノートとは、日米交渉において日本側の当事者野村吉三郎駐米大使と
来栖三郎特命大使が提示した日本側の最終打開案(乙案)に対する
拒否の回答と同時に、アメリカ側から提示された交渉案である。

ハル・ノートはオーラル・ステートメントと本体から成っている。
まず、オーラル・ステートメントは、
乙案を「法と正義に基づく平和確保に寄与せず」として拒否する。

次に本体は「極秘・試案にして拘束力なし」と書かれ
「アメリカ合衆国および日本国間協定の基礎概略」
と標記され、二項から成る。

第一項はいわゆる「四原則」を掲げたもので、

●あらゆる国家の領土保全と主権尊重。
●内政不干渉。
●機会均等。
●平和的手段によらぬ限り太平洋の現状不変更。

重要なのは第二項であった。以下の10項目からなる。

1.日米両国はイギリス、支那、日本、オランダ、ソ連、タイとともに
多辺的不可侵条約の締結する。

2.日米両国はアメリカ、イギリス、支那、日本、オランダ、タイ政府間に
仏領インドシナ(仏印)の領土主権尊重に関する協定を締結する。

3.日本は支那及び仏印より一切の陸海空兵力及び警察力を撤収させる。

4.日米両国は重慶政府以外の
いかなる政権をも軍事的、政治的、経済的に支持しない。

5.日米両国は支那における治外法権
(租界及び義和団事変議定書に基づく権利を含む)を放棄する。

6.日米両国は新通商条約締結の交渉に入る。

7.日米両国は相互に資産凍結令を廃止する。

8.円ドル為替安定につき協議する。

9.両国政府が第三国と結んだいかなる協定も、本協定の目的
即ち太平洋地域全般の平和と矛盾するが如く解釈されてはならない。

10.以上の諸原則を他国に勧めて、そうするように仕向ける。

◆問題点

第一項から第五項までは、従来の交渉において何ら言及されなかった
新規かつ法外な要求であり、
ノートはそれまでの交渉過程を全く無視した唐突なものであった。

東條外相が評したように「日本への挑戦状」であり、
「タイムリミットなき最後通牒」だった。

ハル・ノート諸項目の中でも、ことに日本にとって衝撃的だったのは、
第三項、第四項、及び第五項だった。
この三項目の要求は、言いかえれば、
九ヶ国条約の即時完全履行を迫るもので、来栖大使の言のごとく、
「重慶へ謝罪せよ」と求めるに等しかった。

九ヶ国条約は19世紀末の門戸開放宣言に端を発し、
1922年ワシントン会議で国際条約として成文化され、
以後、日本の基本的争点を形成し、
両国関係悪化の因をなし来った悪縁深きものである。

第一項:
多数国間の不可侵条約などということは、
日米交渉期間中一度も出なかった新しい問題である。
今更このような難問題を持ち出すということは、
日本側にとって全く理解しがたいことだった。

まして日米交渉中にソ連までも加えた多数国間の不可侵条約を
これから締結しようなどという提案は、
交渉をいたずらに長引かせるための手段としか考えられない。

東京裁判で検察側は、日米交渉を引き延ばして開戦準備をしたのは
日本であると決め付けたが、
これでわかるように実際にそれをやったのはアメリカである。

第二項:
日本はすでに乙案によって、仏印における特殊権利の主張を放棄している。
しかるにアメリカは、
この問題を多辺的協定に持ち込むべく新提案をしている。
これもまた仏印問題の解決をいたずらに複雑化または遷延化するものである。

第三項:
アメリカの豹変と言える。
日本軍の支那からの撤退については、
その地域や時期や条件をどうするかという交渉が8ヵ月続いたのである。
アメリカも今後の討議に待つという態度で、焦点を絞ってきたのである。

ところが、ハル・ノートにおいて、
突如即時かつ無条件の撤退を要求してきた。
東京裁判で検察側は、日本は「一歩も妥協をしようとしなかった」
と主張したが、一歩も妥協しなかったのはアメリカであることは明白である。

第四項:
重慶政府以外には、支那におけるどのような政府
または政権も支持してはならないという提案は、
裏を返せば、汪兆銘政権の廃棄はもとより、
満州国の存在さえも否定し去ろうとするものである。

これは日本が絶対に受けられるものではなかった。
アメリカは日米交渉期間中、
初めから日本の満州国は暗黙にこれを認めるという態度をとり、
満州国問題には触れていなかった。
ここでは無謀にも、満州国放棄を日本に迫っている。

第五項:
支那における治外法権、
租界及び義和団事変に基づく権利の放棄も、まったく新しい提案だった。

第九項:
日独伊三国同盟を対象としたこの条項は、
従来のアメリカの主張を超えたものであり、
要するに三国同盟の廃棄を要求するに等しいものである。

かつてコーデル・ハル自身も、
日本が三国同盟を自主的に解釈することによって、
アメリカの自衛行動に対しては三国同盟を発動しない旨の
約束を取り付けたとして満足の意を表したことがある。
しかし、ここであらためて三国同盟を破棄せよと迫ってきた。

過去8ヵ月、日本政府の譲歩によって、
交渉は遅々たる足取りであったが、次第に煮詰まっていた。
日本軍の支那からの撤退問題、仏印問題、日独伊三国同盟に
対する日本側の態度など、アメリカ自身が満足の意を表し、
話し合いの余地は残されているものと信ぜられていた。

しかるに交渉の土壇場にきて、今まで提案されなかった事項まで持ち出し、
従来の弾力性のある態度を捨てて、
一方的にいままでにない過酷な条件を押し続けてきたのである。

これでは8ヵ月にわたる交渉は何のために行われてきたのか、
日本側は理解に苦しんだ。
パール博士が指摘したように、アメリカ側こそ、
この日まで戦争準備を整えるための時間稼ぎをやっていたのだ。

パール博士いわく
「それはもはや交渉ではなくして、日本に全面降伏を意味するものだった。」

もし日本がハル・ノートを受諾すれば、
日本の支那大陸における権益はことごとく水泡に帰し、
日清戦争以前の状態にまで後退することを意味する。

アジアにおける日本の威信は全く地に落ち、
代わって米英の勢力がアジアに抜きがたい地歩を築くであろう。
それは日本の自殺行為を意味するものである。

もしかりに、日本の指導者がこれを受諾したとしても、
当時の国民感情として、断じて許されるものではなかった。
世論場激昂し、国内は大混乱に陥ったであろう。

たとえば、もしアメリカが、沖縄や韓国から即時かつ無条件で撤退せよ、
NATOを廃止せよ、日本や欧州や中東の軍事基地を捨てよ、
といったような通牒を受け取ったとしたら、
アメリカの指導者は果たしてどうこたえるか、
アメリカの世論はどのような反応を示すだろうか。

アメリカ政府といえども、このような過酷な一方的通牒を、
日本政府が受諾するとは考えていなかった。

つまり、この通牒は最後通牒であり、宣戦布告にも等しいものである。
日本政府は当然これを拒否して、実力行使に出るであろう、
ということをはっきり予測し、計算していたのである。

「ルーズベルトとハルとは、ハル・ノートに含まれた提案を、
日本側が受諾しないものと思い込んでいたので、
日本側の回答を待つことなく、
ハル・ノートが日本側代表に首肯されたその翌日、
アメリカの前哨地帯の諸指導官に対して、
戦争の警告を発し、戦争体制に入ることを命令したのであった。

ロバート報告書は、アメリカの前哨指揮官たちが11月27日、
すでに開戦の日が迫っているという警告を入手したと明言している」

パール判事はその証拠をあげて、
日米戦争は事実上11月27日に始まったことを立証している。

東京裁判において、検察側が主張するごとく、日本の指導者たちが、
最初から日米戦争を共同謀議し、戦争準備の時間を稼ぐために、
欺瞞と術策によって交渉を引き延ばしてきたというようなことは、
まったくの虚構であり、事実を曲げたものといえる。

日米交渉にあたって、日本側は少しの誠意も努力も譲歩も示さず、
ひたすら戦争計画を推進し、
ついに真珠湾の奇襲を果たしたという検察側の論告と、
これをそのまま容認した判決は、
まったく独善と曲解に満ちたものといえよう。

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ハル・ノート 全10項の翻訳。

1.アメリカ政府及び日本国政府はイギリス、支那、日本、オランダ、
ソ連、タイ及びアメリカの間に多辺的不可侵条約の締結に努むべし。

2.両国政府はアメリカ、イギリス、支那、日本、オランダ、
タイ政府間において各国政府が仏領インドシナの領土主権を尊重し

かつインドシナの領土保全に対する脅威発生するが如き場合、
かかる脅威に対処するに必要且つ適当なりと看なされるべき措置を
講ずるの目的を以て即時協議する旨誓約すべき協定の締結に努むべし。

かかる協定は又協定締結国たる各国政府がインドシナとの貿易
もしくは経済関係における特恵的待遇を求め、または之を受けることなく
且つ各締結国の為仏領インドシナとの貿易通商における平等待遇を
確保するが為、尽力すべき旨規定すべきものとす。

3.日本国政府は支那及びインドシナより
一切の陸海空兵力及び警察力を撤収するものとす。

4.アメリカ政府及び日本国政府は、
臨時に重慶に置ける中華民国国民政府以外の支那におけるいかなる政府
もしくは政権をも軍事的政治的経済的に支持することなし。

5.両国政府は外国租界及び居留地内
およびこれに関連せる諸権益をも含む支那にある
一切の治外法権を放棄するものとす。

両国政府は外国政府租界地及び居留地における諸権利に、
1901年義和団事件議定書による諸権利を含む支那における
治外法権放棄につきイギリス政府および
其の他の政府の同意を取り付けるべく努力するものとす。

6.アメリカ政府及び日本国政府は、両国による互恵的最恵国待遇
及び通商障壁引き下げを基本とする米日間通商協定締結のための
交渉に入るものとす。
右通商障壁引き下げには生糸を自由品目に
据え置くべきアメリカによる約束を含むものとす。

7.アメリカ政府及び日本国政府は、各々アメリカにある日本資産
及び日本にあるアメリカ資産に対する凍結措置を撤廃するものとす。

8.両国政府は円ドル為替安定計画に付協定し、
右目的の為の所要資金の分担は日米折半とするに同意するものとす。

9.両国政府は、その何れか一方が第三国と締結しあるいかなる協定も、
本協定の根本目的即ち太平洋地域全般の平和樹立
及び保持に矛盾するが如く解釈せざるべきに同意するものとす。

10.両国政府は、他の諸政府をして本協定に定められる基本的な政治的
及び経済的諸原則を遵守し且つ之を
実際に適用せしむる為其の影響力を行使するものとす。

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詩人、高村光太郎 詩集『大いなる日に』(昭和17年)より

「 十二月八日 」

記憶せよ、十二月八日

この日、世界の歴史あらたまる

アングロ・サクソンの主権

この日、東亜の陸と海とに否定さる。

否定するものは彼らのジャパン、

眇たる東海の国にして、

また神の国たる日本なり。

そを治しめしたまふ明津御神なり。

世界の富を壟断するもの、

強豪米英一族の力、

われらの国に於いて否定さる。

われらの否定は義による。

東亜を東亜にかへせといふのみ。

彼等の搾取に隣邦ことごとく痩せたり。

われらまさに其の爪牙を摧かんとす。

われら自ら力を養ひてひとたび起つ。

老若男女みな兵なり。

大敵非をさとるに至るまでわれらは戦ふ。

世界の歴史を両断する。

十二月八日を記憶せよ。

―――――――――――――――――

詩人、三好達治

「 アメリカ太平洋艦隊は全滅せり 」

ああその恫喝

ああその示威

ああその経済封鎖

ああそのABCD線

笑ふべし 脂肪過多デモクラシー大統領が

飴よりもなほ甘かりけん 昨夜の魂胆のことごとくは

アメリカ太平洋艦隊は全滅せり!

(中略)

日東真男児帝国 一たび雷霆の軍を放つや

彼らの潜水艦はとこしへに潜水し

彼らの航空母艦は鞠躬如として遁走せり

而してその空軍の百千の燕雀もまた

空しく地上に 格納庫中に炎上せり

笑ふべし 脂肪過多デモクラシー大統領が

飴よりもなほ甘かりけん 昨夜の魂胆のことごとくは

アメリカ太平洋艦隊は全滅せり!

(以下略)

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1941年11月26、日米側提案 (通称 ハル・ノート)

「合衆国及日本国間協定の基礎概略」

第一項政策に関する相互宣言案

合衆国政府及日本国政府は、共に太平洋の平和を欲し、
其の国策は太平洋地域全般に亙永続的且広汎なる平和を目的とし、
両国は右地域に於て何等領土的企図を有せず、
他国を脅威又は隣接国に対し侵略的に武力を行使するの意図なく、
又其の国策に於ては、相互間及一切の他国政府との間の関係の
基礎たる左記根本諸原則を積極的に支持し、
且之を実際的に適用すべき旨闡明す。

1.一切の国家の領土保全及主権の不可侵原則

2.他の諸国の国内問題に対する不刊与の原則

3.通商上の機会及待遇の平等を含む平等原則

4.紛争の防止及平和的解決並に平和的方法
及手続に依る国際情勢改善の為め国際協力及国

■際調停遵拠の原則

日本国政府及合衆国政府は、慢性的政治不安定の根絶、
頻繁なる経済的崩壊の防止及平和の基礎設定の為め、
相互間並に他国家及他国民との間の経済関係に於て
左記原則を積極的に支持し、且実際的に適用すべきことに合意せり。

1.国際通商関係に於ける無差別待遇の原則

2.国際的経済協力及過度の通商制限に
現れたる極端なる国家主義撤廃の原則

3.一切の国家に依る無差別的なる原料物資獲得の原則

4.国際的商品協定の運用に関し
消費国家及民衆の利益の充分なる保護の原則

5.一切の国家の主要企業及連続的発展に資し且一切の国家の福祉に合致する
貿易手続に依る支払を許容せしむるが如き国際金融機構及取極樹立の原則

■第二項合衆国政府日本国政府の採るべき措置

合衆国政府及日本国政府は、左の如き措置を採ることを提案す。

1.米国政府及び日本国政府は英国、中国、日本、オランダ、
ソ連、タイ国及び米国の間に多辺的不可侵条約の締結に努むべし。

2.両国政府は米、英、中、日、蘭、タイ政府間において
各国政府が仏領印度支那の領土主権を尊重し
且つ印度支那の領土保全に対する脅威発生するが如き場合、
かかる脅威に対処するに必要且つ適当なりと
看なされるべき措置を講ずるの目的を以て即時協議する旨
誓約すべき協定の締結に努むべし。

かかる協定は又協定締結国たる各国政府が
印度支那との貿易もしくは経済関係における特恵的待遇を求め、
または之を受けることなく且つ各締結国の為仏領印度支那との
貿易通商における平等待遇を確保するが為、
尽力すべき旨規定すべきものとす。

3.日本国政府は中国及び印度支那より
一切の陸海空兵力及び警察力を撤収するものとす。

4.米国政府及び日本国政府は、
臨時に重慶に置ける中華民国国民政府以外の中国におけるいかなる政府
もしくは政権をも軍事的政治的経済的に支持することなし。

5.両国政府は外国租界及び居留地内およびこれに関連せる諸権益をも含む
中国にある一切の治外法権を放棄するものとす。
両国政府は外国政府租界地及び居留地における諸権利に、
一九〇一年義和団事件議定書による諸権利を含む中国における治外法権放棄に
つき英国政府および其の他の政府の同意を取り付けるべく努力するものとす。

6.米国政府及び日本国政府は、両国による互恵的最恵国待遇
及び通商障壁引き下げを基本とする米日間通商協定締結のための
交渉に入るものとす。右通商障壁引き下げには生糸を自由品目に
据え置くべき米国による約束を含むものとす。

7.米国政府及び日本国政府は、各々米国にある日本資産
及び日本にある米国資産に対する凍結措置を撤廃するものとす。

8.両国政府は円ドル為替安定計画に付協定し、
右目的の為の所要資金の分担は日米折半とするに同意するものとす。

9.両国政府は、その何れか一方が第三国と締結しあるいかなる協定も、
本協定の根本目的即ち太平洋地域全般の平和樹立
及び保持に矛盾するが如く解釈せざるべきに同意するものとす。

10.両国政府は、他の諸政府をして本協定に定められある基本的な政治的
及び経済的諸原則を遵守し且つ之を
実際に適用せしむる為其の影響力を行使するものとす。

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『油断!』 (日経ビジネス人文庫) 堺屋太一著 (元経済企画庁長官) より

1941年当時、石油輸入量が70%減った場合のシミュレーション。

10日後:変化なし

2O日後:政府の規制によりGNP少し低下:96

30日後:更に低下、GNP:80~90台

40日後:更に低下

50日後:更に低下、GNP:88

60日後:備蓄石油0、GNP:40~60台

70日後:GNP:78

100日後:死者 数千人

150日後:死者30万人、GNP:34

200日後:死者300万人、国民の財産の7割が消失、GNP:23

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日独伊三国同盟の成立前からアメリカは対日経済制裁していた。
1937年10月5日、米国大統領「戦争伝染病を隔離せよ」と演説して日本を非難
1939年3月、蒋介石政権が軍用機や発動機を購入のために1500万ドルを借款
1939年7月、日米通商航海条約破棄を通告
1939年12月、モラル・エンバーゴ(道義的輸出禁止)として
航空機ガソリン製造設備、製造技術の関する権利の輸出を停止するよう通知。
1940年1月、米国が錫、屑鉄の対日輸出額を前年度の半分にすると通告
1940年1月、日米通商航海条約失効
1940年6月、特殊工作機械等の対日輸出の禁止
1940年7月、国防強化促進法成立(大統領の輸出品目選定権限)
1940年7月、航空機用ガソリンの東半球への輸出を禁止
1940年7月、鉄と日本鉄鋼輸出切削油輸出管理法成立
1940年8月、石油製品(主にオクタン価87以上の航空用燃料)、
航空ガソリン添加用四エチル鉛、鉄・屑鉄の輸出許可制
1940年8月、航空機用燃料の西半球以外への全面禁輸
1940年9月25日、蒋介石政権に2500万ドルの借款
1940年9月26日、屑鉄の輸出を全面禁止
★1940年9月27日、日独伊三国同盟成立
1940年11月、米大統領が蒋介石政権に更に5000万ドルの追加借款
1940年12月、米国が蒋介石政権に一億ドルの借款供与
1940年12月、英国が蒋介石政権に100万ポンドの借款供与
1940年12月、航空機潤滑油製造装置ほか15品目の輸出許可制
1941年6月、石油の輸出許可制
1941年7月、日本の在米資産凍結令
◆8月1日、米国が対日石油輸出を全面禁止
◆8月8日、日本側から日米首脳会談を提案したがアメリカは拒否
◆8月9日~14日、大西洋会談(大西洋宣言)
アメリカがイギリスに戦争協力を約束。
◆8月18日、豊田外相がグルー駐日米大使に首脳会談への協力を要請。
グルー大使は豊田の真率な態度に感動し、即刻コーデル・ハルに
「日本の提案は深い祈念を込めた検討なしに片付けるべきにあらず。
最高の政治的手腕を発揮しべき機会がここに提起せられあり。
これにより太平洋の平和にとりて一見乗り越え難き障害も
克服しうる公算あり」と言葉の限りを尽くして打電。
◆9月6日、近衛首相、グルー駐日大使を通じて、日米首脳会談の実現を
再度依頼したが、アメリカ政府は無視。
◆9月30日、豊田外相がクレーギー英駐日大使に日米首脳会談への協力を
要請し、クレーギー大使はイギリス本国政府に重大性を進言したが
英国政府は無視
◆11月21日、米国に三国同盟死文化申し入れ。
◆11月26日、ハル・ノート提示
3項:支那大陸や仏印からの即時、無条件完全撤退。

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1941年11月5日、第7回御前会議にて
「甲案」「乙案」と帝国国策遂行要領の改訂が決定された。
東郷外相は「甲案」から交渉を始め、25日までに調印するよう訓令。
乙案は南部仏印からの日本軍の撤退により
米国の石油禁輸措置解除等を求める妥協案。

『甲案』
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/data/kouan.htm
甲案
1.通商無差別問題に関しては、日本は無差別原則が、
全世界に適用されるにおいては、太平洋全域、即ち中国においても、
本原則の行われることを承認する。

2.三国同盟問題に関しては、日本は自衛権の解釈を
みだりに拡大する意図なきことを明瞭にする。
同盟条約の解釈及び履行は日本の自ら決定するところにより行動する。

3.撤兵問題に関しては、
(A)中国においては華北・内蒙古の一定地域、
並びに海南島には日中和平成立後所要期間駐兵、
その他の軍隊は日中間協定により2年以内に撤兵。
所要期間について米側から質問があった場合、
概ね25年を目処とする旨をもって応酬すること。
(B)日本は仏印の領土主権を尊重する。
仏印からは、日中和平成立又は太平洋地域の公正な平和確立後撤兵。

なお、ハル四原則に関しては、
日米間の正式妥結事項に含めることは極力回避する。

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『乙案』
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/data/otuan.htm
乙案
1.日米は仏印以外の東南アジア及び太平洋諸地域に武力進出を行わない。

2.日本は日中和平成立又は太平洋地域の公正な平和確立後、仏印から撤兵。
本協定成立後、日本は南部仏印駐留の兵力を
北部仏印に移動させる用意があることを宣す。

3.日米は蘭印(オランダ領東インド)において
必要資源を得られるよう協力する。

4.日米は通商関係を資産凍結前に復帰する。
米は所要の石油を日本に供給する。

5.米は日中両国の和平に関する努力に支障を与えるような行動を慎む。
2009/12/07 09:00|年表リンク用資料
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