正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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■1942年、大飢饉と中国軍の取りたてで300万人の餓死者が出たが、
餓死寸前の中国農民に軍糧を放出した日本軍

産経新聞 2006/04/09(一部抜粋)

一九四二年、大飢饉で河南省の農民を救ったのは、日本軍だった。
そんな歴史の真実をとらえ、ロングセラーとなっている中国小説が
このほど日本で翻訳出版された。
劉震雲さん著、劉燕子さん翻訳の「温故一九四二」(中国書店)だ。

同小説は日中戦争の最中の一九四二-四三年、
河南省を襲った干魃による被災民三千万人、
餓死者三百万人という大飢饉の状況を農民、蒋介石ら指導者、
米国人記者、日本軍の立場から多面的に描き出した。

飢饉の原因は天災だけでなく、
中国軍の容赦ない軍糧のとりたてのせいでもあった。
その中で、日本軍は餓死寸前の農民に軍糧を放出した。

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「日清戦役国際法論」 東京偕行社 1911年
国際法学者ポール・フォーシーユ

清軍は国際法を無視したが、日本軍は尊重した。
日本軍は慈悲を以って捕虜を待遇し、
敵の負傷者を見つけては救護を拒まなかった。
敵対しない住民の生命財産を保護する事にもすこぶる注意を払うなど、
未だどこの国もしなかった事をしてみせた。
慌しい兵士の間ですら人命を重んじることは極めて厚く、
人々を救済する策を惜しむことはなかった。
見るがいい。日本軍の通過する所に、
必ず衛生法を守らせる為の規則が布告されている事を。
2009/12/06 09:00|年表リンク用資料
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