正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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駆逐艦「雷」工藤艦長による英海軍将兵救出劇 「敵兵を救助せよ」

「正論」08年10月号掲載
ジャーナリスト・恵隆之介氏の論文「敵兵を救助せよ」から引用。

■衝撃のラジオ・レポート

私は平成15(1940)年6月13日、朝7時30分のNHKラジオ、
ロンドン発ワールド・リポートを聞いて驚嘆した。
それまで昭和の全ての軍人を批判的に論じた司馬史観に傾倒していた私は
強い衝撃を受けたのだ。
このレポートは次の内容であった。

大東亜戦争中、
ジャワ海の制海権争奪に敗れた米英豪連合軍艦隊の残存艦艇は、
日本艦隊の隙をついて同海域からの脱出をはかった。
昭和17(1942)年3月2日午後2時頃、2隻の英海軍艦艇は、
インド洋への脱出を試みてジャワ海北西海域において
日本艦隊に捕捉され相次いで撃沈された。

両艦の乗員合計約450人は脱出し漂流を開始するが、
約20時間近く経過した翌3日、午前10時頃には生存の限界に達していた。
赤道下の強烈な太陽光、欠乏する水分、サメ襲来の恐怖で、
現代の日本人では理解できないほど極限状態に達していた。

一部将兵は自決のため劇薬を飲もうとしていたまさにその時、
単艦で哨戒行動中の帝国海軍駆逐艦「雷」
(艦長・工藤俊作中佐)に偶然発見された。

サー・フォールは、
いよいよ機銃掃射を受けて最期を迎えると覚悟したところ、
「雷」は救難活動中の国際信号旗を掲げて直ちに救助活動に入ったのである。
甲板に引き揚げられた英海軍将兵を感激させたのは、
汚物と沈没艦艇の重油で真っ黒になった英海軍将兵を、
小柄な「雷」乗員達が嫌悪することなく、
両脇から真水とガソリンで一人一人丁寧に洗浄する光景であった。

220名乗務の駆逐艦が敵将兵450人を救助する。
通常なら反乱を恐れてここまでは救助しない、
しかもこの海面は敵潜水艦の跳梁が激しかった。
まさに決死の敵兵救出劇であった。

さらに「雷」は、潮流に流され四散している英海軍将兵を
終日をかけて救助した。
たとえ1人でも発見すると「雷」は必ず艦を停止し、総員で救助したのである。
中には艦から投下された縄ばしごに自力で上がれない将兵もいたため、
「雷」乗員が飛び込んで救助する光景もあった。
「雷」乗員は、敵将兵に供与する艦載の被服が底をつくと、
自らの分まで進んで提供した。

サー・フォールは、この光景に「自分は夢を見ているのではないか」と
何度も腕をつねったと言う。
それだけではない、救助活動が終了した頃、
「雷」艦長は英海軍士官だけを前甲板に集めた。

そしてこう英語でスピーチしたのである。
「自分は英王立海軍を尊敬している。今回貴官らは勇敢に戦った。
貴官たちは今日は帝国海軍のゲストである」
そして彼らに士官室の使用を許し友軍以上の処遇を行った。

NHKのリポーターは、興奮を抑えながらも、
なぜこのような美談が戦後の日本に伝わらなかったのか
不思議でならないと発言して中継を終えた。
さらに彼は、サー・フォールが、
「これこそ日本武士道の実践」と発言したことをも付言していた。

武士道精神に救われた、元イギリス高官が自衛艦を表敬訪問 ・・


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2009/12/05 09:00|年表リンク用資料
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