正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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戦時徴用は強制労働は嘘 1000名の募集に7000人殺到していた
【NEWSポストセブン 2015.08.07 16:00】
http://www.news-postseven.com/archives/20150807_340425.html
明治産業施設の世界文化遺産登録に際し、改めて注目されたのが
「戦時徴用による韓国人の強制労働」問題だ。韓国ではこれまでも、
新日鉄や三菱重工など日本企業を相手取った
“強制労働被害者”訴訟が行われ、日本企業が相次いで敗訴している。
だが、戦時徴用の勤労動員は合法的に行われており、
そこで働く人々には宿舎も用意され正当な報酬が支払われていた。
韓国人にとって徴用は人気の“出稼ぎ労働”だったのである。
戦時中、日本企業での徴用を志願した
崔基鎬(チュキホ)・加耶大学客員教授は、
1000名の炭鉱員募集に7000人が殺到したことを
自著『日韓併合』(祥伝社刊)で明かし、こう振り返っている。
「採用者(徴用者)たちは歓喜に溢れ(中略)
就業後も休祭日は自由に札幌に繰り出し、
ショッピングはもとより銭函湾での船遊びまで楽しんだ」
いかに徴用工が好待遇だったのかを示す逸話だ。
※SAPIO2015年9月号

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国民徴用令が公布されたのは1939年(昭和14年)7月8日ですが、
朝鮮に適用することを決めた閣議決定は1944年(昭和19年)8月8日で、
徴用通知は1944年(昭和19年)9月~12月の4ヵ月間で、
朝鮮半島から日本本土への実際の渡航は、
1944年(昭和19年)9月から始まり、
釜山-下関の連絡船の運航が止まる
1945年(昭和20年)3月までの7ヵ月間です。

それ以外に来日した人は雇用の募集に応じて来日した人か、
自主的に働き口を求めて来日してきた人、
もしくは、1948年の済州島4.3事件(自国民を約8万人虐殺事件)や
1950年6月25日~1953年7月27日の朝鮮戦争(犠牲者400万人)
から逃れてきた人たちです。(保導連盟事件 30万人虐殺など)

※朝鮮人の徴兵は徴兵検査後の訓練中に終戦になりました。
(よって実際に出征した朝鮮人の日本兵は、ほぼ全員、志願兵です。)

この1944年(昭和19年)9月~12月の4ヵ月間の徴用が
いわゆる「強制連行」と言い換えられているもので、1210名です。

※当時、日本内地の日本人も徴兵、徴用されていたのであり、
朝鮮は日本だったので朝鮮人も日本人だったので、
日本内地の日本人と同じように徴兵、徴用されても普通のことでした。

国民徴用令
http://s02.megalodon.jp/2009-0602-1918-47/jiten.biglobe.ne.jp/j/fe/9a/d0/ca9062b8cd9198a38afaf70f430a5284.htm

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『鄭大均 中央公論 2002年12月号』

●今日強制連行といわれるものは
当時は労務動員とか徴用とか呼ばれていたもので、
朝鮮人を対象にしたものというよりは日本国民を対象にしたものである。
朝鮮人も日本人も当時は日本帝国の一部を
構成していたことを忘れてはいけない。
労務動員とは戦時期の日本帝国の国民に
課せられた運命共同体のようなもので、多くのエスニック朝鮮人は
それを義務や運命と考え従属的に参加していたのである」

●この言葉(強制連行)は戦後生み出されたものであり、
とりわけ1965年に刊行された朴慶植「朝鮮人強制連行の記録」(未來社)
の影響が多い。端的にいうと、それは50年代から60年代にかけて
森田芳夫氏が発表した在日論へのアンチテーゼとして提示されたものである。

●在日一世の多くは「出稼ぎ者」であり、よりよい生活をするために
故郷の農村を離れ、内地での生活を始めたのだと森田が言ったのに対し、
いやいや「朝鮮人は自ら好んで日本に渡ったのではなかった」と。

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●李東元外相-韓日条約の締結に際して(65年)
「在日同胞はいずれ帰化する運命にある」
「在日は本国3000万の犠牲になれ」

●金鐘泌首相-現首相代行代表(79年)
「在日2・3世は完全に日本人となって
日本に同調する社会人として生きることが望ましい」

●全斗煥元大統領(84年)
「みなさんが日本国籍をとられたことについて、なにも恥じることはなく、
主体性の問題にも関係がないと思います。
在日同胞は、住んでいる国にしたがって
日本人、アメリカ人、アフリカ人とならなければなりません」

●盧泰愚前大統領-90年5月の訪日時
「日本は兄の国、韓国は弟の国。
劣ったものは力の強いものに対して嫉妬や羨望の感情を抱きやすいものだ」

●91年問題での韓国政府担当者
「3世といえばもう日本人。彼らの問題を
いつまで韓国政府が取りあげなければならないのか?」

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■昭和30年06月18日 衆議院 法務委員会

小泉純也 政府委員

神近先生(社会党)がおっしゃいましたように、
日本に住まいたい者を住まわせて、韓国に帰りたい者は返す。
こういうふうに参りますと事は最も簡単で、
いろいろの難問題が漸次解決をするのでありますが、
問題はそう簡単でなく、極端かもしれませんけれども、
六十万と推計をせられる朝鮮_人のうち、
日本から母国に帰りたいという者は一人もいない
といっても大した言い過ぎではない。

一方向うからは、入れれば、それこそ手段方法を選ばず、
命がけでも密航をして
方法さえつけば怒濤のごとくどんどん入ってくる。
そしてこちらから強制送還をしようといたしましても、
韓国の政府がこれを容易に受け付けないというところに、
人道問題だけでは解決しない大きな国と国との外交問題と申しますか、
もう入国管理局だけでは手に負えない
大きな外交問題となってここに横たわっておるのは、
私が申し上げるまでもなく、
御理解をいただいておると思うのであります。

ですから、要するに、こちらは国際的な、
いわゆる紳士としての態度をもって韓国に接しましても、
韓国の方は、紳士的でないとは申しませんが、
御承知の通り李承晩ライン、その他漁船の拿捕の問題、
こちらから、密航した者を密航したという
確証をあげて韓国に申し入れましても、
その送還を容易に受け付けない。
こちらは向うから出てきた者を受け入れっぱなし。
不法入国であろうが何であろうが、返すことができないで、
大村収容所にはますます人員がふえていく。
それをみな国費で、国民の血税で養ってやらなければならない。
その取扱いについても、きわめて懇切丁寧にしなければ
人権蹂躙というような問題まで起きてくる。

これを大まかに考えますと、
一体、日本のためにやらなければならないのか、
日本国民の血税の犠牲において、
韓国人をまず第一義として大事にしてあげなければならないか、
というようなところまで、
考え方によっては行く問題であると私は思うのであります。

――※資料によって数字などが多少、違います――

強制連行
http://specific-asian-flash.web.infoseek.co.jp/kyouseirenkouuso.html
http://megalodon.jp/2008-0504-1602-58/specific-asian-flash.web.infoseek.co.jp/kyouseirenkouuso.html
1959年7月13日、朝日新聞、大半、自由意思で居住
1959年7月13日、朝日新聞。『大半、自由意思で居住』

在日朝鮮人の北朝鮮帰還をめぐって韓国側などで
「在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府が強制労働をさせるために
つれてきたもので、いまでは不要になったため送還するのだ」
との趣旨の中傷を行っているのに対し、
外務省はこのほど「在日朝鮮人の引揚に関するいきさつ」について発表した。

これによれば在日朝鮮人の総数は約61万人だが、
このうち戦時中に徴用労務者として日本に来た者は
245人にすぎないとされている。主な内容は次の通り。

一、戦前(昭和14年に日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人で、
終戦直前(昭和20年)には約200万人となった。
増加した100万人のうち、70万人は自分から進んで内地に
職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。
残りの30万人は大部分、工鉱業、土木事業の募集に応じてきたもので、
戦時中の国民徴用令による徴用労務者はごく少数である。
また、国民徴用令は日本内地では昭和14年7月に実施されたが、
朝鮮への適用はさしひかえ、昭和19年9月に実施されており、
朝鮮人徴用労務者が導入されたのは、
翌年3月の下関-釜山間の運航が止るまでのわずか7ヶ月間だった。

一、終戦後、昭和20年8月から翌年3月まで、希望者が政府の配給、
個別引揚げで合計140万人が帰還したほか、北朝鮮へは昭和21年3月、
連合国の指令に基づく北朝鮮引揚計画で350人が帰還するなど、
終戦時までに在日していたもののうち75%が帰還している。

戦時中に来日した労務者、復員軍人、軍属などは日本内地に
なじみが薄いため終戦後、残留した者はごく少数である。
現在、登録されている在日朝鮮人は総計約61万人で、
関係各省で来日の事情を調査した結果、
戦時中に徴用労務者としてきた者は245人にすぎず、
現在、日本に居住している者は犯罪者を除き、
自由意思によって在留したものである。

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外務省資料「戦後在留した約61万人の朝鮮人のうち徴用は245人」【朝日新聞1959年7月13日】
(テレビ朝日2010年3月1日放送「たけしのTVタックル」)
朝日新聞1959年7月13日_245人

外務省資料「本人の自由意思で在留」【朝日新聞1959年7月13日】
(テレビ朝日2010年3月1日放送「たけしのTVタックル」)
朝日新聞1959年7月13日_自由意思

戦後も朝鮮人は大量に日本に密入国した【朝日新聞1959年6月16日】
(テレビ朝日2010年3月1日放送「たけしのTVタックル」)
朝日新聞1959年6月16日

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在日朝鮮人、戦時徴用はわずか245人 (産経新聞 2010年3月11日)

戦時中の徴用令によって日本に渡航し、
昭和34年の時点で日本に残っていた朝鮮人は、
当時登録されていた在日朝鮮人約61万人のうち
わずか245人だったことが10日、分かった。

自民党の高市早苗元沖縄・北方担当相の資料請求に対し、
外務省が明らかにした。

資料は34年7月11日付で、245人について
「みな自分の自由意思によって日本に留った者または日本生まれだ。
日本政府が本人の意志に反して日本に留めているような
朝鮮人は犯罪者を除き一名もいない」 と結論付けている。

永住外国人に地方参政権(選挙権)を付与する法案の推進派は、
在日韓国・朝鮮人が自分の意思に反し
日本に住んでいることを理由の1つとして挙げてきた。

自民党の高市早苗議員の資料請求に対して外務省が明らかにした。2010.3.10


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1949年10月7日の駐日韓国代表部大使の見解。

「母国の国籍を回復し、日本国籍は解放と同時に完全に離脱されたのである」

日本はこれを尊重しました。

以下はその流れです。

●GHQ

1910年の日韓併合以来、日本国籍であった在日朝鮮人で、
戦後直後も日本国籍であった者について

1946年11月5日付のGHQ覚書
『朝鮮人の地位及び取り扱いに関する総司令部渉外局発表』
―――――――
総司令部の引揚計画にもとづいて本国へ帰還することを拒絶するものは、
正当に設立された朝鮮政府が、彼らに対して朝鮮国民として承認するまで、
その日本国籍を保持するものとみなされる。

―――――――――――――――――

●駐日韓国代表部大使

1949年10月7日、駐日韓国代表部大使がマッカーサー連合軍司令官に対し、
在日韓国人の法的地位に関する見解を伝えました。
―――――――
大韓民国人はその所在の如何を問わず連合国民としての待遇を
正当に受けるべきであり、日本の戦争目的で強制的に渡日させられた
同胞たちが誰よりも先に連合国人の待遇を
堂々と保有すべきだと見るものである。

在日同胞に対して最初から定住するという
自由意志により渡来してきたという見解から
第一次世界大戦時のドイツの割譲地における
国籍選択問題と同一視できると言うが、
これは大韓民国を故意に謀略する日本人学者の悪毒な詭弁に過ぎない。

絶対に初めから定住意志により渡日してきたのではない。
従って国籍選択権云々はやはり絶対に
不当な見解であると論断せざるを得ない。

そして在日大韓国民の中に日本国籍の取得を
希望するものが全くないとは言えず、
万一いたならばそれは単純な“帰化”問題であり、
国籍選択権と混同して錯覚してはならない。

1948年大韓民国政府の樹立と同時に
当然の事ながら在日大韓国民は母国の国籍を創設的ではなく、
宣言的に回復し、国連からの承認も国際公法上確認され、
日本国籍は解放と同時に完全に離脱されたのである。

―――――

これをGHQ側は了承しました。

―――――――――――――――――

●日本政府

以下、『在日外国人』 田中宏 より

1949年、吉田茂・元首相の見解。
マッカーサー元帥宛「在日朝鮮人に対する措置」文書

朝鮮人居住者の問題に関しては、早急に解決をはからなければなりません。
彼らは総数100万にちかく、その半数は不法入国であります。

私としては、これらすべての朝鮮人が
その母国たる半島に帰還するよう期待するものであります。
その理由は次の通りであります。

1.現在および将来の食糧事情からみて余分な人口の維持は不可能であります。
米国の好意により、日本は大量の食糧を輸入しており、
その一部を在日朝鮮人を養うために使用しております。
このような輸入は、将来の世代に負担を課すことになります。
朝鮮人のために負っている対米負債のこの部分を、
将来の世代に負わせることは不公平であると思われます。

2.大多数の朝鮮人は、日本経済の復興に全く貢献しておりません。

3.さらに悪いことには朝鮮人の中で犯罪分子が大きな割合を占めております。
彼らは、日本の経済法令の常習的違反者であります。
彼らの多くは共産主義者ならびにそのシンパで、
最も悪辣な政治犯罪を犯す傾向が強く、
常時7000名以上が獄中にいるという状態であります。

戦後の朝鮮人による起訴犯罪事件数は次の通りです。
(1948年5月末までで、9万1235名の朝鮮人が
犯罪に関与したという数字をあげている。)

さて、朝鮮人の本国送還に関する私の見解は次の通りであります。

1.原則として、すべての朝鮮人を日本政府の費用で本国に送還すべきである。

2.日本への残留を希望する朝鮮人は日本政府の許可を受けなければならない。
許可は日本の経済復興の貢献する能力を
有すると思われる朝鮮人に与えられる。

上述のような見解を、原則的に閣下がご承認くださるならば、
私は、朝鮮人の本国帰還に関する予算
並びに他の具体的措置を提出するものであります。

敬具 吉田 茂

―――――――――――――――――

●1952年、日本国の主権回復

法務府・民事局長通達要旨(1952.4.19民事甲438)

1.朝鮮人および台湾人は、
内地に在住している者も含めてすべて日本国籍を喪失する。

2.もと朝鮮人または台湾人であった者でも、
条約発効前に身分行為(婚姻、養子、縁組など)により
内地の戸籍に入った者は、引き続き日本国籍を有する。

3.もと内地人であった者でも、条約発効前の身分行為により、
内地戸籍から除かれた者は、日本の戸籍を喪失する。

4.朝鮮人および台湾人が日本の国籍を取得するには、
一般の外国人と同様に帰化の手続きによること。
その場合、朝鮮人および台湾人は、国籍法にいう
「日本国民であった者」および「日本の国籍を失った者」には該当しない。

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『歴史を偽造する韓国――韓国併合と搾取された日本』 中川八洋著

マッカーサー元帥のGHQは「在日」の
韓国人・朝鮮人の"帰国(引揚げ)"に過剰なほどの支援をなした。
すべての希望者に帰国のための無料の船便を提供した。
日本の官僚に対して「全員帰国を達成せよ」と厳しく命じた。

つまり、現在の在日韓国人・朝鮮人とは、
このとき、たとえ政治的に差別されようとも
"外国人"として日本に残った方が経済的に有利であるとか、
日本の方が相対的に好きとか、の自由意志を頑なに貫き、
GHQの「好意」を断固拒絶したもの、およびその子供や孫たちである。

自ら"外国人"の値を選択したのが故の「在日」であり、その子孫である。
それなのに"外国人"として扱われることを「差別」と称するのは、
詐欺そのものだろう。

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労働者強制連行の実態
http://resistance333.web.fc2.com/html/forced_labor.htm

在日の強制労働の新事実発覚!


強制連行
http://s04.megalodon.jp/2009-0211-1158-03/freett.com/iu/memo/Chapter-010606.html
強制連行者 終戦直後にほぼ帰国
http://s04.megalodon.jp/2009-0211-1159-41/www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/6646/vol8.html
当時「強制連行」など起こりようがない!!
http://s02.megalodon.jp/2009-0211-1200-51/www.tamanegiya.com/kyouseirennkou.html
朝鮮人強制連行の嘘
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/23.html
強制連行について
http://s04.megalodon.jp/2009-0211-1202-45/banmakoto.air-nifty.com/blues/2008/10/post-3b0f.html
強制連行という記述をやめた朝日新聞
http://blog.livedoor.jp/lancer1/archives/50113997.html
http://megalodon.jp/2009-0404-0044-21/blog.livedoor.jp/lancer1/archives/50113997.html
【ビラのHP】今こそ国民に真実を知らせ、正常な世論を取り戻そう!
http://posting.hp.infoseek.co.jp/

在日朝鮮人のウソ


http://www.nicovideo.jp/watch/sm6045013
http://zoome.jp/6567435/diary/21

由来
http://resistance333.web.fc2.com/html/corea_living_in_japan.htm

朝鮮人の民族性_1
http://s01.megalodon.jp/2009-0209-1747-06/blog.livedoor.jp/tkknrak/archives/cat_50003689.html
朝鮮人の民族性_2
http://s03.megalodon.jp/2009-0209-1747-25/blog.livedoor.jp/tkknrak/archives/50221333.html

既得権益
http://s01.megalodon.jp/2009-0106-1856-06/freett.com/iu/memo/Chapter-010607.html

在日特権の正体
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/107.html

せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:在日特権について
http://s03.megalodon.jp/2009-0211-1249-22/blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/51709738.html
おいら差別は嫌いなので、在日特権は廃止してください。
http://s01.megalodon.jp/2009-0211-1249-57/shadow-city.blogzine.jp/net/2007/10/post_c0f4.html

反日勢力を斬る 「ザ・在日特権」
http://blogs.yahoo.co.jp/blogger2005jp/37485026.html
http://blogs.yahoo.co.jp/nipponko2007/8510687.html

在日特権を許さない市民の会
http://www.zaitokukai.info/modules/zaiko/list.html

吉田茂氏がマッカーサーに宛てた「在日朝鮮人に対する措置」文書(1949年)
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/5952379.html
吉田茂氏がマッカーサーに宛てた「在日朝鮮人に対する措置」文書(1949年)
http://www31.atwiki.jp/turu_takeshima/pages/15.html
戦後朝鮮人は何をしたのか
http://s01.megalodon.jp/2009-0211-1452-06/blog.livedoor.jp/lancer1/archives/14099974.html
戦後、在日韓国・朝鮮人は何をし、何と言ったか
http://s01.megalodon.jp/2009-0211-1453-05/www.kcn.ne.jp/~ca001/D35.htm
戦後、朝鮮人がやっていたこと 「田岡一雄自伝」より
http://s03.megalodon.jp/2009-0211-1453-58/www.tamanegiya.com/tyousennjinntohann19.11.26.html
朝鮮人の悪行を語り継ぐ
http://www.scribd.com/doc/41335/%E2%96%A0%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%82%AA%E8%A1%8C%E3%82%92%E8%AA%9E%E3%82%8A%E7%B6%99%E3%81%90
【韓国人犯罪】戦後の日本における三国人たちの横暴と略奪  のちの在日である。
http://ameblo.jp/worldwalker2/entry-10182343785.html
高校入学時、初めて在日朝鮮・韓国人の人と一緒に学ぶことになり
http://s04.megalodon.jp/2009-0211-1456-36/shimadatomokazu.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_06e3.html

東アジア黙示録 「在日特権を生んだ戦後の闇」
http://dogma.at.webry.info/200701/article_19.html
http://s03.megalodon.jp/2009-0211-1457-38/dogma.at.webry.info/200701/article_19.html

日本の過去の悪事を発掘することに熱心な反日マスコミほど三国人の蛮行を封印
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2463/sangokuzin.htm
朝鮮人の横暴
http://s04.megalodon.jp/2009-0211-1531-09/naakuusine.blogspot.com/2008/12/vs.html
犯罪
http://www.anzwers.org/free/zainichi/

【BIGLOBE 百科事典】 在日韓国・朝鮮人
http://s04.megalodon.jp/2009-0211-1534-39/jiten.biglobe.ne.jp/j/dd/6d/a2/59d97219cccd327a56ef0b5591d5d85b.htm
http://s03.megalodon.jp/2009-0211-1535-08/jiten.biglobe.ne.jp/j/10/cb/81/3bb000ab2e6698f2cd21f250b9485752.htm

戦後の日本の実態
http://s04.megalodon.jp/2009-0211-1538-17/www.rondan.co.jp/html/mail/0807/080722-25.html

なぜ在日問題は存在するのか-前半
http://zoome.jp/aboutjpn/diary/2/
なぜ在日問題は存在するのか-後半
http://zoome.jp/aboutjpn/diary/4/

■参考資料:1974年の法務省編「在留外国人統計」

1945年(昭和20年)9月1日の終戦までに来日した在日朝鮮人:83030人
―――
1935年(昭和10年)までの来日:44612人
―――
1936~1940年(昭和11~15年):民間あっせん業者による自由募集

1941~1944年(昭和16~19年)の期間で国民徴用令が
朝鮮に適用されたのは1944年(昭和19年)9月~12月。

この1944年(昭和19年)9月~12月の4ヵ月間の徴用が
いわゆる「強制連行」と言い換えられているもので、1210名。

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【朝鮮新報】大阪府が1932年に「なぜ内地に来たのか」調査。
7割以上の同胞が「食えないから日本に来た」と答えた。
―――――――
朝鮮新報 2015.1.23.15:20
http://chosonsinbo.com/jp/2015/01/sk123-6/
http://hosyusokuhou.jp/archives/42447585.html
大阪ではいまでも、在日朝鮮人が多く居住しているところ。
植民地統治下の1930年(昭和5年)には
在日同胞の約23%にあたる7万人が住んでいた。
大阪府が1932年に、大阪市内に一戸を構えている朝鮮人の調査をしたが、
「なぜ内地に来たのか」という質問に、
「農業不振のため」との答えが、55.7%、
「生活難のため」(17.2%)を加えると、
7割以上の同胞が、「食えないから」、日本に来たと答えたという。

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■在日本大韓民国青年会中央本部
「“我々の歴史を取り戻す運動”報告書」(1988年2月発刊)のなかの、
約1100名あまりの在日一世から直接聞きとりした調査結果。

【渡日の理由】
・経済的理由:39.6%
・結婚、親族との同居:17.3%
・徴兵、徴用:13.3%(このうち徴兵は0.5%)

「徴用で来日した」と答えた人
1926~30年:6名
1931~35年:9名
1936~40年:51名

国民徴用令が公布されたのは1939(昭和14)年7月ですが、
朝鮮に適用されたのは1944(昭和19)年9月からですので、
上記の1926~1940年に来日したという回答は思い違いのはずです。

「大東亜戦争中の1941~1945年(昭和16~20年)に徴兵、徴用で来日した」
と答えた人は76名ですが、
1944年9月から終戦までの一年分だけを算出すると16名だけです。

また、かつて朝鮮人学校で父母の来日動機を調査したところ、
「朝鮮では生活できないから渡航して来た」という回答が
ほとんどだったと言われています。

そして戦後、GHQから「朝鮮人は全員帰国させよ」という指令もあり、
全ての希望者に帰国のための船便を提供するなどして、
当時の在日朝鮮人の引き揚げには最大限の協力をしています。

さらに大正時代からの大量の密航者や、
朝鮮戦争時に受け入れた大量の難民や密航者もこれに加えると、
今日本国内にいるほとんどの在日韓国・朝鮮人が、
徴用とは全く関係の無い、単に職を求めて合法・非合法に来日した人達、
または、その子孫ばかりです。

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参考:ぢぢ様の日本史・朝鮮編
http://norikura.fc2web.com/zainiti_raireki.htm

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◆朝日新聞 1955年8月18日

65万人(警視庁公安三課調べ)の在日朝鮮人のうち
密入国者が10万人を超えているといわれ、東京入国管理局管内(1都8県)では、
この昨年中のべ1000人が密入出国で捕まった。
全国ではこのざっと10倍になり、
捕まらないのはそのまた数倍に上るだろうという。

◆朝日新聞 1959年6月16日

密入出国をしたまま登録をしていない朝鮮人がかなりいると見られているが、
警視庁は約20万人ともいわれ、実際どのくらいいるかの見方はマチマチだ。

◆朝日新聞 天声人語 1959年12月15日

韓国から日本に逃亡してくる者は月平均五、六百人もある。
昭和二十一年から昨年末までに密入国でつかまった者が五万二千人、
未逮捕一万五千人で、密入国の実数はその数倍とみられる。

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国会図書館の新聞アーカイブより

京城日報 1917/7/18 夕
『黄金色の洪水と聞いて内地に出稼ぎする朝鮮人労働者の群』

大阪朝日 1921/4/10
『流込む鮮人を堰止めて呉れ/福岡県から朝鮮総督府へ』

大阪朝日 1921/06/02
『朝鮮人日本本土への渡航/昨年迄に三万余』

大阪毎日 1922/5/19 夕
『内地へ来る出稼鮮人を釜山辺りで喰止める/
想像しているやうな好い生活の出来ない旨を言ひ聞かせて』

京城日報 1922/10/06
『朝鮮人日本本土への渡航者分布/九月中に六千六百九十八人の渡航/
累計五万三千七百余人』

京城日報 1923/03/06
『議会と朝鮮問題/不真面目な議論が跡を絶つた/
朝鮮人の無鉄砲な日本本土への渡航は考へ物/
当局も手を焼く俄浮浪者/山口警務局高等課長談』

大阪朝日 1923/04/24
『朝鮮人が渡航するのは日本のほうが暮し良いからだ/矢島社会課長談』

京城日報 1923/4/24 夕
『内地へ渡航する鮮人労働者の為めに/釜山に労働共済会を設立』

京城日報 1923/5/25 夕
『内地渡航鮮人の不評は自業自得/同胞を毒する不逞輩/
内地から帰つた鮮人の講演』

京城日報 1923/09/06
『秩序維持の為日本本土への渡航取締厳重/
挙動不審の者は絶対に渡航禁止』

京城日報 1923/9/8 夕
『当分の間鮮人労働者/内地渡航禁止さる/
反つて路頭に迷ふからと六日から渡航禁止』

京城日報 1923/09/08
『当分の間朝鮮人労働者/日本本土への渡航禁止さる/
反つて路頭に迷ふからと六日から渡航禁止』

神戸又新日報 1923/09/19
『朝鮮人学生に日本本土への渡航許可』

京城日報 1924/04/15
『朝鮮人渡航問題/朝鮮側は解禁を希望/近く解決を見るであらう』

京城日報 1924/05/21
『日本の資本家に歓迎される朝鮮人労働者/日本本土への渡航解禁か』

京城日報 1924/05/26夕
『釜山に立往生する数千名の労働者/渡航制限の撤廃方を/
釜山の朝鮮人有志から陳情』

大阪朝日 1924/06/08
『日本本土への渡航/一日に九百名/制限撤廃で俄に激増』

大阪朝日 1924/06/10
『朝鮮の喜び二つ/李王家へ御用地下賜/
朝鮮人の日本本土への渡航自由/有吉朝鮮政務総監談』

京城日報 1924/06/28
『朝鮮人の日本本土への渡航者/解禁以来一万四千/
考へて行かぬと生活難で苦しむ』

京城日報 1924/08/12
『日本本土への渡航する朝鮮人労働者/ブラリ行つても職はない/
ヤケクソに陥るだけが損だ/よく考へて行け=東高等課長語る』

大阪朝日 1925/06/25 朝鮮朝日
『日本本土への渡航をやめるように/町総代に通牒』

京城日報 1925/10/3
『無鉄砲で内地へ渡航する朝鮮人/就職口も金もなく途方に暮れる』

京城日報 1925/10/27 夕
『千人のうち半数はあてもなく渡航/
下関で調べた鮮人労働者/大部分は文なし鳥』

京城日報 1925/10/31夕
『網に掛つた七百名/内地渡航鮮人労働者の取締』

大阪朝日 1925/11/10 朝鮮朝日
『無意味の日本本土への渡航を禁止/
下関の阿片中毒者は/原籍地まで送還する』

京都日出 1926/03/17
『無方針の朝鮮人が日本に恋して一文なしで渡航する/憬がれの白い米の飯』

中国 1926/3/23
『鮮人密航団を発見/同勢三十六名の内/十六名を捕へて送還』

福岡日日 1926/4/11 夕
『大胆な鮮人団帆船で密航/玄海を横切って鐘崎へ/
福岡署に知れて取調らる(宗像郡岬村)』

大阪朝日 1926/4/13 朝鮮朝日
『怪しき汽船に/六十名が潜伏/大規模な密航団が/釜山署の手で逮捕』

京城日報 1926/4/17
『七十余名の密航船/下関で発見』

大阪朝日 1926/4/17 朝鮮朝日
『密航鮮人の/乗込船が沈没/海上を漂流中救はれ/四国宇和島に上陸』

大阪朝日 1926/4/20
『密航者七十余名が/釜山に送還さる/
警察で保護を加へ/渡航或は帰郷さす』

九州日報 1926/4/21
『鮮人の密航団/又また津屋崎へ上陸す(宗像郡津屋崎町)』

福岡日日 1926/4/29
『又も鮮人の密航団/山口へ六十名』

京城日報 1926/07/03
『朝鮮人の渡航者に好印象を与へたい/
成算なしは困るが/大森山口県知事語る』

京城日報 1926/10/28
『八百万円を稼ぐ支那人/洪水の如く押寄せて脅へる内鮮労働者
(漫然日本に渡航する朝鮮人を阻止)』

大阪朝日 1926/12/18
『また激増した/朝鮮人の渡航/十月迄に七万六千人/
殆ど全部が目的無し/釜山で阻止する人数が八万人』

京城日報 1927/03/18夕
『日本本土への渡航を許されぬ者へ/総督府社会課が職業紹介の労をとる』

京城日報 1927/4/13
『大金を持出し内地渡航を企つ/大邱百万長者の息子連絡船で押へらる』

大阪朝日 1928/5/26
『当もない渡航者依然として多い/総督府の取締緩慢を門司署員が嘆息』

京城日報 1929/11/29
『日本本土への渡航者増加す』

大阪毎日 1930/02/25
『日本に学籍をおく学生に化けて渡航/新手の朝鮮労働者の潜航方法』

大阪毎日 1930/08/23
『不景気の日本へ行くな』朝鮮人労働者の渡航に総督府の引止め通達』

大阪毎日 1932/12/24
『渡航許可書に本人の写真/現在の証明書では抜け道が多いとて』

大阪毎日 1934/01/14
『インチキ渡航証明書を二百円で売りつく/
大偽造団の一味廿余名/釜山水上署に検挙』

神戸新聞 1934/06/20
『めっきり増えた朝鮮人の非合法日本本土への渡航/
不良分子の潜入に備へて/県特高課厳重警戒網』

大阪朝日 1935/02/06
『日本本土への渡航を極力阻止する/警察官を増置して/一歩手前で禁足!』

門司新報 1937/3/11
『密航鮮人逮捕/田地を売つてきた農夫たち/田野浦海岸へ上陸(門司)』

福岡日日 1938/1/30
『四百廿余名の密航鮮人/内地へ続々と侵入』

福岡日日 1938/3/3
『福岡沿岸に密航鮮人頻々/ブローカーと連絡/本年に入つて五百名』

福岡日日 1938/3/3
『また密航鮮人/西戸崎で六十五名逮捕』

福岡日日 1938/3/29
『密航鮮人四十名西戸崎に上陸(粕屋郡志賀島村)』

福岡日日 1938/5/2
『密航鮮人団上陸/トラック運転手の気転で大半は逮捕される 遠賀郡水巻村』

神戸新聞 1938/5/21
『鮮人の内地密航あの手この手/驚くべき大胆な玄海突破や9ヶ月苦心の方法』

福岡日日 1938/7/24
『鮮人十五名が小倉へ密航(小倉市)』

福岡日日 1938/8/26
『密航鮮人団四十二名 悉く逮捕さる(宗像郡津屋崎町)』

中国 1938/9/1
『・こ奴怪しい・六感的中/果して密航半島人!/海田市署の槍玉へ』

福岡日日 1938/12/17
『密航鮮人丗一名一網打尽に(宗像郡神湊町)』

福岡日日 1938/12/20
『津屋崎沖に不敵な密航船/鮮人十八名を逮捕す(宗像郡津屋崎町)』

福岡日日 1938/12/21
『又も密航鮮人/怪船行方を晦ます』

福岡日日 1939/2/3
『九十余名の鮮人が密航/五十余名を検挙す(宗像郡岬村)』

呉日日 1939/2/12
『密航半島人2名/倉橋島村で検挙す/発動機船で25名潜入/一味検挙に着手』

中国日報 1939/2/13
『半島人密航団か/怪機船倉橋島に出没/呉、江田島署が厳重捜査中』

福岡日日 1939/5/18
『密航者丗八名八幡で捕はる(八幡市)』

福岡日日 1939/6/5
『密航半島人遠賀へ十九名(遠賀郡岡垣村)』

神戸又新日報 1939/6/20 夕
『密航はしたけれど/途方に暮れる気の毒な鮮人/今度は逆戻り失敗(兵庫)』

大阪毎日 1939/6/20 神版
『密航青年を半島へ送還(兵庫協和会)』

中国 1939/11/30
『全面的検挙は困難/県の密航鮮人狩り/今後は取締りを厳重に』

大阪毎日 1940/1/14 夕
『手荷物の箱詰め人間/密航?の半島人、小倉で発見さる』

大阪毎日 1940/12/23
『溢れる日本本土への渡航客/清津と羅津で積残し』

大阪毎日 1941/02/08
『朝鮮人不正渡航者送還』

大阪毎日 1945/12/24
『半島人の日本本土への渡航制限来月から廃止』

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「謝罪無用!」 冨山泰著 恒文社21 より。

西岡力氏によると、戦時動員の6年間に増えた120万人の内訳は、
自由意志で渡航してきた出稼ぎ労働者とその家族が63万人、
動員先を抜け出して条件の良い飯場などで
働いていた「自由労働者」が25万人だった。

戦時動員は、出稼ぎにより建設現場などで働こうとしていた朝鮮人労働者を
炭坑、鉱山、軍需工場などの軍事関連産業に
振り向けようとしたものだったが、全渡航者の四分の一しか対象に出来ず、
ほぼ失敗した政策だった。

戦時動員を上回る数の出稼ぎ労働者が存在した事や、
戦時動員されても四割以上が仕事場を変える事が出来たという実態は、
朝鮮人を無理やり日本へ連れてきて働かせたという
「強制連行」や「強制労働」のイメージからはやはりほど遠い。

戦時動員された朝鮮人労働者の多くが働いた炭坑や鉱山での仕事は、
確かに過酷だっただろう。

しかし、労働環境が厳しい分、朝鮮人労働者は給与面で厚遇されていた。
1944年頃の九州の炭坑で、朝鮮人労働者の月収は150~180円とされ、
巡査の月給(45円)の3~4倍、
大卒事務系初任給(75円)の2倍かそれ以上を稼いでいたと言われる。

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「日韓誤解の深淵」 西岡力 1992年 亜紀書房

また、いわゆる「強制連行」の実態に関しても、
一般で認識されているのとはかなり違う実態があったことが
少しずつ明らかになってきている。

たとえば朝鮮総督府が行なった土建労働者の「官斡旋」による道外募集
(いわゆる強制連行の一部とされている)では、
使用者に対して賃金、待遇などで労働者を厚遇するように
かなり細かく指示している。

たとえば飯場料は賃金の2分の1以下とするとされており、
借金づけによるタコ部屋化を禁じている。
(くわしくは広瀬貞三「『官斡旋』と土建労働者」、
『朝鮮史研究会論文集』第29集参照)

また、1944年に広島の軍需工場に徴用された鄭忠海氏は
90年に日本で出版した手記(『朝鮮人徴用工の手記』河合出版)の中で、
新築の寄宿舎で新しい寝具が準備され、食事も十分で満足でき、
仕事は日本人女子挺身隊員といっしょであり、
「女性たちとの恋だの愛だのということに心をうばわれているようで、
工場内の風紀は言葉にならないほどだった。」と書いている。

先述のように戦争のために
国家総動員法による徴用には法的強制力があった。
それにより韓国人が強制連行されたが、同様に大多数の日本人も
「強制連行」されたというのが歴史の真実なのである。

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「被徴用者初級額標準表」 (1944年2月改正)
・大卒技術者 85円
・大卒事務者 75円
・専門学校卒技術者 70円
・実業学校卒技術者 45円
・実業学校卒事務者 42円
・中学校卒事務者 42円
・高等女学校卒 33円
・国民学校高等科卒 24円
・国民学校初等科卒 21円

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「教科書が教えない歴史 (4)」 藤岡信勝 平成9年 扶桑社

「1939年(昭和14年)から1945年までの間に約70万人もの朝鮮人の人々が
強制連行によって日本に連れて来られたとされています。」

中学校の教科書では上のように強制連行という言葉を使っています。
そして、いやがる人に暴行を加え、
手錠をかけて無理矢理連れて行く様子を描いています。
それが6年間続いたと教えているのですが、本当でしょうか。

1938年(昭和13年)に、
日本の国会で国家総動員法(国民徴用令は1939年)が成立しました。
この法律によって、15歳から45歳までの男子と、
16歳から25歳までの女子を、国家は徴用できるようになりました。

「徴兵」が兵士になる義務であるように、
「徴用」とは、戦時に一定の労働に従事する義務のことです。

多くの若者が出征し労働力不足が深刻になり、
その穴を埋めるためにやむなくこの法律を作ったのです。

徴兵と同様に、国民は、通知された場所に出頭し、
指定された軍需工場などで働きました。
当時の日本国民のほとんどは、
この徴用を国家非常時の当然の義務だと考えていましたから、
進んでこれに応じました。

さて当時、法的には「日本国民」であった台湾や朝鮮では、
この法律はどのように適用されたのでしょうか。

台湾では、日本本土と同時に徴用令が施行されましたが、
朝鮮では施行されませんでした。
その代わり、日本企業が朝鮮で
自由に労働者を「募集」することを許可しました。

それまでは、朝鮮人労働者が大量に本土に流入すると失業者が増加するので、
日本政府は朝鮮人労働者の移住を制限していたのです。
制限を取り払ったので、多くの朝鮮人労働者が日本にやってきました。

けれども、1942年(昭和17年)になると、さらに人手不足は深刻になりました。
朝鮮でも、総督府が自ら乗り出して
朝鮮人労働者を集めなければならない状況になりました。
これを「官斡旋」といいました。

官斡旋は、面(村)ごとに人数を割り当てました。
そのため、役所から就職先を斡旋された場合、
それは義務に近いものとみなされされましたけれども、
朝鮮における官斡旋は、本土や台湾における徴用と同じではありません。

それは、官斡旋で労働現場に来た朝鮮人労働者が就職先を辞めても、
罰則がなかったことです。
例えば、ある朝鮮人労働者は、官斡旋で本土に来たのですが、
なじめなかったかすぐに辞めています。
そして、友人を頼って朝鮮人経営の土木会社に就職しました。
正規に住居移転の手続きをして、食糧の配給も受けています。

朝鮮にも「徴用」令が施行されたのは、
1944年(昭和19年)になってからでした。
けれども、総督府では、なるべく自分の意思で徴用に応じてほしいと願い
拒否した者への罰則の流用を控えました。
そのため目標の達成率は79パーセントにとどまりました。

1944年11月末に徴用令を受け取った鄭忠海氏は次のように書いています。

「…後を振り返りながら、別れの言葉もそこそこに集合場所である
永登浦区庁前の広場に向かった。広場は出発する人、見送る人で一杯だった。
徴用者の点呼が終わると一同は隊伍を組んで商工会議所の前に集まり、
各地から動員された人々と共に壮行会が催された」
(「朝鮮人徴用工の手記」河合出版)

鄭氏は、その後広島の東洋工業に入社し、
終戦時までここで働いて帰国しました。
本書には、寄宿舎生活の様子や被爆体験、
日本人との交流などが綴られています。

これは教科書が描き出す「強制連行」のイメージとはまったく異なっています。
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朝鮮人労働者内地導入は3段階、
初期は「募集」→中期は「官斡旋」→後期から「徴用」

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「募集」の段階から"強制連行"だとしている人がいますが、
当時、朝鮮から日本内地へは渡航制限をしていたにもかかわらず
出稼ぎ者が密航してまで来ていたのです。
したがって"強制連行"などしなくても労働者は確保できていました。
―――――――――――――――――
「岩波講座 世界歴史19 移動と移民」 水野直樹・他 1999年 岩波書店

1930年代後半、西日本で『密航』の取締りが厳しくなされ、
毎年2000人から5000人ほどの密航者が摘発され(1939年は7400人)、
大半が朝鮮に送還された。

その多くはブローカーの斡旋で労働を目的に渡航した者であったが、
なかには『内地人を仮称』して
連絡船に乗り込んだたため摘発された者もいる。

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「朝鮮新話」 鎌田沢一郎 昭和25年 創元社

もつともひどいのは労務の徴用である。
戦争が次第に苛烈になるにしたがって、朝鮮にも志願兵制度しかれる一方、
労務徴用者の割り当てが相当厳しくなって来た。

納得の上で応募させていたのでは、その予定数に仲々達しない。
そこで郡とか面(村)とかの労務係が深夜や早暁、
突如男手のある家の寝込みを襲ひ、或ひは田畑で働いてゐる最中に、
トラックを廻して何げなくそれに乗せ、かくてそれらで集団を編成して、
北海道や九州の炭鉱へ送り込み、その責を果たすといふ乱暴なことをした。

但(ただ)総督がそれまで強行せよと命じたわけではないが、
上司の鼻息を窺ふ朝鮮出身の末端の官吏や公吏がやってのけたのである。
―――――――――――――――――
著者の鎌田澤(沢)一郎は、戦前の朝鮮に16年間滞在し、
京城郊外に民族経済文化研究所を設立した朝鮮研究家で、
6ヶ年にわたる宇垣総督の政策顧問を勤めて、
農村振興運動の推進に大いに貢献し、
朝鮮の民生向上に大きく貢献した人物で、戦後その経験を買われて、
セマウル運動(新しい村運動、実質的には宇垣政策を発展させたもの)の
指導のために何度も韓国に招かれている。
―――――――――――――――――
「朝鮮人強制連行」という言葉を造語し世に広めたのは、朴慶植著
「朝鮮人強制連行の記録」という本であるといわれているが、この中で
強制連行があった証拠として、上記の鎌田沢一郎著「朝鮮新話」が引用されて
いるが、朝鮮人が暴走して実行したという部分は無視されている。

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「醜い韓国人」 朴泰赫 1993年 光文社

しかし韓国人が日本に対してだけ怒りを向けるのも、論理的ではない。
太平洋戦争前に、ソ連のシベリア沿海州に30万人以上の韓国人が住んでいた。

ところが、スターリンがこれらの韓国人が日ソ戦争が起こった場合に
日本に協力することを恐れて、中央アジアへ強制移住させた。
スターリンは妄想にとらわれた暴君だった。

カザフ科学アカデミー朝鮮民族センターの調査によると、
移住する過程で12万人が死んだ。

だが、政府も、マスコミも、
ロシアに対して抗議の声をあげることがまったくなく、友好的である。

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朝日新聞 昭和17年5月10日号
(「日韓2000年の真実」 名越二荒之助 平成9年 国際企画から)

…昨年の大東亜戦争開始以後の朝鮮人の戦争完遂に関する熱意は、
献金に、あるいはその他各種の銃後援護に強く表明され、
内鮮一体の機運ますます強固なるものがあるので、
政府は朝鮮同胞のこの報国の赤誠(祖国に尽くそうというまごころ)に応え、
朝鮮に徴兵制を施行し昭和19年度より実施し得る如く…決定した。

沸きあがる朝鮮同胞の赤誠にこたえて徴兵令が施行せられることになった、
内鮮一如、火の玉となって聖戦を戦い抜けという愛国心に目覚めた朝鮮同胞の
熱誠は支那事変以来、戦線に銃後の火柱と燃え美はしい数々の祖国愛、
同胞愛の物語を聖戦に織りなしていた。…

ところが朝鮮同胞には兵役法の適用がなかったので、
朝鮮同胞の赤誠に応えることができなかったのだ。
そこでこの熱意に応えるため、
昭和13年4月3日から陸軍特別志願兵令が実施されて来たのであった。

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大東亜戦争に共鳴し日本の勝利に歓喜した朝鮮の人々
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「日韓2000年の真実」 名越二荒之助 平成9年 国際企画

聖戦完遂に熱狂した朝鮮の人々

昭和12年7月7日の盧溝橋事件に端を発した支那事変において
日本軍が中国軍を打ち破り、連戦連勝するようになると、
朝鮮民衆の対日感情はにわかに好転し始めたのです。

2000年前の漢時代から朝鮮を圧迫・支配してきた中国の軍隊を
いとも簡単に打ち破る日本軍の強さに朝鮮人は驚き、
そしてその驚きが尊敬に、
尊敬は熱烈な愛国心(日本への協力)へと変わっていったのです。 

目に見える劇的な変化は、出征軍人の歓送迎でした。
支那事変勃発後、7月12日から多くの兵士が入営出征を見たのですが、
北支に出動する日本軍の部隊が続々と朝鮮半島を縦断して北上するに及び、
見ず知らずの人々も町内、村内または一地方挙げて駅まで出てきて、
これを送迎するようになったのです。
誰誘うとはなしに、
駅という駅は国旗の波と万歳の声で溢れるようになりました。

もともと個人的には親切な人々が多い朝鮮民族ですから、
駅での心のこもった湯茶接待、慰問品の受け渡しばかりでなく、
出征兵士との間に涙と笑いの交歓が続きました。

とくに京城駅(現ソウル駅)には、昭和12年9月中だけでも実に43万余人、
1日平均1万4300人余りが詰めかけ、
日本の兵士たちをいたく感激させたといいます。

朝鮮教科団体連合会編
『支那事変に現れたる朝鮮同胞の赤誠』(昭和12年10月発行)
というパンフレットには、
そうした朝鮮人の愛国ぶりが他にも具体的に紹介されています。

例えば、日本軍人の無事を祈る千人針が流行していることや、
朝鮮神宮への参拝者が急増し、
9月3日には同神宮でキリスト教徒の尹致昊を代表とする朝鮮の各界代表
百数十名が発起人となって『国威宣揚武運長久祈願祭』が挙行されたことや、
血書を書いての従軍志願者が何百という数にのぼり、
中にはその希望が達せられないので自殺した青年まで現れて
総督府を困惑させていること等々、大変な熱気なのです。

興味深いことは、朝鮮の民衆ばかりでなく、
それまで日本に対して冷ややかであった朝鮮の民族主義者や民族団体までが、
手のひらを返したように積極的に愛国運動をはじめたことへの
日本側の戸惑いが、そのパンフレットの端々ににじみでていることです。

日本政府が昭和13年(1938)4月、陸軍特別志願兵制を設置するや、
それまで独立運動を指導してきた崔麟らは、
『これによって半島の民衆も全的に日本国民になるのだから、
一層覚悟を新たにしなければならない』と声明を発表し、
かつて大正8年(1919)には2.8独立宣言を
執筆した朝鮮を代表する大作家・李光洙が
歌謡『志願兵壮行歌』を作詞するなど、
3.1運動の指導者や民族文学の第一人者たちが
率先して戦争への協力を呼びかけたのです。

これに応えて、朝鮮人青年は続々と志願しました。
年を追うごとに応募者が増え、
昭和16年に至っては実に45倍の志願者が押し寄せたのです。
その倍率に驚かされます。

朝鮮は伝統ある儒教国家であり、
応募するには父母、親族の許しが必要でした。
青年の一時の血気だけでは志願するのは困難なお国柄です。
この驚くべき倍率の影には、
圧倒的な朝鮮人の支持があったと見なければならないと思います。

それにしてもなぜ、
これほどの朝鮮人青年たちは日本軍に志願したのでしょうか。
米英のアジア侵略を阻止し東洋平和を確立するという
日本の国家目標の実現が、
朝鮮の将来と同一線上にあることを朝鮮民衆が理解するように
なっていたこともあると思います。

また、支那事変以来、
日本の陸軍士官学校を卒業した朝鮮人士官の活躍ぶりが報道され、
青年たちの心を強く揺さぶっていたことが大きかったようです。

また、現実的な動機もありました。
志願兵に出て戻ってくれば、
自動的に巡査や面事務所(村役場)の役人になれたのです。
そうすれば、家族の暮らしも良くなります。
当時の日本青年の多くがそうであったように、
朝鮮の青年たちの多くも貧困のため進学を諦めざるを得ませんでした。
そんな朝鮮の青年にとって、
志願兵は自分の将来を切り開く一つの道でもあったのです。

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志願兵の募集に殺到した朝鮮人青年たち
―――――――――――――――――
「歪められた朝鮮総督府」 黄文雄 1998年 光文社

朝鮮総督府は1938年、初めて志願兵制度を実施した。
それは、日韓併合から29年目の、日中戦争の翌年であった。
それには、予想外といえるほどの朝鮮人青年が殺到した。
次の公式数字からも、その異常な盛況がうかがえる。

…………募集者数……志願者数……倍率
1938年……406…………2946…………7.26
1939年……613………1万2528………20.43
1940年……3060………8万4443………28.00
1941年……3208………14万4743……45.12
1942年……4077………25万4273……62.37
1943年……6300………30万3294……48.14

1938年、陸軍特別志願兵制度はじまる。
1943年、海軍特別志願兵制度はじまる。
1943年、朝鮮人学徒特別志願兵制度はじまる。
(適格者6203名中4385名(70%)が志願)

1944年4月、朝鮮人に徴兵制度適用。

徴兵制度により徴兵された軍人・軍属は24万2341人で、
1943年の志願兵応募者数30万人よりも少ない。

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「日韓共鳴二千年史」 名越二荒乃助 編著 P436、440 より
http://www.tamanegiya.com/tyousenjinntosigannhei19.9.html

朝鮮人陸軍特別志願兵の朝鮮人志願状況

■昭和13年(1938年)
応募者数:2,946名
採用数:406名
倍率:7.7

■昭和14年(1939年)
応募者数:12,348名
採用数:613名
倍率:20.1

■昭和15年(1940年)
応募者数:84,443名
採用数:3,060名
倍率:27.6

■昭和16年(1941年)
応募者数:144,743名
採用数:3,208名
倍率:45.1

■昭和17年(1942年)
応募者数:254,273名
採用数:4,077名
倍率:62.4

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●特別志願兵
戸籍法の適用を受けない帝国臣民(朝鮮系、台湾系)にある男子で、
陸軍または海軍に志願する者のうちから陸海軍大臣の定めるところにより、
陸海軍の兵役に編入した。

●陸軍特別志願兵
昭和13(1938)年4月より朝鮮に、昭和17(1942)年4月に台湾に施行。
年齢17年以上にして陸軍大臣の定める所により、
現役または第1補充兵に編入し兵役法により現役兵または第1補充兵として
徴集された者の兵役と同様に服役する。

●海軍特別志願兵
昭和18(1943)年8月 朝鮮と台湾に施行。
年齢16年以上21年未満の者から徴集し採用し、兵種は水兵、整備兵、
機関兵、工作兵、衛生兵、主計兵とし所管警備府司令長官が兵種を決定した。
現役は3年、予備役は12年、予備役を終わり年齢45年に満つる年の
3月31日まで第1国民兵に服した。
なお朝鮮の志願兵・18歳以上は、
第1回の募集400名に対して3000名が志願し、志願者は逐次増加した。

■韓国人志願兵の統計 志願兵(朝鮮)
陸軍特別志願兵制(昭和13(1938)年4月実施)
海軍特別志願兵制(昭和18(1943)年10月実施)
学徒兵徴募(昭和18(1943)年10月実施)
朝鮮兵徴兵(昭和19(1944)年10月実施)

■朝鮮半島ににおける韓国人の志願状況
「資料:朝鮮総督府朝鮮志願兵応募状況」
年度……採用数…応募数……倍率
1938年…406………2,946………7.7
1939年…613………12,348……20.1
1940年…3,060……84,443……27.6
1941年…3,208……144,743……45.1
1942年…4,077……254,273……62.4
1943年…6,300……303,394……48.2

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昭和17年、シンガポールで捕虜になった英国人が
朝鮮の収容所に送られてきた。
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「朝鮮人BC級戦犯の記録」 内海愛子 1982年 勁草書房

"歓喜する群衆"

8月、朝鮮に約1000名の白人が到着した。
この白人俘虜の与えた影響を、朝鮮軍参謀総長が、詳細に報告している。
以下その報告書である。

英人俘虜収容に伴う一般民衆の反響
(中略)
俘虜輸送中の道中に於ける釜山、京城、仁川地方の観衆人員も、
鮮人約12万、内地人約5万7千名の多数を算したり。

俘虜を通し、目前に見る彼らの醜態と恬然たる態度を嘲笑し、
斯かる国家観念に乏しき軍隊が、皇軍に敗るるは当然なりと、
皇軍戦勝の事実を再確認し、米英崇拝思想を一掃せさるべからずと○す者、
或いは、皇国臣民たるの幸福感と大東亜戦争完遂の決意を○す者多く、
(中略) (○の漢字表示不可読み不明)

朝鮮人の主なる言動

半島青年が皇軍の一員として俘虜の監視をしているのを見たとき、
涙が出る程嬉しかった。之を知らない人々に
『見ろ、半島の青年が英国人俘虜の監視をしているではないか』と、
大声を挙げて知らしてやりたい衝動に駆られた。


基督教関係者は、英米人より指導を受けた関係上、
排外思想が抜けきらなかったが、俘虜を見たとき日本人の誇りと
日本基督教の確立をせねばなならぬと謂ふ強い示唆を受けた。


戦争には水を呑んでも敗けてはならぬ、
俘虜を見て日本人の有り難さと誇りを自覚した。


われらを下等人として馬鹿にしていた英米人を、
俘虜として見るとは夢の様だ。
半島人も日本人としての誇りを感じ之で気持ちも一変した。


口笛なんか吹いて平気でいるのを見ても、国家観念に乏しいことが分る。
全く、だらしがないものだ。


あの力のないひょろひょろした様子を見れば、
日本軍に敗れるのも無理もない。


俘虜を目前に見て、戦争には必ず勝たねばならぬと感じた。
彼らを嘲る前に我々はもっと頑張らねばならぬ。


今迄、新聞や映画で皇軍の戦果を見聞きしながら、
多少の疑問を抱いたが、俘虜を見て、報道の嘘でないことが解った。


日本人たるの幸福を痛感せしむる為、朝鮮人全部に俘虜を見せてやりたい。


奴等の為に戦争が長引くのだから、死ぬ程働かせてやれ。


俘虜が憐れな有様に較べて、
我々が呑気に暮らして行けるのも、全く兵隊さんのお陰だ。
―――――――――――――――――
朝鮮人のBC級戦犯は148人うち死刑23人

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大東亜戦争の意義に賛同して戦意高揚の演説をした朝鮮の文化人たち
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「日韓2000年の真実」 名越二荒之助 平成9年 国際企画

◆申興雨 

祖父の代から受け継いできた黄色人種の積憤を
いまこそ晴らさなければならない。
一度決戦する以上、帝国行路の癌である敵性国家(米英)を粉砕し、
…新東亜建設に邁進しなければならない。
(昭和16年12月10日のソウルでの決戦報告大講演会から)    

◆普成専門学校教授 張徳秀 

英米の圧迫と屈辱から東亜民族の解放を叫ぶ決戦を開始したのである。
いまや東亜民族は圧迫と摂取を受けて骨しか残っていないが、
いまやその骨で断固として決起し、仇敵英米を打倒しなければならない。
(昭和16年12月10日のソウルでの決戦報告大講演会から) 

◆朝鮮農民運動指導者 李晟煥(りせいかん)

貧欲の牙城、白人帝国主義の張本人米英をいまこそ撃滅せずしては、
我等の子孫の発展を望むことはできない。
(昭和16年12月14日の米英打倒大講演会から)

◆「2.8独立宣言書」執筆者で朝鮮文芸界の第一人者 李光洙(りこうしゅ) 

私は天皇陛下の子であるという考えを常に忘れず
この聖業完遂に邁進する者であるからして、
子々孫々の栄華を得るであろう。
(昭和16年12月14日の米英打倒大講演会から)

「米国と英国を撃て」と
かしこくも大詔がくだされた
12月8日、陽がのぼるとき
輝く昭和16年
ハワイ真珠湾に
積悪を撃つ皇軍の最初の霹靂(へきれき)
ウェストバージニアとオクラホマ
太平洋米艦隊はついえた
ついで撃つ南洋の陸海空
プリンスオブウェルズ英艦隊旗艦
アングロサクソンの罪悪と運命を抱き
クアンタンの沖の海深く沈みゆく
アジアの聖域は元来
天孫民族が繁栄すべき基業
アングロサクソンに踏みにじられて200年
わが君がいま光復を宣せられた
(「宣戦大詔」昭和17年1月)

◆詩人で戦後、韓国の国会議員になった 朱耀翰(しゅようかん)

正義人道の仮面を被り搾取と陰謀をほしいままにしている世界の放火魔、
世界一の偽善君子、アメリカ合衆国大統領ルーズベルト君。
君は口を開けば必ず正義と人道を唱えるが、パリ講和会議の序文に、
人種差別撤廃文案(提唱者日本)を挿入しようとしたとき、
これに反対し削除したのはどこの国であり、
黒人と東洋人を差別待遇して同じ席にもつかせず、
アフリカ大陸で奴隷狩りを、
あたかも野獣狩りをするが如くしたのはどこの国の者であったか。…
しかし君等の悪運は最早尽きた。…
一億同胞…なかんずく(朝鮮)半島の2400万は渾然一体となって
大東亜聖戦の勇士とならんことを誓っている。
(昭和16年12月14日の米英打倒大講演会から)
             
大東亜戦争の目的は東亜10億の民を侵略の魔の手から救い、
東亜の新秩序を建設し、東洋を東洋人の東洋にしようとすることである。
(毎日申報1943年11月18日号から)

◆3.1独立宣言を起草した歴史家 崔南善

昔から、春秋に義戦はないといわれているが、…
今度の戦争を義戦-聖戦といわずして何といえようか。…
大東亜の建設、全人類の解放、主義と信念と理想を生かすための
聖なる戦いに行くことは何と快心事であることか。…
日本国民としての忠誠と朝鮮男児の意気を発揮して…
一人残らず出陣することを願う次第である。
(東京での演説 毎日申報1943年11月20日号から)

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内地の朝鮮人も志願兵制度実施に燃え立つ
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戦前の新聞記事見出しより

神戸又新日報 1937/7/19
『半島人が出征志願/国家を思ふ心に変りなし/“雑役夫にでも”と』

芸備日日 1937/7/31
『義勇兵志願など/半島人の赤誠/昨夜内鮮融和座談会』

芸備日日 1937/8/2
『半島青年が/血書の従軍志願/徳山憲兵分駐所へ』

神戸又新日報 1937/8/8
『半島、台湾人あげて“正義皇軍”に寄す熱情/従軍志願、献金相つぐ』

大阪毎日 1937/8/16
『半島少女が陸軍志願』

芸備日日 1937/8/19
『半島人血書/従軍志願/国民の愛国熱』

大阪朝日 1937/8/22
『暴戻支那を一撃/半島出身運ちゃんも侠気、義勇兵を志願(御影)』

大阪朝日 1938/1/16
『朝鮮人志願兵採用制度/熾烈な日本精神が反映!』

神戸新聞 1938/1/18
『僕にもあるぞ・大和魂/夢に描く軍服姿/
神戸の半島少年が志願兵に/きのふ憲兵隊に出願』

福岡日日 1938/1/18
『半島人に感激の渦/志願兵採用制度に揚る万歳/門司署管内在住者が』

呉新聞 1938/1/19
『・半島人志願兵・へ/呉から第一声/熱烈な志願書を出す』

神戸新聞 1938/1/19
『颯爽!三番打者/半島青年姫路で入隊の志願/御用帳下げて出頭』

中国日報 1938/1/19
『赤誠、奮起の半島青年/早くも第一線従軍志願を』

大阪朝日 1938/1/20
『憧れの日本兵に/志願兵制度の実施で/福山で最初の半島人』

大阪毎日 1938/1/20
『九人兄弟を代表/お国のため御奉公/
模範半島人の洗濯屋外交員が神戸で最初の志願兵(灘)』

大阪毎日 1938/1/21 阪神
『半島人志願兵西宮のトップ/烈々の文字連ねて』

福岡日日 1938/1/21
『愈よ燃ゆる愛国熱/半島同胞の志願兵制度に申出で更に相踵ぐ/
太刀洗でも中年半島人熱心に志願』

福岡日日 1938/1/22
『血書で志願/半島同胞にもこの意義/皇軍の忠誠を聞いて軍人志願』

大阪朝日 1938/1/25
『半島の青年また兵役志願/祖国愛は同じ』

大阪朝日 1938/1/27
『歓び勇む半島同胞/一人前の兵隊さんになれるぞ/
尼崎で志願兵制度のお祝ひ(内鮮同愛会)』

大阪朝日 1938/1/29
『兵隊に憧れる/半島の青年達/逸早く志願書提出』

福岡日日 1938/1/30 夕
『志願兵制度を喜び/在京半島人一万円献金』

芸備日日 1938/2/1
『熱血の半島青年/総督へ志願書/
防府市兵事課が煮切らぬので/断然、直接に提出す』

芸備日日 1938/2/9
『広島で最初の半島人/現役志願申出る/材木店員の真面目な青年』

神戸又新日報 1938/4/9 夕
『半島人の血書志願/滴る血潮で綴る祖国愛の熱文/一日も早く軍人に』

中国日報 1938/7/3
『胸に描く兵士/燃えたつ愛国の血潮/半島青年が呉鎮へ採用志願』

大阪毎日 1938/11/17 神版
『半島の出身者が高く掲げる『日の丸』旗/
志願兵制度実施に感激して国体の観念を普及』

神戸新聞 1938/11/24
『新生田川遊園地に燦・尽忠愛国の旗/
朝鮮人志願兵制度記念の成果/輝く半島人の赤心(泗龍親睦会)』

大阪朝日 1939/11/9 夕
『半島の志願兵/本社に来訪』

神戸新聞 1939/11/11
『我ら君国に報ぜん/湊川神社に詣でて力強い誓詞/半島志願兵隊神戸へ』

中国 1940/9/6
『朝鮮出身青年の鑑/宿志叶って/志願兵合格』

大阪朝日 1943/5/18
『海鷲へ……半島の児が初志願/涙の手紙に溢る“干城の喜び”』

神戸新聞 1943/6/4
『米英撃滅陣へ続かん/半島同胞が三人揃うて現役志願』

大阪朝日 1943/7/8 夕
『半島少年も陸鷲志願』

中国 1943/8/10
『病床から海軍へ/半島青年が/至誠の志願』

大阪毎日 1943/11/12
『新卒業者にも道開く/鮮台学徒特別志願兵規則改正/一人残らず志願せよ』

大阪朝日 1943/11/14
『熱意揚る半島学徒/赤誠の志願相次ぐ』

大阪朝日 1943/11/19 夕
『眼ざすは全員志願だ/あす半島学徒特別志願締切』

大阪毎日 1944/12/6 神版
『志願締切迫る/鮮、台の若人起て/神戸地方海軍人事部談』

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朝日新聞 昭和17年5月15日号
(「朝日新聞の戦争責任」 安田将三・石橋孝太郎 1995年 大田出版から)

『今こそ真に日本人』 朝鮮の徴兵制に血書の感謝状

半島(朝鮮半島)青年も昭和19年から晴れて皇軍兵士の栄誉が適えるように
準備をすすめている旨9日情報局から発表されたが、
この光栄に勇躍した朝鮮同胞からは早くも感謝の心を綴った手紙が、
谷情報局総裁や井野拓相(拓務大臣)のもとに届けられ、
中には血書したものもある。その2,3--。

[その1]
ただただ感謝します。
何十万の半島青年のすべてが受けたであろうこの感激は、
一体いかなる言葉でいい表したら良いのか分かりません。
『兵役は?』と問われ、『ない』と答える苦しさ。
内地の人の中には『時期が早い』と思う人があるかもしれませんが、
自分に問い、友に問いしても決して遅くこそあれ、早くはありません。
自分が運良く戦死したら靖国神社に行ける。
この気持ちこそ半島青年の気持ちです。
必ずや自分もお呼び出し願えるものと固く信じその日を待ち侘びてあます。
(「あます」は原文のまま)
半島の一青年
情報局御中 <これには『感謝』と書いた血書が同封されていた>

[その2]
われわれ朝鮮人の一人一人が帝国の防人として内地人と同様
大東亜戦争に参加してこそ真の内鮮一体といえましょう。
ああこの日本帝国に生まれ合わした幸運。
朝鮮人も祖国日本のため、米英撃滅に参加出来る喜びをお察しください。
今こそ、靖国の英霊の仇を討って見せます。
天皇陛下万歳、大日本帝国万歳。
松本元治郎(創氏改名者)
情報局総裁閣下

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軍艦島の強制労働?



2015年6月15日放送 テレビ朝日「ビートたけしのTVタックル」より

軍艦島の元住人
「強制労働、聞いたことない。賃金良かった。戦後、朝鮮人と並んで勉強」

韓国政府は7箇所で5万7900人の強制労働があったとしており、
中でも軍艦島はその過酷さから「地獄島」とも呼ばれ、
600人が強制労働させられたとしている。

果たして本当にそうだったのだろうか?

坂本道徳さん、61歳。

炭鉱夫だった父とともに、
軍艦島に、1968年から閉山する1974年まで、6年間暮らしていた。

彼は、古くから島に住んでいた方から、
戦争前後の炭鉱の様子について伝え聞いている。

取材スタッフ
「強制労働で来たという方は?知ってる方いますか?」

「僕は知らないですね」



取材スタッフ
「長老から聞いた話とか…」

「ないですね」

「韓国の人であっても、中国の人であっても、日本人だって、
こんな過酷な労働ないですよ」

「地下600mまで行くから、そこに何があるか分からない」

「過酷な仕事をやってるわけですから」

「だから賃金が良かったから」



「そういった意味で、
(朝鮮半島から)ここに働きに来た人もいたんじゃないかと…」



最大で、海面下1000m以上で行われる炭鉱での作業は、
極めて危険なものだった。

そんな危険な所に身を投じて、
採れる石炭は良質で、黒いダイヤとも呼ばれていた。

そのため賃金は高く、

1958年に、全国でまだ10%ほどだった白黒テレビの普及率は、
軍艦島ではほぼ100%だったという。



「(日本人と朝鮮人は)戦後、一緒に机を並べて勉強していたよと」



「そういったもので、全てが強制とかじゃなくて、
自ら来た人もいたという事実もあるんじゃないかと、僕は思うんだけど」

このあと、スタジオ。田母神さんが朝日新聞記事を示す。



「戦時徴用は245人」
しかもこの数字について、当時、何の異論も出ていないことを説明。



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韓国難癖に違和感「被害ばかり強調」
「『朝鮮の人』への差別なかった…」89歳元炭鉱社員が証言

産経ニュース 2015.6.21 11:30
http://www.sankei.com/life/news/150621/lif1506210035-n1.html

「炭鉱内では朝鮮人に対する差別はなかった」と振り返る田中好子氏


戦前から戦後にかけ、世界遺産群の対象ではないが、
福岡県福智町(旧田川郡方城町)の方城炭鉱に勤務していた
福岡市在住の田中好子さん(89)が、産経新聞の取材に応じ、
炭都として活気に満ちあふれた当時の様子を淡々と語った。
(九州総局 奥原慎平)

田中さんが炭鉱について話そうと思ったのは、韓国政府が炭鉱労働に関して
朝鮮半島出身者の被害ばかりを強調し、
「長崎市沖の端島炭坑(通称・軍艦島)など世界遺産群の登録に
反対していることに違和感を覚えた」からだ。
自らが経験を若い世代に語り継ぐ責任があると思ったという。

方城炭鉱は筑豊炭田の主力鉱として、三菱鉱業(現・三菱マテリアル)の
前身の三菱合資会社が明治35(1902)年に開鉱した。

田中さんは、福岡県直方南高等女学校(現県立筑豊高校)を卒業後、
経理担当事務員として三菱鉱業方城炭鉱に就職した。
炭鉱労働者の仕事量に応じて給与を計算し、
会計係に回すのが主な仕事だった。

田中さんは、「過酷な労働環境だった分、実入りも多かった。
朝鮮半島出身者も日本人に負けじと働いて稼いでおり、
私の知る限り出身地による差別なんてなかった」と証言する。

職場や社宅での仲間同士の呼び方にその一端が垣間見えた。

例えば、「半島出身者を指す場合は『朝鮮の人』と呼んでいた。
差別意識があるなら、『朝鮮人』と呼ぶはずだ。
東北出身者は『東北の人』だったし、
関西出身者は『関西の人』と呼んでいた。
半島出身者もそれと同じだった」と語った。

勤務時間や採掘量を示す伝票には
ひと目で半島出身者と分かる氏名が書かれており、
その中には、日本人の1・5倍は働いていた人もいた。

社宅の間取りは、4畳半と6畳をひとまわり大きくした二間だった。
半島出身者も日本人も同じ待遇で入居していた。

社宅に住む半島出身者の中には家族連れもいたといい、
田中さんは「彼らが強制連行されたと聞いたことなどなかった。
何よりも家族連れで強制連行された人なんていたのだろうか」と語り、
韓国政府の一方的な言い分に首をひねる。

子供同士も出身地など関係なく、ふつうに遊んでいた。

街には現在のスーパーマーケットに当たる購買課が2カ所あり、
日常用品がところ狭しと並んでいた。

陳列棚には、薄い黄色に赤褐色の帯がついた売れ残りの
リプトンの紅茶缶があったことを鮮明に覚えているという。
また、近くの街には料亭や劇場、映画館もあったという。

当時、炭鉱での石炭採掘は、
富国強兵を目指す日本のエネルギー政策の生命線だ。
事故が起これば採掘量の減少につながるため、会社側は
「爆発事故には最も神経を尖らせ、安全対策を徹底していた」と話す。

「韓国政府は、日本が世界遺産に登録申請したら文句を言う。
事故や病気による犠牲者は半島出身者だけではない。
方城炭鉱には差別のない活気に満ちあふれた生活もあった。
韓国政府はそうした面にも目を向けてほしい」

方城炭鉱 直下型縦坑方式を採用した最新式の炭鉱。
大正3年12月、日本史上最悪の炭鉱爆発事故が発生し、
671人の犠牲者(会社発表)を数える大惨事が起きた。
福岡県の調べだと、昭和19年1月現在、
計3217人の朝鮮半島出身者が「徴用」「募集」の名の下で働いた。

世界遺産登録をめぐる日韓の見解
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関、
国際記念物遺跡会議(イコモス)が今年5月、
「明治日本の産業革命遺産」(23件)の
世界文化遺産への登録を勧告した。
韓国政府は「世界遺産条約の基本精神に反する」
(尹炳世=ユンビョンセ=外相)と反対し、外交攻勢を強めている。
日本政府は、登録対象は韓国を併合した1910年以前で
「政治問題化すべきではない」(菅義偉官房長官)としている。
登録は7月上旬に決定する見通し。


方城炭鉱に勤務していた当時の田中好子さん(後列右端)と同僚。
女性の華やかな服装が印象的。


田中好子さんが勤務していたころとみられる方城炭鉱の見取り図
(元方城町文化財専門委員、植田辰生さん提供)


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「明治日本の産業革命遺産」世界遺産に登録決定

NHKニュース 7月6日 2時09分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150705/k10010139851000.html

ドイツで開かれているユネスコの世界遺産委員会は、
福岡県の八幡製鐵所や長崎県の三菱長崎造船所など、
8つの県の23の資産で構成する「明治日本の産業革命遺産」を
世界遺産に登録することを決めました。
ドイツのボンで開かれているユネスコの世界遺産委員会は、
日本時間の5日午後10時すぎから
「明治日本の産業革命遺産」について審議を始め、
世界遺産に登録することを決めました。
登録が決まった「明治日本の産業革命遺産」は、
福岡県の八幡製鐵所や長崎県の三菱長崎造船所など、九州の5つの県と、
山口、岩手、静岡の各県にある合わせて23の資産で構成され、
西洋で起きた産業化が非西洋国家の日本に伝わり、
初めて成功した例として歴史的な価値が認められました。
この遺産群を巡っては、
韓国が「遺産群の中には強制徴用が行われた施設がある」と主張し、
審議の中でこの趣旨の発言をする動きを見せたことから
日本との間で調整が難航し、日本時間の4日夜に予定されていた審議は
1日先送りされました。
しかし日本が韓国と調整を続け、韓国の政府関係者は、
審議入りを前に日本側と合意したと述べていました。
世界遺産への登録が決まったあと、日本の佐藤地ユネスコ大使は
「1940年代に一部の施設で大勢の朝鮮半島の人々などが
意に反して厳しい環境下で労働を強いられた」としたうえで、
「この犠牲者のことを忘れないようにする情報センターの設置など、
適切な措置を取る用意がある」と述べました。
このあと、韓国の代表団を率いるチョ・テヨル第2外務次官は、
日本側が言及した措置について、
世界遺産委員会に対し、確実に実行されるか検証するよう求めました。
今回の決定で日本にある世界遺産は、
文化遺産と自然遺産合わせて19件となります。

岸田外相「誠に喜ばしい」
「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産への登録が決まったことについて、
岸田外務大臣は5日夜、外務省で記者団に対し、
「登録を確実なものにするため、ぎりぎりの調整を行ってきた。
登録が決定したことは、誠に喜ばしいことだ」と述べました。

首相「心からうれしく思う」
安倍総理大臣は「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産への登録が
決まったことを受けてメッセージを発表し、この中で、
「『明治日本の産業革命遺産』の世界文化遺産への登録を
心からうれしく思う。海外の科学技術と自国の伝統の技を融合し、
僅か50年余りで産業化を成し遂げた日本の姿は世界でもけうであり、
人類共通の遺産としてふさわしい、普遍的な価値を持つものだ」
としています。
そのうえで、「資産の保全に取り組み、支援してこられた地域の方々や、
100年を超えて資産を稼働させながら維持し、
保全に取り組んでこられた企業の皆様に深く敬意を表する。
『ものづくり国家日本』の原点であり、先人の偉業を伝える
すばらしい遺産の保全と次世代への継承に向け、決意を新たにしたい」
としています。

石破大臣「管理保全に万全を期す」
内閣官房の世界遺産登録推進室を所管する石破地方創生担当大臣は
「登録が決定したことを大変喜ばしく思う。
この遺産は、日本が西洋から非西洋地域への産業化の伝ぱに、
世界で初めて成功したことを示す、
世界遺産にふさわしい価値のあるものとして評価された。
政府としては、関係各位と連携しながら、
世界遺産としての管理保全に万全を期す」という談話を発表しました。

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決着一転…韓国、土壇場で「強制労働」に固執か
「軍艦島」をナチス収容所と比較も
【産経ニュース 2015.7.5 20:23】
http://www.sankei.com/world/news/150705/wor1507050025-n1.html
http://www.sankei.com/world/news/150705/wor1507050025-n2.html
(前略)韓国側は委員会でも激しいロビー活動を展開。
「軍艦島」の通称で知られる端島炭坑(長崎市)をナチス・ドイツによる
アウシュビッツ強制収容所と比較して、他国に理解を訴えたという。(後略)

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世界遺産「軍艦島」海外報道

米CNN
戦争犯罪である.残虐行為が行われた場所が、日本の世界遺産となった
Scenes of the atrocities of war crimes - Japan's bid for industrial sites as World Heritage
http://ireport.cnn.com/docs/DOC-1244907

米ABC
日本の推薦遺産は、それらの遺産、特に軍艦島での
戦時強制労働者(forced labor)の歴史を
日本が認めることで日韓が合意の後に、全会一致で承認された。
The unanimous vote in favor of Japan's bid was approved only after
Tokyo and Seoul resolved a spat over whether to acknowledge
the sites' history of wartime forced labor,
particularly that of Gunkanjima, or Battleship Island.
http://abcnews.go.com/International/wireStory/san-antonio-missions-receive-world-heritage-status-32230481

米誌フォルブス
日本政府、世界遺産の遺跡での過去の強制労働を認める
Japan, Korea Breakthrough: Japanese Repenting 'Forced' Korean Labor On UNESCO Heritage Sites
http://www.forbes.com/sites/donaldkirk/2015/07/06/japan-agrees-with-korea-on-world-heritage-sites-admitting-forced-labor-an-omen-for-future/

米紙ワシントンポスト
軍艦島における戦時の強制労働の歴史を認めたことで世界遺産に登録
Tokyo and Seoul resolved a spat over whether to acknowledge the sites’
history of wartime forced labor, particularly that of Gunkanjima, or Battleship Island.
http://www.washingtonpost.com/world/europe/san-antonio-missions-receive-world-heritage-status-from-un/2015/07/05/6b968a8a-230c-11e5-b621-b55e495e9b78_story.html

英紙テレグラフ
日本の奴隷労働の遺跡が世界遺産に
Japan slave labour sites receive world heritage status
http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/asia/japan/11721164/Japan-slave-labour-sites-receive-world-heritage-status.html

英紙ガーディアン
日本が強制労働の事実を認めたことで世界遺産に登録
forced labour Japan sites get world heritage status after forced labour acknowledgement
http://www.theguardian.com/world/2015/jul/06/japan-sites-get-world-heritage-status-after-forced-labour-acknowledgement

マレーシア紙スター
日本はユネスコの世界遺産登録の後で歴史と直面するようにと促された
Japan urged to face up to history after Unesco win
http://www.thestar.com.my/News/Regional/2015/07/07/Japan-urged-to-face-up-to-history-after-Unesco-win/

シンガポール紙トゥデイ
日本の産業遺産のユネスコ世界遺産登録に反応様々!
Mixed reaction to UNESCO listing for Japan’s industrial sites
(中略)
韓国が外交的勝利!
日本は、第二次世界大戦、特に戦争末期に向かって労働力不足を補うために、
数万人の韓国人や支那人や捕虜を十数カ所の工場、鉱山、
その他産業施設で働くことを強制した歴史事実を認めることに同意した。
Seoul portrayed the decision as a diplomatic win
after Japan also agreed to acknowledge its history of forcing tens
of thousands of South Koreans, Chinese and World War II prisoners
of war to work at dozens of factories, mines and other industrial
facilities, conscripted to fill labour shortages especially towards
the end of the war.
http://www.todayonline.com/world/asia/mixed-reaction-unesco-listing-japans-industrial-sites

ドイツのメディア「シュピーゲル」
1942年に14歳で羽島に連行されてきたという韓国人の話を紹介しながら、
「強制労働者は、ここ羽島で身の毛のよだつような苦痛のもと、
身を粉にして働かねばならなかった。」と報じた。
http://www.spiegel.de/einestages/japan-vs-suedkorea-streit-um-welterbe-plaene-a-1040239.html

ジャパンタイムス
「日本は韓国の主張するforced labourをしぶしぶ認めて登録にこぎつけた」
日本語の強制労働を意味するfoced labourの使用をさけ、世論を沈静化する
目的で、働かされたという意味のlorced to workを使用した。
http://www.japantimes.co.jp/news/2015/07/06/national/history/unesco-decides-to-add-meiji-industrial-sites-to-world-heritage-list/#.VZqueIpKPCQ

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『奴隷の島「軍艦島」』とか『東洋のアウシュビッツ「軍艦島」』
とか世界に思われて世界遺産として登録して何が嬉しいのでしょう?
またそれを根拠に謝罪と賠償の要求が繰り返され、
軍艦島の、あちこちに「強制労働」のウソ説明の案内板が設置され、
韓国の教科書にも掲載され、悲惨な蝋人形や銅像などが、
いつの間にか建立されていくのではないでしょうか。
それを引っ繰り返すのに、また、これから民間人の多大な労力と時間、
自費が費やされ、悪夢のような運動が繰り返されていくのでしょう。
長崎市は喜んでるのかな?

大阪朝日・西鮮版 1942.5.23
朝鮮人鉱夫に特別の優遇設備 まるで旅館住ひ同様


大阪朝日・南鮮版 1940.5.28
朝鮮人鉱夫の物凄い稼高 遠賀鉱業所で推賞の的


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次は佐渡鉱山の強制労働・・・( ゜Θ゜;)

また「外交問題の可能性」と韓国紙…候補の佐渡
【YOMIURI ONLINE 2015年07月06日 06時54分】
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20150706-OYT1T50005.html
2017年の審議に向けて世界遺産候補に名乗りを上げている4候補のうち、
「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」(新潟県)の鉱山には、
「明治日本の産業革命遺産」と同様に
朝鮮半島出身者が働いていた歴史がある。
日本が世界遺産への登録申請を決めれば、
韓国との対立が再燃する可能性がある。
韓国外交省報道官は5月の定例記者会見で「佐渡鉱山の遺産群」に触れ、
「日中戦争以来、約1000人程度の朝鮮人が
強制労働をしたと把握している。登録推進の動きを注視している」と述べた。
韓国紙「文化日報」は、韓国政府関係者の話として、
「日本が登録を推進すれば、『明治日本の産業革命遺産』のように
外交問題になる可能性がある」と指摘している。
「佐渡鉱山の遺産群」を構成する7資産は3鉱山を含む。
新潟県によると、相川金銀山では1940年から42年にかけ、
募集に応じて訪れた朝鮮半島出身の
労働者計約1000人を受け入れた記録があるという。
世界遺産登録をめぐっては近年、政治問題化するケースが相次ぐ。
2011年の世界遺産委員会では、イスラエルが申請した古代遺跡
「ダンの3連アーチ門」が問題となった。
「明治日本の産業革命遺産」と同様、
ユネスコ諮問機関は世界遺産への登録を勧告していたが、
アラブ諸国が、領土問題が未解決だとして、登録は不適切だと主張。
審議延期が決まり、登録は棚上げされた。
ユネスコ諮問機関の勧告が覆されたケースもある。
12年に「危機に瀕ひんしている世界遺産」(危機遺産)への
登録が決まったパレスチナの「聖誕教会」について、
諮問機関は「危機に直面していない」と判断していた。
だが、世界遺産委員会でセネガルが異議を唱えた。
投票の結果、賛成多数で登録が決まった。
東南アジアでは、08年に世界遺産登録されたカンボジアの
「プレアビヒア寺院遺跡」が紛争の種となった。
登録決定後、遺跡周辺の帰属をめぐるタイとの緊張が高まり、
双方の武力衝突に発展した。

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今度は「松下村塾」標的 懲りない反日攻勢に“韓国疲れ”

産経ニュース 2015.7.9 07:09更新
http://www.sankei.com/region/news/150709/rgn1507090016-n1.html

韓国の「後出しじゃんけん」(福岡県幹部)で、
世界文化遺産への登録がひと悶着した「明治日本の産業革命遺産」に対し、
韓国政府が今度は、松下村塾(山口県萩市)に批判の矛先を向け始めた。
初代韓国統監の伊藤博文元首相ゆかりの場所であることが理由とみられる。
韓国側のとどまることを知らない反日姿勢に対し、日米外交当局だけでなく、
九州・山口の施設関係者にも、
諦めのような“韓国疲れ”が広がりつつあるようだ。

◇普通では考えられない

「韓国側はとにかく何か文句を言いたくて言っているのではないか。
普通では考えられないことだ」

松下村塾を管理する松陰神社の関係者は、
産経新聞の取材に8日、うんざりしたようにこう語った。

「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録が決まった直後の7日、
韓国の外務省報道官の記者会見での発言に反発したものだ。

外務省報道官は、「(松下村塾の登録決定には)問題意識を持っている。
世界遺産以外の多様な次元で対応を検討していこうと考えている」と述べた。
これは、審議の舞台となった国連教育科学文化機関(ユネスコ)の
世界遺産委員会とは別の国際機関や国際的な会合で、
松下村塾登録に反対の意思表示をしていく考えを示唆したものだ。

報道官は「世界遺産委員会で問題提起するのは効果的ではない側面がある」
とも述べている。背景には、今まで批判してこなかったものを
正面から急に取り上げても、韓国が不利になるとの計算が働いたようだ。

韓国は産業革命遺産23施設のうち、高島炭鉱(長崎市)など
7施設の登録について、「戦時中に朝鮮半島出身者が強制労働をさせられた」
として反発を強めていたが、この中に松下村塾は含まれていなかった。

松下村塾出身の伊藤博文は1909(明治42)年に
満州(現中国東北部)のハルビン駅で安重根に暗殺された。
安重根は韓国で国民的英雄となったが、日本政府は
「死刑判決を受けたテロリスト」(菅義偉官房長官)との立場だ。

◇戦時賠償訴訟の乱発?

遺産登録を優先させた日本政府は、
韓国側との事前協議に応じたが、これが禍根を残す結果となった。

結局、日本側は文言をめぐって
「強制労働はなかった」と説明しているのに対し、
韓国側は勝ち誇ったように「日本が初めて強制労働があったと認めた」
(政府高官)と都合のいいように対外発信を繰り返す事態となっている。

日米中のはざまで外交的に孤立していた韓国外交当局が、
外交失策に対する国内の批判をかわし、
名誉挽回とばかりに外交勝利を喧伝したがったのだろう。

日本側にも、焦点となった文言については
「外務省が勝手に決めたことだから…」(内閣官房)と
政府内に足並みの乱れがあり、
それが韓国側に付け入る隙を与えた側面も否めない。

だが、問題なのは日本政府がいくら「強制労働はなかった」と説明しても、
韓国政府の説明が国内外で独り歩きし、
戦時賠償訴訟の理由に利用される可能性が出てきたことだ。

朝鮮半島出身者の戦時労働は、
日本人にも適用された国民徴用令に基づく合法的な勤労動員だ。
また、「その多くが密航者も含めて高賃金目当てに
自分の意思で本土に渡航してきた」(福岡県筑豊炭田関係の在日韓国人)
との証言もある。

にもかかわらず、韓国の裁判所では戦時徴用をめぐり
日本企業に賠償を命じる判決が続いている。

韓国の光州高裁は6月24日、戦時中に名古屋の軍需工場で
働いていた韓国人らによる賠償訴訟の控訴審で三菱重工業に賠償を命じた。

不当な判決を無視できないのは、今回の合意を盾に
戦時賠償請求訴訟を乱発されかねないだけでなく、実際に判決が出た場合、
日本企業の韓国内における資産が、凍結・没収される恐れもあるからだ。

中国では昨年4月、戦時賠償訴訟に敗訴し、
商船三井が船舶を一時的に差し押さえられる事態も発生した。

韓国の反日攻勢からは今後も目が離せない。

―――――引用おわり―――――――

日本の世界遺産候補で、少しでも朝鮮が関係したことのあるものは、
すべて負の遺産となっていく恐れがあります。
なぜ裏づけ調査をしないのでしょう?
一切、証拠がなくてもいいというのでしょうか?

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1945年8月15日 終戦
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敗戦を境に豹変した朝鮮人
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「台湾人と日本精神」 蔡焜燦 2000年 日本教文社
(台湾出身の著者は岐阜陸軍航空整備学校奈良教育隊に所属していた。)

昭和20年8月15日、終戦の詔勅下る。
山奥での作業中に年輩の応召兵が『敗けた!』と
隊からの伝令を口にしたまま、呆然と立ちすくんでいた。

我々は何が起こったのかさっぱりつかめない。
無理もない、玉音放送があることすら知らされていなかったのである。

ただ中隊長の青ざめた表情は自体の深刻さを物語っていた。
しばらくして、敗戦の事実が我々台湾出身生徒 にも正式に伝達されたとき、
悔しさと無念の気持でいっぱいになり、
とめどなく込み上げる涙で頬を濡らしたことはいまでも鮮明に覚えている。
無性に悔しかった。
それは他の台湾出身生徒も同じ心境だった。

他方、朝鮮出身の生徒達は、
その日から食糧倉庫、被服倉庫を集団で強奪するなど、
したい放題のありさまで、我々は複雑な心境でただそれを眺めていた。
日本人を殴って、『戦勝国になったんだ』と威張りちらす者もいれば、
『独立だ!』と気勢を上げる輩もいる。
敗戦の報は、それまで一つだった”国民”を
三つの国民に分けてしまったのである。

「敗戦の詔勅」が発せられた翌日の8月16日、
水平射撃用に改修を終えた対空機関砲で上陸してくる米兵を迎え撃つべく
和歌山に移動するとの伝達があり、
4門あった砲の射手の1人を私が務めることになった。
だが、このときは正直いって心が揺れた。
『また行くのか… 』、祖国のために殉ずる気持ちで出征したのだが、
いまとなっては”生”への執着が顔を覗かせる。

この日の夜も朝鮮人生徒達が独立を叫ぶ傍らで、
40名の台湾人生徒も小さな単位でひそひそと今後を話し合う光景が見られた。
『俺達はいったいどうなるのか… 』
『我々は“中国”へ帰るみたいだ』
『それなら俺達も一等国の国民じゃないか… 』
がっくりと肩を落とした日本人を気遣いながら、
そんな会話が小声で交わされるのだった。

そして8月17日の夕方、連合軍の命令で我が隊の武装解除がはじまり、
日本人は復員することが決定した。
もちろんこれで例の”本土決戦”の計画も自動的についえた。

しかし残務整理は日本人事務官でこなせるものの、
兵隊がいなくなってしまっては武器庫や飛行機などの警備ができない。

そこで進駐軍がやって来るまでのおよそ2ヶ月間、
学校、練兵場、格納庫、武器庫など、
あらゆる軍の施設を我々40名の台湾人生徒が守ることになったのである。

『朝鮮人は信用できない。だから君たち台湾人が守ってほしい』
そう言い残して去っていった上官の言葉を、
これまで経験してきたもろもろに照らし合わせて了解した。

昭和20年10月、奈良教育隊に米軍が進駐してくると、
我々もようやく施設警備の任を解かれることになった。
(中略)
昭和20年12月、連合軍の命令で台湾への帰還を命ぜられる。
苦しいこともあったが、離れて久しい故郷台湾の地を踏める。
そんな喜びに胸を膨らませ、私は引き揚げ列車に揺られた。

新聞は、近衛文麿元首相の自決を報じ、
列車の中では戦勝国民となった朝鮮の連中が威張り散らしている。
ああ、日本は本当に負けたんだ……
目にするそんな光景が私に日本の敗戦を教えていた。

私は終戦の日をもって"戦勝国民"になったはずだが、
やはり心の底でまだ自分は日本国民だという意識があり、
複雑な心境で"敗戦"を思った。少なくとも、
私は戦勝国民になったことを手放しで喜ぶことなどできなかったのだ。

心の切り替えができない私は、
誰から見ても敗戦で肩を落とした日本人に見えたのだろう。

また日本兵の軍服で汽車に乗り込んでいた私は、
8月15日をもって急に威張りはじめた連中の嫌がらせを受けた。
座席の中に置いた新品の飯盒を朝鮮人に盗まれ、それを奪い返そうとすると、
『なんだお前、朝鮮人をバカにするな!降りて来い!』と、
たちまち数人に取り囲まれてしまった。

多勢に無勢、勝ち目はない。こうなっては
『すみません、私の記憶違いでした』と謝り、難を逃れるしか術はなかった。

それから佐世保に到着するまでの30時間、
連中は執拗に私を含め多くの日本人乗客をいびり続けた。

若い女性がトイレに行こうとすると通路を塞ぎ、
次の駅で窓から降りるよう指示するなど、
この連中のあまりにも情けない行状を、
私ははらわたが煮え繰り返る思いで眺めていた。
ただ黙って見ているしかなかったのである。
(中略)
佐世保キャンプで私は面白い場面にも遭遇した。
あの引き揚げ列車の中で、私を含め敗戦で意気消沈する日本人をいびり続け、
肩をいからせていた朝鮮人たちが、
「中華民国台湾青年隊」の腕章をつけた我々に
おべっかを使って擦り寄ってきたのである。

それは中華民国が連合軍の一員であったからに他ならない。
弱い者には威張りちらし、強い者には媚びへつらう、
そんな彼らの極端な習性を目の当たりにした思いがした。
なんとなくいい気がしない。

とはいうものの、
大国の狭間で生活してゆかねばならなかった地政学的な環境が、
そうした一個の民族性を育んだのだから、
いまさらそれを責めても仕方なかろう。

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「石枕 (下巻)」 張俊河 安宇植訳 1976年 サイマル出版会
(著者は日本軍を脱走して中国で活動していた上海臨時政府に参加し、
金九主席の側近になっていた。)

ことのほか私たちを哀しませたのは、韓同志が、そのころ上海を拠点として
日本軍の手先をつとめながら財をなしていた孫という男の奸計にかかって
日本の憲兵隊に逮捕されたことだった。

韓同志はこの孫に軍資金の調達を申し入れたのだ。
孫は日時と場所を定めて、そこで会うことを約束したという。

その日、約束の場所にはあらかじめ日本の憲兵たちが待ち受けていた。
これが韓同志の逮捕に関する顛末の全てだった。
その孫が、今もぬけぬけと、
この国で大手を振って歩いていると聞くにおよんでは。

けれども、私たちをなおのこと嘆かせたのは、新しい事実だった。
日本軍が降伏する直前(1945年8月15日)まで通訳か、
それでなければ前線地区を回って阿片を商ったり
日本軍慰安婦の抱え主を演じた連中までが、
一朝にして光復軍(韓国臨時政府の軍隊)の帽子を手に入れ、
独立運動家、亡命者、革命家などを自称する、
とうてい見るに忍びない風潮が横行したことだった。

のみならず、同じく異国にある同胞たちの財産を、
そうした連中であればあるほど先に立って没収して回るのが普通だった。

ありていに言って、臨時政府や光復軍が、
その名称の大きさに比して機構や人員においてあまりにも弱体だったことは、
否定しえない事実だった。
指導者クラスの人材は曲がりなりにも存在したが、
青年層の人材はまことに不足の状態にあった。

そんなありさまだったから、過去の経歴を問わずに、
独立運動家の名を手当たりしだいに分け与えたのだ。
誰であろうと参加を希望しさえすれば、
相手かまわず鄭重に迎え入れ、光復軍の帽子を一つずつ被せてやった。

当時、光復軍には3個支隊があった。
(中略)
第三支隊は学徒兵脱走者十数名を中心幹部とする最前線の部隊だった。
最前線地域という条件のゆえに人員の確保は容易だったし、
したがって兵力も150名に達していた。
けれども、そのほとんどが光復軍に入隊して
ほんの1、2ヶ月の、新入隊員たちだった。

ところで、この3つの支隊が相互に反目し合う状態から、
やがては覇権でも競うようになったことから、
光復軍の精神におのずと背く結果をひき起こしたのだ。

とりわけ上海、南京を舞台に活動していたある支隊の
いわゆる学徒出身幹部どもの傍若無人な専断ぶりときたら、
実に常軌を逸したものだった。
(中略)
我が同胞たちの中でもいくぶん富裕な連中は、
解放と同時に日本のスパイという意味の漢奸の烙印を捺され、
大部分が中国の官憲によって投獄されたり、
財産を没収されるありさまにあった。

はなはだしくは、我が革命家をもって任じる例の支隊の隊員たちまでが、
韓国人同胞を処刑に処したり、掠奪を繰り返すなどして
同胞たちの感情を損ねるまでに及んでいた。

かくも暗澹たる状態に置かれるようになったのは、一言で言って、
例の支隊の独善と傲慢さのゆえであったといって言い過ぎることはない。

彼らはあたかも、日本軍からの脱出がこうした独善と傲慢を
目的としたものであるかのように振舞ったのだ。
それは、脱出の動機を虚栄と功名心に求めたのと
替わるところのない行動だった。

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『韓国人の「反日」 台湾人の「親日」』 黄文雄 1999年 光文社

「朝鮮人の強制連行」問題の著作物は、
地方の公立図書館へ行くと、意外なほど多い。

戦前の日本国内では、朝鮮人の犯罪者が多かったので、
いかにして朝鮮半島からの人の流入を釜山港で阻止するかに悩み、
たびたび朝鮮総督府に有効な対策を求めていた。

だが、「朝鮮人の強制連行」問題の著書があれほど多くても、
「犯罪」「入国阻止」関連研究書は、
大学図書館でさえほとんど見いだすことが困難だ。
(中略)
韓国人の著述には、「日帝36年」について
「強制連行」「強制労働」「強制徴集・徴用」と表現することが多いが、
その「強制連行」とは、実は大陸文化そのもので、戦争や動乱があるたびに、
住民が「強制連行」されたことは、
中国史にも、朝鮮史にも繰り返し書かれている。

しかし、日本文化は、中国社会や朝鮮社会とはかなり異なる。
近代になって、台湾に対しても、朝鮮半島に対しても、
いかなる公的な義務労働であろうとも、多かれ少なかれ、
工賃を払うのが日本的なやり方であった。

このことからも、日本文化は、
中国や韓国の社会文化とはまったく違うことが判明する。

台湾領有初期の日本軍の征伐戦争・戦記、日記を見ると、
住民を略奪しながら敗退、逃亡した清国兵士に対してさえも、
米と銭を与え、船で港から大陸へ送還した。

地方の村長、長老を集めて訓示した後でも銭を与え、
細かい気配りをしていた。
そのような日本的気配りは、中国や朝鮮半島では、
絶対に見られないことだ。

韓国人の「日帝」糾弾のバターンは、たいてい決まっている。
それはあたかも日帝のすべての悪事悪行が隠蔽されてきたが、
それが次から次へと考古学や犯罪事件摘発のように
発掘されていくという図式である。

第二次大戦末期に、台湾からも多くの少年工が来日している。
しかし、彼らは「強制連行」ではなく、
厳しい選考をへて、来日が許可されたのだった。

「強制連行」については、台湾人の子供まで連行され、
海軍飛行場の建設工場で、酷使され、
息を引き取ったと韓国有力紙に報道されたこともある。

この「子供強制徴用の実態」に関して、
あたかも「歴史発掘」のように、韓国では一時、歴史捏造に狂奔した。

「東亜日報」(91年10月23日付)は、
「神奈川県で12から18歳の台湾少年工8000名が、
軍需工場で強制労働させられていたことが明らかになった。

しかし、8歳の少年強制労働と火葬というのは、
ひょっとすると日本全国で初めて確認されたことではないだろうか」
と日本の大学教授の発言を引用して報道している。

日本の反日大学教授も不勉強であるが、
韓国のマスコミも「反日」の話題でさえあれば、
なんでもかんでも派手に報道するという姿勢は問題であろう。

じつは、台湾少年工についての歴史捏造と歪曲ほどひどいものはない。

戦争末期、台湾から日本に来た8000名の台湾少年工は、
主に名古屋、大和市、群馬県の戦闘機工場で働いた。
彼らは「強制連行」ではなく、厳しい筆記試験に合格、
さらに身体検査にも合格、校長と両親の許可を得て来日したものであった。
「強制連行」どころか、現在でいえば
「東大入試」の狭き門をパスした誇りある少年たちである。
私が直接彼らから聞いたところでは、
「隼」以外に「ゼロ戦」をつくったという人もいた。

彼らは現在「高座会」をつくり、生存者は70歳前後になっているものの、
なおも5000人以上の会員を有している。会誌も発行されている。
十数歳の台湾少年工の作詞、作曲した会歌は、
日本の寮歌に似ていて、合唱するとじつに感動的である。

彼らは日本人の友人との絆が強く、94年の大和市の大会では、
2000人以上の会員が台湾から来日し、
大和市は、交通大渋滞となるほどであった。

当時、日本のマスコミは、彼らを「強制連行」と報道したため、
自尊心を傷つけられ、会長が会員全員を引き連れ、
新聞社へ抗議に行くという話もあったほどだ。

戦争末期の米軍空襲下でともに働いてきた台湾人と日本人は、
上官と部下の関係のみでなく、その絆もなかなかに強い。
私は台湾から来た昔の少年兵を連れ、かつての日本人仲間の病気見舞いや、
老後の不遇者の生活の面倒に奔走する戦友を案内したこともあった。

日帝の「暴挙」ばかりを追及してきた韓国人には、日本国民として育てられ、
ともに国家の存亡をかけた情熱と戦友としての絆は理解できないだろう。
この5000人以上の証人について、
日本人ももっと「歴史」を勉強する必要があるのではないだろうか。

彼ら韓国人が、いかに「強制連行」「虐殺」「追害」だけを
喚(わめ)いているかを示唆するような話ではないだろうか。

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『朝鮮高校の青春 ボクたちが暴力的だったわけ』 金漢一著

日曜日は仙台の繁華街で日本人狩り

2~3人で仙台市内に繰り出し、2年生はお目付役として
1年生にアイツをやれとか目配せしたり ・・・
日曜日に1年生が寮内にいたら先輩に
なぜ街に出て日本人を狩らないのか聞かれる。
端から見てても気の毒なほど日本人をボコボコにしてるヤツもいるし
まわしケリ一発で決めるヤツもいる。
相手が前かがみに倒れると、殺してしまったかと、さすがにビビるそうだ。
先輩から命令されてやっていることが多いので、
2~3人とカツアゲしても 、目標額に達しないと焦ってくる。
なかには給料袋のまま、数十万円もカツアゲしてくる勇者もいる。
「おまえそれはひどいんじゃないか?」
「チョッパリにはなにしてもかまわねえ」
警察に捕まった朝高生も、呼び出された先生も、
我々朝鮮人を強制連行した日本政府が悪いんだと、
話を政治問題に振り向けると、
バカな仙台の警察官達は、黙りこくってしまい、お目こぼしされる。
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金漢一
1964年、福島県出身の在日2世。両親は慶尚道出身。
小中高の12年間を福島県郡山市と宮城県仙台市の朝鮮学校寮生として過ごす。
1987年、英文朝日入社。
2002年、日韓ワールドカップの取材をきっかけに、
国籍を「朝鮮」から「韓国」に変更。
現在、英字紙「ヘラルド朝日」のスタッフライター

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強制連行で100万人もどうやって運んだの?
http://www24.atwiki.jp/free_nippon/m/pages/26.html?PHPSESSID=48c120ebeb53219348881313c557274b&
http://s03.megalodon.jp/2009-0625-0943-38/www24.atwiki.jp/free_nippon/m/pages/26.html?PHPSESSID=48c120ebeb53219348881313c557274b&

【強制連行】韓国の近代史研究者の資質を問う
http://s04.megalodon.jp/2009-0201-1329-52/bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&page=32&nid=103372&start_range=103323&end_range=103577
強制連行_各界18人の説明
http://s02.megalodon.jp/2009-0516-1830-56/www7b.biglobe.ne.jp/~senden97/kyoseirenko1.html
従軍慰安婦強制連行捏造報道
http://s04.megalodon.jp/2009-0516-1832-04/www1.u-netsurf.ne.jp/~asakyu/no5.html

特集「在日朝鮮人」 歴史編
http://s03.megalodon.jp/2009-0211-2345-04/blog.livedoor.jp/toyosisou/archives/20137066.html
特集「在日朝鮮人」なぜ日本へ来たのか・日本で待ち受けていたものとは
http://s01.megalodon.jp/2009-0211-2348-03/blog.livedoor.jp/toyosisou/archives/20312029.html
特集「在日朝鮮人」 「強制連行」をどう捉えるか
http://s02.megalodon.jp/2009-0211-2348-45/blog.livedoor.jp/toyosisou/archives/20779495.html
特集「在日朝鮮人」 戦後の在日 ?戦後混乱期
http://s02.megalodon.jp/2009-0211-2349-56/blog.livedoor.jp/toyosisou/archives/20983919.html
特集「在日朝鮮人」戦後編?在日朝鮮人団体とイデオロギーの対立
http://s03.megalodon.jp/2009-0211-2352-13/blog.livedoor.jp/toyosisou/archives/21670120.html
特集「在日朝鮮人」 在日朝鮮人の国籍?在日朝鮮人がなぜ外国人となったのか
http://s01.megalodon.jp/2009-0211-2354-12/blog.livedoor.jp/toyosisou/archives/23957751.html
特集「在日朝鮮人」在日朝鮮人の国籍?母国の対応
http://s02.megalodon.jp/2009-0211-2355-24/blog.livedoor.jp/toyosisou/archives/24349854.html

在日韓国、朝鮮人問題への提言1
http://blog.livedoor.jp/lancer1/archives/28666610.html
在日韓国、朝鮮人問題への提言2
http://blog.livedoor.jp/lancer1/archives/28672281.html

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日韓併合の前後
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-317.html
日韓併合
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日韓併合_関連資料
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慰安婦_資料
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強制連行_資料
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日本が土地調査を進めて農民たちから農地を取り上げたというのは事実誤認
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「日帝が朝鮮の米を収奪した」???
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日韓併合時代の新聞記事
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韓国関連資料
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日本から見た歴史認識
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中国人の「強制連行」、「強制労働」について
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2009/12/04 09:00|年表リンク用資料
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