正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

ホーム 全記事一覧 << 強制連行_資料 大東亜会議 ~ 独立志士たちの宴 >>
「従軍慰安婦」問題(上)
Japan On the Globe(106) 国際派日本人養成講座 H11.09.25
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html

■1.米軍がレポートする慰安婦の実態■

米軍情報部は、北ビルマのミチナ慰安所で収容された慰安婦からの
聞き取りをもとに、以下のような報告書を残している。

女性たちはブローカー(および経営主)が、
300~1000円の前借金を親に払って、
その債務を慰安所での収入で返還している。
経営者との収入配分比率は40~60%、
女性たちの稼ぎは月に1000~2000円、兵士の月給は15日~25円。

慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋に宿泊して、
・・・・寝起きし、業を営んだ・・・・彼女たちの暮らしぶりは、
ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。

慰安婦は接客を断る権利を認められていた・・・・
負債の弁済を終えた何人かの慰安婦は朝鮮に帰ることを許された

また、ビルマのラングーンで慰安婦をしていた文玉珠さんの手記では、
その生活ぶりを次のように語っており、米軍のレポートを裏付けている。

支那マーケットにいって買物した。
ワ二皮のハンドバッグと靴をわたしのために買った。
母のためにもなにか買った。

将校さんたちに連れられてジープに乗って、ぺグーの涅槃像をみに行った
・・・・ヤマダイチロウ(日本兵の恋人)と大邱の母の無事を祈って帰ってきた。

ちなみに文玉珠さんは、平成4年に日本の郵便局を訪れ、
2万6145円の貯金返還の訴訟を起こして敗れている。
千円もあれば故郷の大邱に小さな家が一軒買えると体験記で述べているが、
現在の貨幣価値なら、4~5千万円程度の金額を、
3年足らずで貯めたことになる。

「従軍慰安婦」というと、
海外では"military sexual slavery(軍用性奴隷)"などと
呼ばれるように、日本軍によって郷里から強制連行され、
戦地では何の自由もなく、もちろん無給で、ひたすら兵士にもてあそばれた、
というイメージが定着している。
しかし、この米軍の報告書では、まったく違う実態が報告されている。
一体、どちらが真実に近いのか?

■2.慰安婦問題の経緯■

まず慰安婦問題の経緯を時系列的に見渡しておこう。

1) 昭和58(1983)年、吉田清治が、
著書「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」の中で、
昭和18年に軍の命令で「挺身隊」として、
韓国斉州島で女性を「強制連行」して慰安婦にしたという「体験」を発表。
朝日新聞は、これを平成3('91)年から翌年にかけ、4回にわたり、報道。

2) 同3年8月11日、朝日新聞は、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、
売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」の一人が名乗り出た、と報道。

3) 同4年1月11日、朝日新聞は、一面トップで
「慰安所、軍 関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」
と報道。
この直後の16日から訪韓した宮沢首相は首脳会談 で
8回も謝罪を繰り返し、「真相究明」を約束。

4) 同5年8月4日、河野官房長官談話、政府調査の結果、
「甘言、弾圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が
数多くあり、更に、官憲等が直接に荷担したこともあっ た」と発表。

この河野談話によって日本政府は、慰安婦が軍によって
強制徴集されたことを公式に認めてしまったことになる。
これを契機として、中学高校のほとんどの歴史教科書に、
「従軍慰安婦」が記述されることになっていった。

今日では、各方面の調査が進み、以上の報道、発表が
どれだけの事実に基づいていたのかが明らかになってきた。
以下、この4点を検証する。

■3.吉田清治の慰安婦狩り■

まず1)、吉田清治の「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」では、
韓国斉州島での、慰安婦強制連行を次のように、描写している。

若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。
娘がおびえてそばの年取った女にしがみつくと、
山田は・・・・台をまわって行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・
女工たちはいっせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。
隊員たちは若い娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、
背中や尻を打ちすえていた。・・・・
女工の中から慰安婦に徴用した娘は16人であった。

当時は、戦地での強姦事件を防ぐために、公娼業者に戦地で開業させていた。
戦地であるから、業者の指名、戦地への移動、営業状態の監督などは、
軍の関与が当然あった。
これらは当時、合法であった公娼制度の戦地への延長で、特に問題はない。

「従軍慰安婦」問題とは、本人の意思に反した
「強制連行を、軍が組織的に行ったか、どうか」の問題なのである。
したがって、吉田の言うような強制連行が事実であったら、
これは日本の国家的犯罪となる。

■4.日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物■

吉田の記述は済州島の城山浦にある貝ボタン工場という設定だが、
この記事に疑問をもった済州新聞の許栄善記者が現地で調査し、
以下のような記事を書いている。

島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、
この著述の信想性に対して強く疑問を投げかけている。
城山浦の住民のチョン・オクタン(85歳の女性)は
「250余の家しかないこの村で、15人も徴用したとすれば
大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と語った。

郷土史家の金奉玉は「1983年に日本語版が出てから、
何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。
この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」
と憤慨している。

現地調査を行った秦郁彦日大教授は、許栄善女史から、
「何が目的でこんな作り話を書くのでしょうか」と聞かれ、
答えに窮したという。

この吉田清治を、朝日新聞は、宮沢首相の訪韓前後1年の間に、
4回も紙面に登場させたのだが、秦教授の調査の後は、
ぷっつりと起用をやめた。
今日では、慰安婦問題の中心的糾弾者である吉見義明中央大教授すら、
吉田清治の著作は採用しなくなっている。

■5.名乗り出た慰安婦■

次に2)の自ら名乗り出た慰安婦について。
平成3年8月11日付け朝日新聞は、
社会面トップで「思い出すと今も涙」
「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで、
「日中戦争や第二次大戦の際、女子挺身隊の戦場に連行され、
日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、
一人が」名乗り出たと報じた。

しかし、この女性、金学順さんは、「女子挺身隊」として連行など
されていない事を、8月14日の記者会見で自ら語っている。
ある韓国紙はそれを次のように報じた。

生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキーセン検番
(日本でいう置屋)に売られていった。
三年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、
検番の義父に連れていかれた所が、
華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった」
「ハンギョレ新聞」'91年8月15日付

当時、内地でもよくあった気の毒な「身売り」の話なのである。
国家による組織的な強制連行とは関係ない。

そもそも「女子挺身隊」とは、昭和18年9月に閣議決定されたもので、
金学順さんが17歳であった昭和14年には存在していない制度である。
さらに「女子挺身隊」とは、販売店員、改札係、車掌、理髪師など、
17職種の男子就業を禁止し、25歳未満の女子を動員したものであり、
慰安婦とは何の関係もない。

さらに「従軍慰安婦」という言葉自体が、当時は存在しなかった。
従軍看護婦は、軍属(軍隊の一部)であり、従軍記者、従軍僧は、
法令により定められた身分で指定された部隊につく。
慰安婦は公娼業者が雇ったもので、
それはたとえば、県庁の食堂に給食業者を入れていた場合、
その業者の被雇用者は、県の職員ではなく、
身分も契約も県とは関係ないのと同じ事だ。
「従軍慰安婦」とは、従軍看護婦などとの連想で、
あたかも部隊の一部であると読者に思い込ませるための造語である。

金学順さんは、その後、日本国を相手とした訴訟の原告の一人となるが、
それを支援しているのが太平洋戦争犠牲者遺族会であり、
この記事を書いた朝日の槙村記者は、会の常任理事の娘と結婚している。
当然、韓国語も達者であり、金学順さんの話した内容は
よく知っていたはずである。

金学順さんが「売られた」という事実を隠し、
「女子挺身隊として連行された」というこの記事は槙村記者による、
意図的な捏造記事である。その後の訂正記事も出していない。

■6.強制連行された慰安婦はいたか?■

韓国で慰安婦問題の取組みの中心となっている「挺身隊問題対策協議会」は、
元慰安婦として登録された55名のうち、
連絡可能な40余名に聞き取りをした。
論理的に話が合うか、など、検証をしつつ、
その中から信頼度の高い19人を選んで、証言集を出版した。

今まで何らかの機会に、強制連行されたと主張しているのは、9人だが、
信憑性があるとしてこの証言集に含められたのは、4人のみ。
さらにそのうちの二人は富山、釜山と戦地ではない所で
慰安婦にされたと主張していて、「従軍慰安婦」ではあり得ない。
残る二人が、金学順さんと、
冒頭の4~5千万円相当の貯金をしたという文玉珠さんなのだが、
この証言集では、強制連行されたとは述べていない。

結局、韓国側調査で信憑性があるとされた証言のうち、
従軍慰安婦として強制連行されたと認められたものは、ひとつもない、
というのが実態である。

■7.軍の関与とは■

次に宮沢首相の訪韓直前に発表され、公式謝罪に追い込んだ3)の
「慰安所、軍関与示す資料」の朝日新聞記事はどうか。

発見された文書とは昭和13年に陸軍省により、
「軍慰安所従業婦等募集に関する件」であり、その中では、

民間業者が慰安婦を募集する際、
①軍部諒解の名儀を悪用、
②従軍記者、慰問者らを介した不統制な募集、
③誘拐に類する方法を使って警察に取調べられるなどの問題が
多発しているので、業者の選定をしっかりし、
地方憲兵警察と連繋を密にせよ

と命じている。
すなわち「関与」とは、民間の悪徳業者による「強制連行」を、
軍が警察と協カしてやめさせようとした事なのである。

この内容を「慰安所、軍関与示す資料」、
「部隊に設置指示募集含め統制・監督」とタイトルをつけて、
一面トップで報道し、さらに次のような解説を載せた。

従軍慰安婦。1930年代、中国で日本軍兵士による強姦事件が多発したため、
反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を設けた。
元軍人や軍医などの証言によると、
開設当初から約八割は朝鮮人女性だったといわれる。
太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。
その人数は八万とも二十万ともいわれる。

これらをあわせ読めば、ほとんどの読者は、
「日本軍が組織的に強制連行に関与した」と思い込むであろう。
まことに巧妙なひっかけ記事である。

この記事が、狙い済ましたように、
宮沢首相訪韓のわずか5日前に発表されたことから、絶大な効果を発揮した。
ソウル市内では抗議・糾弾のデモ、集会が相次ぎ、日の丸が焼かれる中で、
宮沢首相は事実を確認する余裕もなく、
8回も盧泰愚大統領に謝罪を繰り返した。

―――――――――――――――――

「従軍慰安婦」問題(下)
Japan On the Globe(107) 国際派日本人養成講座 H11.10.02
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog107.html

■1.強制を示す文書はなかった■

宮沢首相は、盧泰愚大統領に調査を約束し、
その結果が、4)(前号)、
翌平成5年8月4日の河野官房長官談話となった。
政府調査の結果、「甘言、弾圧による等、本人たちの意思に反して
集められた事例が数多くあり、
更に、官憲等が直接に荷担したこともあった」と発表され、
慰安婦強制連行があったことは、政府の公式見解となった。

この発表のために、政府はおおがかりな文書調査と、
元慰安婦への聞き込みを行った。
前号冒頭に紹介した米軍の報告書も、この文書調査で発見されたものだ。
それでは、いかなる事実によって「官憲等が直接に荷担した」と
結論づけたのか?

この調査を実施した平林博・外政審議室室長は、平成9年1月30日、
参議院予算委員会で、片山虎之助議員(自民党)の質問に対し、
次のような答弁をしている。

政府といたしましては、二度にわたりまして調査をいたしました。
一部資料、一部証言ということでございますが、
先生の今御指摘の強制性の問題でございますが、
政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を
直接示すような記述は見出せませんでした。

ただ、総合的に判断した結果、一定の強制性があるということで
先ほど御指摘のような官房長官の談話の表現になったと、
そういうことでございます。

■2.総合的に判断した結果■

資料はなかったが、「総合的に判断した結果」、強制性があったという。
この判断の過程について、当時、内閣官房副長官だった石原信雄氏は、
次のように明らかにしている。

強制連行の証拠は見あたらなかった。
元慰安婦を強制的に連れてきたという人の証言を得ようと探したが
それもどうしてもなかった。
結局談話発表の直前にソウルで行った
元慰安婦16名の証言が決め手になった。
彼女達の名誉のために、これを是非とも認めて欲しいという
韓国側の強い要請に応えて、納得できる証拠、
証言はなかったが強制性を認めた。

もしもこれが日本政府による国家賠償の前提としての話だったら、
通常の裁判同様、厳密な事実関係の調査に基づいた証拠を求める。
これは両国関係に配慮して善意で認めたものである。
元慰安婦の証言だけで強制性を認めるという結論にもっていったことへの
議論のあることは知っているし批判は覚悟している。
決断したのだから弁解はしない
(櫻井よしこ「密約外交の代償」「文塾春秋」平成9年4月)

元慰安婦からの聞き取り調査は、非公開、
かつ裏付けもとられていないと明かされいるが、
そうした調査の結果、「韓国側の強い要請」のもとで
「納得できる証拠、証言はなかったが強制性を認めた」ものなのである。

聞き取りが終わったのが7月30日。
そのわずか5日後の8月4日、河野談話が発表された。
同日、宮沢政権は総辞職をした。
まさに「飛ぶ鳥跡を濁して」の結論であった。

■3.日本の言論機関が、反日感情を焚きつけた■

「強い要請」を行ったという韓国政府の態度について、
石原氏は国会議員との会合で次のように語っている。

もう少し補足しますと、この問題の初期の段階では私は韓国政府が
これをあおるということはなかったと。
むしろこの問題をあまり問題にしたくないような雰囲気を
感じたんですけれども、日本側のいま申した人物が
とにかくこの問題を掘り起こして大きくするという行動を
現地へいってやりまして、
そしてこれに呼応する形で国会で質問を行うと。
連携プレーのようなことがあって、
韓国政府としてもそう言われちゃうと放っておけないという、
そういう状況があったことは事実です。

この「いま申した人物」について、
石原氏は「ある日本の弁護士さん」として、名前は明かしていない。

慰安婦問題は、日本の一部の人間が焚きつけた、という認識は、
韓国側の盧泰愚大統領の次の発言にも、見られる。

日本の言論機関の方がこの問題を提起し、
我が国の国民の反日感情を焚きつけ、国民を憤激させてしまいました。
(文芸春秋、H5.3 )

■4.インドネシアに現れた日本人弁護士たち■

日韓関係と同様、インドネシアとの間でも、慰安婦問題が焚きつけられた。
平成5年に高木健一氏(金学順さんらの日本政府に対する訴訟の主任)ら、
日本の弁護士3人がインドネシアにやってきて、地元紙に
「補償のために日本からやってきた。元慰安婦は名乗り出て欲しい」
という内容の広告を出した。

兵補協会のラハルジョ会長は、
「補償要求のやり方は、東京の高木健一弁護士の指示を受け」、
慰安婦登録を始めた。
会長は取材した中嶋慎三郎ASEANセンター代表に対して、
「慰安婦に200万円払え」と怒号したというから、
名乗りでれば、200万円もらえると宣伝している模様であった、と言う。

インドネシアでの200万円とは、日本なら2億円にも相当する金額なので、
大騒ぎとなり、2万2千人もが元慰安婦として名乗りをあげた。
ちなみに、当時ジャワにいた日本兵は2万余である。

この様子を報道した中京テレビ製作のドキュメンタリー
「IANFU(慰安婦)インドネシアの場合には」に、
英字紙「インドネシア・タイムス」のジャマル・アリ会長は
次のように語った。

ばかばかしい。針小棒大である。
一人の兵隊に一人の慰安婦がいたというのか。
どうしてインドネシアのよいところを映さない。
こんな番組、両国の友好に何の役にも立たない。
我々には、日本罵倒体質の韓国や中国と違って歴史とプライドがある。
「お金をくれ」などとは、360年間、
わが国を支配したオランダにだって要求しない。

■5.慰安婦番組での仕掛け■

ちなみに、この番組では、元慰安婦のインタビュー場面が出てくるが、
ここでも悪質な仕掛けがあった。
元慰安婦が語る場面で、日本語の字幕で

戦争が終わると日本人は誰もいなくなっていたんです。
私たちは無一文で置き去りにされたんです。

と出ているのだが、実際には、インドネシア語で、

あの朝鮮人は誰だったろう。全員がいなくなってしまったんです。
私たちは無一文で置き去りにされたんです。

と話していたのであった。慰安所の経営者は朝鮮人であり、
戦争が終わると、慰安婦たちを見捨てて、姿をくらましたのである。

■6.あなた方日本人の手で何とかしてください■

この番組の予告が、日本共産党の機関紙「赤旗」に出ていたことから、
インドネシア政府は、慰安婦問題の動きが、共産党により、
両国の友好関係を破壊する目的で行われていると判断したようだ。

スエノ社会大臣が、すぐにマスコミ関係者を集め、
次の見解を明らかにした。

1) インドネシア政府は、この問題で補償を要求したことはない。
2) しかし日本政府(村山首相)が元慰安婦にお詫びをして
お金を払いたいというので、いただくが、元慰安婦個人には渡さず、
女性の福祉や保健事業のために使う。
3) 日本との補償問題は、1958年の協定により、完結している。

インドネシア政府の毅然たる姿勢で、高木弁護士らのたくらみは頓挫した。
この声明の後で、取材した中嶋氏は、数名のインドネシア閣僚から、
次のように言われたという。

今回の事件の発端は日本側だ。悪質きわまりない。
だが、我々は日本人を取り締まることはできない。
インドネシアの恥部ばかり報じてインドネシア民族の名誉を傷つけ、
両国の友好関係を損なうような日本人グループがいることが明白になった。
あなた方日本人の手で何とかしてください。

■7.国内で急速に冷める関心■

地道に調査を進める人々の努力により、
奴隷狩りのような強制連行の事実はないことが明らかになると、
さすがに慰安婦問題を糾弾する人々の間でも、
強制性の定義を修正せざるを得なくなってきた。
たとえば、糾弾派の中心人物である吉見義明・中央大学教授は、
岩波新書の「従軍慰安婦」で、次のように述べている。

その女性の前に労働者、専門職、自営業など自由な職業選択の道が
開かれているとすれば、慰安婦となる道を選ぶ女性がいるはずはない・・・
たとえ本人が、自由意思でその道を選んだように見えるときでも、
実は、植民地支配、貧困、失業など何らかの強制の結果なのだ。

「強制性」をここまで広義に解釈すれば、現代の風俗関係の女性たちも、
貧困や失業など何らかの「強制の結果」であり、
国家が謝罪と補償をすべきだ、ということになってしまう。
さすがにこのような暴論では、常識ある国民の理解を得られるはずもなく、
国内の慰安婦問題に関する関心は急速に冷めていった。

■8.国連での攻防■

しかし国際社会では、事実の伝わりにくさを利用して、
慰安婦問題をスキャンダルに仕立てようとするアプローチが
今も展開されている。
その最初は宮沢首相の訪韓直後の平成4年2月17日、
日本弁護士連合会の戸塚悦郎弁護士が、国連人権委員会で、
慰安婦を人道上の罪と位置づけ、国連の介入を求める発言をした事である。

平成8年3月にジュネーブで開かれた国連の人権委員会に
提出されたクマラスワミ女史の報告書は、
家庭内暴力を主テーマにしているのに、
その付属文書に「戦時の軍用性奴隷制問題に関する報告書」と題して、
半世紀以上前の日本の慰安婦問題を取り上げている。

戸塚弁護士は、この時にもジュネーブで本岡昭次参議院議員
(社会党→民主党)とともに、デモやロビー活動を行っている。

報告書は、やはり吉田清治の本や、慰安婦たちの証言を取り上げている。
その中で、北朝鮮在住の元慰安婦の証言として、

仲間の1人が1日40人もサービスするのはきついと苦情を言うと、
ヤマモト中隊長は拷問したのち首を切り落とし、
「肉を茹でて、食べさせろ」と命じた。

などという話が紹介されている。
この元慰安婦は、1920年に生まれ、
13歳の時に1人の日本兵に拉致されたという拉致されたというのだが、
1933年の朝鮮は平時であり、遊郭はあったが、軍専用の慰安所はなかった。
その程度の事実確認もされていない証言が、4例紹介され、
その上で日本政府に対し、被害者への補償、
犯罪者の追及と処罰を勧告している。

日本のジュネーブ外務省はこの文書に関する40頁の反論を作成し、
根回し工作をしたもようだ。
西側諸国代表の間では、クマラスワミ報告書の欠陥が理解されたが、
韓国、北朝鮮、中国、フィリピンなどの関係国は立場上、強く反発した。

このような攻防の結果、人権委員会では家庭内暴力に関する本文は
「賞賛する」という最高の評価を得た一方、慰安婦に関する部分は、
take note(留意する)という最低の評価であった。

■9.情報戦争から、いかに国益と国際友好関係を守るか■

平成10年8月、今度は、ゲイ・マクドゥーガル女史が、
旧ユーゴスラビアなど戦時下における対女性暴力問題を
調査した報告書を作成したが、
その付属文書で、またも慰安婦問題を取り上げ、
「レイプ・センターの責任者、利用者の逮捕」と
「元慰安婦への法的賠償を履行する機関の設置」を日本政府に勧告した。

慰安所は「レイプ・センター(強姦所)」と改称されている。
しかし、これは人権小委員会の勧告としては採択されず、
日本政府はマ女史の個人報告書に過ぎない、としている。

本年8月には、米カリフォルニア州上下院が第二次大戦中に
日本軍が行ったとされる戦争犯罪について、
「日本政府はより明確に謝罪し、犠牲者に対する賠償を行うべきだ」と
する決議を採択した。
この「戦争犯罪」には、捕虜の強制労働、「南京虐殺」とならんで、
「従軍慰安婦の強要」が含まれている。

カリフォルニア州議会の決議には、アイリス・チャンの
「レイプ・オブ・ナンキン」の影響が指摘されている。
チャンの本については、本講座60号で紹介したように、
中国政府の資金援助を受けたシナ系米人の団体が支援している。

★ JOG(60) 南京事件の影に潜む中国の外交戦術
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog060.html

南京事件と慰安婦問題は基本的に同じ構造をしている。
チャンの本は、日米関係に対する楔であり、
慰安婦は日韓友好への楔として仕掛けられた。
これらの問題について、米国や韓国の対応を非難することは、
友好関係を破壊しようとする狙いに乗ることになる。

国家の安全を脅かすものは、
テポドンや工作船のようなハードの武力だけではない。
一国の国際的地位を貶め、友好国との関係に楔を打ち込むような情報戦争が、
外国と国内勢力の結託により次々と仕掛けられている。
こうした攻撃から、いかにわが国の国益と国際友好関係を守るか、
ソフト面の自衛体制が不可欠となっている。

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

平成25年(2013年)3月8日、衆議院 中山成彬先生の質問
http://www.youtube.com/watch?v=MTzLZxPtvbQ






〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

慰安婦_資料
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-147.html
2009/12/02 09:00|年表リンク用資料
Copyright(C) 2006 正統史観年表 All Rights Reserved.
Powered by FC2ブログ. template designed by 遥かなるわらしべ長者への挑戦.