正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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731部隊

以下は、ブログ『Revealation & Liberation』のnao**_jpさんの御意見。
http://blogs.yahoo.co.jp/nao_a_jp

40年位前、昭和40年代前半に、
給水防疫部隊の件かどうかは判らないけれど

「人体実験をしていたと疑われて、していないと言っても信じてもらえず、
書類が在るだろうから出せと言われて、無いと言っても
全然信じなかったので、仕方なく書類が在る振りをしようという事になって、
見せ掛けをやっている。
それによって、日本に利用価値が在ると思われれば、
日本の延命が図れるのではないだろうかと思って。」

と聞いた事があります。

731の事にしては都合が良すぎる気もしますが、嘘を言っている様子でもなく、
子供相手にでも真摯な態度でしたので、
何処かで誰かにお伝えせねばという事で、ここで少し。
おそらく、
子供に言っておけば後の時代に伝わるかもと思われたのでしょうか。

また、
「亡くなった人を火葬していたら、中国人が大騒ぎしていた」

「薬が無くて麻酔なしで手術をしたり、
薬が少ししか無くて効かなくてもそのまま手術するしかなかったりした」

「その際に、麻酔代わりに殴って気絶させたり、台に縛ったりして、
手術中に動いて危険にならないようにしていた。
中にはつわものが居て、
麻酔なしでそのままじっと大人しく耐えていた人も居た。」

などとも他の方達から何度か伺いました。

手術を知らない人から見れば、

「薬が足りない状態で、切開して、内臓の破損箇所に対して
止血・切除等の作業等をしていた」



「生きたまま腹を切り裂いて、内臓を取り出していた」



「手術中に亡くなる方が居た」



「生きたまま体を切り、殺した」



「術後の経過が悪くて亡くなった」



「実験して、殺した」



「感染や損傷等で切断するしか方法が無く、仕方なく体の一部を切断した」



「生きたまま体を切断していた」



「伝染病で隔離し、家族との面会も規制、治療の甲斐なく亡くなった」



「強制連行して閉じ込めて、会わせて貰えない間に亡くなった」

といった、認識違いによる訴えのような気がするのです。
言葉が通じなければ、安全確保の為の行為でも、
見方によっては判らないままの強制行為にも見えてしまいます。
日本人の基本的なキャラクターからしてみれば、
やったとも思えないのです。

―――――――――――――――――

以下、nao**_jpさんのブログ記事
『「731防疫給水部隊」~石井中将の素顔~など』より。
http://blogs.yahoo.co.jp/nao_a_jp/7927763.html

そもそもの始まりは、石井四郎の
「これからの戦争は、細菌戦や化学戦にも備えなければならない」
との発想から。

第一次大戦でドイツ軍が史上初の毒ガス兵器使用。
1925年ジュネーブ会議で毒ガス及び細菌兵器禁止を協議。
世界中でより効果的攻撃法が模索されてたから。
会議から3年後、石井は陸軍から欧米に派遣され、
3年間、各国の研究所を飛び回り知識を得た。

彼は「防疫給水研究所」設立を計画し、
当時の大蔵大臣高橋是清の所へコレラ菌入フラスコを持参し、
金を出さなかったらこれをばら撒くぞと、
ばら撒かれた時に起きる状況を脅しに使い、
まんまと設立費用をせしめ、
無事「防疫給水研究所」を設立した。

石井はドイツ式給水機を研究し改良を重ね、
オシッコも濾せる「石井式濾過機」の開発に成功。
早速、御披露目を遣り、御臨席の昭和天皇に、
オシッコを濾過して御勧めした。
昭和天皇は申し出を丁重に御遠慮され、
それではと、石井はそれを嬉しそうに飲んで見せた
とのエピソードが残っている。

研究所の戦術研究の結果は、
「細菌化学戦は実践には向かない」との結論に達しているそうだ。

<↓勉強不足で、ここから少し↓?>
研究所に極寒の地を選んだのは、細菌の過剰発育予防の為。
予防薬を作る為の実験動物も居て、
現実に予防注射で助かった人が居る。

研究では、これで安全だろうとの時点で適応する
タイミングがあり、いずれは最初の「実験体」が出る。
つまり、最初にその投薬を受ける人。初期段階の試験的試み。
現在でも新薬開発時に、
その事を告げて患者さんに提供してる。

伝染病患者隔離病棟や治療施設も在ったと思われる。
でないと、何の為に予防策研究しているか解らない。
伝染病患者を家族から引き離して隔離し、
そのまま治療の甲斐なく亡くなると、
強引に連れ去られ監禁され死亡したとの事になったかも。
支那ではよくある事だし。
生体解剖(手術)自体、知らない人が居たかも。

世界一般では、謀略が無いとの認識の方が、
現実認識不足との事になる。
蒋介石は中上(ちゅうじょう)で、
石井中将と情報が交錯している可能性も在る。
<↑ここ迄の<>の範囲は未確証↑>

大日本帝国軍の補助隊だった、
食糧班修理班医療班防疫給水部隊等は、殆ど武器を所持せず、
武器は出来る限り軍隊に回していた。
殆ど無防備な為「マルタンボ(丸太の棒)」に近く、
『丸腰部隊』とも呼ばれたとの話もある。

戦時中、支那大陸に行った人は、
「火葬してたら、支那人達が集まって来て大騒ぎしてた」
と言っていた。火葬の習慣が無く珍しかったようだ。

薬品不足からの無麻酔手術時に動くと危険だから、
殴って気絶、紐でベッドに縛り付けて手術した事も。
気丈な人は、そのままで激痛に耐えて居たとか。

戦争末期、ソ連が不可侵条約を破り侵攻。
防疫給水部隊は、急いで実験動物細菌等全部殺傷焼却処分し、
その場から逃げた。武器を持ってないので。
逃げ損ねてソ連軍や支那軍に捕まった人も居た。

1958年防疫給水部隊少年隊の同窓会に招かれた石井は、
「…諸君は731部隊であったために、終戦後引揚げた後、
色々な苦労があったであろう。しかし今は、むしろ反対に
国家を救う研究機関731部隊に勤務していた事に誇りを持って貰いたい。
私はいずれ時期がきたら、この事を世界に発表するつもりである。…」
と相変らず自信に満ち溢れて演説。
その1年後、石井は癌により病院で息を引き取った。享年 67歳。

中華で731の映画を製作。
中華の犯罪者認定された人を惨殺処刑したシーン入りだ。
日本から、その点に関して中華に抗議しても、
その事実は認めたが、訂正広告等は遣っていない。
知らないで見ると、日本人が虐殺したように見える。

昭和時代の通りすがりのおじさんの話。(現実)
「人体実験を遣っていないのに、全然信じて貰えず、
書類が在るだろうと言われて、無いと言っても信じて貰えず、
仕方なく、書類が在る振りをして時間稼ぎをして、
延命作業を遣った」と。あれは、もしかして…?

李朝の拷問は半端じゃなく、
合併当時、朝鮮の監獄を見た日本は驚いて、
急いで拷問禁止令を出し、拷問をやめさせた。
それでも日本人看守が居なくなると
拘留者を虐待してた朝鮮人看守が居た。
彼等がそんな事を遣らなかった事を祈る。

731部隊の資料とされているものの有名所では
「馬にしかない筋肉」「名簿の日本人名の人達」等がある。

中華731資料館に行った方が、近所で待ち構えてた中華人に
「真空実験を遣ってた」と聞かされたそうだ。
二宮金次郎も寺の鐘も鍋も釜も鋤も鍬も出兵したのに、
戦後すぐに宇宙に行けそうだ。
真空実験等は森村誠一の小説で知られるが、
現在では空想小説とされている。

資料館では、中華特製の釉薬が掛かった「細菌爆弾」を展示。
大日本帝国人引揚後、
中華が実戦で使った上質の立派な実物だ。

そんな所。
結構、中■731とかソ■731かもしれないけど、
今の所、推測の範囲。真実解明されるかな?

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731部隊

石川太刀雄丸氏が731部隊で生体解剖を行ない、
その標本を故郷の金沢に持ち帰って保管していたといわれ、
戦後、アメリカが石川氏の標本類を没収し、
石川氏に説明のための英訳レポートを書かせて、
それを本国の基地に輸送しました。

その英訳レポートのうち、ペストに関するものをQ報告といいますが、
下記はその内容の一部です。

Q報告「解剖例概要」 Brief out-line of all investigated cases(一部)

Name years  sex day of course
◆氏名…年齢…性別…発病期間◆氏名…年齢…性別…発病期間
◆KF…8……♀………8……◆HC…55…♂………18
◆TT…8……♀………5……◆TF…27…♂………3
◆SK…25…♂………5……◆TN…37…♂………4
◆MM…23…♂………5……◆US…18…♂………?
◆MY…21…♂………3……◆YT…58…♀………12
◆FT…12…♀………6……◆MT…3……♀………21
◆TL…10…♂………3……◆HK…31…♂………7
◆GS…56…♂………6……◆FS…44…♂………2
◆KK…45…♀………?……◆YO…33…♂………7

【出典】The Report of "Q",p.5.
『戦争と疫病 七三一部隊のもたらしたもの』松村高夫ほか(本の友社)P144

上記は年齢性別は表記されていますが名前がイニシャルなので
生体解剖した患者が誰なのかは判りません。

しかし下記のように、1940年、新京でのペスト流行の際の死亡者の
病理解剖標本のペスト患者表と比較すると、
生体解剖した患者を特定できます。

Q報告「解剖例概要」(Q報)と「1940年 新京市ペスト患者表」(ぺ表)対照表

氏名頭文字……………………………年齢………性別…………発病日数(期間)
……………………………………Q報…ぺ表…Q報…ペ表……Q報…ぺ表
KF:Kimika Fujita(藤田君香)……8……8……♀……女………8……9/25~10/2
SK:Syusin Kan(韓秀臣)……………25…25……♂……男………5……9/28~10/2
MM:Masaji Matubara(松原正次)…23…23……♂……男………5……9/30~10/4
MY:Masamitu Yano(矢野正光)……21…21……♂……男………3……10/2~10/4
TL:Tokukin Li(李徳金)……………10…10……♂…男………3……10/6~10/8
GS:Genzan Sou(宋言山)……………56…56……♂…男………6……10/5~10/10
HC:Hougyoku Chin(陳宝玉)………55…55……♂……男……18……9/24~10/11
FS:Fukulin So(宋福林)……………44…44……♂…男………2……10/21~10/22
FT:Fumiko Tokumoto(徳本富美子)…12…12…♀……女………6……10/1~10/7
TF:Tutomu Fukura(福良勉)………27……27…♂……男………3…10/10~10/11
YT:Yosi Tuchiya(土屋ヨシ)………58…58……♀……女……12…10/12~10/17
MT:Masako Takamatu(高松マサ子)…3…3……♀……女………21…10/2~10/21

【出典】
『戦争と疫病 七三一部隊のもたらしたもの』松村高夫ほか P145 本の友社

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731部隊は日本人も生態解剖していたというのでしょうか?

ハバロフスク裁判で審理されましたが、
ソ連に抑留・拘禁されていた捕虜?の証言は、
「人を凍結して復活させる実験とか、心臓を交換する実験」
など疑問な内容です。

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下記の資料について。

『破傷風毒素並びに芽胞接種時に於ける筋「クロナキシー」に就て』
指導:永山中佐、陸軍軍医少佐 池田苗夫、陸軍技師 荒木三郎

第一章 緒論

「クロナキシー」法は?

脊髄又は抹消神経疾患の種類、程度、経過
及び予後に関し往来慣用せらるる神経診断法に比し
遥に精細適確なる断定を与ふるものなるは
既に多数研究者(永井、宮本、小澤)により発表せられたるところなり。

而して此の診断法に於ては筋肉に於ける所謂正常「クロナキシー」を
標準として診断するものなるが故に正常値の吟味は極めて緊要なり。

余等は破傷風「毒素」「萌芽」を被検体足背部に接種せる場合に
発症時に於ける従属筋「クロナキシー」を測定し被検体の可検筋肉の
毒素、芽胞接種、予防接種実施の場合等に於ける値の変化を比較せり。

第二章 実験材料及び実験方法

実験材料は

毒素 一〇〇〇MLD  三例(二七五・六六五・九九〇)
最接種(予防接種実施)一例(一〇二六)
毒素  一〇〇MLD  四例(五一七・三四〇・六九一・九七〇)
毒素   一〇MLD  二例(九七三・五九五)   (以下略)
芽胞   三.〇cc 一例(九九一)  五.〇cc 一例(九八五)

対照  毒素  一〇〇〇MLD  一〇〇MLD  一例
対照  芽胞  三.〇cc  一例

以上毒素九例、芽胞二例、対照毒素一例、対照芽胞一例に就き
咬筋、鼻筋、眼輪筋、胸鎖乳頭筋、潤背筋、肋間筋、前脛骨筋、腓腸筋等
につきそれぞれ「レオバーゼ」(γ)並「クロナキシー」(δ)を測定し
大体接種後三乃至十日後に至る発症直前より発症後に症状増悪するに従ひ
筋「クロナキシー」を測定し以上各従属筋「クロナキシー」の刺激伝導の
変化率により神経機能の昂進か減退か従つて該神経支配下にある
筋肉機能の昂進が上行性なるや下行性なるやを探求せんと試 みたり
(以下略)

―――引用おわり―――――

「731人体実験あった派」の資料によれば、
いわゆるマルタの番号は1001番から始まっています。

クロナキシーの実験は第二章にあるように、
一〇二六番のみが1001以上の番号になっています。

しかも、この一〇二六番は『予防接種実施』と書いてありますので、
人間はチクッとするくらいだったでしょう。

あと、1001以下の番号は、おそらく「馬」です。
馬も人間同様に破傷風に罹ります。

さらに決定打は、第二章に「潤背筋」と書いてありますが、
こんな名称の筋肉は人間にはありませんが「馬」にはあります。

破傷風を予防する破傷風トキソイドワクチンは、
北里柴三郎とべーリングが1890年に破傷風の血清治療を確立して生まれ、
第一次世界大戦で既に劇的な効果を上げていました。

筋肉の収縮を惹起する最短の刺激持続時間(パルス幅)を
クロナキシー値と呼びます。
筋及び神経の興奮能力を検査する為に、このクロナキシー値を調べます。

ですから、これは厳密には『破傷風の実験』ではなくて、
『クロナキシー値と病状の関係を調べる為の実験』です。

実験で破傷風を用いているのは、
単にワクチンが既にあり、簡単に感染させられる病気だったからでしょう。
当時、既に破傷風はワクチンがあれば恐れなくても良い病気でした。

マルタの数はハバロフスク裁判で出た「5年間で3千人」が定着していますが、
多くても7~800が妥当な数字です。

実験や解剖の能力は、せいぜい週に2名程度が限度であり、
マルタの番号が1001から始まっていたことによる勘違いだと思われます。

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『ノモンハン戦場日記』 ノモンハン会 事務局長 阿部武彦

731部隊「関東軍防疫給水部」について

防疫給水について大活躍し恩恵を受けた。

砂質広漠地故、水に乏しく、ハルハ河は敵の火制下で利用困難、
唯一の水源であるホルステン河
(水流部3~5メートル、水は濁っているが
水源が泉故、枯渇することはない)工兵橋に大型濾水機を設置して、
全第一線部隊の給水源としての大役を担当した。
この濾水機は細菌のみならずリケッチャまでも排除できた。

「ノモンハン事件」の間に一度「ハルハ河で腸チブス菌が検出された。
ソ連が上流で投下した疑が在るので、
防疫給水部の水以外を飲用しないように」との注意があった。

ハルピン郊外に駐屯して防疫給水と伝染病の
研究をしている旨の文書をみたことがある。

元来防疫給水を任務とする部隊であるが、
細菌戦の攻防にまで研究範囲が拡大していくのは、
各国共通の成り行きであろう。

細菌戦の恐ろしいのは、フラスコ一本であっても、
大きな効果を収めることが可能であり、隠密裏に使用しやすく、
一般の伝染病と判別困難なことである。

しかしながらノモンハンには住民もおらず、
地勢・気候も不適で彼我ともに、細菌を使用していないことを断言できる。

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『ノモンハン事件の真相と戦果 ソ連軍撃破の記録』 小田洋太郎・田端元著

「(ソ連は)ハバロフスクに細菌戦の施設があり、
ノモンハン事件以前にさえも、病気にかかった動物をつかい、
炭疽菌を他の動物や人間に移す実験がこの地方で行われていた」
(「ノモンハン」A.クックス)。

ノモンハンで細菌爆弾を落とした目撃報道がある。
(ベッケンカンプ記者)、さらに、同書注で、7月15日、16日、
ソ連軍飛行機が日本軍が水源としている湖水に散布した赤痢菌を検出した例
(小松原日記では9日以来)や
発見されて自殺した細菌源頒布のソ連軍医を挙げている。

その後の追及がないから、疑わしいなどの意見があるが、
日本軍の特徴として、かえって秘密にする傾向があるのを無視している。

歩兵第74連隊第1大隊戦闘日記には
7月9日にソ連機が日本軍水源に爆弾を落下し、
その後、大隊全員が赤痢になったのを記述している。

航空地区司令部情報記録には10日に細菌爆弾破片確認。

12日投下の細菌はF級Y型赤痢菌含有と判明、とある。
その他、8月16日以来、
各隊に腸チフス患者発生。要注意の命令が出されている。

日本軍は下痢患者が続出し、
この防疫に石井部隊が駆り出されて無菌の水を供給する
ろ過装置を設置し感状を貰ったが、これを戦後、
「日本の左翼作家何人かが、石井部隊がノモンハンで
ハルハ河の上流からコレラ、発疹チフスや
その他の疫病の菌を放流する仕事に従事したのは間違いなく、
そのため、30人以上の日本人医療従事者や軍属が死んだ、
という話を広めたことがあった」と、クックス氏は左翼作家を非難している。

「ノモンハン秘史」(辻政信)第1頁に消毒した水を前線に届ける
「決死の給水に出発せんとする石井部隊の兵
(バルシャガル高地にて7月12日撮影)」の写真がある。

(中略)

第一、日本軍の戦病者は2236名であり、
ソ連側の701名で数字の語るところは
明白に日本軍の細菌戦無効もしくは否定である。

ソ連軍は水を高台の上から補給されており、
日本軍がハルハ河上流に細菌を散布しても意味がなかった。

付記、世界最初に細菌戦を行ったのは支那軍で昭和12年9月、
上海付近で井戸、クリーク、水溜りなどに細菌(コレラ菌)を投入し、
後には毒薬(昇汞、青酸カリ)も投入し、シナ土民が損害を被った。

甚だしいのは、西瓜に注入中を発見戦闘になり、射殺された例がある。
そして石井部隊が動員されて防疫に従事し食い止めた。

当時の新聞記事にも多く見られる。

石井部隊が行って細菌戦をした、
と言うのは戦後左翼の好む論法で、事実は逆である。

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以下、下記サイトより一部抜粋
http://tenjin.coara.or.jp/~makoty/library/memory731.htm

森下清人(元七三一部隊少年隊2期生)

インタビューは大分協和病院において91年9月に行われた。

<少年隊に入隊>

・・・・
いや、飛行機です。
そのために専用の飛行場持っとるんですから。
呑龍(どんりゅう)いう大きな飛行機も持っとるんです。

あれで上海やら重慶やらから直接連れてきとったんじゃないですかねえ。

そりゃハルピンからも連れてきとったんかもしれませんけど。

よく深夜とか明け方近くに飛行場の滑走路に明りがともるんですよ。
そしたらゴーいうて大きな爆音がして飛行機が着陸するんです。

少年隊の宿舎からちょいちょい見えてました。
ああ、またマルタ連れてきたなあ思いよりましたですなあ。
・・・・

―――引用おわり―――――

重慶は国民党(蒋介石政府)の首都でしたが、
日本軍はここを陥落していませんし占領もしていません。

森下清人氏は、1942年(昭和17年)3月29日に、
大分高等小学校を14歳で卒業し、ハルピンに向かい、
731部隊の「少年隊」に行ったそうですが、
1942年(昭和17年)は、もう上海では戦闘はなく、
ほとんど日本の支配地みたいなものでした。

なぜ戦闘もなく、外国人や報道関係者が多くいた大都市の上海から
マルタ(人体実験の対象者)を飛行機に乗せて
満州に連れて来る必要があったのでしょうか?

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【参考】

731部隊の人体実験・細菌戦は嘘(全て作り話)1
・松村高夫の「731生体解剖標本」(石川太刀雄丸の病理標本)の怪
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12852767.html
731部隊の人体実験・細菌戦は嘘(全て作り話)2
・松村高夫の
『破傷風毒素並びに芽胞接種時に於ける筋「クロナキシー」に就て』の怪
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12923955.html
731部隊の人体実験・細菌戦は嘘(全て作り話)3
・「731部隊の少年隊」に居たと証言する篠塚良雄(中帰連)や森下清人の怪
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12992996.html
731部隊の人体実験・細菌戦は嘘(全て作り話)4
・きい弾(イペリット弾、マスタードガス)を
人間に使用して症状を観察した松村高夫「生体実験の資料」の怪
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/13060486.html
731部隊の人体実験・細菌戦は嘘(全て作り話)5
・フェル・レポートの怪・中川八洋筑波大学教授
・『悪魔の飽食』は旧ソ連のプロパガンダだった
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/13135270.html
731部隊の人体実験・細菌戦は嘘(全て作り話)6
・飛行機細菌作戦の怪1・おかしな井本熊男の業務日誌(井本日誌)
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/13226226.html
731部隊の人体実験・細菌戦は嘘(全て作り話)7
・飛行機細菌作戦の怪2・おかしな井本熊男の業務日誌(井本日誌)
・ペスト菌散布は予算獲得のためのPR映画?
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/13301976.html
731部隊の人体実験・細菌戦は嘘(全て作り話)8
・飛行機細菌作戦の怪3・おかしな井本日誌・英ポートン細菌研究所の見解
・「田中淳雄少佐尋問録」から判る
「731細菌戦賠償訴訟」(1997年提訴)の出鱈目
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/13373119.html
731部隊の人体実験・細菌戦は嘘(全て作り話)9
・飛行機細菌作戦の怪4・インチキ事実認定ありの民事訴訟なのに、
客観的証拠が何ら提出されず事実認定さえもされなかった
「731細菌戦賠償訴訟」の出鱈目
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/13445297.html
731部隊の人体実験・細菌戦は嘘(全て作り話)10
・飛行機細菌作戦の怪5・「関東軍防疫給水部」の任務と活動状況
・『ノモンハン戦場日記』
・『ノモンハン事件の真相と戦果 ソ連軍撃破の記録』
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/13519895.html
731部隊の人体実験・細菌戦は嘘(全て作り話)11・最終回
・米国立公文書館が731部隊(関東軍防疫給水部)に関する
米情報機関の機密文書10万頁分を公開→■まとめ
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/13576514.html
731部隊の細菌戦が嘘っぱちのでっち上げだったことが確認された!
米情報機関、対日機密文書10万ページ分を公開
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/11866917.html

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1925年作成1928年発効ジュネーブ条約では、毒ガス兵器の研究、開発、
製造、保管、演習、報復攻撃は認められていました。
禁止されていたのは先制攻撃だけです。
ですから毒ガス兵器を持っていること自体は違反ではなかったので、
終戦時、日本軍は遺棄する必要などありませんでした。

日本軍は国際条約で使用を禁止されていた化学兵器を持ってはいましたが
使用はしていませんでした。
日本軍が使用したのは「あか(くしゃみ剤)」など、
国際条約で使用禁止されていない暴動鎮圧剤だけでした。

━─━─━─━─━─━―━―━―━―━―━―━

終戦時、日本軍は化学兵器だけではなく、
すべての兵器をソ連軍や中国に引き渡しました。

2006年(平成18年)には、
「兵器引継書目録」や「兵器引継書」が発見されています。





重要資料新発見 「遺棄」ではなかった 化学兵器の「引き渡し済み」を証明


現在、満州に埋まっている化学兵器は、
ソ連製、中国製、日本製などが一緒に埋められています。

終戦時、日本軍がソ連軍や中国軍に渡したものを
何年か後になって中国がいらなくなったために埋めたものです。

【水間政憲】南京だけではない!継続する遺棄兵器プロパンガダに警戒せよ!
https://www.youtube.com/watch?v=4Vs23KRXRbE

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細菌戦を禁止した1925年の「ジュネーブ議定書」以降、
世界で最初に細菌戦を行ったのはChina軍だった。
China軍が行った細菌戦については資料も存在している。
確認された事例だけでも
昭和12年(1937年)から昭和15年(1940年)にかけて、
China軍による毒ガス戦の事例は13件、細菌戦の事例は20件だった。

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『昭和史研究會報』中村粲/第39、40号より
『細菌・毒ガス戦/中国が最初の違反者だった』信夫淳平博士

支那派遣軍化学戦教育隊がまとめた【敵軍毒瓦斯(細菌を含む)使用調査】
(内藤裕史編・解説『毒ガス戦教育関係資料』所収)によれば、
昭和12年から昭和15年にかけて、
中国軍による毒ガス戦の事例は13件、細菌戦の事例は20件であった。
右の調査は、その年月日、場所、種類、方法、
被害、概要を一覧表で記録している。
例えば、昭和12年9月7日、宝山城付近にて
中国軍はコレラ菌を井戸に投入し、
このためその井戸水を飲んだ日本軍及び中国人民数十名が罹患している。
また、昭和13年7月26日、九江においても同様の理由で
日本軍百29名、中国人民500名の罹患者を出している。

また、重慶を脱出した国民党軍の元軍政部防毒処勤務将校の情報を
まとめた【支那軍の化学組織系統の概要】
(昭和16年6月26日付、前掲『毒ガス戦教育関係資料』所収)
によれば、中国における毒ガスの研究及び製造は、
「軍政部兵工署理化研究所」において行われていた。
中国は1926年3月、ソ連から1万発の毒ガス弾を購入し、
1937年9月、第二次上海事変で細菌、猛毒兵器を使っている。
日本軍は中国軍から、大量のソ連製毒ガス兵器を押収している。

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『日中戦争』(文庫本第4巻)児島襄著

井戸水にはアメーバ赤痢菌がうようよしているほか、
9月に上海戦線でコレラ患者が多発したのは、
中国軍の細菌戦による疑いが濃厚である。

「支那軍ノ指令ヲ奪取セルトコロ、
其ノ中ニ井戸水ヲ飲用スベカラズトノ指示アリ。
則チ敵ガ井戸ニ細菌を投ゼシモノト察せられる」

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昭和12年(1937年)12月13日、朝日新聞
「張發奎の戦死説 自軍毒ガスで大被害」

最近広東軍を中心とする支那軍中毒ガスを使用せんとして却って
自軍を痛め顔面手足等を廃爛させ戦闘に堪えなくなったもの
1万2千の多きを算するに至ったと伝えられてゐる。
尚広東軍首脳者たる張發奎の南京における戦死説、…(等々人名傷病状態略)
…何れも去る9日広東に輸送され相当重傷であるといはれ
これに加ふるに余カンボウと呉鉄城の内訌が盛んに流布され
広東方面では漸く動揺の色が濃厚となってきた。

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昭和13年6月21日の同盟ニュース
「山西の敗敵、妄動しきり 暴虐毒ガスを使用して挑戦」

皇軍が黄河以南作戦のため一部兵力を移動している隙に乗じ、
山西の敵大部隊は気勢を挙げ、徐州敗戦の汚辱を一挙に雪ぐべく、
手段を選ばざる挑戦に出で、暴戻にも毒ガスを使用し、
付近の無辜の民は、この惨禍を蒙るもの多く、正に人道上許し難し・・・

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昭和13年6月29日、大阪毎日新聞夕刊
「敗敵毒ガス作戦 山西で防毒面多数押収」

ベルギ-製250支那製1万その他約2万の防毒面を
わが方において押収せるが支那軍がかかる大量の防毒面を
そなへていることは卑劣にも毒ガスにより
わが精鋭無敵の皇軍に抗せんとする意図を
明白にしてをり、さきにわが進撃を阻むため黄河を決壊せしめ
数十万の自国良民の生命財産を奪った敵は
ここにまた毒ガス使用の戦術を持ちふるに至った(後略)

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昭和13年7月22日の同盟ニュース
「暴虐支那軍又も不法 イベリット糜爛性毒ガス使用」

我が森本部隊の息をもつかせぬ猛攻撃に敗退一路を辿る支那軍は、
張杏鎮において、又もや不法にも、猛烈爆発式撒毒管による
イベリット糜爛性毒ガスを使用、
我が急追をはばまんとをはばまんとしたが
我が方の適切なる處置によって何の被害もなかった。

※注:「處」は「処」の旧字体で、「處置」は「処置」のこと。

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『昭和史研究所会報』第40号 平成12年8月10日
『戦時国際法講義』信夫淳平著

『6日 (昭和13年7月)山西南部曲沃南方地区の戦闘で 
敵は突如毒瓦斯弾を発射し、一時同方面山嶽一帯は濛々(もうもう)たる
毒瓦斯に鎖されたが、我部隊の神速果敢なる防御処置に依り
兵9名が意識を失ったのみで、幸ひ大なる被害はなかつた。
毒瓦斯は検査の結果塩化ピクリンサンと判明、
蘇聯(ソレン)製の疑ひ濃厚である。』(同月6日曲沃発「同盟」)

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中国での旧日本軍兵器の行方
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2009/11/19 09:00|年表リンク用資料
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