●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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簡単に作れそうだったのでブログで この正統史観年表を作成しました。 ブログなので各記事の一番右下に 日付が表示されてしまいますので、 適当な日付を指定しながら記事を 作成していきました。つまり各記事 の一番右下の日付はブログを書いた 日付ではなく、適当な日付です。 まぎらわしくて申し訳ありません。 |
マッカーサーの遅すぎた悔恨・・・・
■マッカーサー アメリカ陸軍の元帥で、開戦時は極東軍司令官を務め、 後に西南太平洋方面連合軍総司令官として対日作戦を指揮。 戦後は日本に進駐し、日本占領連合国の最高司令官を務め、 東京裁判を主導した人物。 昭和26(1951)年5月3日。 米国上院軍事外交共同委員会で朝鮮戦争に於ける戦争方針で GHQ最高司令官を解任されたマッカーサーがトルーマン大統領と対立し、 朝鮮戦争において彼が主張した中国海上封鎖戦略についての答弁。 ![]() ●ヒッケンルーパー上院議員 では五番目の質問です。 「共産中国に対し海と空とから封鎖してしまえ」 という貴官(マッカーサーの事)の提案は、 アメリカが太平洋において日本に対する 勝利を収めた際のと同じ戦略なのではありませんか。 ●マッカーサー その通りです。太平洋において我々は彼らを迂回しました。 我々は包囲したのです。 日本は八千万に近い膨大な人口をかかえ、 それが四つの島にひしめいているのだということを 理解していただかなくてはなりません。 その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。 潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、 私がこれまで接したいずれにも劣らぬ優秀なものです。 歴史上のどの時点においてか、 日本の労働者は、人間は怠けている時よりも、 働き、生産している時の方がより幸福なのだということ、 つまり労働の尊厳と呼んでもよいようなものを発見していたのです。 これほど巨大な労働力を持っているということは、 彼らには何か働くための材料が必要だということを意味します。 彼らは工場を建設し、労働力を有していました。 しかし彼らは手を加えるべき原料を得ることができませんでした。 日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。 彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。 その他実に多くの原料が欠如している。 そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。 もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、 一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを 彼ら(日本政府・軍部)は恐れていました。 したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、 大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。 (小堀桂一郎編『東京裁判 日本の弁明』より) この発言は彼の証言から三日後の5月6日、 ニューヨーク・タイムズ紙に全文が掲載されました。 マッカーサーの爆弾発言 http://s03.megalodon.jp/2008-1211-1212-04/www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/jiei_sensou.html http://s02.megalodon.jp/2009-0209-1422-43/www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/honbun/daitoua_sensou.html http://s03.megalodon.jp/2009-0209-1423-03/sakura4987.exblog.jp/3015674/ 対訳 マッカーサー証言 http://s01.megalodon.jp/2009-0209-1423-33/www.chukai.ne.jp/~masago/macar.html マッカーサーの遅すぎた悔恨・・・・ 「侵略の世界史」清水馨八郎著(祥伝社)より引用 マッカーサーの占領政策が、敵対から途中で同盟に大転換したのは、 昭和25年に突如発生した朝鮮動乱からだ。 日本に自衛隊の創設を認め、防衛の協力者にすることに方針が一変した。 朝鮮戦争とは、共産圏のソ連と中国が 北朝鮮をそそのかし韓国に侵入させたもので、 中ソとアメリカの代理戦争であった。 米国はそれまで中ソは連合国側で仲間と考えて 北に対し何の防備もしていなかった。 ここで初めてマッカーサーは、 かって日本が戦った日清戦争と日露戦争を一緒にしたものを 日本に代わって米軍が戦わされているということに気が付くのだ。 そしてマッカーサーは、 日本の過去の戦争がすべて中ソに対する自衛のためのものであったと、 始めて確信するのである。 これを契機にアメリカもスターリンの罠に掛かっていたことに気が付くのだ。 大戦終了時から芽生えつつあった米ソ対立の冷戦が明確なものとなった。 米国の真の敵は日本ではなくソ連だったのだ。 せっかくアジアの防共の一大勢力となっていた日本を 米国が潰してしまった結果、中国大陸はほとんど全て共産圏に編入され、 朝鮮戦争とベトナム戦争という二つの戦争で アメリカは日米戦争以上の数十万人という 手痛い被害を受けることになってしまった。 朝鮮戦争の反省から、アメリカはサンフランシスコでの対日講和会議に ソ連の参加を拒否し、日本への賠償要求も放棄したのである。 |
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