正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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大東亜戦争の総括

将棋では、我が方の次の一手として考えられる選択肢が
多ければ多いほど有利であり、
敵方の取り得る選択肢を限定させればさせるほど、
相手の反応・戦略に対する対応がより予測可能になるので、
優位に立てる、と言われている。

スポーツでもそうだ。
たとえば野球なら、次に2-0に追い込んだ後で、
相手の次の一手をきわめて限定させるなら、
いかようにでも相手を料理することができる。

サッカーなら、司令塔が中村俊輔、とわかっていれば、
ボールの配球役である彼を相手国チームがまずつぶすことによって、
日本の攻撃オプションを、散発的なロングボールの放り込み、という、
極めて限定的なものに絞り込ませることができ、従って対応も簡単になる。

どの世界でも、敵方の攻撃オプションを減らし、
我が方の攻撃オプションを相手に絞り込ませないようにする、
ということが、競争に勝つ上で、決定的に大切な戦略なのだ。

翻って日米開戦に至るまでの経緯を見ると、
敵方のアメリカから、通商条約断絶・中国国民党への武器と資金の供与、
在米資産凍結、石油・鉄の禁輸、ハルノート、と、
明らかに日本を開戦に追い込もう、
開戦以外のオプションを日本から奪い取り続けよう、
という明確なアメリカの意思を感じる。

そして当然そうした開戦後の計画も周到に
アメリカは練っているわけだから、アメリカの用意した罠に
日本が飛び込んだという客観的事実は確かにあるだろう。

大局的な戦略を競う勝負に敗北すれば、
開戦後の戦術は相手に予測されやすいものにおのずと限定されてしまい、
事後に行われる局所局所での戦闘は最初から劣勢を強いられてしまう。

戦争の大勢をスタート地点にて決してしまいかねない戦略において
日本が敗北していたことが、
個々の戦闘において発揮された勇気・敢闘精神以上に、
いや、むしろそれがあるだけになお、腹が立ってしょうがない。

問題は、
「アメリカが日本のオプションをどんどん減らそうとしていた同時期に、
日本もアメリカのオプションを減らそうと
同じだけの必死な努力をしていたか」
ということにある。

ここは大事なことだが、
当時の(特に陸軍)は、余りにも武士として真っ正直な道徳を
異文明の外国・アメリカにぶつけてしまった。

アメリカがインディアンを数十万人規模で虐殺し、
黒人奴隷を数百万人規模で虐殺し、国ごと強奪してできた国家である以上、
それを棚に上げて、日本を侵略者として断定し、中国からの撤兵を求める、
というのは、当時の陸軍には一片の理もない、
侮辱的な要求以外の何物でもなかった、従って武士としての矜持を持ち、
物量の彼我の差にひるむような臆病者、卑怯者とは
断じて見られたくなかった。
これが当時の陸軍の主戦派の中で、
おそらく一番大きい開戦要因ではなかっただろうか。

武士道を理解する国是なら、
アメリカはそもそも恥知らずなハルノートを突き付けてはこない。
(武士道を理解していたからこそ
わざと挑発的に突き付けたということはあるかもしれないが)
少なくとも武士道の土台で戦える相手ではないのだから、
武士道からは外道とも思える姑息かつ卑怯な戦略も
どしどし取り入れてアメリカと対峙するべきだったのではないか。

つまり、武士として勇敢であることを示したその一点において、
あるいは、
「尊厳か、屈服か、2択しかない状況で」取りうる行動を問われたときに、
断じて臆病な卑怯者の武士ではない!ということを示した点において、
開戦時であれ、戦争末期であれ、私たちの先輩方が示した勇気の数々が、
敵国の人間たちからさえ一部敬意を持って評価される、偉大な美質だったこと
日本の武士として、まさに王道をゆくものであったことは、
日本人なら誰しも等しく同意できるのではないだろうか。

問題は、果たして本当に「尊厳か、屈服か、の2択しかなかったのか?」
ということであろう。

将棋ではプロ棋士がアマチュアと対戦するときに、
実は殆どの場合、序盤~中盤ですでに勝負が決まってしまう。
アマチュアからすると異常なくらい、プロは序盤~中盤で時間を使い、
少しづつの手の組み合わせで、
大幅に序盤で相手の選択肢を限定させてしまい、
終盤は、自分が用意した形に持ち込んで、
すでに大勢が決した状態にして
(自分は絶対安全、相手はあと一撃で致命傷を負う状態)、
かさにかかって攻めかかって来る。

つまり、「開戦する相当前から、相手のオプションをつぶし、
自軍のオプションを増やすという”戦略競争”は始まっているのであり、
実際の開戦の直前にはすでに勝負は決まっている」
・・・・ということは、至極あり得ることなのだ。

そうした考え方からすると、
「ハル・ノートの段階では開戦か屈辱かしかなかった」
という主張の答えは、Yesだ。

曲がりなりにも日清・日露・第一次世界大戦と、連勝を重ね続けて、
「敗戦により領土を失うというトラウマ的な体験」を
経ていなかった当時の軍部・世論にとって、戦わずして、
子供・孫・兄弟の血が流れる満州を失うということは、
(日本人だけでなく)人間の感情論として、不可能だったと思われる。

感情を排した観点からは、ハル・ノートの段階でも、
満州を一部切り売りする交渉ができた、
というオプションもありえただろうが、
軍部だけでなく、
「敗北を経験したことがなかった国民世論の集団心理・感情」こそが、
そのオプションを排除した大きな要因だったと、
多くの歴史家が指摘するところである。

問題は、ハル・ノートに至るまで、
同じく戦争を嫌う米国世論を敵としながら、
「日本を開戦に追い込み、合法的戦争手段により、
堂々と日本から満州ほか中国権益を奪い取り、
ヨーロッパでは対独開戦を可能とする」という
ルーズベルト政権の目標が首尾一貫し、
その方針に従って計画的に日本の開戦以外のオプションが
削られていったのに対し、袋小路に追い詰められるまで、
日本がどれくらい真剣にアメリカから積極的に開戦のオプションを
奪い取る戦略を取ったのか、ということだろう。

では他のどんな選択があったのか?
それはどのような戦争回避効果を持ったのか?

歴史の検証として、
「日本将兵が、強きに容易に屈する臆病な卑怯者ではなく、
勇死をも恐れない勇猛さ・愛国心を持っていたことの回顧」は、
他国人と堂々と渡り合う必要のある現代の日本人が
大いに参考にする意義が確かにある。

と同時に、現代において、戦術ではなく、
大局的・長期的な国家戦略において、
日本が支配欲の強いアメリカ政府・中国共産党の国家意思の強さに
圧倒されがちである現状を見ると、戦略構想力を鍛える必要性を、
あの戦争に至るプロセスから学ぶことの重要性も痛感させられる。

「勇気と正義を重んじる武士道徳」以外に、
「政治家や、国家安全保障を担う将軍、当時の外交官達」には、
軍事力を使用する前段階の、情報戦・外交戦・宣伝戦で、
アメリカが開戦に向けて突き進もうとするオプション制限する知恵が
もっと必要だったし、
戦略的に優位に立つチャンスが日本にはまだまだあったのではないか。

日清・日露戦争は外交的に優位に立ってから開戦したのに対し、
太平洋戦争は外交的に八方ふさがりになってから開戦した
という違いがある、としばしば指摘される。

開戦する、しないは別にして、
物量の圧倒的な違いがある敵性国と開戦しないほうがいいに決まっている。

開戦する可能性に備えて、外交的に不利な立場に自国を置かない為の
徹底した戦略を日本が取り続けていたか、というと、それは疑問だ。

開戦前、圧倒的劣位でありながら、
向かってくる相手を必死になって倒し続けて互角に持っていこうとするのは、
(旧日本軍の勇気と気概を重んじる武士道徳が、ではなく)
“戦略として”愚かであったと言われても仕方がない面もあるのではないか。

考えて見れば、
日本発のOSがウインドウズに先だって開発され、
それが世界を席巻することもあったのである。

だが、全世界に、アメリカ国防総省につながったり、
ワールドワイド盗聴組織・エシュロンに活用され得るインフラとして、
ウインドウズが世界を席巻する大きな意義を見越し、
その後も国策として強力にウェブ拡散戦略を推進したアメリカ政府に対し、
日本はその目を通産省自らが(圧力を受けてか)研究者に計画をつぶさせた。

統合的な情報組織、
あるいは体を張ってでも情報を取る組織が日本にはまだないがため、
日米交渉や日中交渉の際に、どれだけ不利になっていることか。

戦略性の高さ、それを可能にする精度の高く膨大な情報の収集能力、
それらがあれば、ハルノートを突き付けられる前に、
日本が積極的にアメリカの開戦の野望のオプションを
次々にそぎ落とす戦略も取れたはずなのだ。

たとえばアメリカ世論の誘導戦略。
ご承知の通り、アメリカ最大の権力は国民世論だ。
国民感情がNOと言えば大統領もそれに反した命令は下せない。

だからこそルーズベルトは真珠湾の罠でアメリカ世論を操作したのであり、
そうしたアメリカの”世論第一主義”を
在米の日本人外交官・諜報員たちが透徹していれば、
アメリカの世論操作戦略を十重二十重にさまざまな考えを出せたはずだ。
(発想力はあっても、実行力が不足していただけかもしれないが)

アメリカの世情・議会情勢をまじめに分析していれば、
当時ルーズベルト大統領が、
「全米のご両親に御約束する。
あなた方の子供は決して戦場に送られることはない」
と、いけしゃあしゃあと声明を発表していながら、
同時進行的に対中借款・武器供与・軍事顧問団の派遣命令に
サインしていた矛盾を、徹底的に突く戦略が立てられたはずだ。

在ワシントン日本外交部・諜報員と、援蒋ルート方面派遣軍が、
情報交換を密に政府に届けていれば、
強力なルーズベルト政権攻撃の戦略が一つできていたはずだ。

すなわち、「民主党ルーズベルト政権に敵対する共和党議員・次期大統領選
の共和党候補陣営に、
”全米に対する公約とは裏腹に、国際慣習上、準戦闘行為に当たり、
宣戦布告されても文句の言えない、武器弾薬・資金・合衆国軍人
(偽装であるのは共和党の調査能力を持って調べればすぐわかる)
の中国大陸への提供を、秘密裏にルーズベルト政権が行っていることを、
連邦議会で暴露させ、米国世論を激高させ、
親中ルーズベルト政権の手足を縛り、援蒋ルートを絶ち、
重慶の国民党軍をガス欠に追い込み包囲する。

宋美齢を始め、
中国国民党軍が欧米メディアに対し行っていた宣伝工作・同情喚起工作
に対抗し、通州虐殺事件の遺体写真つきで、全米メディアを集めて
日本大使館が記者会見を行い、国民党軍の非人道性をアピール、
同時に、上海他アメリカ人居留民も含めた居留民の安全を、
こうした極悪な国民党軍から日本は守っていく、とアピールし、
正義VS悪、の単純2元論が好きなアメリカ一般国民の心情に訴える。

語学力の問題ではなく、こうした宣伝戦において、
言われっぱなしになっており、
異文明の国民を説得・誘導しようとする(ある意味図々しい)発想
そのものが、(潔さの故か、面倒くささのゆえか)当時の日本にはなく、
中国にはあった、ということではないか。

死者を利用する、被害者を利用する、
というのは誠に非人間的な、非日本的な発想で、
人でなし的な発想だが、仮に痛ましさのあまり
早々に棄損された遺体を埋葬するのではなく、
あの被害者260人余りの写真を赤裸々に全米の報道機関を集めて
日本外交部が宣伝していたら、
果たしてアメリカ世論と議会は中国国民党への借款・軍事援助を
許していただろうか?

果ては、中国との同盟すら許していただろうか?
阿呆の後知恵かもしれないが、
これも武士道精神が阻んだ、宣伝戦忌避の傾向であろう。

戦後アメリカ国民自身が赤狩りに励んだように、
自由の国アメリカでは、
共産主義者に対する嫌悪感は大変大きなものがあり、
共和党にはそれを追及する思想的根拠も戦前から随所に見受けられた。

米国議会での発言を
(ニューデイール政策の数々に対する連邦裁判所での違憲判決、
そのたびに起こった議会での民主党VS共和党の紛糾の数々)
在ワシントン外交部・強化された日本の諜報組織がウオッチしていれば、

「開戦を望む民主党VS孤立主義の共和党、
社会主義的民主党VS自由主義的共和党、の構図を利用し、
アメリカを開戦できないように分断する世論工作をする、
民主党政権の議会無視を暴露し、
ルーズベルト政権の支持率・発言の信用性を落とす、
共和党をもって民主党を抑止させる」

・・・という戦略が簡単に浮かんできたはずだ。

日米開戦の際にも、暗号打電すべき人材達が
送別パーティ―で遊び呆けていた当時のワシントン駐在の外交官達では
無理だったかもしれないが。

しかし諜報部を人的にも質的にも10倍も20倍も強化して、
海軍なり陸軍なりが、人材をワシントンに戦略を実行する専門の諜報員達を
送り込んでおかなかったのは、明らかに、
中国本土・満州での諜報活動と比べて、手薄であったと言わざるを得ない。

戦後アイゼンハワーが岸首相に述べたように、
「アメリカは戦う相手を間違えた」
「アジアの戦争の元凶は日本ではなく、日本が30年来必死で闘ってきた
ソ連・中国の共産主義勢力だった」
「日本が大陸から消えればアメリカが共産主義と対峙するリスク・重圧を
引き受けることになる」
共和党は後にこれに気付くわけだが、
ソ連のスパイが潜りこんだ民主党政権は確信犯的にやっているにせよ、
共和党を中心としたアメリカにそれを気付かせることを、戦後ではなく、
開戦前に起こるよう、速めてやれば、
現在のような「大陸の共産主義国家に対抗するべく同盟する
”必然としての”日米同盟」が、開戦前に始まっていた可能性がある。

石原莞爾を始め、関東軍の多くの軍人には、
中国・ソ連の共産主義勢力に対抗する必要上、
満州が日本にとって必要だ、との認識があった。
つまり、戦後にアメリカが持つ対共産主義の危機感を、
戦前の日本はすでに持っていた。

そして、日本の外交官・政治家達は、
アメリカからの度重なる要求に、
中国での門戸開放、具体的には満州の権益譲渡、こそが、
アメリカが欲しているということは十分認識していた。

裏を返せば、日本本土自体には、アメリカは何の魅力も感じていない
(満州と違い資源もないし)わけだから、
日本を植民地にして日本人を奴隷化したり、
そのための必死の抵抗にあうリスクを冒す必要は、
アメリカには客観的に見て、殆どなかったと言える。

果たしてその客観的な判断を、当時の軍部・政治家がしたかどうか?
植民地としての満州経営に投じた資本・農業開拓をはじめとして
投じた人的・時間的投資の蓄積があるから、全面譲渡というのは論外だが、
卑怯な「段階的譲渡」作戦は、交渉手段としてありえたかもしれない。

すなわち、

「将来的には全面譲渡します♪
でも馬賊対策や共産匪賊の対策・民心安定のノウハウの伝授など、
アメリカが順調に満州経営をできるようにしてあげたいので、
区画ごとに段階的にノウハウを教えながら
(一緒に経営し、共産主義勢力の脅威をアメリカに実感させながら)
譲渡します♪完全譲渡には20年ほどかかります。」・・・・

一応ハルノートが最後通牒となっているが、
そこで一部でも条件を呑んでしまえば、相手は即時開戦の口実を失う。
(もちろんそれまでに上記のような世論操作、
その他の戦略によって開戦をできなくさせる工夫が3重4重にも
張り巡らしておくことが前提だが)
この提案の目的は、調子に乗ってアメリカが
「じゃあこの要求も、続いてこちらの要求も」と、
矢継ぎ早に権益を日本から奪い取らせる最初の一歩を
日本から提供してしまうことではなく、
「アメリカの要求をかなえるスピード・タイミングを、
日本がコントロールし、主導権を握る」ことにある。

相手の要求を聞くふりをしながら実は殆ど聞かず、
むしろ自分の主張を通す手段として使う、という効果、
また相手の圧力をかわすガス抜き効果もある。
時間をかけて分割すれば、たいていの怒りは分散・雲散霧消する。

たとえばケネディ暗殺の真相にまつわる文書の公開は、
アメリカ政府は2039年と約束しているが、どうせろくなものではないだろう。
「なぜ2039年ならいいのか?」と色々アメリカ国民に考えさせたり、
「仕方ない、2039年まで待つか、とりあえず約束はしてもらったのだから」
と、「真実が隠蔽されていることに対する米国民の怒り」をうまく分散し、
減殺し、結果として大したものではない資料が公開された時期には、
「歴史の恩讐の彼方の出来事」として、
誰もが大した興味を持っていないので、
アメリカ政府と暗殺関係者達にとって実害がなくなっている、
という戦略ではないだろうか。

実によく考えられた隠蔽戦略だが、
日米交渉でも、こうした姑息な戦略は、
日本外交が大いに発揮してもらいたかったところだ。

一部でも、満州を共同経営するか、一部譲渡すれば、
アメリカは共産主義勢力の圧力を、まともに体験することになる。
経験しなければわからないのだ。
実際、朝鮮戦争の時に経験するまで、
アメリカは全く自覚できなかったのだから。

手始めに、外蒙古近く、露骨にソ連の圧力を実感できる満蒙の
1区画をアメリカに譲渡するのもいい。
共産匪賊の活動が激しい地域から順番にアメリカに小出しに譲渡していき、
アメリカが「共産主義勢力の抵抗を押さえつけるには、
日本と同盟を結んで満州~中国本土の権益を狙って
いったほうが得策なのではないか・・・?」と思うまで、
ひたすら小出しに、
最良のタイミング(国民党・共産党のテロが起こるたびに)で、
満州権益を20年計画で譲渡するよ・・・・という条約を結ぶ、
という方策がありえたかもしれない。

アメリカが実情を把握し、
日本との同盟の必要性を理解するための時間をかせぐ、
アメリカが共産党に餌を与えることになりかねない、
国共合作下の中国国民党に軍事援助をしないほうがいい、
と理解させ教育するための時間をかせぐ、
中国権益の満州以南への拡張のためには、国民党に援助はせず、
国共内戦状態の分裂した弱体な中国政府であったほうが
日本にもアメリカにも好都合だ、
とアメリカに理解させるきっかけを与えるまでの時間をかせぐ
そのための超段階的満州割譲論だ。

日本国内の世論を満足させるためにも、
満州の20分の1をアメリカに譲渡するごとに、
日米共同の軍事・外交作戦で、華北の領土を一緒に切り取り、分け合う。
翌年、満州の20分の1をさらにアメリカに譲渡するごとに、
また同じことを繰り返す。

これを繰り返しているうちに、日米共通の利害関係が太く構築される。
中国はアメリカの援助をもらえずやせ細る。
満州を20分の3も譲り渡したところで、
共産主義国家の圧力は強くなるかもしれないが、
そのころには「絶対に権益を手放そうとしないアメリカ」が頼もしく、
日本の権益を守るためにも、共産主義国家群の前に立ちはだかる。

最悪、原爆と焼夷弾による民間人虐殺は
日本に向けてということはなくなり、
(甚だ不謹慎ではあるが)中国に向けてとなっていた公算も高くなる。

満州の権益・領土が1とする。
それに対して中国本土の権益・領土は20はあるだろう。
アメリカは満州にしか当面興味がなかった。

門戸開放、機会均等、は日露戦争直後から、
もっぱら満州に向けられていた。
満州の権益を譲渡するということは、
満州領有に内在する”共産主義勢力と対峙するリスク”をも
抱え込むはめになる、ということなのだ。

部分段階的にそれを譲渡するという譲歩を、
アメリカにそのリスクを痛感させるカード、同盟への布石として使う。
1しかない満州を分割したり完全譲渡するしないであらそうのではなく、
(結果的にその争いで日米両国は満州の1の権益すら失った。
中国共産党の漁夫の利だ。)

1を仲よく分けるか、アメリカに0.8、日本に0.2の割合で譲渡して、
中国本土の権益を、日米両国が10:10づつ
手にすることができるように、
アメリカの圧倒的な物量のパワーを、日本の中国本土の部分的支配の為に、
存分に利用させてもらう。
(アメリカ:日本、の分け前が12:8や13:7でもよい。
満州のちっぽけな1にしがみついているよりは、
遙かに軍部も満足がいっただろうし、国民世論も納得できるだろう)

オレンジを日米が取り合っていたとする。
しかし実はアメリカがオレンジの中身をほしがっているのに対し、
日本はオレンジの皮でマーマレードを作りたいだけだったりするわけだ。

その時、交渉によってお互いがほしいものをともに理解し合い、
それを満たすための方法を作り出すべく、
アイデアを出さなければならない。
オレンジの皮をむいて、アメリカには中身を、日本には皮を渡す。
対立か屈服以外の第3の道、
現在につながる必然ともいえる”同盟”の道
それを生み出すためのアイデア・戦略が、
視野狭窄に陥った武士道精神によって硬直化していなかっただろうか?

アメリカが国民党に支援をしたのも
(結局は当て外れだったが)日本が満州権益に固執したので、
国民党に日本を撃退させて、その支援者として満州の割譲を受ける、
という戦略に転換したことが大きいだろう。

そのことで結果的に中国にとっては理想的な「遠攻近交」戦略を
成功させてしまった。
敵対する隣国・日本を、太平洋を隔てた遠国のアメリカとで、
中国が挟み撃ちにする。
歴史上成功したことのないと言われる
2正面作戦を日本は強いられることになったのだ。

現代の企業間競争の世界でも、
強力な敵は「買収(M&A)して自分の血肉・味方とするか、
つぶす(=敵対的競争を仕掛けて廃業に追い込む)か」の
2択を複雑に組み合わせる。

前者は負けることが少ないのに対し、
後者は、相手の必死の抵抗を受けるがために、
勝つことが少ないものだ。

勝率のいい方法として、
戦略に長けた軍人・参謀・外交官・政治家なら、
優位に立つ相手とは、まともに組み合うのではなく、
日独伊3国軍事同盟などにより力対力の構図に持ち込んで
露骨に相手の警戒心をあおるのではなくて、
まず徹底して敵性国家の力を減殺すること、
敵性国家の同盟を分断すること、そして相手を自分の味方にしてしまうこと、
アメリカの力を日本の権益拡大の為に却って利用してしまうこと
それを考えてもよかったはずだ。

そのアイデアを実行するには、上述の通り、
豊富な各国の情勢分析のできる人材・諜報組織・予算・発信力のある
人材と戦略が必要なのだが、
発想自体は、現代の私たちの「阿呆の後知恵」的な視点ならずとも、
当時の日本人にも、充分思いの至るレベルの
アイデアと言えるのではないだろうか。

ワシントン駐在の日本の外交官が
詳細に世論・議会情勢を分析すれば、
アメリカの当時の国内世論は、85%以上が欧州参戦に反対。
ましてや地図上も意識上も、極東の果てのアジアの山奥、
中国や日本の利害の為に開戦するなど、思いもよらないことで、
恐ろしいほどの中国市場の広大さ・権益の莫大さに気付いている
一部在米資本家たちをそそのかして、
満州がアメリカ政府部内で注目されていたにすぎない、
と十分に指摘できるはずだ。

アメリカ政府は開戦したくて仕方がない、
対して世論は絶対に反対というこのねじれ現象。

アメリカは米西戦争、ルシタニア号事件を受けての
第一次世界大戦への参加など、口実を作り上げ開戦する傾向がある、
との指摘、従って日本が取りうる傾向と対策。
情勢分析が足りない、というより、軍部の戦略的発想に、強大国を利用する、
満州の対共産主義戦線に運命共同体として引きずり込む、
そのためにあらゆる手段を使う、という、
ある意味、非武士道的な”卑怯で姑息な”視点がなかったために、
敵対か屈服か、という2択に日本が、
自分で自分を追い込んでしまったという指摘は、一理ある。

しかしよく考えると、織田信長しかり、真珠湾攻撃しかり、
武士の戦いにおいて、個々の作戦、戦術においては、
奇襲という”姑息な”手段が肯定されるのなら、
圧倒的な物量の差のある相手と対峙した時に、
「戦略において」”姑息”な態度を取るのも、
肯定されるべきものではないか。

日清戦争の折りも、圧倒的な国力の差を感じて、
3国干渉を受けた当時の日本が、
遼東半島を返還し、多額の賠償金を代わりにせしめ、
その金で八幡製鉄所や台湾での植民地経営投資をし、
砲弾・戦艦を続々と建造し、臥薪嘗胆で見事、日露戦争で仇をうった例も、
日本人はすでに経験していたわけだ。

日米開戦前に、その臥薪嘗胆、
という発想が陸軍軍人達の間に薄かったのは確実であり、
その主な原因が「戦争に連勝するのに比例して、
負けを認めるのが飛躍的に怖くなるという普遍的な人間心理」
にあったことは疑いを容れない。

どんなテストでも70点しか取れない人間が自分のミスを認める際に
感じる抵抗感より、
100点を取り続けてきた人間が、連勝記録を伸ばしたい、
ミスを認めたくない、99点でも我慢できない、
と感じる抵抗感のほうが、はるかに強烈だろう。 

勝てば勝つほど、相手を打ち負かしたい、
自分が率先して譲歩したくない、と感じる気持ちは強くなる。

これは何も日本陸軍だけが陥った罠というわけではなく、
現代の私たちにも通じる、国籍問わず、普遍的な罠と言える。

満州でお互いに譲れない、ゼロサム的な利害対立があるのなら、
満州以外の中国権益を視野に入れて、
日本国内の世論・アメリカ政府・資本家の欲望双方を
なだめる提案ができないものか。

アメリカの利害が絡まない中国本土の権益を
協働で拡張することとセットで、
満州権益の共同運営、段階的譲渡を提案する。

そして背後で中国人やロシア人を雇って、
アメリカ権益を侵害する(テロ行為を多発させるなど)よう日本が策動し、
アメリカと中国・ソ連などの共産主義国家との対立を煽り、
アメリカが日本と同盟せざるをえないようにアメリカを追い込む。

本来の武士道とはかけ離れた姿勢ではあるが、
相手は有史以来、生存競争と覇道貫徹の為、
無数の汚い策謀が渦巻いてきた中国大陸を
支配しようという中国共産党・国民党だ。

毒には毒をもって制す。
局地的な戦闘に勝つには、
日本軍の将兵が持っていた勇敢さがあれば十分だが、
長期にわたる総力戦争にて国家が国家に勝利するには、
物資・精神のみでなく、戦略においても敵国を圧倒しなければならない。

たとえ、潔くないもの、卑怯なものを許容しない武士道精神が
骨身にしみている日本軍であろうとも、
国益と国民の生命を守るには、参謀・外交官・政治家達は、
敵国以上の毒を持っていなければならなかった。

さらに言うならば、
外交情勢・詳細な現地の世論・議会情勢の分析・軍事情報の分析に、
予算と人員を割くだけでなく、
リアルタイムに入ってくるそれらの情報を統合し、
戦略的につなぎ合わせて”海外に発信する”部署が、
決定的に当時の日本には不足していた、ということがある。

現在も、”発信力”(言語的な問題もあると思うが)が
政治の場で不足していることで国益が損なわれている面も
多々あることを考えると、
「非武士道的な、ありとあらゆる戦略を教育する、実践する、発信する」、
そんな教育機関、情報機関、政府機関が、
中国共産党に勝ち抜くためには、日本にも陰に陽に必要なのだろう。

歴史は軍事的勝者が作るもので、
必ずしも道徳的勝者が作るものではない。

そんな非常な歴史の真理を自国の歴史の中にも見るとき、
日米開戦前に他国に誇れるほど、有り余るほどふんだんにあったのは、
”臆病を退け、死をも恐れない勇敢な、1000年にわたって
古来より続く戦士の精神”であり、
足りなかったのは”民間人も虐殺され得る、
第一次世界大戦で欧州諸国が経験した、総力戦の悲惨な経験とトラウマ”
であり、
”卑怯な戦略も矢継ぎ早に堂々と実行できる、姑息とも取られかねない、
戦略重視の思想”であった。

私たちの祖先・先輩たちは、間違いなく勇敢であった。

しかし、国益と国民生命の安全保障に
結果責任を持たねばならない政治的指導者・将軍・外交官たちは、
勇敢さを上回る、卑怯で姑息なまでの
ずる賢さ・戦略性の高さ・豊富さを同時に持ち合わせているべきであり、
惜しいかな、当時の彼らは、武士道に反する戦略に精力を傾ける発想を
四方八方めぐらす勇気を持ち合わせていなかった。

そのような見方もできるのではないだろうか。

―――――――

上記の文章はmy日本愛国者ルパン( ・ω・)ノさんの大東亜戦争についての総括です。
昭和60年(1985年)8月25日生まれ、千葉県在住の方です。

―――――――――――――――――

【短縮版】隠蔽が続く大東亜戦争の発端
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-633.html
★もっと超簡単に!大東亜戦争にいたる流れの説明
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日本は何度も何度も和平交渉を申し込んでいた。
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★「正統史観VS自虐史観」の議論例 (mixi)
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rekisisiranaiさんの「大東亜戦争に至るまでの解説」
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ちりちゃんの「第2次大戦で完敗した理由」
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2009/11/14 09:00|年表リンク用資料
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