正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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1/7_アメリカの鏡・日本

『 アメリカの鏡・日本 』 ヘレン ミアーズ 著(1948年)

GHQの一員として来日したアメリカの歴史学者(女性)で、
終戦直後「アメリカは日本を裁くほど公正でも潔白でもない」と主張。
グローバルな視点で説き明かされる開国以降の日本の行動。
マッカーサーが日本での出版を禁止した、日米戦争の貴重な歴史書。

P85-87

東洋支配の飽くなき野望の実現に狂奔する米英は、
重慶政権を支援しつつ、東アジアの動乱をいよいよ悪化させてきた。
米英両国は他の国々に追従を唆し、われわれに挑戦すべく、
わが帝国周辺において軍事力を増強した。

彼らはあらゆる手段を用いて、わが平和通商を妨害し、
遂には経済関係断絶の挙に出るにいたった。
これはわが帝国の存立を根底から脅かすものである。

かくのごとき情勢にいたれば、
わが帝国は実にその存立と自衛の為に、武力に訴え、
その行く手に立ちはだかる障害を打破するほかにとるべき道はないのである。
――米英両国に対する宣戦の詔書、1941年12月8日

(中略)

1932年からパールハーバーまでの十年間、
駐日大使だったグルー氏から米戦略爆撃調査団のメンバーにいたる
公的立場のアメリカ人すべて、
日本の指導部は終始「国家の存亡にかかわる利益」のために
戦っていると考えていた、と証言するのだ。

グルー大使は、1932年9月3日、東京で自分の日記に次のように書いている。

「日本は・・・(満州に於ける)全行動を国の存亡にかかわる至上命令、
或いは自衛手段の一つ、と考えている。
彼らはこの考えにたって、戦争も辞さない覚悟を固めている」

日本の戦争指導部から事情を聴取した米戦略爆撃調査団が1946年7月、
大統領に提出した報告は次のようにいう。

「日本の指導部が国家の存亡にかかわる利益の為に戦っていると
固く信じて、戦争を始めたことは明らかである。
これに対して、アメリカは単に自分たちの経済的優位と主義主張を
押し付けようとしているのであって、
国家の存亡にかかわる安全保障のために戦ったのではない、
と彼らは信じていた」

日本の指導部はなぜ満州と中国が
「国家の存亡にかかわる利益」であると信じていたのであろうか。
開戦前に、ルーズベルトが出した声明を読み返せば、
ある程度は理解できるだろう。
たとえば、1941年5月28日、
ルーズベルト大統領は次のように言っている。

「・・・『攻撃』という言葉を使う時は、現実的でなければならない。
・・・『敵が我々の海岸に上陸するまでは、自衛のための戦争はしない』
というのは愚かな考えである。
我々がアメリカ諸国の独立と国家の存在を尊重するなら、
そのために戦うだけの決意が必要である。
それは、本土の海岸を守るのと同様、重要なことである」

同年9月21日には「・・・我々が自衛上死活の重要性をもつと
考える水域に、枢軸国の潜水艦ないし爆撃機が存在すれば、
そのこと自体が攻撃である」と語り、
そして同年10月27日には
「・・・もし、我々の政策が交戦の不安に左右されるなら、
我が国の全艦船と米州諸国の全船舶は自国の港に繋いでおいたほうがいい」
と言っている。

アメリカの「存亡にかかわる利益が脅かされた」と判断したら、
大統領は世界のどこであれ、
その国あるいは国々を攻撃する権利を持つというのだ。
日本にとっては、その点が肝心なのだ。

米大統領は、アメリカの存亡にかかわる利益と
その侵犯者を決める権利を持っているというが、
自国の国益を定義し、
それを誰が脅かしているかを決める権利がアメリカにあるなら、
日本にも同じ権利がある筈だ。

もしないなら、なぜないのか。
しかもアメリカは「自国の海岸に上陸してくるまで」待つつもりはないと
言っている。
それなら、日本が「国家の存立」を守るために、
どこで、いつ、誰と戦うかを決める権利も許されると、
日本が考えてもおかしくないだろう。

国際関係を本当に知ろうとしたら、
政策立案者の説明する政策が実際にはどういう意味をもっているか、
深く考えてみる必要がある。

米国が「国益」としているものの上に、外交政策を立てているなら、
日本に対する米国の裁判はかなりの調査が必要となってくる。
日本の政策は一貫して、国益の上に据えられてきたからだ。

米国が「国家の存亡に関る利益を守るために戦う」のは、
米国の権利であると主張する以上、
同じように主張してきた日本を何で罰することができるのか。
「世界征服」を企てたという理由で、
日本を公正に罰することが出来るというのも理解できない。

現にアメリカの公式調査報告は、
そのような意図はなかったという日本の反論を記録にとどめているのだ。

パールハーバーはアメリカ合衆国の征服を企んで仕掛けられた
「一方的攻撃」であるというが、
この論理では日本を公正に罰することはできない。

なぜなら、私たちの公式記録が、
パールハーバーはアメリカが日本に仕掛けた経済戦争への
反撃だったという事実を明らかにしているからだ。
パールハーバーは青天のの霹靂ではなく、
然るべき原因があって起きたのだ。

P100-101

蒋介石の濠人顧問、W・H・ドナルドがルソン島の
日本軍捕虜収容所から解放された後のインタビューで
語ったところによると、
日本は1938年から1941年の間に、
「12の和平提案」を行っている(1945.1.25 ニューヨーク・タイムス)。
日本側の条件は中国側に有利なものだった、という。

つまり、日本の要求は、満州国の独立の承認、
華北の経済と開発に関する何らかの権利、
「外蒙古から及ぶロシアの影響力の伸長を
阻止するための内蒙古の政治的調整」だけだった。
ドナルドは「日本はこれらの提案の中で、領土的要求は一切していない」
と語った。

これが、中国に於ける日本の目的の全てだったとはいえないが
パールハーバー以前のアメリカの公式資料には、
これとほぼ同じ内容の日本の公式声明が記録されている。

日本の電撃戦の勝利が、日本の軍事力に対する認識を大きく狂わせた。
この成功をとらえて、
日本はいまや「世界で最も巨大な帝国」を支配しているといった人々が、
日本が東南アジアの占領地域を帝国の一部であると
主張したことはないという事実については、何もいわないのだ。

これらの占領地域について日本は、
アメリカがアイスランドや北アフリカを占領したのと同じように、
戦時の「防衛」手段として占領した、
或いは「有色植民地住民」をヨーロッパの宗主国から自由にするための
「解放」軍として占領したものである、と主張していた。

日本の緒戦段階での領土獲得は、
軍事的成果ではなく政治的成果、或いは放棄によるものである。
日本はフランスのビシー政権との合意に基づいてインドシナを占領した。
これはアメリカの北アフリカ占領を認めたダルラン提督が
力を貸した結果なのだ。
イギリスとオランダは植民地から撤退し、
或いは、抵抗らしい抵抗もせず領土を明渡した。

そして、現地住民は消極的にしろ積極的にしろ、おおむね日本側についた。
マレーとビルマからイギリスが撤退したのは、どこまでが軍事的成果で、
どこまでが政治戦略だったか明らかではないが、
インド参戦の条件として、戦後の独立の保障を要求していた
インド会議派の指導者とメンバー数千人が、
日本のインド侵攻が間近に迫っていることを理由に逮捕されている。

P130

日米関係が戦争に向かって急速に悪化していた1941年11月中旬、
両国政府はそれぞれの議会に軍事予算の増額を求めている。
ルーズベルト大統領は70億ドルの増額を、
日本政府は9億8千万ドルの増額を要請した。

1943年1月のルーズベルト大統領の予算教書に拠れば、
パールハーバー直後から私たちは毎月20億ドルを支出している。
日本が重大なパールハーバーの年の1年間に
認められた軍事費を殆ど1ヶ月で使っていた。

日本の軍事予算は1944~45年に380億円を
追加計上してピークに達した。
これはほぼ90億ドルに相当するが、
既に日本の工業生産は成長が止まっていたし、
基本物資不足のために減少し始めていたのだから、
これは単なる期待値に過ぎない。

これに対して、同じ時期、
私たちは970億ドルにのぼる「国防」費を認められて、
戦闘態勢に入ったのだ。

1937年7月の「日華事変」からパールハーバーまでの
4年3ヶ月の間に、
日本は中国と満洲の軍事・防衛活動に62億5千万ドルを使った。
1940年7月から1941年3月までに、
アメリカは1千6百10億ドルを使っている。

満州事変から降伏まで、
14年間の日本の総軍事予算は480億ドルを下回っている。
これはアメリカが武器貸与法で同盟国に供与した額を
やや上回る程度である。
戦争の全期間を通じて私たちが支出した軍事費は
3千3百億ドルにのぼる。

P134

日本が経済的に窮乏していたと言う事実は、
一つひとつが極めて重要な意味を持っている。
もし日本が1931年に世界征服を開始したとしたら、
アメリカ、イギリス、オランダ、フランスは
征服事業の協力者といわなければならない。

これら各国が支配する地域からの物資供給がなければ、
日本は満州事変と日華事変を遂行できなかったし、
パールハーバー、シンガポールも攻撃できなかったろう。

そればかりでなく、多くの日本人が食べていけなくなったろう。
アメリカ、イギリス、オランダ3国は、
日本の軍事必需品の85%を供給していた。
1938年には、アメリカだけで57%を供給しているのだ。

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1/7_アメリカの鏡・日本
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2/7_アメリカの鏡・日本 日本の降伏を許さず原爆投下へ
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2009/11/12 09:00|年表リンク用資料
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