正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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3/7_アメリカの鏡・日本

『 アメリカの鏡・日本 』 ヘレン ミアーズ 著(1948年)

GHQの一員として来日したアメリカの歴史学者(女性)で、
終戦直後「アメリカは日本を裁くほど公正でも潔白でもない」と主張。
グローバルな視点で説き明かされる開国以降の日本の行動。
マッカーサーが日本での出版を禁止した、日米戦争の貴重な歴史書。

P252

朝鮮は中国の「属国」だから、
中国に圧力をかけて譲歩を引き出すことができた国が、
朝鮮での特別待遇を得られる。

この状況では、イギリスと日本の「利害」は
完全に一致していたといえる。
1894年7月16日、日英両国は、
イギリスが5年後に治外法権を放棄することを
取り決めた青木・キンバリー条約に調印し、
8月1日、日本は朝鮮の「独立」を勝ち取るためと
称して中国に宣戦布告をした。

日本の見地から見れば、この戦争は完勝である。
西洋列強は喝采し、日本に於ける彼らの「特権」を相次いで放棄した。
そして、日本を対等の主権国家として承認した。
日本は朝鮮皇帝を中国皇帝、日本国皇帝と同列に扱った。

中国からは賠償金
(出所は、西洋の合弁会社が中国に『高利』で貸した金。
日本はそれを基に金本位制についた)と、
台湾と澎湖諸島を割譲し、遼東半島で大きな租借地を得た。
(三国干渉の原因)

三国干渉を契機に、欧米列強の中国分割が加速していく。

満州と沿海州にロシア、山東省にドイツ、華北、揚子江流域、
香港(阿片戦争に因る)に
イギリス、雲南省にフランスというように、
いくつかの「勢力圏」に分割された。

外国勢力の進出で、中国は混乱状態に陥る。
義和団事件(1899)が起き、欧米列強と日本の連合軍が鎮圧。
いまや独立国となった日本は、英の完全なるパートナーとして、
西洋文明のために非文明の中国と戦い「立派な役割」を果した。

多くの国が中国割譲に殺到した事実は、
極東に介入した超大国がイギリスとロシアだったことを
不透明にしているが、両国が当時の超大国であったことには変わりない。
中国本土の英と満州の露は、
それぞれ鉄道建設、鉱山開発、
工場建設などの大事業を着々と進め、経済権益を追求していた。
朝鮮の日本は小さい存在だったが、ライバルとしての力を蓄えつつあった。

日本は競争相手の大国のどこかに助けてもらわなければ、
自分たちの権益を確保できなかった。
日本にとって幸運だったのは、
ロシアを押し返すという点では、英と利害が一致していたことである。
日清戦争後に締結された日英同盟は、
将来の日露戦を想定し、日本強化の為に締結された。

1904年、日露戦争勃発。
日本は再度「朝鮮の独立」の為に闘うことになった。

日本が西洋に認められるうえで、日露戦争は有益だった。
文明世界は奇妙な小男たちの勇気と闘争心に仰天し興奮した。
彼らは民族衣装の着物を着ながら、
たちまちのうちに近代戦の技術を習得していたのだ。

1904年10月4日付のロンドン・タイムスの記事が、
当時の英人の反応を物語っているが、
それは殆どの米人が感じたことでもあった。

極東のこの戦争を取り巻く状況には注目すべきことが多い。

中でもとりわけ目立つのが、ミカドの軍隊の勇気と戦いぶりである。
我々は、不本意ながら、
日本の全ての人間の全ての行動を支配し
動かす精神力の存在を認めざるをえない。
この力はいったい何なのか。

その存在を感じると、妬ましく、落ち着かず、腹立たしくさえある。
勇気とは西洋にとっても珍しいことではない。
が、これは単なる勇気ではない。
その背後にもっと違う何かがある。
もし西洋の軍隊がそれをもっていたら、
西洋の全ての国の軍旗は絶対に汚されることはなかったろう。
そういう何かである。

P256-258

こうした状況下で、米の立場はどうだったろうか?
勿論、米も中国、韓国、日本との間で「和親」条約を結んでいた。
米は表向き中立だったが、実際行動で日本を支持することになった。

1894年7月29日、韓国駐在シル米代表は次のように書いている。

・・・日本は思いやりの態度で韓国に接していると思う。
今度こそ、韓国を中国の束縛から解放しようとしているようだ。
韓国国民の平和と繁栄と文明開化をもたらすことによって、
力の弱い隣国を安定した独立国にしようと考えている。
こうした日本の動機は韓国の知識階層である官僚の多くが歓迎している。
米にも異論はないと思われる。

日清戦争が継続中の1894年、
米は特定関税制限を除く全ての特権や治外法権を放棄する新条約に関し、
日本と交渉し、日本を完全な主権国家として認めた。
日清戦争を終結させるための会談では、
中国と日本にそれぞれアメリカ人顧問がついていた。
会談終了後、明治天皇は米大統領に親書を送り、
東京と北京の米代表の協力に感謝している。

日露戦争では、米は日本を強力に支持していた。
セオドア・ルーズベルト大統領はロシアを説き、
ニューハンプシャー州ポーツマスで日本と交渉する労をとった。
ルーズベルト大統領は、日本が勝っている段階で、
しかも日本の不十分な戦備が底をつく前に、戦争終結を図った。

ポーツマス会議の日本代表の1人、
金子堅太郎伯爵によれば(『現代の日本』1932年9月号)、
ルーズベルト大統領は、
スエズ運河の東からカムチャッカの西までを範囲とする
アジアを対象として「モンロー・ドクトリン」を
宣言するよう日本に勧めたという。

西洋列強の租借地と植民地を除いて、
中国での門戸解放政策を維持していこうというものだった。

日露戦後、米は「事実の論理」(ロジック・オブ・イベンツ)を認め、
韓国から代表を引き揚げた。
韓国皇帝はセオドア・ルーズベルトに訴えたが、
大統領は「韓国は自主統治にも自衛にも
まったく無能力であることがはっきりした」
として、介入を拒否。
「その後の3年間の間に、現地情勢に詳しい外国人たちの称讃を
勝ち得るような改善が数多く実現した」
と書いた米の歴史家もいる。

1917年、ランシング米国務長官と日本の石井菊次郎元外相の間で
交わされた協定で、米は特に韓国と中国に於ける日本の特権を認めた。
ランシング長官は次のように確認している。

合衆国政府と日本は、
領土的近接が国家間に特別な関係を構成することを認める。
したがって、合衆国政府は日本が中国に、
特に日本の租借地が近接する地域に権益を有することを認める。

こうした公式記録を見るかぎり、
なぜ日本が韓国国民を「奴隷にした」として
非難されるのか理解できない。

もし、奴隷にしたのなら、イギリスは共犯であり、
アメリカは少なくとも従犯である。
日本の韓国での行動はすべて、
イギリスの 同盟国として「合法的に」行われたことだ。

国際関係の原則にのっとり、
当時の最善の行動基準に従って行われたことである。
しかも、その原則は日本がつくった ものではない。
欧米列強、主にイギリスがつくった原則なのだ。

日本は韓国の「独立」という実にもっともな動機から、
中国、そしてロシアと戦った。

第二次世界大戦後の日本は、
自分達は何のために戦ったか忘れて しまったかもしれないが、
日本はとにかく当時の国際慣行を律儀に守り、
それにうながされて行動したのだ。

日本外務省が韓国の「対外関係と対外問題」 を「管理統括」し、
日本人の総督が韓国の首都で行政権限を与えられていたのはすべて、
韓国政府と締結した条約にもとずくのである。
1907年、韓国皇帝はハーグの第2回万国平和会議
(当時の平和愛好国の会議)
に抗議しようとしたが、皇帝の特使は発言の機会を与えられなかった。
そして皇帝は退位に追い込まれた。

1910年、日本が韓国を併合したのは
韓国の新皇帝が「請願」したからだった。
パールハーバー以前は、日韓関係について語る歴史家は、
日本は欧米列強から教わった国際関係の規則を
実に細かいところまでも几帳面に守っていた、
と言ってほめるのだ。

トリート教授によれば、
日本は「・・・一つひとつの手続きを外交的に
『正しく』積み上げていた。
そして、・・・宣言ではなく条約で、
最終的な併合を達成したのである」。
事実、列強の帝国建設はほとんどの場合、
日本の韓国併合ほど「合法的」 手続きを踏んでいなかった。

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2009/11/11 09:00|年表リンク用資料
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