正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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4/7_アメリカの鏡・日本

『 アメリカの鏡・日本 』 ヘレン ミアーズ 著(1948年)

GHQの一員として来日したアメリカの歴史学者(女性)で、
終戦直後「アメリカは日本を裁くほど公正でも潔白でもない」と主張。
グローバルな視点で説き明かされる開国以降の日本の行動。
マッカーサーが日本での出版を禁止した、日米戦争の貴重な歴史書。

P271-273

古来、文明国家は海外の自国民とその権利、
権益を適正な手段と理性の原則に則って保護するのを常としてきた。
コーデル・ハル、1938年3月17日
〆 〆 〆

通常流布されている論はこうだろう。
日本軍は1931年9月、不当に満州に出兵して中国軍部隊を追い出し、
「独立」傀儡国家「満州国」を武力でつくった。
中国はこの行動を侵略として国際聯盟に提訴した。
聯盟は日本の行為を非難し、満州国独立の合法性を認めなかったために、
日本は聯盟を脱退し、満州から撤退するどころか、
中国内部に向け着実に南進していった。

1937年7月7日(実際は8日)、
蘆溝橋事件を契機に日中両軍の兵士が衝突し
第二次世界大戦につながる日華事変が起きた。
アメリカは、この時期の日本を中国国民に対する
暴力と貪欲な行為で有罪とする。
この告発は正当だろう。
したがって、日本を懲罰することは正当であり、
将来への警鐘とすべきだろう。

しかし、懲罰と平和の問題は単純なものではない。
第1に、満州事変に対する一般的見方が、
極めて複雑な事件を極端に単純化している。

第2に、一般に行われている日本非難は道義と人道を
基盤にしているが、
外国の侵略を押しとどめるのは道義ではなく、国際法である。
日本を罰する権利は、庶民感情や理想に拠っているのではない。
超大国アメリカの工業力と軍事力を
後ろ盾にした米国務省の決定によっているのだ。

今日行われている公式の日本非難には、
韓国の「奴隷化」とか「凶暴で貪欲な」という
道義的表現が使われている。

しかし、既にみてきたように、
日韓併合当時は、「奴隷化」と言う言葉は使用されていなかった。
「法と秩序」と日本の手段の「合法性」という言葉で
議論されていたのである。
事実をみれば、満州事変も同じことであることがわかるだろう。
韓国でも、満州でも、国際問題は「道義的」かどうかではなく
「合法」かどうかなのだ。

欧米列強は韓国問題では日本を無罪とし、満州事変では有罪とした。
しかし、侵略行為で有罪としたのではない。
国際連盟もアメリカも、
日本が満州を侵略したという非難はしていないのだ。

日本は国際条約を破り、
条約当事国の満州における権利を侵したから有罪なのである。
それだけでなく、中国も日本と並んで有罪とされた。
しかも、中国にいわせれば、
日本と中国を非難している欧米列強も日本と同じくらい罪が重いのだ。

国際関係を正しく議論しようと思ったら、
道義と国際法は全く関係ないという事実を直視すべきだ。
日本を有罪とする米の世論は、満州事変を明白な侵略行為と考えている。
しかし、事実は全く違うのである。
アジアから見れば、これこそ日本と欧米列強が
合法性を装い合う伝統的パワー・ポリテックスなのだ。

米国政府と国際連盟は「九ヶ国条約」、
「門戸解放」政策、「パリ条約」を持ち出し、
一方、日本は「合法的自衛権」で対抗した。
日本がいうのは「文明国が・・・国民と海外権益を守る」権利、
「自決」の原則、弾圧的政府に対する革命の権利である。

中国からみれば、西洋列強も日本も、
これらすべての「原則」をつかって、
極東における「権益」を守り、
或は拡大しようという本音を覆い隠しているのだ。

P275-276

1931年当時、中国の産業資本の4分の3は、
中国の低賃金水準を利用する外国人に握られていた。
僅かな鉄道も外国人が建設したので、中国人のためではなく、
外国人の特殊権益のために敷かれたものだった。
英国が関税と塩税を管理した。

そして、その収入(西洋列強が承認した『中央政府』の主要収入源)
のほとんどが
対外債務の利子返済に充てられ、
政府の行政運営、近代化、福祉には使われなかった。
(1935年には蒋介石政権の国家予算の3分の1近くが外国、
とくにイギリスからの借款の利払いに充てられた。
そして、47%は外国製武器・弾薬の購入に充てられた)。
イギリスの税務管理は、行政規律には問題はなかったが、
やがて日英関係を紛糾させる大きな要因となる。
そして、中国の内部崩壊を加速させる大きな要因となる。

イギリスは、「中央政府」との関係で特権的地位を握っていた。
これが日本には大きな不満だった。
関税と塩税を担保にするイギリスの借款には
利子が支払われているというのに、
日本には莫大な額の債権を焦げ付かせている。

外国勢力はまた、中国の政治をかなりのところまで動かしていた。
1911年の辛亥革命で清朝が倒れ、中華民国の成立が宣言された。
しかし、新政府は成立直後から、北京の保守政権、南部の革命政権、
独自の軍隊と通貨をもち地方権力を握る軍閥小君主などの
対立政権に分裂した。

西洋列強はそのうちの一つ、
1928年まで北京を本拠としていた政権だけを
「中央政府」をして承認したが、
その一方で、競って「地方軍閥」に金を貸し与え弾薬を与え、
特権獲得に狂奔する。

小君主たちは西洋列強の歓心をえることに狂奔する。
彼らはいつも『認知』という勲章をつけた北京と、
中央政府に入ってくる利益を争っていたのだ。
西洋列強は、厳重に守られた租界の中で、
自分たちだけは安泰だったが、中国の安定にはほとんど貢献していない。

中国人民はこうした体制に不満を抱いていた。
清朝を倒した中国人は、
次は弾圧的な地方君主と西洋列強からの解放を目指した。
彼らにとって支配階級と西洋列強の癒着は、もはや限界であった。
中国はいつ爆発するかわからない火山だった。

中国に特権をもつ国は、ヨーロッパのほとんどの国と
ブラジル、ペルー、メキシコを含め全部で13カ国にのぼる。
しかし、はじめから、
巨大な経済権益をもつ最大の外国勢力はイギリスである。

日露戦争までは、露が英と並ぶ勢力だった。
1904~5年にかけて、
日本はロシアと戦いその勢力拡大に歯止めをかけた。

日本は活動の場を朝鮮半島と満州に限定していたから、
西洋列強は、中国本土で思いのまま振舞えた。
しかし、第1次大戦で力の均衡が崩れた。
敗戦国ドイツがもっていた山東省を獲得しようとする
日本の試みは米に妨げられたが
(日本は英の同盟国として第1次大戦に参戦。
1917年、ヨーロッパの同盟国は
日本を説いて地中海に艦隊を派遣させたが、
この時の密約で、戦勝後、
日本は山東省のドイツの権限、特権、資産を譲渡されることになっていた。

この密約の調印国は英、露、仏、伊である。
パリ講和会議で米はこの条約の存在を認めず、
日本への権益譲渡に反対したが、最終的に同意した。
中国はこれに抗議してベルサイユ条約の調印を拒否、
後に1921年のワシントン会議でこの問題が再度俎上に上がり、
日本は要求の大半を下ろした)、
日本は大戦を利用して、強引に中国での権益獲得に動く。

それ以上に極東の安定を揺さぶったのは、
共産主義革命という形で再登場した露(ソ連)である。
中国に権益をもち、アジアとその周辺に植民地をもつ大国にとって、
共産主義ロシアは帝政ロシアよりずっと危険な対抗勢力だった。
ツアーのロシアは「合法的」にゲームをしていたが、
ソ連は「帝国主義」を否定し、
帝政時代の「不平等条約」を認めず、
西洋列強が特権を享受しているシステムの土台を直撃してきた。

P280-281

国際関係の上で「侵略」と言う言葉が、
満足に定義されたことは一度もない。
「パリ不戦条約」の草案政策に
イニシアチブをとったのはアメリカだった。

ケロッグ=ブリアン条約
(訳注=ケロッグ米国務長官とブリアン仏外相によって草案がつくられた)
と呼ばれるパリ不戦条約は、外交手段としての戦争を「非合法」とした。
しかし、ケロッグは戦争禁止条項から特に「正当防衛」を除外している。
中国は日本を侵略者として告発したが、
日本は日本軍の行動は「国家の存亡にかかわる利益を守る」ための
「正当防衛」であると反論した。

米国政府は日中間に起きたこの問題を裁定したくないのだ。
米がためらっているのは、
この問題を裁定すれば自らの立場を苦しくするからだ、と日本はみた。

第一に、米は1927年、
中国で武力を行使(米艦船の南京砲撃)したばかりである。
理由は日本と全く同じで、
横行する中国人「盗賊」から自国民と財産を守る、というものだった。
今後も同じ手段に訴えることがないともかぎらない。
だから、あとで自分たちに返ってくるような公式は出せないのだ。

第二に、将来ニカラグアやメキシコでの権益を守るために、
海兵隊を送らなければならないような事態を考えると、
外国の干渉を許すような政策はとれないのだ。
このジレンマを解いたのが「門戸解放」政策と
九ヶ国条約という公式である。
これなら、中国と日本の双方に当てはまるし、
侵略を定義しなくても、
現状を固定でき自分たちの権益は守れるだろう。

(中略)

中国からみれば、九ヶ国条約は中国の主権を保障するどころか、
否定するものだった。
何よりも先ず、中国における西欧列強の特権的地位を「固定化」し
「合法化」するための合意である。

これらの条約は、中国にとって、
屈辱的であるばかりでなく、恒常的な不安定要因であった。
中国は何年にも亙って、不平等条約を解消しようとしてきた。
条約に抵抗して1925年、イギリス排斥運動を起こした。
1927年、中国革命軍は九江と漢口のイギリス租借地を
武力で奪取した。
1928年、蒋介石は列強が行動を起こさなければ、
1931年までに自分の責任に於いて、条約を破棄すると通告した。

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2009/11/10 09:00|年表リンク用資料
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