正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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6/7_アメリカの鏡・日本

『 アメリカの鏡・日本 』 ヘレン ミアーズ 著(1948年)

GHQの一員として来日したアメリカの歴史学者(女性)で、
終戦直後「アメリカは日本を裁くほど公正でも潔白でもない」と主張。
グローバルな視点で説き明かされる開国以降の日本の行動。
マッカーサーが日本での出版を禁止した、日米戦争の貴重な歴史書。

P354-355

1940年4月、日本は汪精衛を南京に担ぎ出し、
同年11月汪政権を中国の正当な合法的「中央政府」として承認した。
英米は直ちに蒋介石政権が正統政府であると発表。
米英は汪政権を傀儡とし、日本は蒋介石を傀儡とした。

中国人の立場からみれば、両政権とも法的擬制である。
蒋介石も汪精衛も外国の後押しがなければ支配的地位を握れない。
双方とも中国人の力で政権に就いたのではない。
両政権の軍隊は方や米英、方や日本により資金手当てされ、
訓練されていた。
両政権とも中国共産党からは敵視されていた。
日華事変では中国共産党は蒋介石と協力し日本に抗戦したが、
蒋介石は日本軍、共産軍双方と戦っていた。

米国は蒋介石に多額の借款供与のみではなく、
日本に厳しい経済制裁をちらつかせることで、
日華事変(事実上、1939年の世界大戦に合流)に参画していた。
1939年6月、米国は日本との通商条約(1911年締結)
を破棄した。
これにより、米国はいつでも貿易を停止できるようになった。

米国はまず武器、次いで戦略物資と徐々に輸出制限を拡大していった。

(中略)

石油などの必需物資は1941年中頃まで、日本に届いている。
米国内ではガソリンが配給制であるにもかかわらず、
依然として対日石油輸出が続けられていることに、国民は納得しなかった。

これに関してルーズベルトは、
もし、我々(英蘭)が日本に石油を売らなければ、
彼らは蘭領インド諸島に南下して、武力奪取するだろう。
そうなれば「戦争になるだろう」。
だから我々は日本に石油を売り続けなければならない、と説明している。

現実的に言えば、ヨーロッパでの戦争に目途が立ち、
米国の防衛計画がもっと固まるまで、
日中戦争を続けさせるのが米国の政策であった。
日本は中国で忙殺されていた。

蒋介石は日本に屈せず、戦闘継続できるだけの援助を受けていた。
米国民はこの政策を、英国のためだけではなく、
米中両国民の為に最上のものと考えていた。
戦争の為に爆撃や飢えで死んだ何百万の中国人がもし選択できたら、
果たして賛成していたかどうか、ということには考えは及ばなかった。

中国情勢の安定化を阻まれた日本の政策立案者は、
一つまた一つと間違いを重ねていった。

1937年11月、
日本は支配地域に共産主義の侵入を阻むための自衛手段と称して、
独伊反共条約に加盟。
米英はこの条約は世界征服のための侵略計画であるとみたが、
日本は防衛上必要な条約、
即ち世界情勢が次第に日本を脅かす状況に向かっていく中で
同盟国を求めるための行動であると発表した。

P355-357

反コミンテルン条約の調印を契機として、
日本にとって事態は確実に悪化していった。
日本が枢軸国同盟に加盟した理由は、紛れもなくソ連の脅威だった。
したがって、独ソ不可侵条約締結は、
日本は英国、米国と同じように大きな衝撃を受けた。

その後、独はソ連を攻撃したが、
このときも日本が抱いた感情は米英と同じものだった。
日本は日華事変を終結させ、
一応の安定に復帰するため、絶えず蒋介石に働きかけたが、
米英は、日本が莫大な財政的損失を出し、
アジアの前で威信を失うまで、戦争を継続させる考えだった。

問題が日中間だけに留まるものなら、
日本は寛容を装ってでも、戦略的撤退をしていただろう。
しかし、戦争の終結条件を決めているのが中国ではなく英米である以上、
日本は行くところまで行くしかなかった。
でなければ、生存の条件として教えられた大国の地位を失うしかなかった。

日本は益々泥沼に沈んでいった。
日本は米国の動きに応えようとしたが、
何をしても米英両国から叩かれた。
遂には、米英と日本双方の動きがあまりにも
重層的でめまぐるしくなった。

いまからみても、どれが攻撃で、どれが反攻か、
殆ど見分けられないほど複雑である。
米国の経済制裁は部分的に実施されただけだったが、
それでも厳しい神経戦となった。
1941年7月、米英蘭は共同で各統治領内の日本資産を凍結し、
貿易関係を全面的に断絶した。

ここに至って日本は、満州事変以来怯え続けてきた最後のときが、
遂に来たことを悟った。
これら諸国からの物資がなければ、
日本は米英蘭の言う条件で中国と満州から撤退するしかない。

日本は、戦うか、3国の条件を呑んで小国に身を落すか、
の決断を迫られた。
日本の内閣は総辞職。
近衛公が去り、東条大将がやってきて、
凍結措置は戦争行為であると無造作に言い放つ。
次に来るのは必然的にパールハーバーである。
日本にいわせれば、これは当然の自衛的行為であり、
「帝国の存立」を賭けた攻撃だった。
そして戦争を倫理的に正当化する法的擬制は「大東亜の解放」だった。

P361-364

皮肉な時代の大きな皮肉は、
1946-47年のインドネシア問題で中国が演じた役割である。
中国は安全保障理事会のメンバー
(第1次大戦後の日本と同じように、大国の重要な一員)として、
オランダとインドネシアの間の紛争は単なる
「地域」問題に過ぎないという立場をとった。

したがって、国際連合は査察する必要はなく、
安保理は行動を起こす必要はない、というのだ。
この立場を選んだことで、
現在の中国政府(不思議なことに、満州事変当時と同じ政府)は
日本の満州政策に対する「法的」優位性を失った。

満州事変とインドネシア事変は驚くほど似ている。
蘭は、日本が中国で行ったことを、インドネシアで行っている。
それは、かつて、中国が非難した行動なのだ。

今日蒋介石の中国が置かれている立場は、
日本が最初の教育の時に置かれていた立場と同じである。
米国人はこの類似性について真剣に考えてみる必要がある。

1937年以来、米英両国は蒋介石政権に
数十億ドルにのぼる借款と物資を供与してきた。
だから米国人は、中国は米国と同じ陣営であると考える。
しかし、米が考える中国の全体像は、
十指に余る法的擬制からできたものなのだ。

第一に、国民或は国家を代弁する権威ある政府を持った共和国、
または国としての「中国」まだ存在していない。
戦争中に存在したのは三つの政権だった。

即ち、重慶の蒋介石、南京の汪精衛、そして延安の所謂共産党である。
蒋介石は英米に協力し、両国の支援で日本と戦った。
汪精衛は日本に協力し、日本の支援で英米と戦った。
共産党はソ連の支援を受けながら、
蒋介石と戦った時期もあるが、結局共同で日本と戦った。

しかしその一方でソ連は、蒋介石を支援していた時期もある。
現在、この国では蒋介石政権と共産党の内戦が再燃している。
米は蒋介石を、
ソ連は共産党を、双方が中国の平和と幸福を破壊しているのだ。
内戦は高度なパワー・ポリテックスのゲームになっているのだ。

中国との関係は、今後益々、米国を悩まさずにはおかないだろう。
米国は中国を「われわれの陣営」であり、
蒋介石を友好国中国の代表と考える癖がついてしまったが、
これは錯覚である。

蒋介石が書いた『中国の運命』の完全版を丹念に読むと、
あまりにも米英に依存せざるをえない現在の
立場を慨嘆していることが解る。
本の中で彼は、日本の帝国主義だけでなく、
西洋の「帝国主義」全般に対する怒りの気持ちを表し、
近代に入って中国が混乱した原因は不平等条約下での
西洋列強の行動にあったと非難している。

この本を読むと、蒋介石が米英の援助を受けているのは、
これによって強力な政権を樹立し、
名実ともに外国の支配から抜け出すことが狙いであることが解る。

しかし、それまでの間、
蒋介石が米国に頼らざるを得ない部分はきわめて大きい。
蒋介石が米国の傀儡とみられてもしかたがないのだが、
これは、米国民には戦慄すべきことである。
それが怖いなら、米国民はそう思われないように行動するしかない。
実際には、近代中国の政権はいずれも傀儡だった。

そして皮肉なことに、中国から見れば、
日本の「傀儡」政権のほうが、米国のものよりはましだった。
米国は日本が汪精衛に貸した金額より
圧倒的に多額の借款を蒋介石に与えたことは事実である。

しかし、日本は上海を含む中国の日本「解放」区にあった外国資産を、
気前よく汪政権に引き渡している。
これに対して、日本敗戦後、蒋介石が最初にやったことは、
その資産の一部を英米の元の所有者に返還することだった。

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2009/11/08 09:00|年表リンク用資料
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