正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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外国から見た日本【現代版】

世界のホテル関係者に聞いた、好感を抱く旅行客ランキング

■一年目
1位、日本
2位、アメリカ
※回答者の8割弱が日本を選び2位アメリカとの差は圧倒的

■二年目
1位、日本
2位、イギリス
※回答者の8割弱が日本を選び2位イギリスとの差は圧倒的

■三年目
1位、日本
2位、ドイツ
※回答者の8割弱が日本を選び2位ドイツとの差は圧倒的

*ちなみに、一番日本人を高く評価していたのがドイツのホテル関係者
*世界最低の観光客は中国人・インド人・フランス人
(中国人とインド人はなぜか2年目から調査対象から外された)

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ヨーロッパ諸国の賃貸オーナーに聞いた、好ましい賃借人のランキング

一回のみ実施

1位、日本

※ほぼ全員が日本と回答。自国民より日本人に貸したいという回答多数。

*ヨーロッパ人が一番貸したくない相手は、
中国人、イスラム系民族、トルコ人、韓国人など・・・

部屋が破壊される、滞納が多い、ルールを守らない、
家族や仲間を呼び寄せる、スラム化する・・など。

*イギリス人の証言
「なんで日本人かって?だって貸した時よりきれいにして出てくのよ!
信じられる? 他国の人に貸したくなくなるわよ。
イギリス人にも貸したくないわ。
支払いもキチンとしてるし日本人もう最高よ」

★なぜか敗戦国で世界のマスコミから悪者とされている日本とドイツが、
現実には好かれている国の世界トップ2だ。

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■@週刊Newsweek
■レジス・アルノー 1971年、フランス生まれ。仏フィガロ紙記者

■日本は最高 1

18歳になるまで日本で暮らしたフランス人の多く
(いや、ほとんどかもしれない)が選ぶのは、フランスよりも日本だ。
なぜか。
彼らは日本社会の柔和さや格差の小ささ、
日常生活の質の高さを知っているからだ。

日本とフランスの両方で税務署や郵便局を利用したり、
郊外の電車に乗ってみればよく分かる。
日本は清潔で効率が良く、マナーもいい。
フランスのこうした場所は、不潔で効率が悪くて、係員は攻撃的だ。

2つの国で同じ体験をした人なら、100%私の意見に賛成するだろう。
将来を考えても、多くの点で日本のほうが明るく見える。

日本人は、今や長年務めた会社にさえ
首を切られかねないと嘆くかもしれない。
だがフランスでは、中学や高校、大学を卒業しても仕事がない。
この年齢層の失業率は15?20%に上る。
30代になるまで働かないという学生が大勢いる。

それにフランスの給料は安いし
(企業が儲けているのは確かだが、給料は安い)
同じカネを出して買えるものは一般的に日本よりも少ない。

日本では、例えば川崎の安アパートでさえ、少なくとも清潔で安全だ。
パリ郊外のアルジャントゥイユは違う。
日本では700円で満足な食事ができる。
フランスは違う。
日本では6歳の子供が1人で通学できる。
フランスは違う。違うのだ。

■日本は最高 2

外国(日本以外の国)はバラ色ではなく「ジャングル」だ。

それでも人々は外国に対し、現実とは異なるイメージを抱いているもの。
日本人はフランスについて、見当違いな憧れを抱いている。

先日、パリ出身のかわいい女友達シルビーとコーヒーを飲んでいた時のこと。
シルビーが、「パリジェンヌ気分を味わおう」という
(日本の)ファッションビルの巨大広告を見て笑い始めた。

「パリ気分を味わいたいって? そんなの簡単よ。教えてあげる。
身ぎれいにするのをやめればいい。
ホントのこと言うと、日本人の女の子の隣にいると自分が汚く思えてくる。
彼女たちって何度も何度も化粧を直すし、
髪型だって最高。どんなパリジェンヌよりも女らしい。
私のフランス人の彼氏は、日本人の女の子たちに追い掛け回されてる。
私はパリ気分よりも、ジャポネーゼの気分を味わいたいわ!」

日本の若者は自分の国の良さをちゃんと理解していない。
日本の本当の素晴らしさとは、
自動車やロボットではなく日常生活にひそむ英知だ。

だが日本と外国の両方で暮らしたことがなければ、このことに気付かない。
ある意味で日本の生活は、素晴らし過ぎるのかもしれない。
日本の若者も、日本で暮らすフランス人の若者も、
どこかの国の王様のような快適な生活に慣れ切っている。

外国に出れば、「ジャングル」が待ち受けているのだ。
だからあえて言うが、若者はどうか世界に飛び出してほしい。
ジャングルでのサバイバル法を学ばなければ、
日本はますます世界から浮いて孤立することになる。
「素晴らしくて孤独な国」という道を選ぶというのであれば別だが。

■日本は最高 3

彼らには、自分の国が見えていないのだろうか。

世界中のデザイナーが日本文化に夢中だというのに。
デザイナーだけじゃない。クリスマス前のニューヨークは、
新発売の黒澤明監督作品DVDボックスの話題でもちきりだ。
私の友人は、漫画や寿司、武道を通して身近になった日本文化を
実際に体験しようと、日本を訪れる日を夢見ている。

日本に降り立つ外国人は、
フランスの思想家レジス・ドブレが言うところの「純真な目」をもっている。
彼らは日本の都市や田舎の摩訶不思議をまっさらな目で見る。
この嘘のない第一印象は、貴重な宝だ。

実際、観光庁のサイトが立ち上がってすぐの投稿には、
新鮮で好意的なものが多い。
外国人が日常的に体験する数えきれないほどの親切や気遣いの心。
そして静寂。私を訪ねてくる外国人は皆、東京の静かさに驚く。

さらに、スピードや効率化が最優先される現代で失われがちな、
人と人とのつながりを大切にする姿勢。

日本を訪れる人がそれまでの急速な時間の流れから解放される瞬間は、
まるで壁に刺したメモ書きのように、心の中に留められることになる。
私の心もこうしたメモでいっぱいだ。

例えば、レストランで見知らぬ日本人が私の分まで支払って
何も言わずに去っていったこともある。

また、父を連れて京都にある「1日4人様限定」のレストランを訪れたとき、
父はこう言った。
「4人のためだけのレストラン----
私が人生ですべきだったのは、まさにこれだな」。

寺の僧侶が、仏陀について日本語で20分も説明してくれたこともあった。
頼んだわけでもなく、
私は彼の言葉を何ひとつ理解できなかったのにもかかわらずだ。

日本の魅力を伝えたいなら、外国人がタダでやってくれるだろう。
帰国する外国人を成田空港でとっ捕まえて、
カメラの前で旅行の思い出話を語ってもらい、その映像を売り出すのだ。
よほどのことがない限り、日本に失望した、という外国人に
出会うことはないだろう。
こうした人々がいつか、
世界の観光業界でわけもなく大切にしまわれてきたトップシークレットを
明かしてくれるはずだ----「日本は最高だ」と。

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■日本ほど素晴らしい国は、世界中のどこにもないだろう
ベンゲル 元名古屋グランパス監督

日本人はヨーロッパを美しく誤解している。
しかし実際のヨーロッパは全然違う。
日本が東京のような大都会とすれば、
ヨーロッパはアフリカのサバンナのようなところだ。

治安が悪いのはもちろんのこと、
日本人と比較すればヨーロッパ人の民度は恐ろしく低く
日本では当たり前に通用する善意や思いやりは全く通じない。
隙あらばだまそうとする奴ばかりだ。
日本と違い階級社会である為、会話の全く通じない無知な愚か者も多い。

私は、時々、欧州事情に疎い日本人が欧州に行ったら、
精神に異常を来たしてしまうのではないか?と心配することがよくある。
欧州について何も知らない日本人が欧州に移り住むというのは、
都会の快適な場所に住んでいる人間を、
ライオンがうようよいるアフリカのサバンナに丸裸で放り込むのと
変わらないだろう。悲惨な結果になるのは目に見えている。

日本ほど素晴らしい国は、世界中のどこにもないだろう。
これは私の確信であり事実だ。
問題は、日本の素晴らしさ・突出したレベルの高さについて、
日本人自身が全くわかっていない事だ。

おかしな話だが、日本人は本気で、日本はダメな国と思っている。
最初は冗談で言っているのかと思ったが、
本気とわかって心底驚いた記憶がある。信じられるかい?
こんな理想的な素晴らしい国を築いたというのに、
誇ることすらしない。本当に奇妙な人達だ。
しかし我々欧州の人間から見ると、
日本の現実は奇跡にしか思えないのである。

だから、私はいつも、欧州に行きたいという選手がいたら、
よく考えて決めるべきとアドバイスしている。
日本でレベルアップできるなら、
日本より(国の発展が)遅れている欧州諸国に行く必要は全く無い。
欧州では人種差別もあるので、
力があっても出場すらさせてもらえないかもしれない。
リスクが大きすぎるのだ。
日本のリーグのレベルを上げる事の方を、
安易な欧州進出よりも優先すべきである。

もしどうしても行きたければ、
ドイツのような人種差別意識の低い国のリーグか、
ビッグリーグよりレベルの少し落ちる国のリーグに行って、
実績を積んでから、ビッグリーグに移籍すべきだ。

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■世界の「日本祭り」

★ドイツ  Japan Tag (日本デイ)
たった1日で全世界から150万人 世界最大の日本祭り

★フランス Japan Expo 祭り開催全期間で17万人

★イギリス Japan Matsuri 祭り開催全期間で5万人

上記3カ国は第2次ジャポニズム運動で張り合っているので
盛況なのは当然だが
他にもスペイン、アメリカ、イタリア、カナダ、
北欧諸国、ブラジル・・・など多数の国で日本祭りが行われている。

フランスのように、
★ジャパンエキスポ パリ郊外開催 夏
★CHIBI(=チビ)ジャパンエキスポ パリ市内開催 秋 
★ジャパンエキスポSUD マルセイユ開催 冬
というように、場所と時期を変えて、一年中開催しているところもある。

これは、従来の年一回の開催では、
物足りなく寂しいというフランス人が多かった為である。
今後は、イギリス スペイン ドイツなどにも、
チビジャパンエキスポを広げていくつもりらしいが
既に、進出予定先でも、その国の人間が独自の日本祭りを開催しているので、
どうなるかは不明である。

また★ドイツのJapan Tag (日本デイ)は、
世界最大の日本祭りであるだけでなく、伝統的な祭りを含め
ヨーロッパのすべての祭りの中でも最大規模のものである。

さらに、相互交流の為の○○年というものがあるように、
日本以外の国の祭りも確かに存在するが、
日本以外の国の祭りは、非常に規模が小さく、万単位の人は集まらない。

また、日本以外の国の祭りに来るのは、ほとんどが、その国に移住した、
祭り該当国から来た人達ばかりである。

例えて言えば、日本で韓国祭りをやっても、
在日韓国人しか来ないのと同じ構造なので
日本祭りとはとても同列には扱えない。

そして、何より凄いのは、欧州主要国のどこの国でも、同じで、
国や人種を問わず、あっちこっちから
お客さんがやってくるのは日本祭りだけということ。

ハリウッドの影響力が表面的なものに留まり、
生活全般や文化にはほとんど影響を与えなかったのに比べ
日本文化は、生活や文化の隅々にまで影響を与え、完全に定着し、
融合している点で、欧米マスコミが書いたように
「文化的な影響力では、日本は圧倒的な存在になっている」と言えるだろう。

―――

『2ちゃんねる』からのコピペです…(谷; )

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海外での日本人気@まとめwiki
http://www15.atwiki.jp/jpcl/

親日家の声を聞こう
http://mikomo.hp.infoseek.co.jp/menu00.htm

愛国心を育てる名言
http://ilovenippon.jugem.jp/?cid=23

世界的な人気を誇る日本文化
http://s02.megalodon.jp/2009-0218-0051-43/blog.goo.ne.jp/pandiani/e/5df87c8d7ed7eb68abafb23d0c7ae404

自信を持とう日本!!
http://s04.megalodon.jp/2009-0208-1247-15/nandakorea.sakura.ne.jp/html/nihon.html

世界の偉人たちの驚き日本発見記


外国人_日本に死ぬほど住みたい理由


フーリガン出る幕ない。
http://s03.megalodon.jp/2009-0209-1621-17/nandakorea.sakura.ne.jp/html/wcupkoryu.html
【韓国】ホスト国の人間がすることか?
http://s04.megalodon.jp/2009-0212-1501-50/blog.goo.ne.jp/pandiani/e/b8d6d590a6e67e4d735cf25622ad3559

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日本人の精神伝統

『愛国心の教科書』 渡部毅 著

―――引用はじめ―――――

●寛容の精神

「日本では神道を信じながら同時に仏教徒であり、
しかも儒教をも否定しないという寛容な宗教的伝統がある」

こういっていたのは、杜維明ハーバード大学教授ですが、
「寛容な宗教的伝統」というのは、
日本神話の中によく示されていると思います。

その一例として注目したいのは、アマテラス大神の存在です。

アマテラス大神は、日本神話の中でもっとも尊い神とされますが、女神です。
これは世界の主要な神話の中では珍しく、
たとえばギリシャ、ローマ、ゲルマン、エジプト、ペルシャ、中国などの
神話の最高神は、すべて男神です。

しかも、これらの最高神は自分の地位を獲得するために、
敵対神(自分の親や祖先であることが多いことも特徴)と
血みどろの殺戮や戦いを行っています。

これに比べてアマテラス大神は、
父親のイザナギの尊から天上の神々の女王になるよう命ぜられ、
誰からの抵抗や反対も受けず、平和裏に最高神の位についています。

しかも、アマテラス大神の性質はじつに優しく、
弟のスサノオの尊が田圃の畦道を壊し、
神殿に大便をするなどという相当な乱暴をしても、それをかばい、
再度乱暴を働いて機織女が犠牲になっても、殺したり罰したりせず、
自分自身が天の岩戸に隠れて諌めようとする寛容さ、柔和さがあります。

罪を犯す者や反攻する者を容赦なく罰して殺す他の神話の最高神とは、
大きく異なっています。

アマテラス大神は、自分が一番偉いのだといばったりはしません。
つつましく謙虚に他の神々を祭り、
そのための神衣を織る仕事も自ら行っています。

また、葦原の水穂の国を治める適任者を決めるときにも、独断をせず、
八百万の神々を集めて会議を行い、それに従って意思決定をしています。

このように、神話の中で示された最高神・アマテラス大神の「寛容さ」は、
日本人の精神に大きな影響を与えました。

杜維明教授が、
「日本では神道を信じながら同時に仏教徒」
であるといったように、
たとえば聖徳太子は、仏教の経典を深く研究して、
仏教普及に尽力していますが、その一方で神道興隆の詔を出しています。

ですから、仏教徒たちからも伊勢神宮は尊信され、
参詣もごく普通に行われていました。

西行などもここを訪れて、
「何事の おはしますかは しらねども かたじけなさに 涙こぼるる」
という歌を残しています。

日本で大乗仏教が完成したのは、
日本が神国だからであると虎関師錬は『元亨釈書』の中で説いています。
師錬の他に日蓮、一遍などの仏教思想家の中にも、
神国思想が大きく反映され、
末法の世を救うすぐれた仏教がわが国に出現したのは、
日本が神々の加護を受けているためだという主張が展開されているのです。

●道義の伝統

心理学者の河合隼雄さんが、文化交流でエジプトへ講演したときに、
参加者の一人から、
「イスラムでは、いつも神に祈っているが、人をだます。
日本はお祈りをしないのにモラルが高いように思えるが、なぜなのか」
と質問されたそうです。

彼は東京駅でカメラを忘れたそうですが、
それが保管されていたことにびっくりしたとのこと。
「大都会で上等のカメラが戻るのは世界でも日本しかない」
といっていたそうです。

たしかに、こういうモラルの高さが、わが国の国民にはありますから、
世界でも珍しい「無言商売」が成り立つのでしょう。

「無言商売」とは、今でも田舎のほうに行くとあるのですが、
野菜や花、卵などを売っている無人の売店による商売です。
商品が欲しい人は、箱の中に代金を入れて持っていくという商法ですが、
相互信頼と正直さが根底になければ成り立ちません。

また、阪神淡路大震災で家が壊れ、着るものもないときにも、
百貨店やスーパーなどから略奪したり、
暴動を起したりする者は一人としていませんでした。

物を買うのでも一列に並び、お金を出して買っていましたが、
こんなことができる国民はおそらく日本人だけでしょう。
世界の人たちはこの光景を驚嘆の眼差しで見ていました。

河合さんは先の質問に対して、
「日常生活と宗教性がうまくミックスしているからだ」
と答えたそうですが、
それにつけ加えるとしたら、
「日本には道義の伝統があるからだ」
といえるのではないかと思います。

・・・略・・・

奈良・平安時代を通じて宣命(天皇の命令を伝える文書)の中で、
慣用句のように使われた言葉が、「正直」でした。

わが国では、道義の中でも「正直」という徳目が
特別重んじられてきたのでした。

この言葉が国民の生活の中に浸透して、
身近な徳目として定着していくのは、
上代の後半から中世の初めにかけての頃のようです。

「正直の頭に神宿る」ということわざが現れるのも、この時期です。

やがて、北畠親房は『神皇正統記』の中で、三種の神器の鏡について、
「鏡は一物もたくわえず、私心を去って、
万象を照らせば是非善悪の姿がそのままにあらわれぬということはない。
その物の姿どおりに感応するのが鏡の徳であるから、
これは正直の本源である」
と述べています。

三種の神器の中でもとくに重んぜられるのが鏡ですが、
この鏡の象徴する徳目が「正直」だというのです。

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『果てしなく美しい日本』 ドナルド・キーン著(1922年アメリカ生まれ)

◆ヨーロッパより高い文化

ポルトガル人の中には、相当優秀な人がいました。
いちばんよく知られている人は、
後で聖人にもなったザビエル(1506~1552)です。
彼はこう書いています。
「日本人は我々によく似ている国民である。
同じ程度の文化を有する国民である」と。

「よく似ている」という言葉はとてもおもしろいと思います。
私たちの常識ではヨーロッパ人が日本に着いた場合は
人種が違うと思ったはずですが、
私が読んだかぎり人種が違うということが、どこにも書いてありません。
それらしい表現は全然ないんです。
それどころかヨーロッパ人によく似ているというふうに書いてあります。

もう一つ印象的な表現は「同じ程度の文化を持っている」と。
それはヨーロッパ人として、あまり言いたくない表現です。
つまり、ヨーロッパ人の文化の中心は宗教で、
日本にキリスト教がなかったのに「同じ程度の文化がある」というのは、
ヨーロッパ人として言えそうもない表現のはずなのです。

しかし、実際に日本文化の水準は、
ヨーロッパ文化の水準よりも高かったと思います。
高かったけれども、大きな欠点が一つあった。
その大きな欠点はキリスト教がなかったということです。

それで、「文化の程度がヨーロッパより非常に高い」、
「文化のかなめとしてのキリスト教がない」の二つを合わせると、
ヨーロッパと同じ程度になるとザビエルは思ったんじゃないか。
このように私は解釈したいと思います。

ヨーロッパの文化よりも水準が高かったという証拠はほかにもあります。
日常生活から考えてもそうです。
当時、ヨーロッパでは王様でも手で食べていました。
食堂にはナイフがあったのですが、フォークはありませんでした。
ザビエルの時代は16世紀ですが、18世紀の始めごろもまだ同じことでした。

ヨーロッパの王様の中で自分は神だ、
太陽と同じような存在だと思い込んでいたフランスの
ルイ14世(1638~1715)は、手でさいて食べていました。
彼の食堂にフォークはちゃんとありましたけれども、
彼は手で食べるのが紳士のやり方だと思っていたのです。
手でフランス料理を食べることはあまり気持のいいものではないと思います。

また、王様が食べて食べかすをそこに捨てる。
食堂の中には犬がいて、犬がその残り物を喜んで食べたんでしょうね。
私たちの常識ではきわめて非衛生的です。

ルイ14世はベルサイユの宮殿を完成し、文芸を保護しました。
ベルサイユの宮殿は建築として最高にすばらしいものです。
今私たちはベルサイユ宮殿を見て
「フランス人はよくもこんなすばらしいものを17世紀に作れたものだ」
と思います。

しかし、あまりきれいではありませんでした。
具体的な話は避けますけれども、
きわめて非衛生的なところだったと思っています。

それと比較してみますと、日本のほうは衛生的なだけでなくて、
一般の生活水準が高かったと思います。

「同じ程度の文化」というのはザビエルの言葉ですが、
私たちからみるときっと日本のほうがより生活しやすかったはずです。

神戸市立美術館におもしろい南蛮屏風があります。
その左手には、
ポルトガル人がどこか外国から船に乗るところが描かれています。
船に乗っている間は実に汚い環境だったし、食べ物もひどいものだったし、
ネズミやいろいろな虫がくっついていたはずですから、
日本に着くとまったく地上の極楽に着いたと思ったに違いないと思います。
ともかく屏風を見るとポルトガル人が
どんなに喜んだかということがちゃんとわかるんですね。

しかし、当時のポルトガル人は日本人の欲しいものを持っていました。
それは、キリスト教ではありません。
その一つが「たばこ」でした。
おそらく輸入品の中でもいちばん愛されたものはたばこだったでしょう。

たばこはもともとポルトガルのものではありませんでした。
北米大陸の先住民が初めて吸ったものなのです。
日本人がどんなにたばこを好んだかということは簡単に証明できます。
外来語の中で平仮名で書かれるものに「たばこ」があります。
他の外来語はほとんど全部カタカナになっています。
それほど「たばこ」は、日本化されて日本の国籍をもった外来品でした。

ヨーロッパ人が持ってきたもので、
ぶどう酒も大いに日本人の気に入りました。
いくら飲んでも酔わないという完全な嘘も書いたくらいでした。
鎖国時代に入ってもぶどう酒が欲しかったために、
長崎から注文して取り寄せた人もいました。
ぶどう酒を造る方法がまだ知られていなかったからです。

他にどういう輸入品があったかというと、
ビードロ。今でいうガラス製品ですね。
当時すでに日本にもガラスがあったはずですが、
細かい細工の製品はありませんでした。

その他インドネシア、インドなどのサラサや今でいう毛織物のラシャ、
そういうものはポルトガル人が日本に持ってきて、
日本人は喜んでそれを買ったわけです。

日本人は、昔も今もそうですが、珍しいものを非常に喜んでいました。
珍しいものを喜ぶことは必ずしも人間の本能ではないんです。
外国のものを嫌うような国民もありますが、
日本人は昔から珍しい動物、珍しい工芸品など、何でも欲しがっていました。

かわりに日本人がポルトガル人に何を売ったかというと、まず陶磁器です。
ポルトガル人は伊万里焼をたいへん喜び、大量に輸入しました。

また、塗り物、漆器もそうです。
漆器はヨーロッパに全然ありませんでしたから、
日本の漆器に初め接触するポルトガル人が漆器に「ジャパン」、
つまり日本という名前をつけたわけです。
今そういう呼び方はないですけれども、十九世紀まで残っていました。
ジャパンというのは、日本あるいは漆器のことだったんです。

他に例えばもぐさ、あれはポルトガル人が初めて知って輸入したんです。
刀はもちろんで、日本人はいつも刀を誇りに思って外国人に売りました。
ともかく一種の貿易ができたのです。

◆西欧植物園の半分くらいは日本の植物

いちばん有名な医者、ドイツのシーボルト(1796~1866)の話です。
シーボルトは1823~1829まで、いちばん長く出島に滞在した医者です。

彼は特別に優れた医者で、幕府もいやいやそれを認めて
長崎の町に出てもいいという特別許可を与えました。
長崎の町に彼の病院ができ、彼はそこで日本人に医学を教えたのです。
日本の洋式医学の伝統はここから始まったのです。

シーボルトは、あらゆることに関心を持つ男でした。
三、四年前、東京上野の博物館でシーボルトの展覧会があったのですが、
それを見た私は驚きました。すごい人だというほかありません。

彼の関心はすべてのものにわたっていて、
日本にいて外国にはいない狼などの動物の剥製を作らせました。

植物もそうです。
植物の場合は絵を描かせるだけでなく種もヨーロッパへ持っていきました。
現在ヨーロッパにある植木のかなりの数は、
実はシーボルトの持っていった種から成長したものなのです。

あじさい、あやめ、つつじ、ゆり、さくらなど、
こういう植物はそのころまで、
ヨーロッパでは知られていなかったものなのです。
今でもヨーロッパの大きな植物園、例えばロンドンの植物園などに行くと、
その半分くらいは日本の植物で、
シーボルトが種を持っていったものなのです。

また、日本の建築は外国に知られていなかったので、
そのさまざまの模型を作らせました。百ほどにもなります。
美術もヨーロッパに知られていなかったため、
ある画家にオランダの紙を渡して絵を描かせました。
その画家は葛飾北斎(1760~1849)です。
まさに先見の明があったというほかありません。

北斎が描いた絵は、現在オランダやフランスに保存されています。
とにかく、シーボルトはあらゆるものに興味を抱き、
そのときはまだ知られていなかった日本を外国に紹介し、
日本の文化がどれだけ優れているかを説明したのです。

幕末になり、ヨーロッパ人は日本語で書かれたものに
関心を持つようになりました。
日本の絵入り本がヨーロッパに持ち帰られてからです。
絵がきれいだから買い求めたわけですが、物語があるので、
それを解読したい、日本語を読みたいという気持が生じたのです。

しかし、日本語を学ぶというのは至難の業でした。
日本に入国することはできないし、仮に入国しても、
日本では外国人に日本語を教えることは禁じられていました。

では、まったく学べなかったのかというと、そうではなかったのです。
漂流民がいました。
嵐に遭い難破した猟師が、シベリアに漂着し、
ロシアの日本語学校の先生として迎えられたのです。

1705年にできたこの学校は、
世界の教育の歴史でいちばん成績の悪い学校でした。
成績票が残っていますが、それには
「この青年は二十年前から日本語を勉強しているが何もわからない」
と書かれています。

私はこのロシアの青年に同情します。
なぜなら、教師は日本の猟師で、文字を読めない人がほとんどです。
さらに、日本全国からの猟師たちです。
越中の国の猟師もいれば、薩摩や津軽出身の猟師もいる。
お互いの言葉が通じ合わなかったから、
外国人に日本語を教えるといっても何が日本語なのか、
教えるほうがとまどっていたのです。

19世紀初めごろから、
ようやく専門的に言語学を勉強したヨーロッパ人が日本語を学び、
1832年、天保三年に初めて日本の作品の翻訳が出ました。
林子平(1738~1793)の『三国通覧図説』です。

これは、日本人にとっていちばん関係のある外国のことを書いた本です。
一番目が蝦夷、今の北海道、二番目は琉球、沖縄ですね、
そして三番目が朝鮮です。
今は北海道も沖縄も外国ではありませんが、
当時は言葉も風俗も違う最も身近な外国だったのです。

文学作品の翻訳は、もう少し後1847年、
『浮世形六枚屏風』という柳亭種彦(1783~1842)の物語が訳されました。
現在だれも読まないのですが、
当時まったく偶然にそういう本が日本にあった、
ということしか考えられません。

しかし、幕末になると開国になるとかならないとかの問題が出てきました。
そして、外国人が日本に入国できるようになり、
日本語も勉強できるようになりました。
そのときから日本人が書いたものの翻訳が
外国人によってなされるようになりました。

おもしろいことですが、
日本人として最初に外務省からパスポートをもらった18人は、
みんなサーカスの芸人だったのです。
軽業師とかそういうような人ばかりです。

日本政府が出したパスポート第一号は、軽業師がもらったものです。
そして、その後、舞踊家とか、
あるいはいろいろな芸当を見せるような人たちが、
ヨーロッパへ行ったのです。

明治時代の中期になると、女優とか男優もヨーロッパに行くようになり、
日本の舞台芸術もたいへん高く評価されるようになりました。
外国人が日本に独特の文化があるということを認めたわけです。

ともかく、日本文化がまだじゅうぶんに
世界に知られていないということは事実です。
ともかく、このすばらしい日本文化をもっともっと
世界に広めたいという望みを私は持っていますし、
これからもそのために努力を惜しまないつもりです。

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≪ WEB 熱線 ≫― アジアの街角から ― より抜粋
http://archive.mag2.com/0000074019/20081214175951000.html

『亜細亜の図書館』

「亜細亜の図書館」かつて日本がこう呼ばれていたことをご存知だろうか。

インドのノーベル経済学賞を受賞したアマーティア・センはこう言っている。
―――――――
日本は、まだ経済の足腰もしっかりしていない頃から教育に力を入れ、
諸外国の文献をせっせと翻訳し、
20世紀の入り口での出版物の量は米国の2倍に達していた。
―――――――
日清日露戦争後には、アジア各地の留学生が大挙して日本に渡ってきた。
アジアの独立、近代化の中で、
ひときわ光を放つ人物の多くが日本で学んでいる。
私たちが学校の歴史で学ぶアジアの人物で、
日本と無関係な者はほとんどいない。

特に中国においては、孫文しかり、蒋介石しかり、
文化面では魯迅など教科書で習う中国人の全てが
日本の恩恵に与っているといっても過言ではない。

アジアの近代化運動も、日本が本拠地であったこともある。多くのアジア人が
日本で学び、祖国の発展の夢を描いていた。日本はまだまだ貧しいながらも、
彼らを差別することなく迎え、民間人も彼らの「夢」に協力していた。

日本が訳した欧米の知識は「漢字語」という姿に変え、中国へももたらされ、
ベトナムやタイへも形を変えて伝わっていった。
「近代文化の種」それが新しい漢字語でもあった。

アジアの近代化は日本発、まさに「亜細亜の図書館」‥‥それが日本だった。

日本における「教育」、これはある意味「文化」といえるものかもしれない。
昔から、どんなに貧乏でも、「教育だけは」という話は巷にあふれている。

江戸時代、出島のオランダ商館長が、
高札に書かれていることを一般庶民が普通に読んで理解している事に驚いた、
とその手記に残すほど江戸時代の識字率は高かった。

諸説あるが、江戸後期で男子が約8割、女子は2割、
農村地区でも約2割が読み書きができたといわれる。
この教育という「文化」があったからこそ、明治維新後、
いち早く近代化が進み「亜細亜の図書館」となりえたのではないだろうか。

余談だが、戦後GHQで、「日本は識字率が低いから軍国主義になった」と、
全く無知なことを言う担当官がおり、
「国語を英語に替える」と息巻いたらしい。
「それならテストしてみろ!」となり、
結果参加者ほぼ100%の識字率だったことに驚き
「アメリカより高い」と漏らしたそうである。

こうした「亜細亜の図書館」と呼ばれるようなレベルを維持できたのは、
国と自治体が「予算の40%以上をつぎ込んだからだ」
と先のアマーティア・センは言っている。

ではそのお金がいったいどこからきたかというと、日本国民の税金であった。

欧米は、国家予算の多くを植民地からの収益で賄った。
人頭税、塩・アルコールの専売、人が亡くなれば葬式税まで取った。
挙句には阿片を専売にして大儲けした国もある。

かのルーズベルト大統領の母方は麻薬商人だった。
その資金で大統領になったと悪口も言われていた。
その大統領が「日本は中国で阿片を売っている」と批判していた。
自分たちは植民地からきっちり収益をあげておきながらである。

戦前の日本の税制をみると、
これら欧米の植民地税制とあまり変わりないのだが、
それを、統治した台湾や朝鮮にではなく内地住民に課した。
植民地と同じような税金を国民は黙って払った。

さらには、本来収入源であるはずの植民地に、
時には国家予算の1/3をつぎ込むということもやった。
最終的に日本は、有史以来初めて
「植民地をもった国が、結果その経営は赤字だった」ということで、
歴史に不名誉(?)な名を刻むことにもなった。

現在の日本は、果たして「亜細亜の図書館」といえるのだろうか。

戦前を否定し、貶[けな]すのは簡単である。
教育も「皇国教育だ」と頭から批判するのもよい。

今と比べものにならないぐらい貧乏でありながらも、
大きな軍隊を持ち、併合地に投資し、さらに教育の充実を計った戦前の日本。
ーーー来日し、日本で夢を描いたアジアの人々も大勢いた。

現代は、民主的な教育を受け、みな大学にも行ける。
国として経済的にも富みODAという名で世界中にお金を出している。
ーーーアジアの人々に多大なる苦痛を与えたと反省もして、
日本にしかできない国際貢献をしなければと言う人もいる。

しかし、それが、戦前の日本のように彼らに「夢」を与えているのだろうか?

アジアがいま望む「夢」とは何か?
いまだからこそ戦前に学ぶことがあるのではないだろうか。

戦前、多くのアジア人が「亜細亜の図書館」と
尊敬していた日本を忘れてはならない。

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「日本を守るのに右も左もない」より抜粋
http://blog.trend-review.net/blog/2011/01/001842.html

なぜ、日本はアジアの図書館と呼ばれたのか?

まず、翻訳能力の高さがあります。
翻訳は自国語に言葉を置き換えるだけではありません。
異なる文化圏の言語を訳すとき、
自国語に無い概念を表現しなければなりません。

他言語に同化し、そこにある観念を、
自国語で潜在思念に繋がる言葉にしてしまう、その能力の高さです。

日本は近代化しなければならない課題に、
ヨーロッパ発の学問や技術を翻訳することから始めました。
あの数十年でありとあらゆる近代概念を日本語に取り込みました。
ものすごいことだったと思います。
それこそ、日本の知性という知性を総動員したのではないでしょうか。

そしてそれは、明治だけの事ではなく、
千年以上に渡って、日本人がやってきたことです。
常に中国など、外国の高い文化を吸収し、自国のものとしてきました。
日本人が一番得意なことかもしれません。

もう一つ、世界の中での日本の位置があったと思います。
多くの植民地となっていた国々も、留学生は欧米へ送り出していたでしょう。

しかし、その多くは宗主国への留学であり、
支配体制の補完となっていたのではないでしょうか?

日本への留学生は上記に書かれた人々のように、後の国家改革人材です。
日本には反体制の人々を受け入れる素地があったのではないでしょうか。
留学生からしても、支配者たる欧米へ留学するより、
遅れて近代化したアジアの新興国の方が
勉強する気力が湧いたのではないでしょうか。

そして、日本に対する期待は、
学問や科学技術の世界だけの話ではありません。

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「イスラムは日本に彼らの理想を見る」より抜粋
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=217211

今後、世界が大変動していく中でどうなるか気になるイスラム世界ですが、
彼らが日本を見ると、イスラムの教えを守っていると感じるらしいのです。

日本の生活習慣に驚愕するイスラム教徒 (エジプトから)

エジプトやサウジアラビアなどアラブ・イスラム諸国は
9月21日に30日間にわたるラマダン(断食月)を終了した。

例年この期間、国民がラマダンを楽しく過ごせるようテレビなどは
“正月番組”ならぬ“ラマダン番組”を組み、盛り上げる。

今回、特に注目を集めた番組の一つが
何と日本の生活習慣を賛美するものだった。

サウジアラビアのシェイク(イスラム指導者)が日本を訪問、
驚愕した事実を取材して30日間毎日放映した。

視聴者が殊に驚愕したのは、日本人は、
(1)時間をきっちり守ること
(2)食べ物を残さない
(3)ごみが分別されて収集されること
(4)地下鉄や電車の中では、他人に迷惑を掛けないため
携帯電話を使用せず騒々しくないばかりか、多くの人が本を読んでいること
(5)生徒が学校や教室を掃除すること
(6)工事中の労働者が安全靴やヘルメットを着用していること――など。

シェイクの結論は、イスラム国家でもない日本で、
イスラム教の教えが最もよく実践されており、
イスラム国家でこれらの反対が実践されていることを
恥ずかしく感じたというもの。

殊に視聴者の反響が高かったことの一つは、生徒が放課後、
自分たちで教室やトイレを掃除するシステムで、
掃除は、使用人や召使いがやる仕事として
手を付けたがらない自分たちの姿勢や、
ごみをポンポン投げ捨てる生活習慣を反省、日本に倣って、幼い段階から、
他人に迷惑を掛けないよう、
自分のことは自分でする教育を導入しようとの声が上がっているという。

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『ザビエルも困った「キリスト教」の矛盾を突く日本人』

日本の各地でザビエルは布教するのですが、
出会った日本人が彼に決まって尋ねた事があります。
それは、「そんなにありがたい教えが、なぜ今まで日本にこなかったのか」
ということでした。
そして、「そのありがたい教えを聞かなかったわれわれの祖先は、
今、どこでどうしているのか」ということだった。

つまり、自分たちは洗礼を受けて救われるかもしれないけれども、
洗礼を受けず死んでしまったご先祖はどうなるのか、
やっぱり地獄に落ちているのか・・・・・
当時の日本人はザビエルにこういう質問を投げかけた。

元来、キリスト教においては、洗礼を受けてない人は皆地獄ですから、
ザビエルもそう答えました。すると日本人が追求するわけです。
「あなたの信じている神様というのは、ずいぶん無慈悲だし、
無能ではないのか。全能の神というのであれば、
私のご先祖様ぐらい救ってくれてもいいではないか」

ザビエルは困ってしまいまして、本国への手紙に次のように書きました。
「日本人は文化水準が高く、よほど立派な宣教師でないと、
日本の布教は苦労するであろう」と。

当時の中国にも、韓国にも、インドシナにも
こうしたキリスト教の急所(?)を突くような人間はいなかったわけです。

上記はブログからの引用ですが、
ソースは『聖書と「甘え」(土居健朗著)』です。
http://bit.ly/13SeHqM

この他にも、『もし神様が天地万物を造ったというなら、
なぜ神様は悪も一緒に造ったのか?
(神様がつくった世界に悪があるのは変じゃないのか?)』
などと質問され答えに窮していたようです。

ザビエルは、1549年に日本に来て、2年後の1551年に帰国しますが、
日本を去った後、イエズス会の同僚との往復書簡の中で
「もう精根尽き果てた。自分の限界を試された。」と正直に告白しています。

集団原理の中で生きてきた日本人にとって、魂の救済という答えは
個人課題ではなく先祖から子孫に繋がっていくみんなの課題であったはず。
「信じるものは救われる」=「信じない者は地獄行き」
といった、答えを個人の観念のみに帰結させてしまうキリスト教の欺瞞に、
当時の日本人は本能的に気づき、
ザビエルが答えに窮するような質問をぶつけたのではないでしょうか。
―――――――
るいネット
http://bit.ly/13TzB81

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日本語だけで医師になれる日本

日本以外の国では、英語(最低、ヨーロッパ系言語)ができなければ
良い教科書が読めないし、医者にも看護師にも臨床検査技師にもなれない。

「医学用語の解剖学」
藤田保健衛生大学医学部第一病理学、堤 寛 著 より抜粋
http://pathy.fujita-hu.ac.jp/~kimigaai/for_student/medical-terminology.html

病理診断報告書は日本語で書くべきか

筆者は習慣的にすべての病理報告書を英語で記述している。
理由はつぎの通りだ。

1.毎日のように同じような言い回しを使うので、英語に対する違和感がない。

2.日本語は漢字変換が必須であり、特に医学用語の変換には
専用辞書が必要となるが、英語ならその手間はいらない。
大量の報告書を手書きすることは望ましくないし、
読み取れない字が多くなるのはカルテの場合と同じである。

3.病院のコンピュータシステムに
医学用語に関する日本語辞書機能がついていないことが多い。

以前、患者さんへのがんの告知が例外的だったころは、
最終診断たる病理診断は患者さんに
なるべく"わかりにくい"形で書くことが求められていた。

そのため、臨床医が記載する臨床診断の項目には略号が多かった。
MKは胃がん、LKは肺がん、CKは大腸がん、PKKは膵頭部がん、
MMKは乳がんといった具合だ(いずれもドイツ語の頭文字)。

そう、最近ドイツ語ははやらない。
医学部でドイツ語を習わなくてもよくなって久しい。
病棟に生き残るドイツ語はとても断片的だ。
"ステる"とはドイツ語のシュテルベンの略で、
「死ぬ」の業界用語で、「捨てる」ではない。

病理診断報告書の添付ががん保険の支払いに必要になり、
がんの告知が普及してきた現在では、患者さんになるべく
"わかりやすい"ことばで報告書を記述することが求められている
(この意味でも、ドイツ語の衰退に拍車がかけられている)。

その証拠に、多くの病院で、病理報告書の所見欄が
日本語で記載されるようになりつつある
(ただし、診断病名のみは英語で記述されることが多い)。

ところで、医療情報の国際化は否応なしにどんどん進んでいる。
わが国における英語の公用語化や医師の国際免許が取り沙汰される昨今、
英語を捨てて日本語に回帰するドメスティックな方向性は、
少なくとも医学教育の立場からは望ましくない。
筆者はこれでも、医学教育にはだれより熱心なつもりだ。

ヨーロッパ連合(EU)では、
医師免許をはじめとする諸種の国家資格が共有化されようとしている。
そこでは英語が共通言語だ。

この国家の壁を乗り越えたヨーロッパの歴史的で
壮大な試みを無視してよかろうはずがない。
医学生に限らず、わが国の大学生は皆、日本語の教科書だけで学問ができる。
その例外性に多くの人は気づいていない。

日本以外の国では、英語(最低、ヨーロッパ系言語)
ができなければよい教科書が読めないし、
医者にも看護師にも臨床検査技師にもなれない。

日本語は漢字のおかげで、外来語を簡単に母国語化する
すばらしい能力を有していることを再確認したい。
タイ語やスワヒリ語では医学用語の大部分が表現できない。
韓国でも、医学生は英語でばかり勉強して、
ちっともハングルで勉強してくれないと多くの教員が嘆いている。

さて、目の前の患者さんのために日本語をとるか、
将来の日本の社会ために英語をとるか。
どちらも大切なのだが、さて、読者の皆さんの判断やいかに。

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フランスのテレビで日本のカメラ撮影技術が絶賛される。


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外国人の見た「大いなる和の国」

「国際派日本人養成講座」より転載
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h21/jog602.html

「私たちは日本にくると、
全体が一つの大きな家族のような場所に来たと感じるの」

■1.スクランブル交差点での傘の群舞■

高層ビルのレストランで、アメリカから来た老夫妻との食事を終えて、
廊下に出ると、雨が降り出していた。
廊下から外を見下ろすと、
そこはハチ公広場前の大きなスクランブル交差点で、
信号が青になると色とりどりの雨傘がひしめいていた。
老夫妻は足をとめ、じっと窓から見下ろした。

私たち、こうするのが大好きなの。日本のことが一番よくわかるから。
雨の日、そしてことに渋谷のような大きな交差点。

ほろ、あちこちの方向へ動く傘をよく見てごらんなさい。
ぶつかったり、押し合ったりしないでしょ?
バレエの舞台の群舞みたいに、規則正しくゆずり合って滑って行く。
演出家がいるかのように。
これだけの数の傘が集まれば、こんな光景はよそでは決して見られない。

この言葉に、海外に合計15年も住んでいた文筆家の
加藤恭子氏は次のような感想を持った。

内なる「外の眼」(海外生活体験を持つ日本人の眼)を意識している私も、
ここまでは気づかなかった。

いつもせかせかと急いでいる私は、
「傘の群舞」に眼をとめたことすらなかったのだ。
真の「外の眼」のみが指摘できる特徴だったのだろう。

日本人には「せかせかとした雑踏」としか見えないスクランブル交差点で
入り乱れる傘の群れを、この老夫妻は「規則正しくゆずり合って滑って行く」
日本人の姿として捉えていたのである。

加藤氏が編集した『私は日本のここが好き! 外国人54人が語る』には、
こうした「外の眼」から見た日本人の様々な姿が描かれている。
そこには我々自身も気づかない自分自身の姿がある。

■2.お互いに「すみません」■

「スクランブル交差点での傘の群舞」とは、
一人ひとりの行きたい方向はそれぞれだが、
互いに他の人のことを思いやって、
全体として一つの秩序を生み出している日本社会の見事な象徴である。
そこには一人ひとりの自由と、共同体としての秩序が共存している。

我が国ははるか太古の時代に「大和の国」、
すなわち「大いなる和の国」と自称した。
アメリカから来た老夫妻が見た「スクランブル交差点での傘の群舞」は、
まさにこの国柄が現代にも息づいていることを窺わせる。

「大いなる和の国」が成り立つのは、
一人ひとりがすれ違う相手のことを思いやる心を持っているからである。
この思いやりは、日本に来た多くの外国人が感じとっている。

中国から来て日本滞在20年、今では帰化して大学で
中国語を教えている姚南(ようなん)さんはこう語っている。

これは民族性の違いだと思いますが、
日本では一歩譲ることによって様々な衝突を避けることができます。

例えば自転車同士がぶつかったときなど、
中国ならすぐ相手の責任を求めますが、
日本ではどちらが悪いという事実関係より、
まず、お互いに「すみません」と謝ります。
その光景は見ていてとても勉強になります。

ある日、混んだ電車に乗っていたときのことです。
立っていた私は、揺られた拍子に後ろに立っていた女性の尖った靴先を、
自分のヒールで踏んでしまったのです。
すぐ「ごめんなさい」と謝ると、その人は微笑んで
「靴先は空いているから大丈夫ですよ」と言ってくれました。

日本人は他人の生活に干渉しません。
うわべの付き合いのように見える関係は、
多くの中国人が偽善と感じるものですが、
私は、自分の主張を人に強制して受け入れてもらう必要はなく、
干渉せず、お互いに好意を持って付き合い、
人が困ったときに助けてあげれば良いと思います。

お互いの自由な生活を尊重しつつ、困った時には助けてあげるのが、
「大いなる和の国」の流儀である。

■3.周りの方の「がんばれー」光線■

この流儀は、もちろん海外から来た人々にも発揮される。
北アフリカのチュニジアから来た学生のアシュラフ・ヘンタティさんは、
まだ滞在1年未満だが、こんな体験をしている。

僕はまだ日本に慣れていなくて、日常生活でも、日本語でも、
悪戦苦闘の日々なのですが、いろんな場面で、
皆さんが「がんばって」「がんばってください」「がんばってね」
と声を掛けて下さいます。

実は初め驚いたのです。よその国では、そういう経験があまりないからです。
日本では乗り物などでマゴマゴとまどっていたりすると、
周りの方の「がんばれー」光線を感じます。
身も知らぬ僕のためにハラハラと心配してくれているのですよね。

例えば、これがフランスなどですと、むしろ冷たい視線を受けてしまいます。
自分の権利やふるまいには自信や主張を強く持っていますが、
他人にはかなり冷たいところのある国ですから。

逆に日本は、僕のようにあまり深いつきあいのない外国人であっても、
そんな風に誰もが励ましのエールをくれます。温かいなあと感じます。
「がんばって」と身近な皆さんに言われて、
それがプレッシャーだった時もあるのです。
こんなにがんばっているのに、
自分はそんなにがんばっていないように見えるのだろうか、と。

今は、その言葉が励ましの意味だけでなく、
むしろ「見守っていますよ」という
温かい気持ちの代わりの言葉なのだと解って来ました。

「スクランブル交差点での傘の群舞」の中で、
一人マゴマゴしている外国人がいれば、「がんばって」と声をかけるのが、
「大いなる和の国」を成り立たせている思いやりの心である。

■4.「静かに美しく毎日が過ぎていき」■

こうした流儀で、「大いなる和の国」には平和が保たれている。
それは争いの続く国から来た人々にとっては、望んでも得られないものだ。
インドから来て在日経験通算5年のモハマド・ラフィさんは、
こう語っている。

日本に暮らしていて最も素晴らしいこと、
それは毎日の生活が無事に繰り返されていき、
それによって、きちんと仕事をすることができることです。

朝太陽が昇り、一日が始まる。人々が目覚めて仕事に向かう。
やがて日が沈み人々は仕事を終えて家に戻って休む。
夜が来て月が天に昇る。
その繰り返しが今日も明日も明後日もずっと続いていきます。
静かに美しく毎日が過ぎていき、全てが、
いろいろなものや人の役割が、きちんと機能している。

日本の人たちはそういった意味で、
自分たちの国をとても大切にしていると思います。
自分の国を汚くすることがない、私はそれを尊敬しています。

公共の場所や道路を散らかさない、という意味だけではなく、
政治的な問題や社会的な問題が起こったときなどにも
暴動を起こして建物を壊したり火を放ったりしないし、
ストライキで国中が混乱状態になってしまうような事態も起こりません。
それは大変珍しいことです。

今日の続きとして明日を、明日の続きとしての明後日を、
安心して待つことができるので、未来への計画も期待も持つことができます。
一日一日が平安とともにあります。
それが日本の経済力やハイテクノロジーなどの、
世界に誇っている力を生み出しているもとになっていると思います。

世界有数の経済力も技術力も、
「大いなる和の国」の静かな美しく過ぎゆく日々がもたらしたものである。

■5.「恩や義理人情」■

「大いなる和の国」に存在する「恩や義理人情」の「美徳」を、
日系ペルー人のカトリック神父で、戦後の日本で貧民救済事業に
あたっていた加藤マヌエルさんは指摘する。

また、日本人が持っている「美徳」の一つは、「恩や義理人情」です。
通算13年ほどの滞在期間中、私は私にできる限りの援助を
その当時困っていた方々にしていたのですが、
今はその人たちに助けられています。

帰国後、私がペルーでストリート・チルドレンのためのホームや診療所、
そして日系人専用の老人ホームを建設する事業に関わってからは、
その支援を仰ぐために毎年2ヵ月ほど来日するようになりました。・・・

昔、私が行ったほんの小さな好意に、
今でも感謝の気持ちを持っていて下さる方々。
私が十年間ほど援助したことのある日本人は、
その額とは比較にならない何千倍もの額を、
今までに援助して下さいました。・・・

他の国からも、慈善事業としての援助はいただきましたが、
日本人から感じるような「恩や義理人情」は、
少なくとも私が関わった西洋人にはあまりないように思いますね。

「人情」とは他者への思いやりの心、
「恩」とは他者から受けた思いやりに対する感謝の心、
そして「義理」とはその恩をお返ししなければ、という心。
こういう心を一人ひとりが豊かに持っているからこそ、
お互いに助け合う「大いなる和の国」が維持されてきたのである。

■6.死者と生者がむつみあうようなのどかさ■

「大いなる和の国」に住むのは、生者ばかりではない。
中国から来て、滞在17年にもなる作家・毛丹青はこんな美しい光景を見た。

中国では人が亡くなると町の外に埋葬しに行きます。
北京で有名なのは八宝山ですが、市内からかなり離れていますね。

ところが日本では墓地が街の至る所にある。
もっと不思議なのは、お寺の裏に墓地があって、
隣に幼稚園があったりするんです。

黄昏の夕日が墓地に射して、
その美しい光の中で幼稚園の子どもたちが鬼ごっこをして夢中で遊んでいる。
僕はそういう情景を何度も見ました。
死者と生者がむつみあうようなのどかさ。

亡くなった人たちは子どもたちの無邪気に遊ぶ姿を見て
幸せだったんじゃないか、そこには死者と生者の会話があったんじゃないか、
と思いましたね。

現代の中国ではありえない光景です。
子どもの時からそういう体験をすると、
死生観や生命に対する考え方が違ってくるでしょうね。

インドで生まれた仏教では、
魂は他の人間か動物かに生まれ変わる「輪廻転生」を続けるか、
解脱をして浄土に行ってしまう。

家としての血のつながりを重視する中国では、
そんな個人主義的な死生観は受けつけられず、
一族の長の家に宗廟という建物を建て、そこで先祖祭祀を行った。

それが日本に入ると、死者と生者の関係はさらに近いものとなり、
各家に仏壇を置く、という日本独自の習慣となった。
日本のご先祖様は子孫を見捨てて、
勝手に西方浄土に行ってしまったりしない。
いつも「草場の陰」で子孫を温かく見守ってくれているのだ。

だから、お寺の墓地の隣に幼稚園があるのも、ごく自然なのである。
死者を身近に感ずる所から、
その気持ちを裏切っては「ご先祖様に申し訳ない」という感覚が出てくる。

我が国には創業百年以上の老舗企業が10万社以上あるという、
世界でも群を抜く「老舗企業大国」であるのも、
こういう死生観からであろう。

「大いなる和の国」では、死者と生者が睦み合って、
幸せに繁栄しているのである。

■7.「全体が一つの大きな家族のような場所」■

冒頭に登場したアメリカからの老夫婦は、
「少年の犯罪率が高くなった」などと語る加藤恭子氏に、こう答えた。

率のことはわからないわ。だけど私たちは日本にくると、
全体が一つの大きな家族のような場所に来たと感じるの。

路上には、異様な風体の少年少女たとがすわりこんでいる。
加藤さんは眼で彼らを示しながら、
「あの若者たちも、『家族』の一員なの?」と訊ねた。

そう、ちょっと異分子かもしれないけれど、彼らも一員よ。
「私は見守っていますよ」というような
大きなジャスチャーは日本人はしない。

でも、それぞれがさり気なく見ているの。家族って、そうでしょ。
その安心感があるから、彼らも地面にすわっているのよ。

確かに、地面に座っている子どもたちが、強盗に襲われたり、
暴力を振るわれたりする社会なら、彼らもこんな真似はできない。

「大いなる和の国」とは、一つの家族のように、互いの自由を尊重しながら、
必要な時に支え合ったり、その恩返しをしたりする共同体である。

■8.「日本は他の世界と共有するものをたくさん持っている」■

世界の多くの国民国家は、多かれ少なかれ、
こうした家族的側面を持っている。
北欧諸国やタイなどはその模範的な存在である。
その中でも、我が国はもっとも理想に近い国民国家と言えよう。

スイスから来て滞在10年のビジネスマン、
ウルフガング・アンベールドローさんは、こうアドバイスしている。

今日のグローバル社会において、
日本は、他の世界と共有するものをたくさん持っているという事実に
もっと気がつくべきだと思います。

ここで紹介した人々が共感した「大いなる和の国」の光景は、
まさに「幸福な国民国家のあり方」として、
他の世界と共有しうる理想であろう。

この理想は、聖徳太子が「和を以て貴しとなす」として、
十七条憲法の冒頭に掲げられたものである。

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「世界に良い影響」日本トップ…BBC読売調査

読売新聞 5月11日(金)8時2分配信

英BBC放送が読売新聞社などと22か国で共同実施した世論調査によると、
日本が「世界に良い影響を与えている」という評価は58%で、
「悪い影響を与えている」は21%だった。

調査は、国際社会に影響を及ぼす16か国と欧州連合(EU)の
評価を聞いたもので、「良い影響」は日本が最も高く、
ドイツ56%、カナダ53%、英国51%などが続いた。

日本が1位になったのは、ドイツと並んでトップだった2008年以来。
約1年前の前回調査ではカナダ、EUと同率で3位だった。

日本への評価をみると、中国と韓国を除く20か国で
「良い影響」が「悪い影響」を上回っている。

「良い影響」で前回1位のドイツが2位、
EU48%(前回3位)が6位に後退したのは、
欧州の財政・金融危機が影響したとみられる。
中国50%は5位(同9位)に上昇した。

「悪い影響」は、イラン55%、パキスタン51%、北朝鮮、
イスラエル各50%などの順に高かった。

調査は昨年12月から今年2月にかけて面接または電話方式で実施、
計2万4090人から回答を得た。読売新聞社は日本国内分を担当した。

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創業150年以上の老舗企業は中国にわずか5社、
日本に大きな後れ―中国メディア

livedoor ニュース 2012年05月19日23時06分
http://news.livedoor.com/article/detail/6575944/

2012年5月18日、
中国メディア・網易は日本に多く存在する老舗企業について分析した。

中国には創業150年を超える企業はわずか5社しかなく、
日本に大きな後れを取っている。

韓国銀行が発表した報告書「日本企業の長寿の秘密と啓示」によると、
日本には創業200年を超える企業が3146社あり、世界最多となっている。

7社は1000年以上の歴史を持つ。
世界最古の企業トップ3はすべて日本企業だ。
東京商工研究機構のデータでも、
創業100年以上の日本企業は2万1666社に上り、
1975年以降に創業した会社はわずか620社しかない。
創業100年以上の日本企業の89.4%は従業員300人未満の中小企業であり、
多くが家族経営で、大部分は食品製造、酒蔵、薬品、
伝統文化関連の経営である。

200年を超える歴史を持つ企業はヨーロッパにも多く、
ドイツには837社、オランダには222社、フランスには196社存在する。

しかし中国は、最古の企業は1538年創業の漬物店「六必居」、
続いて1663年創業のハサミメーカー「張小泉」、
漢方薬局「陳李済」と「同仁堂」、飲料「王老吉」と、
150年以上の歴史を持つ老舗企業はわずか5社。

中国中小企業の平均寿命はわずか2年半、グループ企業であっても7~8年と、
欧米企業の平均寿命40年に遠く及ばない。

日本の家族経営企業の多くは
「終身雇用制」と「年功序列制」といった特徴を持ち、
血縁を超えて継承者を選定する。

家族経営企業は往々にして婿を取り、
養子とすることで財産が分散しないようにし、
血縁関係がなくても後を継げるようになっている。

また、目先の利益を追わずに細く長く経営するという理念を持っているため、
日本の家族経営企業には多角経営が少ない。

さらに、100年という歳月をかけて特定の領域に注力し
信頼を勝ち取っているため、この信頼を最も貴重な財産として、
企業リスクに対抗できる力を高めている。

誠実な経営に加え、徹底した職人気質、
さらに保守的な企業経営などが日本企業の長寿の秘訣となっている。

対して、脚光を浴びつつある中国の家族企業は、均等分割制の継承方法、
会長や社長が一手に握る人事システム、
社員の極めて低い忠誠度が相対的に見劣りしてしまう。

なぜ中国には長寿企業が存在しないのか?
一企業として、創業者が苦労して立ち上げ、
困難を克服してきたところに大きな差はない。
いかに次世代に引き継ぎ発展させるかがが最大の挑戦なのである。

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ニューズウィークのコラム『Tokyo Eye』 2013年1月

「日本の治安が最高なのは共同体パワーのおかげ」
http://www.newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2013/01/post-606.php

私の知る限り、大都市なのに安全な街は東京だけだ。
東京にいるときは昼も夜も安心し切っている。
2004年に今の家に引っ越したが、
引っ越し早々に家の鍵をなくしたので鍵は掛けず、
ノックすらせずに出入りしている。
スクーターを駐車してその場から離れるときも
ヘルメットはシートに置いたままだ。
「泥棒が怖くないのか?」と聞くフランス人の友人には、
私のヘルメットを盗むほど切羽詰まっている日本人がいたら、
同じ人間としてヘルメットくらいくれてやるさと答えた。
自転車にも鍵を掛けない。
それでも無くならないのだから本当にうれしくなる。

私は今では3人の子供の父親だ。
フランスより麻薬がはるかに手に入りにくく、
子供たちが盗まれる側にも盗む側にも
なる心配が少ない国に暮らせて幸せだと、毎朝しみじみ思う。
オレオレ詐欺のような犯罪はあるが、フランスに比べればまだましだ。
フランスではみんな、
いつか盗難や強盗や詐欺に遭うだろうと思っている。
私は学生時代、1年に1回は通学途中で襲われた。
そんな話、日本では聞いたためしがない。
フランス人にとって盗難に遭うのは人生の避け難い事実であり、
日本人がいつか地震で命を落としてもおかしくないと考えながら
日本を離れないようなものだ。

フランスにいる私の家族が
この6カ月間でどんな目に遭ったかを紹介しよう。
パリ郊外にある両親の家に強盗が入った。
私が昔使っていた子供部屋の窓から侵入したらしい。
同じ通りにある家は全部、強盗の被害に遭っている。
ノルマンディーにある両親の別荘の前では、
チンピラがおばあさんから指輪を奪った。
パリにある祖母の家の近所では白昼堂々、
泥棒が車で銀行に突っ込んで金を盗んだ。
祖母の行きつけの薬局も襲撃された。

私はパリではスクーターに乗れない。
乗れば盗まれるか壊されるか、あるいはその両方だから。
パリの人間は、レストランに入るときは
たいてい自転車のサドルを外して席まで持っていく。
ファッションの一部なのかと思っている日本人の友人がいたが、
そうじゃない。盗まれるからだ。
見掛けない奴だから身分証を見せろ、とギャングから言われるほど
物騒な界隈も存在するのがフランスだ。

だから、盗難なんてないも同然の日本に来ると本当にびっくりする。
私のところに遊びに来た弟が京都のゲームセンターに
財布を置き忘れたときは、数時間で警察が見つけてくれた。
新幹線に置き忘れた絵はがきも誰かが親切に投函してくれたらしく、
フランスの宛先にちゃんと届いた。
12年版犯罪白書によれば日本では03年以降、
9年連続で犯罪が減少している(フランスでは毎年増加している)。

(以下、略)

「コラムニスト・プロフィール」
レジス・アルノー:1971年フランス生まれ。仏フィガロ紙記者、
在日フランス商工会議所機関誌フランス・ジャポン・エコー編集長を
務める傍ら、演劇の企画なども行なう。

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「日本、また世界驚かせた」電車押し救助を絶賛

2013年7月26日16時03分 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130726-OYT1T00376.htm?from=ylist



本紙が22日夕刊で報じた、さいたま市のJR南浦和駅での女性客救出劇は、
現場に居合わせた本紙記者の写真と共に世界各地でも報道された。

ホームと車両の間に落ちた女性を乗客らが力を合わせ助け出したニュースに、
「うちの国だったら、乗客は眺めるだけで何もしなかったかもしれない」
「英雄的な行動」などの称賛の声が上がっている。

米CNNテレビは22日夜(日本時間23日午前)、
キャスターが「日本から素晴らしいニュースです」と前置きし、
本紙の写真と共に女性救出を報じた。
キャスターは「生死に関わる状況で、駅員と乗客が冷静に協力した」と称賛。
「おそらく、日本だけで起こりうること」として、
電車が約8分後に通常運転を再開したことも合わせて伝えた。

英各紙がロイヤルベビー誕生の特集紙面を組む中、
23日付ガーディアン紙は、
「(駅員や乗客が)集団で、英雄的な行動を示した」
とするAP通信の記事と本紙の写真を国際面で使った。

イタリアの主要紙コリエーレ・デラ・セラのウェブサイトには
「イタリア人だったら眺めるだけだろう」といったコメントも。

香港でも、中国政府寄りの論調で知られるフェニックステレビの
ウェブサイトに、「中国で同様の事故が起きれば、
大多数の人はやじ馬見物するだけだ」といった書き込みが見られた。

対日関係が冷え込む中国では、政府の指導下にある有力ニュースサイト
「中国ネット」が24日、日本での報道を引用する形で事実関係を
論評抜きで報道し、国営新華社通信(電子版)などが転載。

韓国でも聯合ニュースなどのメディアが、
多くは、読売新聞の報道を引用して伝えた。
23日の朝鮮スポーツ紙(電子版)は
「乗客が力を合わせて救助する感動の写真が話題になっている」と指摘した。

ロシアの大衆紙「コムソモリスカヤ・プラウダ」(電子版)には
「どうしてこんなに迅速に乗客が団結できたのだろうか」
「他人の命に対して、我々ロシア人も無関心であってはならない」
と、驚きのコメントが寄せられた。

タイのニュース専門チャンネル最大手TNNは、本紙の写真を、
「日本の人々が生来の結束力を余すところなく示し、
困っている人に助けの手をさしのべた、素晴らしいニュース」と紹介した。
タイのソーシャルメディアでは、この写真をシェアする人が多く、
フェイスブック上では「日本が、また世界を驚かせた」
「とっさにこのような行動ができる日本人は、
どのような教育を受けているのか」との声も出ている。

http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5142.html

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A Life in Japan (ドキュメンタリー 日本語字幕)






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安倍晋三・総理大臣のフェイスブック「政府・与野党拉致連絡会に出席」
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=557818561008258&set=a.132334373556681.21871.100003403570846&type=1
のコメント欄の「満島 石川美礼」さんのコメントより。
https://www.facebook.com/mirei.mitsushimaishikawa?fref=ufi

『今こそ、鎖国をやってみろ!』

私は、カナダの移民権を取得しカナダの大企業で管理職を務めていました。
当時日本に絶望し日本から脱出するため、カナダに移住するため、
自分でも感心するくらいの努力をした結果を得ました。
カナダでは「移民」として暮らしていたのに、
日本の移民制度に反対することは矛盾してると自覚しています。
しかしながら、「そもそも論」として・・・世界中を見て、
日本ほど単一民族国家を今現在まで維持できている国はないです。
カナダはそもそもが侵略によって先住民を追いやって
ヨーロッパ各国からの「侵略者」たちが住み着いて作り上げた国家です。
日本は違います。もともとから、ニッポン国です。
DNA・文化・価値観・思想・習慣・国民性。
単一民族国家だからこその、本当に世界の中で希少な国家と思っています。
日本・日本人が無形文化遺産に認定されて良いくらいです(笑)。
そこに、外国人労働者の承知なんて、愚の骨頂です。
むしろ、その真逆で、「今こそ、鎖国をやってみろ!」と言いたいです。

追記です。
カナダでは原住民が「居留地」として
カナダ国から「与えられた」土地・地域に住んで
羨ましいくらいの「生活保護」を受けていました。
体裁良く聞こえますが、ブッチャケると「ここにいろ。ここから出るな」
という境界線を一方的に作られた囲いの中ということです。
その居留地部落に近くの地域で生活していたので、
先住人の若者と一緒に仕事をすることもありました。
それがきっかけで、彼らとの交流を持つことができ、
彼らのファミリーと認められ、初めて彼らの本音を聞きました。
彼らはもともとその土地を慈しみ畏れ、
それでも人として生きていくために必要最低限を開拓し(開拓させて頂き)、
その土地をリスペクトし感謝の中で生活していたのです。
そこへ「外国人」が「手助けをする」と入って来て、
彼らの「当たり前だった生活」を破壊していき、
気づいたら「外国人」の価値観に合わせてあげようという
気持ちを悪用されて・・・このていたらく・・・という現状であると・・・。
日本もそうなると、安易に想像できます。
日本も同じ状況にあると、チーフ(長老)に相談したところ、
「外国人・心地よい言葉巧みに近づく外国人の魅力ある提言・提案を、
魅力と感じない底力を持つべき。」と助言頂きました。まさにそうなんです。
私たち日本人が日本国を守り支えれば良いだけのこと。
まことにシンプルです。
自分が頑張るのがいやだから、大変だろうと想像するだけで、
他にやってくれる人がいるならやってもらえばいいじゃん?
という魂の堕落が・・・北米の現在の先住民の社会問題に向かうと考えます。
私たちは先住民族で先住民族によって作り上げた国家で、
そんな国家は世界で日本だけである誇りと自覚と緊張感を持つことが、
逆に世界を動かせるのだというプライドを、、、
今こそ認識したいと思います。

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日本にやって来た欧米人の日本の印象
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東日本大震災(2011.3.11)ニュースのなかの注目の話
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言語としての日本語、そして外国語との比較。
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社内公用語
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漢字と格闘した古代日本人
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外国人が住む町
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中国で根絶やしにされた孔子の理想は、日本で花開いていた。
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「危険な外国人参政権」と「恐怖の人権機関」
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スウェーデンの悲劇。外国人参政権、人権擁護法案、移民1000万人受け入れの未来。
http://www.youtube.com/watch?v=KeLL6hNVrwc
スウェ-デン人の半数が軍隊による町のパトロ-ルを望む
http://www.youtube.com/watch?v=lsshD97rDuU
【移民受入れ阻止!】~デンマークの惨状
http://www.youtube.com/watch?v=zvmNDKb6_q4
やがてベルギー人のいなくなる町 ベルギーの首都ブリュッセル
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こうして治安は崩壊し、国家は死に至る ベルギー ブリュッセル
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