正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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2/6 暗黒大陸

『暗黒大陸中国の真実』 1933年
アメリカの元上海・福州副領事 ラルフ・タウンゼント著

勝った者はどうするか。

たたき出された者が雪の中を転げまわり、
最後には海老のように丸くなって凍え死ぬ様をじっくり堪能してから、
また博打にもどるそうである。
賭博場には「斧とまな板と熱い油」が用意されている。
何のためか。賭けるものがなくなり「指を賭ける」客人のためである。
勝者が掟に従って指を切り取る。
この指切りを見ようと大勢押し寄せるから「有料のショー」となる。
熱い油は切り口を焼いて麻痺させるためである。

残虐な死刑や拷問

有名な話だが、つい最近まで、有罪者に対する拷問は合法だった。
「細切れの刑」がよく行われた。
即死しない部分を細かく切り取る刑である。
「くじ引きの刑」というものもある。
籠の中に体の部分を書いた札を付けたナイフがたくさん入っている。
これを目隠しして引く。
札に耳と書いてあれば耳、鼻と書いてあれば鼻を切り取る。
死ぬまで延々と続く。もちろん受刑者の身内が「袖の下」を使えば、
不思議と致命的部位を書いたナイフが当たる。

今はこのような残虐な刑はないが、
僻地では今でも役人の好き勝手に行われている。
止むを得ないのかも知れない。

というのは、頑迷で凶暴な民衆が相手では
仮借のない法が必要だからである。
アメリカでは近年、凶悪犯に厳罰で臨まなくなったが、
これは明らかに失敗であるが、
中国においてそうするのはもっと馬鹿馬鹿しいことだ。
しかし、中国役人の残酷さというものは伝統的な法さえ無視して、
公務にかこつけて私的なたくらみを執行することにある。

去年(1932年)、福州から約65キロにある
私の最後の任地の福清の話をしよう。
代官が例に漏れず、住民を脅迫し、誤魔化し、搾取した。

ある金持ちを「資産隠し」の容疑で逮捕し、
両手の親指を縛って吊るし上げた。逮捕状も何もあったものじゃない。
しかし、役人相手では、残った家族はどうすることもできない。
ここは地獄の沙汰も金次第である。
親戚一同で金を集めて、釈放してもらうしかなかった。効果は絶大。
この一件で「金持ち」連中が一斉に震え上がり、
毎日、大枚をはたいて免罪符を買った。

私が中国を出たこの春、この悪代官はアモイから遠くない新任地で
優雅な生活を送っていた。
これくらいでは、政府高官に睨まれ、失職するということはない。

これはほんの一例に過ぎない。挙げようと思えば、
実名も日時も上げることができる。
赴任する前に「親指の掟」を何度も聞いたことがある。
「何かの比喩かな」くらいに思っていたが、
まさか拷問だとは知らなかった。

(P67~69)

追悼の誠がこもらない葬式

子を思う親心は世界共通だと思ってはいけない。
中国人には全く欠如している。子供が死んだらどうするか。
親は平然としたもので、
ぼろ切れか何かで包んで間に合わせの木箱に入れ、
「どっかに埋めといで」で終わりである。葬式も何も出さない。
これなどはまだ良い方で、
田舎では城壁の外やそこいらにほうり捨て、犬の餌になる。
(以下略)
(P79)

衛生観念がなく不潔極まりない

(略)

さて、比較的裕福な者は別として、冬の着物は実に汚い。
というのは洗濯する間の着替えがないからである。
北部でも貧しい家には暖房がないから、家の中でも何枚も重ね着をする。
面白い表現がある。
「今日は寒いね」と言う代わりに「今日は6枚重ねだ」とか
「5枚重ねだ」等というものである。

貧乏人は布団もないから、昼間着ていたものをそのまま着て寝る。
あれこれ紹介したが、とにかく彼らなりに努力しているのである。
いや、生活レベルを考えれば大健闘と言える。

着るもの以外には「良い」と言えるものはない。
家はどうか、豚を家に入れるから、豚小屋と変らない。
夜、泥棒に取られないため、
豚だろうが鶏だろうがヤギだろうが家の中に入れる。

これはヨーロッパ、特にラテン諸国にも見られるが、
中国人は動物が入って汚しても気にしない。
普通の家は床がなく土間である。
この土間のあちこちに穴が開いていて、雨が降ると水溜りができる。
ここがごみ捨て場になる。

また、家の後ろに、壁で囲んだ所がある。
詩歌好きな中国では、ここを「天の井戸」という。
この天の井戸に、あちこちの水溜りから、乱雑に置いた踏み石の間から、
家畜の排泄物やら何やら混ざった泥が流れ込んで不潔なことおびただしい。

また、裕福な家には生ごみが出るから、これを天の井戸の壁に積み上げる。
これを腹ペコの豚や鶏がひっくり返して食べる。掃除はしない。
数年に一度、焼却するだけである。臭くて息もできない。
汚い豚が家の中に入って来て、蝿を追っ払って餌を漁ったり、
柱に背中を擦り付けたりするからである。
(P81)

屎尿はどう処理するのか? 
(略)

町の市場で買い物をする者がいる。
魚一匹、田舎では買えない野菜一束等である。
これを桶の側にぶら下げるから糞尿がかかる。
手押し車や荷車で市場に野菜を運ぶ者がいる。
前日、糞尿を入れた同じ桶に入れて何とも思わない。
まして「糞尿がかからないように包もう」等とは全く考えない。

彼らは伝染病が流行する時は大変だ。流行に一役買うことになる。
屎尿を桶にいっぱい汲んで蓋をしない。
毎日通る道をヌルヌルに汚して全く気にしない。
そこで遊んだ子供や犬や豚がバイ菌を家に持ち込むのである。
(以下略)
(P82)

「金がすべて」であり、それこそ宗教に近いものがある。
もうけ話になるとどんな苦労でも厭わない。
また、友人や家族の誰かが死んでも顔色一つ変えない人が、
金をなくしたとなると大騒ぎである。

これは私の使用人の話である。
爪に火を灯して1800ドルも貯めた者がいた。
並の中国人にとって一財産である。ここまでは見上げたものである。

しかし、中国人らしくてよくわからない話が始まるのはここからである。
よせばいいのに、よく知らない博打か株に手を出し、
貯めた金をすっかり擦ってしまった。
そかもよく知らない男に頼んでやらせたようだ。
あまりのショックに死にそうなくらい落ち込んでいた。
よくある話だが、可哀相になって事情を聞くとこう答えた。

「私、モウ行ケナイ、友ダチノ家ニ。友ダチ皆、飲ンデ、笑ッテ、
楽シソウ。デモ、私、声出ナイ、笑エナイ、食ベラレナイ。
私、何モデキナイケド、心臓ダケ、ドッキンコ、ドッキンコ、
時計ミタイニ、鳴ッテイル。ココヨ、ココ(と言って胸に手を当てる)。
夜、睡眠ゼロ。心臓ダケ、ドッキンコ、ドッキンコ。
私、声モ出ネェシ、涙モ出ネェ。デモ、心臓ダケ泣イテイル」

ところが、この同じ使用人、
コレラで死んだ友の話となるとガラッと変った。
いかにも可笑しかったというように大笑いしながら、
こう話したのである。

「二日前ノ晩ダッタ。私、アイツノ家ニ行ッタ。
アイツ、マサカ、自分ガ、死ヌトハ、思ワナカッタ。
ソレカラ、コレラガ来タ。カカッタ。4時間モシナイデ、昨日、死ンダ」

と話した後、大笑いしたのである。

「これぞ中国人」という話のほんの一例である。
古い宣教師や商人の日誌にも同様の話がたくさんある。
芝居見物してみるといい。
可哀相な場面、例えば、息子が死ぬ、嵐に家を吹き飛ばされるなど、
涙を誘う場面がある。

ところが何と驚くなかれ、ここで大爆笑が起こるのである。
私自身、何度も芝居小屋に足を運んだから間違いはない。
芝居だけではない。現実も同じである。
何事にも鈍感なのに、金の話になるとヘナヘナっとなるのである。

悪い方に解釈すれば、元々、宗教観のない者に宗教を教えることは
できない相談だということになる。
ここがお隣のチベットや日本、インドと違う点だ。

歴史を思い出そう。
無知で仲間を思いやる気持ちがないから残酷な刑ができた。
「地獄へ堕ちるぞ」と脅してきた。
もちろん、両方をうまく使って脅してきたのは言うまでもない。
人間の情に訴え、人心を掌握するということはなかった。
恐らく情に訴えても「糠に釘」だからであろう。

そこでまた、お人よしの宣教師は考える。
「キリストの教えを説いたら、行いを正すだろう」と。
一理あるかもしれないが、大の大人の考えではない。
落とし穴に気づいていないのである。歴史を思い出そう。
いくら宗教的なものを植えつけようとしても、
全く受け付けない国民であったという歴史を。
(P144)

「右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい」とイエスは説いた。
しかし中国人が相手では全く通じない。
左の頬を出されて、「あ、可哀想なことをした」と反省するどころか
「えっ、左まで出すの?それじゃ」と
思いっきりぶん殴るのが中国人である。

「どうして宣教師は気づかないのか」と領事館員は嘆いている。
こういう卑屈な姿勢がかえって中国人を甘やかすことになる。
おかげで、
文明国家では当然の権利である外国人の権利を平気で踏みにじる。
「宣教師が甘やかすおかげで我々民間まで仕事をめちゃめちゃにされ、
面目丸つぶれだ」と、民間には怒りの声が絶えない。
(P164)

もう一つ例を挙げよう。
ハレット・アベンドの1930年の『虐げられた中国』からの引用である。
アベンドは「ニューヨーク・タイムズ」の中国主任通信員を
長く勤めた人物である。

氷に閉ざされた大沽の沖合いの小舟で、
ある女医療宣教師がありもままを語った。

62歳になって帰国するんです。希望が持てなくなってね。
34年間も片田舎で中国人のために医療宣教師として勤めました。
義和団事件の頃だって病院を離れなかったわ。
私には向いていなかったんですが、かれこれ30年以上も病人を看病し、
衛生指導に当たったんです。

62の今になってようやく気づきました。「人生無駄にしたなぁ」と。
アメリカにいたら結婚して子供を生んで、
それから近所の恵まれない人たちの
お役に立てるようなこともできたのではないかと。

ここでは何をしても無意味で、感謝もされないのです。
本当に残念ですね。でもこれからは違うわ。
アメリカに帰ったら若者に
「宣教師として中国に行くなんて狂気の沙汰よ」と、
命ある限り訴えようと思っています。

同書には1927年の国民党の台頭から同書が
出版される1930年までに宣教師に加えられた凶行が紹介されている。
南京政府の職員が民衆を扇動し、伝道所へ向わせ威嚇する、
伝道病院にピケを張り妨害する。
ミッションスクールを閉鎖に追い込む、等である。
ある時は、群衆が見るに堪えないスローガンを教会に貼る。
そこには鉄砲を担いだ国民党軍が護衛についている。
誰を護衛しているのかと思うと、群集を護衛しているのである。

極端な話ではない。数字を見て欲しい。
1927年から28年、中国領土にいた8千人に上る外国人宣教師のうち
5千人が退去させられている。どこへ退去したのか。日本である。
しかし日本に避難したものの、日本人が好きになれない。
可哀想な人間がいないからである。

アメリカ人とは不思議なもので、
可哀想だとは思えない相手は好きになれない人種である。
宣教師は特にこの傾向が強い。
可哀想な人間を見ると、我が身の危険をも顧みず、
救ってあげようという順境精神が湧き上がるのである。

だから中国人は全く有難い存在なのだ。
ところが日本は、ドイツに似て、規律正しく、
町は清潔で落ち着いている。これでは宣教師の出る幕がない。
だから宣教師に好かれないのである。
(P169~167)

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2009/10/25 09:00|年表リンク用資料
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