正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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4/6 暗黒大陸

『暗黒大陸中国の真実』 1933年
アメリカの元上海・福州副領事 ラルフ・タウンゼント著

命の恩人のイギリス人に感謝どころか非難する孫文

親切と愛情。この2つは中国人の最高の美徳である。
・・・・・この2つの美徳において我が中国人が
他国に遅れをとるとは毛頭思えない。・・・・・信義について。
我が先人は信義を持って隣邦に接してきた。
我が中国人ほど信義を実践する国民はいない。

と、今は亡き孫文は書いた。
がしかし、その孫文自身、何度も暗殺者に狙われ、騙された人間である。
他に人がいないから近代中国の先駆者とか聖人とか思われている。

前にも書いたが、孫文の「三民主義」は中国人の聖書となっていて、
ここに引用したのはその一部である。
同じ中国人から弾が飛んで来ても、
あるいは家族も財産も略奪されても
「三民主義」を持ち上げる文人が多いので、
「三民主義こそ中国を導く精神的支柱」という虚構が定着している。
孫文は何度も日本へ亡命している。またイギリスへ逃れたこともある。

その時、中国政府の暗殺命令を受けた刺客に襲われ、
危ういところでイギリス人の友人に助けてもらったが、
その恩を忘れ、イギリス人の悪口を書き散らしている。
中国に帰ってからも同じ中国人に狙われ、
またも運良くイギリス人に匿ってもらったが、
それでも反英プロパガンダを続けた人間である。
助けたイギリス人は軽い気持ちで助けたのかもしれない。

もしかしたら身の危険をも顧みず、匿ったのかもしれない。
その命の恩人のイギリス人に、
騎士道精神に感謝の気持ちを述べた文章に出会ったことがない。

自覚こそ立ち直りの一歩

「中国は戦争で一度も勝ったことがないが、それは平和愛好家だからである」
と言う人がいる。まことに滑稽な話である。
確かに戦争には負けっぱなしであるが、お上の権力が弱まると、
早速仲間同士で殺し合いが始まる。歴史を見れば昔からそうであった。
「それから何百年も乱世が続いた・・・・・」と綴っている。

にもかかわらず、「静かに微笑む華の国」と言ってのける。
朝廷に権威があった時代でも内紛は絶えない国。
夫婦喧嘩は絶えず、夫に虐待されても法にすがることができず、
意趣晴らしに自殺をする妻が多い国。

部族同士の争いが頻発しても、腐敗した官僚では、
慈悲深い裁きを下せない国。
新聞雑誌、裁判記録、年代記などを丹念に調べると、
血生臭い嵐が全土に吹き荒れている。

腐った堆肥に咲く美しい花。何と素晴らしい対比だ!
病人や怪我人を誰も助けない国。
人が溺れても誰も助け舟を出さない国。腐敗役人が幅を利かす国。
法に訴えることができず、意趣返しの自殺が絶えない国。
2,3ドルの漆器を売るのに6ドルの護衛を雇う国。
貧しい人のための血清を奪い、金儲けをする役人天国。
外国人が付いて行かないと、危なくて召使が外出できない国。
留学組みの将校の下で、士気の上らない兵卒が年老いた百姓のばあさんを
とっ捕まえ、牛馬のように荷物運びをさせる国。こういう国である。

知識層は安全な外国の疎開に居を構え、海外に亡命し、
天使様のあふれる愛だの慈悲だのと暢気な詩をひねくり出したり、
文章を書き散らしている。嘘、現実逃避である。
鈍感で誠意がなく、悪いところを認めようとしない。
認めることこそ立ち直りへの第一歩である。
(P225~226)

日本人と中国人

(略)
短い旅行でも違いが分かる。他人に対する態度が大きく違う。
儲け話となると腰が低くなるのが中国人。
日本は違う。自然に腰が低くなり、
礼をもって接すること自体に喜びを見出している。

例えば、通りを歩いていて、
何かを落としたら誰かがサッと拾ってくれる。
中国には、スラム街よりひどく、鵜の目鷹の目の連中が多い。
例えば、人力車同士がぶつかったとする。
両方の車夫が「何やってんだ、この野郎」と怒鳴りあいになる。
日本人はどうするか。
アメリカ人の手本になるよう行動を示してくれるのである。

アメリカ人はなぜ日本人より中国人を好きになるのか

不思議なことに、ちょっと付き合うと中国人を好きになる
アメリカ人が多い。中国人の方が実に陽気だからである。

逆に日本人は、家庭内や親しい友人は別として、口数が少なく、
よそよそしい感じを与える。
ホテル等で見かける日本人は、くたびれた博士のようである。
店員は日本人も中国人も非常に礼儀正しい。
無口な日本人は不気味で、どうも煙たがられる。

反対に中国人はおしゃべりで、すぐに英語でおべっかを使う。
日本人にはそんな習慣はないから、
英語を知っていてもヘラヘラお世辞を言おうとはしない。
用件だけで済ますのである。

上流階級の日本人は、「武士に二言はない」というサムライである。
サムライとは名誉を重んじ、
自らの言動に責任を持つ伝統を重んじる特権階級である。
何を聞かれても返事はイエスかノーか、2つしかない。
決して嘘をつかないから、嘘つき呼ばわりされたら刀を抜く。
今日でも、そうだから、昔のサムライは「武士に二言はない」
であったに違いない。

中国は全く逆で、言葉の意味はころころ変わる。
昔から、嘘つき呼ばわりされても誰もぶじょくだと思わない。
そういえば、嘘とか嘘つきという言葉がない。

日本人は誰もがきれい好きである。一目でわかる。
労働者でも毎日風呂に入る。
きれい好きで、玄関では靴を脱ぐし、床でも柱でも拭いてきれいにする。
不潔を極端に嫌う日本人に対して、
中国人は全く逆で、不潔に親近感を持っている。

先ほど、ちょっとだけ付き合うと中国人が好きになる人が多いと言ったが、
長らく付き合うと、圧倒的に日本人が好きになる。
アメリカ人と比べると仕事が遅いが、中国人とは比較にならないくらい、
信頼できるし、真面目なお付き合いができる、という人がほとんどである。
違うという人はいない。ただし「なくて七癖」、スパイマニアである。

ちょっと滞在して中国人が好きになるのは、
中国がどん底の国だからである。
アメリカ人は可哀想な人に愛着を持つのである。
もう一つの理由は、日本がアメリカの安全を脅かす存在だからである。

(P250~251)

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【参考】 中国人と日本人、外国人はどうやって見分ける?
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-572.html

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移民がもたらす日本脅威論

私は卒業後2年間サンフランシスコにいたので、
カリフォルニアの人間が中国人と日本人にどういう感情を
持っているかがよくわかった。圧倒的に中国よりである。
もっとはっきり言えば、圧倒的に反日であった。
中国人が嫌いという人も大好きという人も少ない。
大多数は無関心なのになぜか反日感情だけは盛んであった。
親日家はゼロに近かった。

第一の理由は、愛嬌がないことだろう。
二番目は、太平洋での日本の動きに対する不安であろう。
この不安をカリフォルニアの財界が盛んに煽っている。
軍港と陸軍基地の増設を目論んでいるのである。
そうなれば地域は活気づく。兵隊が金を落とす。地域経済は万々歳だ。

しかし新聞には「造幣して金を落とさせろ」とは言えないから、
「適切な防衛」と表現したのであった。
事情を知らない者は不安に駆られ、
寝る前に日本人が潜んでいないかベットの下を調べたりする。
「日本軍特殊部隊メキシコに上陸」という見出しに、
カリフォルニアのオレンジ農家は震え上がり、新聞が売れる。
とかく新聞社は発行部数を気にする。

確かに太平洋側の防衛は緊急課題である。
しかし日本脅威論を煽り過ぎるのは百害あって一利なし。

日本脅威論はどこに端を発したのだろうか。
中国人の移民が50年前に停止になったのにもかかわらず、
日本からの移民が今でも続いているところにあるかもしれない。
25年前、カリフォルニアが日本人に占領されてしまうのではないか
と恐れた。

そこで移民削減のため、全く根拠のないプロパガンダを始めたのである。
今でも反日感情が残っているのはそのせいである。
また我々は、本能的に人種差別をしているということを忘れてはならない。
すべてがそうだとは言わないが、やっている本人が気づかない。
本能的に嫌いな民族を好きになれと言われてもなれるわけがない。

また「ふりだけでもしろ」というのは偽善でしかない。
中国人や日本人を見ると「虫唾が走る」と言う人もいる。
誤解やら間違った情報で起こる場合があるが、
本能的に嫌いな人には、いくら説明しても無駄なのだ。

(略)

日本叩きのネタはないかと考え、偶然考えついたのが、
中国人を持ち上げることであった。こう考えるのには根拠がある。
逆を想定するとよくわかる。
もし中国が強力で脅威だったらどうだろう。
反日家は「間違っていた」と気づくだろう。

全米の中国人観、日本人観は大なり小なり、カリフォルニア発である。
両国の移民の歴史を見てみよう。
中国人が大挙してアメリカに渡ってきた50年から75年前、
西部はゴールドラッシュで、鉱山掘り、鉄道工事が盛んであった。
当時の彼らの社会的地位はコヨーテ同然で、
アメリカ人と争うはずがない。
逆らおうものなら、インディアンやガラガラヘビ同様、根絶やしにされた。
差がありすぎては争いなど起きるはずがない。

日本人が移民としてわたってきたのはそれからしばらく後、
アメリカの民主主義が大きく成長し、
平等思想というものに触れた頃であった。ただし、反対も多かった。

例えば、日本人の子女が同じ学校に入るのに反対した。
偉そうなことを言っても、いざ実践となると「総論賛成。各論反対」
というわけだ。
コヨーテと思ってきた中国人とは争いは起こらなかったが、
学校に入ろうとする日本人とは対立が始まった。
家来扱いされても平気な中国人に対して、
日本人はプライドが許さないからである。

対日、対中関係を考察する時、
25年前のカリフォルニア反日暴動などを振り返ることが重要である。
移民の歴史を十分理解しないで、感情論で判断してきたのである。
(P252~253)

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2009/10/23 09:00|年表リンク用資料
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