正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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米比戦争とフィリピン人虐殺

アメリカ・フィリピン戦争
1898年に米西戦争が始まったとき、
アメリカはフィリピン人の独立革命家のアギナルドやリカルテに対し、
スペイン撃退後のフィリピン独立を約束し、その協力を取り付けた。

アギナルドらは独立を助けてくれるものと信じて
アメリカ軍に大いに協力した。

ところがアメリカは地元の革命軍の協力でスペインに勝つと、
フィリピン独立の約束を反故にし、フィリピン併合を宣言した。

騙されたと知った革命家は、日本に援助を求めながら、
アメリカに抵抗し戦争となったが、結局はアメリカに鎮圧された。

この戦争でアメリカはフィリピン侵略のために残虐の限りを尽くし、
反抗するフィリピン人60万人を虐殺した。

フィリピンの独立戦争を押さえつけ、
初代軍政長官に就任したのが陸軍少将のアーサー・マッカーサーで、
その副官が息子のダグラス・マッカーサーだった。

フィリピンが独立を宣言できるのは大東亜戦争中の1943年のことである。

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【参考】ウィキペディア(Wikipedia) 米比戦争

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ニューヨークジャーナルの米比戦争の風刺画。
フィリピン人を銃殺しようとするアメリカ兵の背後には
「10歳以上の者は皆殺し」と書かれている。
『米比戦争の風刺画』フィリピン人を銃殺しようとするアメリカ兵の背後には「10歳以上の者は皆殺し」と書かれている。

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フィリピン少年が見たカミカゼ
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2009/10/13 09:00|年表リンク用資料
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