正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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1900年(明治33年)7~8月、江東六十四屯虐殺(黒竜江=アムール川の悲劇)

江東六十四屯(こうとう・ろくじゅうしとん)は、
かつてアムール川(黒竜江)の左岸(東側)に広がっていた地域のことで、
満州人と支那人が住んでいた。

中国・黒竜江省黒河市の対岸にあるロシアの都市
ブラゴヴェシチェンスク(海蘭泡)の南側(ゼヤ川より東)の一帯に
64箇所の村落があったためこう呼ばれる。

清朝とロシア帝国の間で1858年に締結されたアイグン条約では、
清の領土だったアムール川左岸の外満州はロシアに割譲されたが、
黒河の対岸の「江東六十四屯」と呼ばれる地域には
大勢の中国人居留民がいたため、
アムール川左岸でもこの部分だけは
ロシア領ながら清の管理下に置かれることになった。

義和団の乱が起きると、
かねてから満州全域への進出を計画していたロシアは、
義和団と列強とを相手にしている清国は満州情勢に関わる余裕がないと考え、
ロシアは東支鉄道保護の名目で満州に大軍を送った。

満州でのロシア軍の行動は横暴を極め、虐殺を行なった。

1900年7月13日、ロシアの軍艦ミハイル号は河上より銃撃を開始。
7月16日のブラゴヴェシチェンスク(海蘭泡)でコサック兵が
清国の民間人約3,000名を虐殺して占領。

さらに8月2日から3日にかけての黒龍江・アイグン事件では、
義和団に対する報復として派兵されたロシア兵 約2,000名が
黒河鎮に渡河上陸し、清国の罪なき住民を大虐殺した。

その結果、この時期に清国人約2万5千名もがロシア兵に虐殺されて
アムール川に投げ捨てられた。
清国人の遺体が筏のようにアムール川一面を真っ赤に染めて下って行った。

これらの事件によって江東六十四屯から
清国人居留民は一掃され、清の支配は失われることとなる。

これらの事件と、これに続くロシアの東三省占領は、
三国干渉以来高まっていた日本での
対ロシア警戒感を一層高めることとなった。

アムール川から南下の機会を狙うのは、
ナポレオンをも征した世界最大最強のロシア陸軍。
日本の世論は緊張し、反ロシア大集会が日本各地で開かれるに至った。
弁士が憤激し、聴衆も同調して床を踏み鳴らした。

ロシアは次に朝鮮を蹂躙して日本へ侵略してくるに違いない、
というのが世論の見方であった。

このアムール川の悲劇は、1901(明治34)年、
『アムール川の流血や』という題名の旧制第一高等学校の寮歌にも歌われ、
時代の警鐘となった。

旧制第一高等学校の寮歌 『アムール川の流血や』

一、 アムール河の流血や 凍りて恨み結びけん
   二十世紀の東洋は 怪雲空にはびこりつ

二、 コサック兵の剣戟(けんげき)や 怒りて光ちらしけん
   二十世紀の東洋は 荒波海に立ちさわぐ

三、 満清(まんしん)すでに力つき 末は魯縞(ろこう)も穿(うが)ち得で
   仰ぐはひとり日東(にっとう)の 名もかんばしき秋津島

四、 桜の匂い衰えて 皮相の風の吹きすさび 清き流れをけがしつつ
   沈滞ここに幾春秋

五、 向が丘の健男児 虚声偽涙(きょせいぎるい)をよそにして
   照る日の影を仰ぎつつ 自治領たてて十一年

六、 世紀新たに来れども 北京の空は山嵐
   さらば兜の緒をしめて 自治の本領あらわさん

ニコ動 初音ミク http://www.nicovideo.jp/watch/sm3153705


その後、1902年にロシアと清国の間に満洲還付協約が結ばれたが、
ロシアに占領された黒竜江以南の満州が清国に返還されたときにも
江東六十四屯は返されなかった。

日露戦争でロシアが敗れると清国は江東六十四屯の返還を求めたが、
ロシアはロシア軍民を移住させ、
すでにロシア人が住む土地となったので返せないと拒否した。

戦後北方領土から日本人を強制的に追放して
自分の領土と言い張るソ連と同じやり方だった。

清朝滅亡後には張作霖政権も返還を求めた。
ソ連は「カラハン宣言」を発して返還を声明したのだが、
実際にはソ連は交渉に応ずることなく今日でもロシア領である。

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歩兵の本領 (陸上自衛隊・普通科の本領)


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義和団の乱
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★★★1900年(明治33年)、ロシアが『義和団の乱』に乗じて満洲を占領。
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義和団の乱~唐突な日英同盟締結の背景
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江東六十四屯虐殺(黒竜江=アムール川の悲劇)
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北清事変 日本軍の軍紀厳正 ロシアの南侵
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2009/10/03 09:00|年表リンク用資料
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