●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
||
すばらしい日本
正統史観年表 内 検索 慰安婦と強制連行 南京大虐殺ネット最強の論客 いわゆる南京大虐殺 竹島・尖閣諸島・北方領土 おすすめリンク 1
当ブログのリンク先について
当ブログが紹介しているリンク先の
他サイトの内容を100%支持している わけではありません。完全に意見が 一致する人など存在していません。 ならば、なぜリンク紹介しているの かというと、大東亜戦争後、日本国 内が、あまりにも、いわゆる左巻き の論調に偏ってしまっているので、 全体的に見ると少数ながら存在して いる保守側の意見を、いろいろな 角度から知ってほしいからです。 ブログ記事の右下の日付について
ホームページよりもブログのほうが
簡単に作れそうだったのでブログで この正統史観年表を作成しました。 ブログなので各記事の一番右下に 日付が表示されてしまいますので、 適当な日付を指定しながら記事を 作成していきました。つまり各記事 の一番右下の日付はブログを書いた 日付ではなく、適当な日付です。 まぎらわしくて申し訳ありません。 |
海軍中将 草鹿任一
戦後の東京裁判で、不思議なことに海軍からは いわゆるA級戦犯が一人も出ていない。 これは実に不思議な話である。 それはなぜか。 終戦時、ラバウルにいた海軍中将、草鹿任一(くさかじんいち)氏が、 その原因だといわれる。 草鹿任一 海軍中将 ![]() GHQにアメリカ人でモンローという検事がいた。 彼は東京裁判のときに、海軍の戦犯を暴くことが任務で、 なかでも激戦地だった南東方面艦隊の事件を担当した。 当然、南方最大の日本海軍基地であるラバウルの調査をすることになる。 ところがモンローは、ラバウルの指揮官であった草鹿任一に会うと、 すっかり彼に心服してしまった。 そしてモンロー検事は、草鹿を“オールド、ジェントルマン”と呼び、 自分から彼の家にに何度も出かけている。 そして“オールド、ジェントルマン”のために 海軍関連の事件を全部取り下げたいからと資料を集め、 結局“Case is dismissed”として 事件そのものの立件を見送ってしまった! 当時、日本に駐屯していた米海軍には、 アーレイ・アルバート・バーク(Arleigh Albert Burke)という人もいた。 米海軍の軍人で、最終階級は海軍大将であった。 アメリカ海軍史上でただひとり、 海軍作戦部長を3期6年の長きにわたって務めた実績のある人で、 当然GHQの中でも発言権が強かった。 バークは、大東亜戦争の最中も、終戦後も、 公の場で日本人を「ジャップ!」、「黄色い猿!」と侮蔑的に呼び、 露骨に日本人をさげすみ、頭から反日・嫌日感情を隠そうともしなかった。 それくらい日本人嫌いだった。 そのバークも、取り調べのさなかに草鹿任一と知り合いになった。 その出会いが、彼の人生を一転させた。 バークは、草鹿との出会いのあと、うって変わって親日家となり、 モンローとともに日本海軍軍人の裁判をことごとく不起訴にしたばかりか、 日本が早く占領状態から解放されるよう尽力し、 挙句の果てに日本の海上自衛隊の創設のために全力をあげて貢献した。 その功績によって彼は、 昭和36(1961)年には、陛下から“勲一等旭日大綬章”を授与されている。 平成8(1996)年、彼は94歳でこの世を去ったのだが、 さすがに米海軍の大物のバーク、 彼は米国だけでなく、世界各国から多数の勲章を授与されていた。 ところがバークは、彼の葬儀のとき、本人の遺志によって遺体の胸に、 日本の旭日大綬章ただひとつだけを取り付けた。 彼にとって、他のどの勲章よりも、 日本の陛下から授与された勲章が栄誉だったのだ。 他にも草鹿は、東京裁判開始前にキーナン検事を筆頭に、 GHQで日本を敵視していた人々に いちいち会っては大喧嘩をし、大口論をした。 その結果、彼等は逆に日本人を認識し直し、草鹿を尊敬してしまう。 結果、帝国海軍軍人からは、A級戦犯として起訴される者が誰も出なかった。 のみならず、反日的だった彼らをして、 逆に日本海上自衛隊の創建にまで協力させてしまった。 アーレイ・バーク ![]() 終戦時、オーストラリア軍がやってくると、鬼の草鹿に一変した。 降伏調印のためにやってきたオーストラリア軍は、 文書調印に、日本軍代表として陸軍の今村大将を指名してきた。 これに対して草鹿は噛み付いた。 「海軍は陸軍の指揮下に入ったことはない! 建軍の本筋から考えて陸軍には海軍の降伏調印の権限は有さない!」 草鹿は、火のような剣幕でそう頑なに主張し、 海軍側の指揮官として今村大将と連名で調印した。 連名で文書に調印するということは、 自ら最高責任者と名乗りをあげることであり、 それはそのまま「死」を意味した。 普通であれば指名を受けなければホッとする。 しかし草鹿は、頑として陸海併記でなければ認められないと主張し続け、 結局、これを通し切った。 さらにオーストラリア軍によるBC級戦犯調査が始まると、 自分自身が知らない部下の事件や問題に対しても、 「それは自分が命令した」 「それは自分の責任である」 と逐一、烈火のごとき剣幕で、横から口をはさんだ。 ものすごい剣幕だった。 その剣幕に、オーストラリアの担当官は、驚きあきれた。 そもそも現場の最高責任者である指揮官が、 自分が逐一命令したというのでは、取り調べになったもんじゃない。 軍は、指揮官の命令で動くものだからだ。 全部が指揮官の指示によるものなら、 実行犯は、ただ命令を遂行しただけとなり、 軍事裁判で責任の追及のしようがない。 結局、草鹿は、ラバウルのBC級戦犯でも、 海軍関係者全員の不起訴を勝ち取ってしまった。 ――――――― Wikipedia 『草鹿任一(くさか じんいち)』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%89%E9%B9%BF%E4%BB%BB%E4%B8%80 |
誇りある日本 論点 チャンネル桜 英語で世界に発信! 距離を置くべきアメリカ ときどきニコ生放送! アフィリエイトやってない!
当ブログはアフィリエイトをして
いませんし、どのランキングにも 参加しておりません。このブログ で何の収入も得ておりません。 管理人へのメールフォーム
|
Copyright(C) 2006 正統史観年表 All Rights Reserved.
Powered by FC2ブログ. template designed by 遥かなるわらしべ長者への挑戦. |