正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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オレンジ計画

日露戦争では日本に味方してくれた米国はオレンジ計画で、
「日本とは現在友好関係にあるが
将来極東支配を目論む日本の領土拡大政策が原因で衝突せざるを得ないとし、
その場合、日本はこの戦争に国力を総動員するであろうから、
米国はマーシャル、マリアナ諸島に進行して
海上封鎖を強めて日本の補給路を遮断する。

そして艦隊決戦によって米国が勝ちを制して沖縄を占領し、
最後は空爆によって生産施設を破壊して降伏させる。」

といった内容になっており、太平洋戦争はほぼこのとおりに推移した。

さらに、

【1】中国と組んで反日宣伝を推進する。
【2】日本の海軍力を削減させる。
【3】日本の兵力を大陸に向けさせ消耗させる。

といった戦略を確実に実行に移し、
中国全土の反日運動、度重なる海軍軍縮会議、中国に対する援助等、
すべてこれらのプログラム通りに実行に移した。

そして、「オレンジ計画」 は、武器の発達と共に、修正が加えられ、
1941年9月27日に日本とドイツ、イタリアが三国同盟を結ぶと、
アメリカは新たな対日戦争計画「オレンジ5」を策定した。

その内容は、日本は資源を求めて領土拡大を図るだろうから、
補給路を断ち、制海権を握って日本の海上輸送を封鎖。
沖縄を占領し、空爆によって日本本土を爆撃。
戦闘能力を奪って日本を孤立させ、無条件降伏を迫るというものである。

アメリカはそのために海軍を増強したのだが、
それは真珠湾攻撃が始まる二ケ月以上も前のことであった。

アメリカは、日米開戦の前に、日英同盟の解消、海軍主力艦の制限、
ブロック経済、対日禁輸など、日本の封じ込めを図り、
日本をアメリカとの開戦に誘導したふしがあり、
確実にアメリカと戦争をするように仕向けたと言っても過言ではない。

日本はアメリカの対日圧迫政策を回避するために、
中国や南洋へと資源を求めて進出するという、
まさに、アメリカが描いたシナリオどおりに進み、
1941年12月8日の真珠湾攻撃につながり、
その結果もたらされたのが「新型爆弾」である原爆の投下であった。

そうして、原子爆弾を日本に落とすための、
 「マンハッタン計画」 を強力に推し進めたのが、
フランクリン・D・ルーズベルト、
しかしながら1945年4月12日に脳卒中で死亡し、
実際に日本に原爆投下の支持を出したのは、トルーマン大統領であった。
2009/09/29 09:00|年表リンク用資料
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