●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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1909年(明治42年)、満州鉄道中立化提案。
ハリマンの南満洲鉄道共同経営提案を日本は最終的に拒否したが、 アメリカは支那大陸への進出をあきらめたわけではなかった。 1909年(明治42年)11月、 アメリカ国務長官ノックスは全満州鉄道の中立化を提案した。 鉄道王・ハリマンは一企業家にすぎなかたが、 ノックスは国務長官として満州に介入してきたのである。 提案は「満洲の全鉄道を国際シンジゲートで買収して所有権を清国に移し、 借款継続中は国際シンジケートで運営する」 「これが不可能ならば、列国共同で錦愛鉄道を建設し、 満州の中立化を実現する」というものだった。 「中立化」とは聞こえはいいが、 要するに「ロシアと日本ばかりがうまい汁を吸うのは許せない」ということ。 しかし満州の現実を無視して身勝手な理念を押し付けようとする このアメリカの政策は成功しなかった。 満州に最も切実な利害を持つ日本とロシアは結束して反対した。 また、イギリス・フランスも日本とロシアの立場を優先すべきとして 同意しなかったため、この提案は葬り去られた。 日本の大陸政策と観念的門戸開放主義を中心にするアメリカ極東政策の 公然たる対立はここに端を発したといえる。 日米東亜抗争史はこのときに始まった。 これ以外にもアメリカは、清国に働きかけて何とか利権を得たいと 運動をしていたが、それらはどれも失敗し、 彼らのフラストレーションは募る一方だった。 そして、その不満の矛先は、 太平洋を隔てて隣り合う日本に向けられることになっていく。 日露戦争後、日本とロシアは良好な関係を維持するようになり、 満州は安定した状況でありえた。 これが崩れるのはロシア革命以後のことである。 |
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