正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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1932年1月7日、スティムソン・ドクトリン

満洲事変の後、アメリカの国務長官ヘンリー・スチムソンは
以下のような内容の覚書を日本と支那に手交した。

・支那の領土保全、門戸開放に違反し、
アメリカ国民の権利を侵害するものは一切認めない。

・日支(日本と支那)が締結する条約・協定で、
前記権利を侵害するものは一切認めない。

・不戦条約に違反するいかなる行動をも認めない。

要するに、日本のアジア大陸における行為はすべて不承認という声明だった。

これは1915年(大正4年)のいわゆる「対華21ヶ条」問題における
ブライアンの不承認主義を継承するものだった。

これ以降、事変をめぐって日米関係は悪化していく。

アメリカが中南米でどんなに悪辣なことをやろうと日本は口出ししないのに、
アメリカは日本が隣国でやることに口出し続けたのである。

アメリカがアジアのことに口を出さなければ支那事変も起こらなかったし、
満州国は繁栄し、満州族とともに支那人も同化して栄えたことは間違いない。
2009/09/22 09:00|年表リンク用資料
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