●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
||
すばらしい日本
正統史観年表 内 検索 慰安婦と強制連行 南京大虐殺ネット最強の論客 いわゆる南京大虐殺 竹島・尖閣諸島・北方領土 おすすめリンク 1
当ブログのリンク先について
当ブログが紹介しているリンク先の
他サイトの内容を100%支持している わけではありません。完全に意見が 一致する人など存在していません。 ならば、なぜリンク紹介しているの かというと、大東亜戦争後、日本国 内が、あまりにも、いわゆる左巻き の論調に偏ってしまっているので、 全体的に見ると少数ながら存在して いる保守側の意見を、いろいろな 角度から知ってほしいからです。 ブログ記事の右下の日付について
ホームページよりもブログのほうが
簡単に作れそうだったのでブログで この正統史観年表を作成しました。 ブログなので各記事の一番右下に 日付が表示されてしまいますので、 適当な日付を指定しながら記事を 作成していきました。つまり各記事 の一番右下の日付はブログを書いた 日付ではなく、適当な日付です。 まぎらわしくて申し訳ありません。 |
1932年1月7日、スティムソン・ドクトリン
満洲事変の後、アメリカの国務長官ヘンリー・スチムソンは 以下のような内容の覚書を日本と支那に手交した。 ・支那の領土保全、門戸開放に違反し、 アメリカ国民の権利を侵害するものは一切認めない。 ・日支(日本と支那)が締結する条約・協定で、 前記権利を侵害するものは一切認めない。 ・不戦条約に違反するいかなる行動をも認めない。 要するに、日本のアジア大陸における行為はすべて不承認という声明だった。 これは1915年(大正4年)のいわゆる「対華21ヶ条」問題における ブライアンの不承認主義を継承するものだった。 これ以降、事変をめぐって日米関係は悪化していく。 アメリカが中南米でどんなに悪辣なことをやろうと日本は口出ししないのに、 アメリカは日本が隣国でやることに口出し続けたのである。 アメリカがアジアのことに口を出さなければ支那事変も起こらなかったし、 満州国は繁栄し、満州族とともに支那人も同化して栄えたことは間違いない。 |
誇りある日本 論点 チャンネル桜 英語で世界に発信! 距離を置くべきアメリカ ときどきニコ生放送! アフィリエイトやってない!
当ブログはアフィリエイトをして
いませんし、どのランキングにも 参加しておりません。このブログ で何の収入も得ておりません。 管理人へのメールフォーム
|
Copyright(C) 2006 正統史観年表 All Rights Reserved.
Powered by FC2ブログ. template designed by 遥かなるわらしべ長者への挑戦. |