正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

ホーム 全記事一覧 << 石井・ランシング協定 シベリア出兵 >>
1917年(大正6年)、ロシア革命

日露戦争の敗北以来、ロマノフ王朝の権威はガタ落ちだった。
そして第一次世界大戦での戦闘でドイツに負け続けたことから、
マルクス共産主義者であるレーニンの主導の下、
おぞましい革命がロシアで起こった。

◆マルクス共産主義とは、
私有財産の否定、共有財産制の実現によって貧富の差をなくす思想なのだが、
実際には実現不可能な社会である。
自由資本主義よりも貧富の差が激しく、貧しい人が多い社会になる。

ロシアはソビエト連邦(ソ連)となり、権力を握ったロシア共産党は、
ロマノフ王朝の一族をすべて処刑し、共産主義に賛同しないと見なした人民
700万人近くを、数年間にわたって殺戮した。

ロシア革命直後からほとんどの国ではソビエト政権を危険視し、警戒した。
それはソ連の政治体制が、日本や欧米諸国と異なる陰惨
かつ暴力的要素を特徴としていたからである。
テロこそがソ連の本質だった。

日本では、危険な共産主義から国家と国民を守ることが
国防政策と対外行動の基本となった。

ロシア革命は人間解放のためではなく、人間抑圧の革命でしかなかった。

ソ連という国家犯罪のすさまじさ、規模の大きさに比するものはない。
その野蛮さ、残忍さは猛烈だった。

革命直後の処刑対象者は、
ロマノフ王朝の一族、貴族政治家、軍人、官僚、僧侶、地主、資本家など、
旧支配層が中心だったが、スターリンが権力を握ると大粛清が始まり、
おびただしい数の人々が殺戮された。

―――――――――――――――――

ロシア革命で共産党は数々の暴挙を働いた。
ロシア革命は血みどろの革命であった。

このニュースは世界を震撼させ、
それまでの自由主義では理論的にも政治的にもソ連に
対抗できないという見方がヨーロッパで強くなった。

そこで、独裁者スターリンと同等のインパクトを持つヒトラーや
ムッソリーニが登場し、社会主義同士で対立し始めた。

ムッソリーニが極左活動家として登場したのがロシア革命の2年後、
ヒトラーがナチ党を結成したのがロシア革命の3年後である。

ヒトラーもムッソリーニも
ソ連の出現に対抗するための社会主義勢力として登場した。

ナチ党の正式名称は「国家社会主義ドイツ労働党」であり、
結党の第一目的は共産党を葬ることだった。

ムッソリーニの結党も共産党とゲバ闘争をやった末のことだった。

急激に国家社会主義に傾いたドイツとイタリアが
第二次世界大戦を引き起こすのだから、
ロシア革命は国際政治を激しく狂わせる原因となったといえよう。

―――――――――――――――――

ロシア革命の日本に及ぼした影響

1.陸軍は日露戦争以来、満洲の治安を担ってきたが、
革命を起こしたスターリンは物凄い反日家だった。
(昭和20年に大戦が終わったとき「日露戦争の仇を取った」と言ったほど)。
このスターリンが近代化された軍隊を満蒙国境に集めた。
常備は8~9個師団、3ヵ月以内に20個師団を終結させた。
日本の関東軍は昭和7年ごろにはたった1個師団で、
その後もずっと1個師団約1万人だった。
これで陸軍がものすごく恐怖を覚えた。
だから、何とかしてロシアと対決する方法を模索しなくてはいけないと考えた。

2.支那の民族意識を共産主義で煽って、
そして、反日運動に持っていくのに大きな役割を果たした。
だから、支那大陸にいた日本人たちは、非常に恐怖を覚えた。

3.皇室廃止の指令がコミンテルンから来た。
これは日本人にとってはとてつもないことだった。
ロシアではロマノフ王朝を倒して、皆殺しにして、皇帝の馬まで殺した。
あんなことを日本でやる気なのか、
なのに日本の政府は何をぼやぼやしているのかと政情も民情も揺らいできた。

ところが当時はこれに対抗する理論がなかった。
そしてどうなったかといえば、右翼が出てきた。
右翼といってもそのプログラムは左翼と同じだった。
国体や天皇は尊敬するが、それ以外は左翼と同じだった。

民間の右翼、それを担いだ青年将校、それから国家社会主義でなければ
この難局を乗り切れないと考えた新官僚たち、
こういった連中が全部、社会主義から共産主義に近い
プログラムを持って近衛文麿首相の周りにいた。
2009/09/20 09:00|年表リンク用資料
Copyright(C) 2006 正統史観年表 All Rights Reserved.
Powered by FC2ブログ. template designed by 遥かなるわらしべ長者への挑戦.