●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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簡単に作れそうだったのでブログで この正統史観年表を作成しました。 ブログなので各記事の一番右下に 日付が表示されてしまいますので、 適当な日付を指定しながら記事を 作成していきました。つまり各記事 の一番右下の日付はブログを書いた 日付ではなく、適当な日付です。 まぎらわしくて申し訳ありません。 |
1930年(昭和5年)1月21日~4月22日、ロンドン軍縮会議
ワシントン会議(1921年11月12日~1922年2月6日)では、 巡洋艦以下の補助艦艇は建造数に関しては無制限であったため、 各国とも巡洋艦を建造していた。 そして日本の建造した巡洋艦が他国のものより性能がよかったため、 それを抑えるためにイギリスがこの会議を提唱した。 スポーツで日本が強くなると勝手にルールを変えるという 今日の白人のやり方とまったく同じだ。 アメリカ、イギリス、日本のあいだで 10:10:7という建艦比率が決められた。 補助艦、特に潜水艦に対して制限が加えられるのは 当時の海軍にとっては由々しいことだった。 当時の日本海軍はアメリカの大艦隊が日本を攻めてくることを仮想していて、 ハワイを出たアメリカ艦隊をマーシャル群島やトラック諸島に 基地を置く日本潜水艦隊が迎撃し、 敵が小笠原群島近くに来るまでに日本艦隊とほぼ同じくらいに減らす というのが日本海軍の基本戦略だったからである。 日本は潜水艦を増やせなくなってしまった。 それでも日本はこの会議で大規模な軍縮に同意せざるを得なくなる。 明らかにアメリカの日本攻撃を有利にするための決定と考えられたのだが、 国際世論や英米との力関係のため日本は締結せざるを得なかった。 |
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