●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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すばらしい日本
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簡単に作れそうだったのでブログで この正統史観年表を作成しました。 ブログなので各記事の一番右下に 日付が表示されてしまいますので、 適当な日付を指定しながら記事を 作成していきました。つまり各記事 の一番右下の日付はブログを書いた 日付ではなく、適当な日付です。 まぎらわしくて申し訳ありません。 |
1941年(昭和16年)11月21日、米国に三国同盟死文化申し入れ。
来栖駐米大使はコーデル・ハルに単独会見し、 三国同盟には何の秘密条約も存在しないこと。 またアメリカの対独参戦についての解釈は日本が自主的に行い、 他の締約国の解釈に拘束されるものではないことを 説明した無署名の書面を提示し、 これによって日米交渉が促進されるものと ハルが認めるなら、大使は即座に署名してハルに手交することを申し出た。 だがハルはこれさえ握りつぶした。 その書簡をアメリカが公表すれば、 三国同盟は即刻一片の死文と化したはずである。 あれほど三国同盟に反対していたアメリカが、 なぜ来栖のこの思いつめた申し入れに応じなかったのか。 答えは簡単である。 アメリカは本当は三国同盟に関心はなく、 ただ交渉を引き延ばしの口実として利用しただけなのだ。 現に、9月から10月にかけて、 大西洋では独米間に「発砲戦争」が発生していたにもかかわらず、 日本は対米攻撃をしておらず、この一事をもっても、 三国同盟が事実上死文化していた事をアメリカは知っていたはずなのである。 |
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