正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

ホーム 全記事一覧 << ニューヨーク・タイムズ社説「ドイツ終戦時の論調」と「日本終戦時の論調」 1543年9月23日、鉄砲伝来 >>
1945年(昭和20年)2月13日、ドレスデン空爆大虐殺

ドイツのドレスデンは世界で最も素晴らしいバロック建築が多く残っている
都市であったが、その都市をイギリスとアメリカは徹底的に爆撃した。

イギリスは第一波が二百数十機、第二波が五百数十機で市街地を爆撃し、
さらにアメリカの450機のB29が65万個の焼夷弾を落とし、
その後さらに戦闘機が機銃掃射を行った。犠牲者は13万5000人であった。

日本への空襲同様、
民間人を殺戮した明らかな戦時国際法違反の虐殺だった。

物資が豊富だったアメリカと、
そのアメリカから湯水のごとく援助を受けるイギリスは、
こういった無法な虐殺を行っていた。

アメリカやイギリスにナチスの虐殺を批判する権利はない。

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

以下、「デーヴィッド・アイク(David Icke)の情報」より引用
http://icke.seesaa.net/article/114128419.html

ドレスデンはソビエトの殺人やレイプを逃れた多数の人でいっぱいだった。
その非戦闘地区の美しい都市ドレスデンに、英米の爆撃機は何の警告もなく、
軍事的な理由もなく、焼夷弾を3300トン以上も雨のように降らせた。

爆撃は巨大な炎の嵐となり、
生きながら焼かれた人たちは50万人以上にのぼる。

これは、一回限りの虐殺では史上最大のものであった。

ドレスデンで虐殺された人の数は、広島と長崎を合算したものより多かった。







英文記事
http://www.gnosticliberationfront.com/dresden.htm
2009/09/05 09:00|年表リンク用資料
Copyright(C) 2006 正統史観年表 All Rights Reserved.
Powered by FC2ブログ. template designed by 遥かなるわらしべ長者への挑戦.