正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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1919年3月22日、イワノフカ事件

シベリア出兵中、日本軍は労働者・農民などで
組織されたパルチザンによる遊撃戦に苦戦していた。

●1919年2月中旬、歩兵第十二旅団長山田四郎少将
「彼等が時には我が兵を傷け時には良民を装い
変幻常なきを以て其実質を判別するに由なきに依り・・・」

●ウラジヴォストーク派遣軍政務部長 松平恒雄の
内田外相宛の電報「別電一五九号」

「最近州内各地に於いて過激派赤衛団は現政府及日本軍に対し
州民を煽動し向背常なく我軍隊にして其何れが過激派にして
何れが非過激派なるかの識別に苦ましめ
秩序回復を不可能ならしめつつあるが
斯くの如き状態は到底之を容すべからざるものと・・・」

―――――――

アムール州ブラゴベシチェンスク郊外にあるイワノフカ村が
ロシアの反革命派の武装解除要求に従わなかったため、
反革命派は日本軍に応援を要請。
1919年3月22日、日本軍はイワノフカ村を強制捜索して
武器の押収をするとともに、パルチザンの逮捕、掃討(293名)を行なった。

■参考 Wikipedia シベリア出兵
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%87%BA%E5%85%B5
2009/08/27 09:00|年表リンク用資料
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