正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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1689年、ロシアの東進、ネルチンスク条約(清とロシアの国境確定)

1613年にロマノフ朝が始まったロシアは、
17世紀末のピョートル1世の時代に、
軍事力を強化、周辺地域の侵略に着手した。

当時、ロシアにとっての最大の悩みは南はトルコ、西北部は
北欧諸国にふさがれ、1年中使える港がなく、
海への出口が封じられていることだった。

西欧諸国に追いつくには不凍港の確保が必要で、
この目的を果たすために「南下政策」が伝統的国家目標になった。

18世紀に入るとロシアは狂ったように周辺地域を侵略・併呑していった。
スウェーデン、ポーランドを破り、バルト海の覇権を握り、
南方ではトルコと絶え間ない抗争を続ける。

また、東方のシベリアへの侵略も行ない、
ロシアの版図はやがて太平洋までたどり着き、ベーリング海峡を渡り、
アラスカも領土に組み入れた(アラスカは後にアメリカに売却する)。

当時支那大陸を支配していたのは清国である。
ロシアは清国と1689年にネルチンスク条約を結び国境と定めた。
これは清国とヨーロッパの国との間に結ばれた初めての条約で、
清国とロシアの間の国境を外興安嶺(がいこうあんれい)の線に定めた。

この後、ロシアはアジアの領土を奪い続けることになる。
2010/04/04 07:00|年表リンク用資料
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