正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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先帝陛下(昭和天皇)に戦争責任はない。

大日本帝国憲法(明治憲法)
●第四条:天皇は憲法の規定に基づいて統治を行う
●第五十五条:国務大臣は天皇を補弼(補佐、助言)する
●第三条:天皇は神聖にして侵すべからず
―――――――
第五十五条により、天皇は国務大臣の上奏を受け入れなければならない。
第三条は天皇の政治的無責任(無答責)を意味している。
よって天皇は実際に権力をふるうことはできない。
ふるってしまえば、そこには責任が生じるからである。

だから実際に行われるのは、
【1】内閣がすべての決定を行い、
【2】それを天皇に上奏し、
【3】天皇はそれを裁可する
という形の統治となる。

その内閣の決定に天皇が関与することはできない。
それどころか、たとえ自分の意志に反する場合でも拒絶できないし、
天皇自らが代案を立てることもできない。
(ただし、意見や感想や質問としての発言ならば問題ない。)

これが、天皇も遵守しなければならない明治憲法の規定なのである。

最高戦争指導会議の政策決定グループ6首脳は、
首相、外相、陸相、海相、陸軍参謀総長、海軍軍令部長で構成され、
その中で降伏に反対するものは一人もいなかった。

指導部の中で3人(陸軍参謀総長、海軍軍令部長、陸軍大臣)だけが、
ポツダム宣言の内容は「あまりにも不名誉」であるという理由から、
交渉抜きの受諾に難色を示した。

彼らは、連合国側が領土条件を緩めてくれることを期待したからではなく、
天皇の地位が不明確のまま残されていること、
また占領を回避し、武装解除と戦争犯罪裁判を
日本政府の責任で行うことを求めていたのである。

つまり、最高戦争指導会議の6首脳の全員が降伏に賛成していた。
ただ、その6人の内、
3人は即刻ポツダム宣言受諾、残る3人は即刻ポツダム宣言に
躊躇していただけだった。

そこで彼らは天皇の御聖断を仰いだのだ。

その結果、天皇は、ポツダム宣言をすぐに受諾する御聖断を下されたのだ。

もしも、3対3ではなく、4人以上が交渉抜きの受諾に難色を示していたら、
天皇の御聖断を仰ぐことはなかった。

―――――――

2・26事件の場合は明治憲法起草当時に想定されていない非常事態で、
内閣自体がクーデターにより機能していなかったので致し方ない処置だった。

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大日本帝国憲法

まず、第1条と第4条で、
あきらかに日本国の国家元首は天皇であると規定されています。

第3条で、
天皇は神聖不可侵であると規定されています。
つまり天皇に政治責任をとらせてはならないということであり、
政治責任は内閣にあるということです。
天皇は勝手に政治を行なってはならないということです。
(判断していただくと責任が生じてしまう。)

第6条で、
天皇は議会が可決上奏した法律を裁可しなければならず、
裁可しなくてもいい場合があるとは書かれていません。

第37条で、
すべての法律は議会の可決が必要であると明記しています。

一方、第8条で、
議会は天皇の勅令を無効とする権限を有しています。

第55条で、
天皇の御名御璽には国務大臣の副署がなければならないと規定されています。

このように、天皇の判断は臣民代表の議会や国務大臣の判断が伴わない限り、
無効となる仕組みが徹底されています。

したがって最終的な政治責任は内閣(すなわち臣民)にあり、
天皇に直接責任はありません。
最終的な判断は事実上、内閣に与えられているのです。

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第1条 
大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス

第2条 
皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ繼承ス

第3条 
天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

第4条
天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リテ之ヲ行フ

第5条
天皇ハ帝國議會ノ協贊ヲ以テ立法權ヲ行フ

第6条
天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス

第7条
天皇ハ帝國議會ヲ召集シ其ノ開會閉會停會及衆議院ノ解散ヲ命ス

第8条
1.天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル爲緊急ノ必要ニ由リ
帝國議會閉會ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ發ス
2.此ノ勅令ハ次ノ會期ニ於テ帝國議會ニ提出スヘシ若議會ニ於テ
承諾セサルトキハ政府ハ將來ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ

第9条
天皇ハ法律ヲ執行スル爲ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ
及臣民ノ幸福ヲ進スル爲ニ必要ナル命令ヲ發シ又ハ發セシム

第10条
天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス
但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各々其ノ条項ニ依ル
但シ命令ヲ以テ法律ヲ變更スルコトヲ得ス

第11条
天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス

第12条
天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム

第13条
天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス

第14条
1.天皇ハ戒厳ヲ宣告ス
2.戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム

第15条
天皇ハ爵位勳章及其ノ他ノ榮典ヲ授與ス

第16条
天皇ハ大赦特赦減刑及復権ヲ命ス

第17条
摂政ヲ置クハ皇室典範ノ定ムル所ニ依ル
摂政ハ天皇ノ名ニ於テ大権ヲ行フ

第37条
凡テ法律ハ帝国議会ノ協賛ヲ経ルヲ要ス

第55条 
1.国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
2.凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス

第56条
枢密顧問ハ枢密院官制ノ定ムル所ニ依リ
天皇ノ諮詢ニ応ヘ重要ノ国務ヲ審議ス

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http://www.youtube.com/watch?v=uX7xFMvCly8


小沢一郎氏は2009年12月に韓国国民大学で公開講演会をした際、
江上波夫(享年96才)元東京大学名誉教授が
戦後まもなく唱えた「騎馬民族征服王朝説」を根拠に
「天皇家は韓国から来た。」という内容の話をしました。

江上波夫元教授の『騎馬民族征服王朝説』というのは、

日本民族は元来は騎馬民族で大陸から朝鮮半島経由で
日本列島に渡来して征服王朝を建てたという説です。

渡部昇一著『古事記と日本人』によれば、
渡部昇一氏が江上波夫の講演を「日本文化会議」の月例会で聴き、
「古事記や日本書紀に、馬に乗って活躍する英雄が一人も
出てこないのはなぜですか」と質問したところ、
江上波夫は答えることが出来ず、この講演内容は印刷されませんでした。
つまり、江上波夫氏は、『古事記』や『日本書紀』を確認せずに、
「騎馬民族征服王朝説」を唱えていたことになります。

―――――

以下、日本創新党党首・山田宏氏の公式ホームページより引用
http://www.yamadahiroshi.com/report1_d.shtml?98:0

小沢一郎氏の言う「日本の天皇は、朝鮮半島の南地域の権力者の末裔」説
は、かつて一世を風靡した「騎馬民族征服説」を
あえて紹介したようですが、
これについては、かつて渡部昇一先生からこんなエピソードを
聞いたことがあるのでご紹介して、
この説のいいかげんさを指摘しておきたい。

本説を唱える東京大学の江上教授に渡部昇一先生は講演のあとの質疑で
こう質問されたそうです。
「朝鮮半島から渡ってきた騎馬民族が日本を征服して大和朝廷をつくった
と言うお話ですが、しかしそれならば、なぜ日本最古の歴史書の
「古事記」や「日本書紀」に馬が全く登場しないのでしょうか」
「えっ?登場しませんか?」と江上教授。
「はい。馬が登場するのは一カ所。天照大神が機を織っているところに、
怒った弟の須佐之男が馬の生皮を投げつける場面だけです」
「そうですか。。。それは困りましたね」

―――――

日本における馬具の出土例を見ると、騎馬の風習は5世紀末以降です。

穴沢和光・馬目順一『武器・武具と馬具』には
馬具革命が
【1】鏡板及び引手付き轡の出現(三世紀ごろ)、鐙の考案(四世紀初頭)
【2】鐙が左右に吊される(五世紀前半)
【3】後輪傾斜鞍の出現(六世紀初頭)の3段階で緩やかな文化受容だったと
述べられています。
日本における馬具革命は、騎馬民族の征服によって一気に
起こったのではなく、段階的で緩やかな発展だったのです。

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日本の皇室のルーツが百済王族だということは絶対に有り得ない。
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4549.html

平成13年(2001年)12月23日、天皇陛下は、
68歳の誕生日に先立つ記者会見の席で、

「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王(ぶねいおう)の
子孫であると続日本紀(しょくにほんぎ)に記されていることに
韓国とのゆかりを感じています」

と仰った。

しかし、百済の「武寧王」も、その父の「東城王」も、
朝鮮半島で生まれたのではなく、
日本(九州)で生まれて日本から朝鮮半島に渡って行った人物だ。

更に、日本から朝鮮半島に渡って行った「武寧王」の子「純陀太子」は、
日本に人質として来て、その子孫はそのまま日本に住み着いた。

4世紀頃(391年、倭が、海を越えて襲来し、
百済や新羅を破って服属させてしまった「広開土王碑」)から
7世紀(白村江の戦い)まで、朝鮮半島は九州などと同様に
日本(倭国)の一部だったという時代背景を忘れてはならない。

――――――
百済の文斤王がなくなり、天皇は昆支王の五人の子の中で、
二番目の末多王が、幼くとも聡明なので、内裏へ呼んだ。
親しく頭を撫でねんごろに戒めて、その国の王とし、武器を与え、
筑紫国の兵五百人を遣わして国に送り届けた。これが東城王である。…
『日本書紀』雄略紀
――――――
(廿三年夏四月、百済文斤王薨。天王、以昆支王五子中、第二末多王、
幼年聡明、勅喚内裏。親撫頭面、誡勅慇懃、使王其国。
仍賜兵器、并遣筑紫国軍士五百人、衛送於国。是為東城王。…)
――――――

こうして479年、東城王(末多王)が百済王に即位したが、
この即位も日本(天皇)によって決められたことが判る。

『日本書紀』武烈四年条(502年)には、
この東城王(末多王)の暴虐が記され、武寧王即位が記されている。

――――――
「是歳、百済の末多王、無道して、百姓に暴虐す。
国人、遂に除てて、嶋王を立つ。是を武寧王とす。」
――――――

こうして、百済王に「武寧王」が即位したのだが、
「武寧王」も九州(佐賀県)生れの日本人(倭人)だった。

このとき百済王に即位した九州生れの「武寧王」の
約2百年後の子孫が和乙継(やまとのおとつぐ)で、
その娘が高野新笠で、その子供が桓武天皇(在位781~806年)となったのだ。

663年、日本(倭国)は、「白村江の戦い」で、
唐・新羅の連合軍に敗れ、朝鮮半島に有していた勢力圏を失ってしまった。

百済王族は日本列島に亡命し、それ以降は大和朝廷の単純な手下となった。

桓武天皇の在位期間(781~806年)、
桓武天皇の命令を受けた百済王の子孫たちは、
東北地方(陸奥)の征服を何度も試みたが、大惨敗を繰り返した。

つまり、百済というのは昔から日本(倭国)の一地方であり、
百済王は、天皇によって決められ、
日本(九州など)生れの「東城王(末多王)」や「武寧王」などが
日本(九州など)から朝鮮半島に渡って行って即位していた。

日本に戻って来た武寧王の子「純陀太子」以下の子孫は、
そのままずっと日本に住み着いた。

父「武寧王」(日本人)の祖国「日本」に戻った「純陀太子」から数えて
9世(9代目)の子孫の一人が和乙継で、
10世(10代目)が桓武天皇の生母となった高野新笠だ。

はっきり言って、皇室と韓国とのゆかりは無いに等しい。

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天皇陛下のご親拝中止は元A級戦犯の合祀が原因ではありません。

1975年(昭和50年)11月20日の参議院内閣委員会で
日本社会党の野田哲、秦豊、矢田部理の3議員が
天皇陛下の御親拝は憲法20条に違反する疑いがあるのではないかと
質問したところ、吉国一郎・内閣法制局長官が、天皇のご親拝について、
「憲法第20条第3項の重大な問題になるという考え方である」
と答えてしまったので、この条項の解釈問題が解決しなければ
天皇陛下のご親拝が憲法・政治問題となる事態となるので、
それ以来、天皇陛下のご親拝が途絶えてしまいました。

※憲法第20条第3項は「国及びその機関は、宗教教育
その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と定めています。

先帝陛下(昭和天皇)は、1978年(昭和53年)に元「A級戦犯」が
靖国神社に合祀された後も毎年、靖国神社の春秋の例大祭には
勅使を欠かすことなく差し遣され、
元A級戦犯が合祀されている社に奉幣を行われていました。
現在の天皇陛下も同様にされています。

また、毎年8月15日、天皇・皇后両陛下をお迎えし、
日本武道館で政府主催の全国戦没者追悼式が行われていますが、
この追悼式の追悼対象には元「A級戦犯」を含んでおり、
1977年(昭和27年)の第1回以来、その基準は変わっておらず、
昭和天皇も今上天皇も元A級戦犯を含む戦没者の追悼を
ずっとされてきています。

元A級戦犯合祀自体に問題があるのであれば、靖国への勅使差遣も、
皇族のご参拝も、全国戦没者追悼式へのご臨席も一切やめられたはずです。

日経新聞の「富田メモ」報道を真に受けている人がいるかもしれませんが、
日経新聞が全てのメモを公開していないことからも判るように、
「富田メモ」報道はプロパガンダに過ぎません。

日経新聞は、天皇陛下ご親拝中止の原因が元A級戦犯合祀だとする見解に
疑問を抱く高森明勅、大原康男、渡部昇一、櫻井よしこ、百地章、
岡崎久彦や一般国民にはメモの全てを見せずに隠蔽し続けています。
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4929.html

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よく無宗教の追悼施設を建設すべきだという意見がありますが、
施設の設計や参拝の方法など、さまざまな角度から追悼行為を考えたとき、
はたして「無宗教の追悼施設」というものは可能でしょうか?
「死者を追悼する行為」自体が既に宗教行為ですよね?
造ったとしても、
どうせまた「あらたな国家宗教施設」などと批判されるだけでしょう。

亡くなられた方々は「靖国で会おう」と言って亡くなられたのであり、
靖国神社こそ「約束の場所」なのですから、
そう普通に考える人は、結局、靖国神社にも参拝するわけで、
両方に参拝して、参拝する場所が増えるだけとなり、
本質的な解決にはなりません。
靖国神社は宗教施設というよりも「約束の場所」だと思います。

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凛として愛 1:04:27~
http://www.youtube.com/watch?v=CpCXzX55bJE

元八重岳電波警戒隊 通信兵 角田松雄さん

日本人ですから降伏ということは知らんから、
もうこれは全員ここで戦死やなとみな覚悟を決めましたよ。
私もその一人ですがね。

その時にねー、何を言ーたかというと、涙が出ますがねー。
皆で「靖国神社で会おうね」と言うたもんだですよ。
皆で靖国神社で会おうね!と。

靖国神社に替わるねー、
国営の戦没者墓地をつくろうなんて言ってましたがねー。
私はねー、戦友たちは何と聞いたじゃろーて、涙が出ましたよ。

皆「靖国神社で会おうね」って誓い合うて死んだんですよね。
あの靖国神社の魂がね、
靖国神社の中の魂が日本の国を守っているんですよ。
今でも。

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『ルバング島 戦後30年の戦いと靖国神社への思い』小野田寛郎 2007.6 より

「心ならずも戦死された」は、英霊に対する侮辱

靖国の英霊に対して「心ならずも戦死された
(本当は戦争に行きたくなかったのに戦争でしんでしまった)」
と言う人がいます。
しかし、これほど英霊を侮辱した言葉はありません。

皆さんの中には特攻隊の遺書をご覧になった方がいらっしゃるでしょうか。
特攻隊の遺書には、「心ならずも(本当は行きたくなかったのに)」
なんて書いてありません。
私も当時、特攻隊の方々とほとんど同年齢でありました。
私がもし当時戦死していて、
「心ならずも死んだ」と言われたら、侮辱されていると思って怒ります。

当時の私たちは、死ということに拘泥しない、深く考えない、
死んだら神様だと、そういう考えをしていました。
何故かと言いますと、戦争には若い者が先頭に立たなければ
国の将来がないということをはっきり考えていたからです。
お国のために命をかけて働いているので、
兵隊は普通の人の半額で映画館に入ることができました。
それで、「映画半額、命も半額、死んだら神様だ」
などと笑いながら話していました。
これが当時の私たちの戦死に対する考え方だったのです。

当時は徴兵令で、満20歳になると身体に異常のない男子は
みんな兵役につかなければなりませんでした。
だから「心ならずも」と言うのかもしれませんが、
それは当時の私たちの気持ちを表した言葉ではありません。
好きで兵隊になったわけではなくとも、
多くの人間は国のために死ぬ覚悟を持っていました。

戦争に負けた後、戦後の教育で洗脳され、
本当の日本人の気持ちを理解できなくなった人が、
そういうことを言うのだと思います。

「死んだら会おう」と約束した場所は靖国神社以外にはない

私は、そのお金を全部靖国神社に奉納しました。
すると、一部の人から「小野田は軍国主義復活に加担した」
と散々に批判されました。
この時は、戦争で亡くなった人を祀る靖囲神社のことを、
まるで軍国主義の象徴のように言う人がいたのです。

なぜ、靖国神社にお金をお納めして悪く言われなければならないのか。
そのとき、私はもう日本に住みたくないと思いました。
それで、次の自分の生活の場をブラジルに求めたわけです。

とにかく、私たちが「死んだら神さまになつて会おう」
と約束した場所が靖国神社であり、
戦後その靖国神社を国家が守らないことに対して、
納得できない人は多いと思います。

国は私たちが死んだら靖国神社に祀ると約束しておいて、
戦争に負けてしまったら、靖国など知らないというのは余りにも身勝手です。
国による直接の運営が難しければ、せめて政府を代表して
内閣総理大臣に八月十五日の終戦の日に堂々とお参りしてほしいものです。

最近は、靖国神社とは全く別の追悼施設をつくる、
という詰まで持ち上がっていますが、
これは、死んだ人間に対する裏切りであります。
靖国神社とは別の追悼施設がつくられるのであれば、
私は死んでも死に切れません。

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明治以降の日本は世界最高水準の自由な民主主義国家であった!
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-261.html
大東亜戦争までの内閣
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-524.html
新日本建設に関する詔書 (いわゆる「天皇の人間宣言」)
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-620.html
昭和天皇とマッカーサーの御会見
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-383.html
復興への3万3千キロ
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東京裁判(極東国際軍事裁判)
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-158.html
日本人が知らない天皇の価値と役割
http://specific-asian-flash.web.infoseek.co.jp/tennouheika.html
陛下が自由に使えるお金は約500万円
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4550.html
『女性天皇問題』は歴史の知恵に学べ
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-320.html

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漫画「はだしのゲン」の問題点
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5170.html

「はだしのゲン」で、事実誤認と思われる表現
「はだしのゲン」で、事実誤認と思われる表現

「はだしのゲン」で、不適切と思われる表現 P152
「はだしのゲン」で、不適切と思われる表現

「はだしのゲン」で、日本人への人権侵害となり得る表現
「はだしのゲン」で、日本人への人権侵害となり得る表現

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「はだしのゲン」平和教材に

中日新聞 2012年3月21日 
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201203210110.html

広島市教委は、独自の平和教育で使う小学3年用のテキストに、
被爆後の広島でたくましく生きる
少年の姿を描いた漫画「はだしのゲン」の採用を決めた。

被爆体験の継承が課題となる中、
同世代のゲンを通して被爆者の思いを感じてもらう狙い。

2012年度、モデル校の市立小4校でテキストを使った授業をし、
13年度の全校実施を目指す。

はだしのゲンは中沢啓治さん(73)=中区=の自伝的作品。

テキストには、貧しいながら家族で支え合って生きる被爆前の姿や、
家族が原爆で倒壊した家の下敷きになる場面などを抜粋。
ゲンの心情を読み取り、書き込む欄を設ける。

市教委は13年度、平和について体系的に学ぶ「平和教育プログラム」を
市立小中高校の全校で始める方針でいる。
12年度は小中高計10校で試行する。

テキストは小学生から高校生まで4段階に分けて作る。
高校では中沢さんの半生や作品に込めた思いを取り上げる。

このほか、戦後復興の中で市民が広島カープ創生期の
資金難を救った「たる募金」(小学5年)
▽世界の核兵器の現状と廃絶への動き(中学3年)―などを題材にする。

市教委の10年の調査では、広島に原爆が投下された年月日と時刻を
「1945年8月6日午前8時15分」
と解答できた小学4~6年は33・0%、中学1~3年は55・7%。
正答率はいずれも過去最低だった。

中沢さんは
「広島の子どもたちには原爆についてしっかり考えてほしい。
そのために、はだしのゲンを教材に使ってもらえるのは
作者冥利(みょうり)に尽きる」と喜んでいる。

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はだしのゲン:松江市教委、貸し出し禁止要請「描写過激」

毎日新聞 2013年08月16日 19時22分
http://mainichi.jp/select/news/20130817k0000m040031000c.html

漫画家の故中沢啓治さんが自らの被爆体験を基に描いた漫画「はだしのゲン」
について、「描写が過激だ」として松江市教委が昨年12月、
市内の全小中学校に、教師の許可なく自由に閲覧できない閉架措置を求め、
全校が応じていたことが分かった。

児童生徒への貸し出し禁止も要請していた。
出版している汐文社(ちょうぶんしゃ)(東京都)によると、
学校現場におけるこうした措置は聞いたことがないという。

ゲンは1973年に連載が始まり、87年に第1部が完結した。
原爆被害を伝える作品として教育現場で広く活用され、
約20カ国語に翻訳されている。

松江市では昨年8月、市民から「間違った歴史認識を植え付ける」として
学校図書室から撤去を求める陳情が市議会に提出された。
同12月の本会議で全会一致で不採択となったが、
市教委が漫画の内容を改めて確認。
「首を切ったり、女性への性的な乱暴シーンが小中学生には過激」と判断し、
その月の校長会でゲンを閉架措置とし、
できるだけ貸し出さないよう口頭で求めた。

現在、市内の小中学校49校のうち39校がゲンを全巻保有しているが、
全て閉架措置を取っている。
古川康徳・副教育長は
「ゲンは平和教育として非常に重要な教材。教員の指導で読んだり、
授業で使うのは問題ないが、過激なシーンを判断の付かない小中学生が
自由に持ち出して見るのは不適切と判断した」と説明する。

一方、汐文社の政門(まさかど)一芳社長は
「原爆の悲惨さを子供に知ってもらいたいとの願いで描かれた作品。
閉架によって風化しないか心配だ。こんなに悲しいことはない」と訴える。

「ゲン」を研究する京都精華大マンガ学部の吉村和真教授は
「海外で注目される中、松江市教委の判断は逆行している。
ゲンは図書館や学校で初めて手にした人が多い。
機会が失われる影響を考えてほしい。
代わりにどんな方法で戦争や原爆の記憶を継承していくのか」と話した。

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「ある天皇反対論者」と「my日本のSさん」の議論

◆ある天皇反対論者

万民みな、あらゆる選択肢が人生の中で選択できるなら、
天皇でさえ路上生活者になる選択肢があってこそ平等ではないのですか?

日本の先住民だったアイヌ人が侵略に会い、北と南に分けられた。

身分制度の始まりはインドのカースト制度が出発点です。
カースト制度の頂点はバラモン階級と呼ばれる人々で、
こういう人たちは司祭者と呼ばれる人々です。
日本においては天皇なのです。
第二次世界大戦で天皇を神だと崇め、
民衆をたぶらかしたのがいい例ではないですか。

天皇が良くて共産主義が良くないという理由がよくわかりません。

共産主義はもともと国家権力に対する集団です。

私は、天皇というフィクションの存在を神格化し、
民衆を統圧しようという思想が危ないと言っているのです。

共産主義は崩壊しますが、天皇制だけ崩壊しないのは、
天皇が民衆から誕生した人物ではないからです。
天皇先祖は渡来人です。
そもそも国籍のない人間が日本国の象徴であるという
間違ったシステムが問題なのです。
日本が、いかにエセ民主主義だということが理解できると思いますが。

◆my日本のSさん

完全な平等が必ずしも万民を幸せにするわけではありません。
人類、文明と宗教(伝統文化)は切り離せないので、何かに縋るのも人間です。
望んで路上生活者になる人はいないと思いますが、
時の運で路上生活になってしまう方もいるでしょう。
君主も例外ではありません。

実際に溥儀は北京政変で危うく路上生活者です。
臣民からの支持信頼あっての君主。
日本に限ったことではありません。

侵略し侵略されなんてのは古来では特に人類文明の常なので
それで建国した君主の地位を否定するのは意味のないことです。
アイヌ人だろうが強ければ侵略する側、弱ければ侵略される側。
時代を経て作り変えてきた今という時代の常識を
遠い過去に当てはめても何も始まりません。

それに身分制度の始まりがインドのカースト制度なんて
どこの情報なんですかね。
身分制度なんてどこか一国から広まったわけないじゃないですか。
集落が形成されれば自然に発生しますよ。
インドのカースト制度なんて紀元前1000年ちょっとぐらいから。
エジプトのファラオだとかなんて紀元前2000年以上前の話ですよ。

天皇陛下を含む君主制と戦争を結びつけるのは
左派等が権力闘争に使う最も無意味な話です。
戦争に君主制や共和制は関係ありません。
政府として戦争に勝つために民衆を煽るのは当然のことです。
むしろそれをやらなければ勝つことに全力じゃない、
それこそ責任を問われます。

2度の世界大戦の死者数より多い犠牲者を出した虐殺、独裁、
今戦争を頻発させたりしてるのはほぼ共和制国家です。
自衛か否かはおいといて、
繰り返しますが戦争する場合、共和制か君主制かは関係なく
政府は民衆を煽るのですから、民衆からの支持が高い君主がいれば
君主が高く掲げられ、君主がいなければ他の何かで民衆を煽るのです。
戦争に君主制は関係ありません。

地位の話で渡来人かどうかはさらに関係がありません。
渡来人でなければどうなのでしょうか。
国籍の有無も全く理解不能です。あれば納得するのでしょうか。
民衆から誕生すれば崩壊して、そうでなければ永劫の理屈も意味不明ですし、
崩壊しないほうがいいじゃないですか。

民主主義の定義は議会の下院の議員が公正な選挙で選ばれているか否かなので
君主の地位云々が直接民主主義云々の話にはなりません。

こと日本からすれば國體護持が基礎であり、共産主義は悪に他なりません。
日本は天皇陛下により建国されたので
それを破壊する共産主義は日本からすれば悪にしかなりませんよね。

最初にも申し上げましたが、
文化伝統を否定するのは自らを含む人類を否定する所業です。

日本は1000年以上前から天皇陛下が存在する君主国家であり、
そういう文化の国なのです。
それが外国勢力発 付け焼刃のような思想で破壊するのであれば
アメリカ大陸に侵略して現地文化を野蛮と決め付けて
虐殺した白人と変わりません。
天皇は日本にしかいないのだから嫌なら出て行けば問題解決ですよ。
世界最古の王朝という文化があるなんてありがたいじゃありませんか。

そしてこれも最初に話したことですが、何かに縋るのは君主側ではなく
民衆側の心理として人類の根底にあるものですから。
たとえ天皇を消したところで、情勢不安になり、
民衆からの支持を得た英雄が現れたら
貴殿が懸念するようなことは起こるのですよ。
その土台は民衆(人間)の根底にあります。
天皇云々ではなし天皇を消して解決する問題じゃないんですよ。

◆ある天皇反対論者

天皇は、路上生活者にはなりません。

生活保護者の不正受給を言うなら、
皇室に一体いくらのお金が使われているか、
もっと真剣に議論するべきですよ。

何を言ってるのかよくわかりませんが、
日本は二度の侵略戦争で大敗している。

これは、天皇を中心とする国体一論の過ちであります。
ですから政教分離を定めてんですよ。

あなたは間違っている。
日本を作ったのはいさなぎ・いざなみのみことです。
もう少し勉強をしたほうがいいですよ。

大東亜戦争にしても太平洋戦争でもこれらの戦争においては、
二度ともも日本は侵略戦争をしてるということですよ。
あなたは、本当にあたまが悪い。

1931年に関東軍の独断による柳条湖事件を契機に満州事変が勃発し、
1932年に傀儡国家満州国を成立させる。
日本の大陸の利権拡大を良しとしない列強国との対立から、
ついに1933年には国際連盟を脱退。

1937年には盧溝橋事件をきっかけとして
日中戦争(支那事変・日華事変)が勃発。

第二次上海事変以降華中にも飛び火し
日本政府の予想とは別に発展していった。

「支那事変」は、この後事変と呼べないほどに戦闘は激化し
軍部の予想さえも外れて短期間での収拾が見込めなくなった。

結果、近衛文麿内閣は1940年に東京で国際博覧会と同時に
開催される予定だった東京オリンピックの開催権を
1938年7月15日の閣議決定により返上するなど、
軍部の要求から国民総動員で臨戦体制を固めてゆく。

1939年9月のドイツのポーランド侵攻後、
1940年中頃には同盟国のドイツ軍がフランス全土を占領したことに伴い、
日本軍はフランス領インドシナへ進駐したものの、
この進駐にアメリカやイギリス、さらに本国をフランスと同じく
ドイツに占領されたオランダなどが反発し、
これらの国々と日本の関係は日に日に険悪さを増していった。

始まり

1937年(昭和12年)

7月7日 - 盧溝橋事件(北支事変)勃発

8月13日 - 第二次上海事変

日中戦争(支那事変)勃発の日付についても、
7月7日の盧溝橋事件とする見方と、
8月13日の第二次上海事変とする見方とがある。

1941年(昭和16年)

12月8日 - マレー半島侵攻、真珠湾攻撃、日本政府による対米英宣戦布告

同日、開戦の詔書(米英両国ニ対スル宣戦ノ大詔)が発せられている。
なお戦時中は12月8日を開戦記念日と呼び、
毎月8日を大詔奉戴日と呼称した。
詔書は「聖戦の詔書」・「米国及ビ英国ニ対シ宣戦ニ際ニ下シ給ヘル詔書」
ともいう。

◆my日本のSさん

この世に絶対はありません。
先述したように、溥儀でさえ路上生活寸前に陥ったのです。
繰り返しですが、臣民からの支持あっての君主です。
皇室費と生活保護不正受給を比べる理由が分かりません。
皇室にいくらお金が使われようと、不正にも違法にもなりません。

日本は一度も侵略戦争をしていませんし、
「2度の大敗」の詳細を提示していただきたく思いますが、
戦争の敗北と君主制の否定は無関係です。
前述したとおり、戦争というのは共和制でも起こります。
もしかして「天皇がいなれば戦争は起こってなかった」とお考えなんすかね。

伊弉諾尊、伊弉冉尊が造ったのは日本列島です。
そこに都を建てて国をひらいたのは天皇陛下です。
しかも二神は皇尊の祖先ですし。
もう少し勉強をしたほうがいいですよ。

大東亜戦争を戦後GHQが太平洋戦争ってことにしましたが、
後者には法的地位がありません。
そして大東亜戦争は侵略ではありません。

柳条湖事件が関東軍によるものという論拠は非常に薄いものです。
確たる証拠はありません。

満州国が傀儡というのも敵国の主張ですね。
日本は満州権益を拡大しようとはしていません。
張作霖はじめ反日テロ組織から妨害を受け、
ついに軍事衝突となると、連盟はリットンを派遣し、
満州権益を日本から白人勢力の共同所有に変えようとしたんです。
だから日本は脱退しました。
元々持ってた満州権益の死守行動です。
満州事変と盧溝橋事件は共に大東亜戦争の発端ではありません。
どちらも停戦協定で終了しています。

なので上海事変に「飛び火」したんじゃないんですよ。
蒋介石がいきなり侵略してきたんです。上海に。

繰り返しますけど、前2つの事変は停戦協定で終了してるんですよ。

仮に終了していなかったとしても、
北京や満州での軍事衝突を理由に
上海無差別爆撃して良いことにはならないんですよ。
蒋介石のやったことは何の法的根拠もない、
一切の自衛行為ではない、侵略です。

事変が長期化したのは英米が援蒋したからです。
敵が攻めてきて応戦しなくちゃって時に
博覧会も五輪もないでしょうに、常識的に考えて。
そんなもん戦争終わってからでもできるでしょうに。
しかも反対第一声は河野一郎で軍部じゃないですし。

仏印駐留は援蒋遮断のためですし、合法的駐留ですよ。
「援蒋」がなければこんなことする必要がないんですよ。
この合法駐留に対して貴殿の仰る通り、
米国は対日不当制裁をするんですよ。
本当に憎らしいですよね。
自分でテロ支援しておいて、相手がそれを合法的に遮断しようとしたら
今度は不当制裁ですよ。これが開戦の原因でしょうね。
こうやって蒋介石は援蒋でどんどん強くなり、
日本は不当制裁でどんどん弱まります。
テロリスト蒋を英米が支援したことで
日本は負けてしまうかもしれないんです。

援蒋を遮断し、英米から不当に奪われた資源を取り返す、
まさに自衛ですよね。
不当制裁は8月1日に全面禁輸されました。
近衛首相が「10月までに解決しなければ開戦」と決定します。
しかし実際に開戦したのは12月です。
日本はそこまで粘り強く和平に臨んだんです。
一切批判されるようなことはしていません。
貴殿が今言ってるような歴史観は全て、
戦後敵国が日本を叩くために作り上げた歴史です。
戦勝国にとって日本は極悪侵略者でなければ都合悪いんです。

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my日本・S
http://sns.mynippon.jp/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=358125

『天皇の戦争責任』

大東亜聖戦において「天皇の戦争責任」というのは主に批判する側の主観。

「自衛戦争ではない」「侵略戦争だ」「悪いことした」
という前提にしか立たない観念で、
自衛戦争の立場であればこんな概念は出てこない。

「自衛戦争を起こした責任を取れー!」「この国を守った責任を取れー!」
何じゃそりゃ。
敵から攻撃されてる中で「勝率が低いから自衛しない」はありえないし、
自衛しなくても、何もなく平和ならアジアは白人の植民地になってない。

実情で言えば周りのアジア諸国が
遠い欧州から態々やってきた白人の植民地になっているのに
「勝率が低いから戦わない」で国が守れるなんてお花畑もいい所だ。
そもそも争いに必勝法など存在しない。
「うまくやれば戦争もせずに独立できていた」「どじ踏んだから失敗した」
という妄想、どんなに頑張っても負ける時はあるが批判される筋合いはない。
批判されるのは戦いもせず服従することだ。戦争には理由がある。

■戦争は目的ではなく手段

人間は古来から縄張り争いや勢力拡大で戦争してきたが、
当時の日本は鎖国していて、覇権争いの意思はなく、
白人のアジア掌握に際して起きた明治維新と
その延長に覇権争いや戦争がある。

秀吉の朝鮮出兵でさえフィリピンに迫ってきたスペインあってのもの。
戦争をするしない、してしまったという「戦争という手段」のみを叩き、
その前にある課題・問題・理由を考えない、
解決する代案を提示しない奴というのは平和を語る資格がない。

問題があるから、その解決手段の一つに戦争がある。
問題なくて解決手段は起こらない。

■何に対しての責任か

自衛も含めて戦争行為そのものが批判されるのか、
負けたことが批判されるのか。
開戦でも敗戦でもどちらにしても国内外に裁かれる理由はない。

まず「戦争」自体は国内法でも国際法上でも犯罪ではない。
法律に反して初めて犯罪なのに、
禁止する法律がないどころか「戦時国際法」がある。
戦争が駄目なら「戦争するならこういう方法で」が存在するわけがない。
パリ条約でさえ自衛戦争を否定していないのだから
戦争は批判の対象にならない。

敵が攻め入ってきたから守るために命を掛けて戦って、
勝てばお咎めなしで負ければ法律で裁かれるのは意味不明。
批判や裁きを受けるのは攻め入ってきた外であって内ではない。

勝った外は責任を内ってことにするだろうけど、
それ狂信しても平和にもならないし、
「攻め入ってきた」という本来裁かれるべき所業を容認、擁護して、
本来の問題・課題から目を背けて解決する努力を怠れば
再び同じことが起こり、
またまた「本来解決すべき問題」が塗り替えられてしまう。

勃発要因を「戦争は日本が起こした」「世界征服したくて」に
塗り替えられた歴史を狂信して異論を言論封殺しても、
日本が戦争した理由が実際は「世界征服したくて」じゃないんだから、
その捏造された歴史で反省しても再発を防ぐことはできない。

戦争が起こる理由が、戦いが始まって、勝敗が決まってから
「負けた方に決まる」んじゃ防ぐ方法ないし。

ここまで来ると批判してる奴ってのは、
結果論で、戦争すれば「相手の言う通り撤退すれば戦争防げたのに」
と言い、相手の言う通り撤退すれば「あのとき弱腰で撤退せず戦ってれば
相手はこんな増長せず抵抗できない状態にはならなかったのに」と言って、
結果「日本は馬鹿だなぁ」と言いたいだけの
愚か者と思われても仕方ないのでは?

■責任と憲法

責任とは行動に対して負う義務のことを言う。
特に法律上の責任となると法律に則って負う義務。

帝は国務政治に関して負う義務はない。
憲法3条と、55条1項で
「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」とあるので、
よって、たとえ、仮に帝が暴走しても責任は国務大臣が負う。
と言っても暴走は無理。

その55条の2項に
「凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス」とあるので
大臣の署名なくして決定はされない。これは当たり前。
ご誓文の精神で輔弼を置くのに輔弼に権限がなければご誓文の精神に反する。

法律で裁かれることはないが、
じゃあ天皇が国政に関与してないのかと言えばそんなわけない。
天皇は日本を平定する立場なのだから、
敵が攻めてきたら戦う手段を用いてもそれを実現する。
帝が自分の国を守ることに無関与なんてありえない。
自分で政治して自分で武器持って戦うか
自分が承認・信任した(親任)者に任せるかで、
ご誓文の精神に則って後者となる。

■天皇の統帥権

「天皇の戦争責任」を訴える人の理由として
憲法11条の天皇の軍隊統帥権を持ち出すが、
何度も言うけど自衛は批判される理由はない。
もし批判されるなら、どこからも攻撃されておらず平和だったのに
天皇がどうしても戦争したくて軍隊を動かして各国に侵略した場合で、
そんな歴史どこにもないし、日本国内にそんな事例はない。
「天皇が」「陸軍が」「関東軍が」「東條が」誰にしたって同じ。

外国からの攻撃(白人アジア掌握、蒋介石侵略、経済制裁)という理由が
前提にあって、「援蒋ルート遮断、敵物資奪取」しないと
「物資が底をついて蒋介石の侵略に負ける」という状況下を
全く無視した批判。
首絞められてるのに「東條じゃなかったら」
「天皇が統帥権持ってなかったら」など関係ない。
そうやって日本国内に理由を求める行為が外敵の所業、
本来解決すべき問題を封殺する。

「蒋介石に負けたっていいんじゃないの?」
「支那から撤退したって日本が侵略されたわけじゃないじゃん」
とか思うのは間違い。
ロシア南下を危惧した日本は朝鮮を清から独立させ、駐軍を試み、
戦争となるが日清戦争に勝利した日本は
朝鮮半島の独立や遼東半島権益(租借)を得る。
しかし三国干渉で遼東半島を返した。

するとロシアは見返りとして満州権益を要求(李ロバノフ協定)、
4年後の義和団事件を理由に満州権益拡大、
終戦直後の朝鮮国王のロシア公使館逃亡による
朝鮮のロシア属国化と相まって、ロシアは逆に南下してきてしまって、
結局「ロシアとの勝率の低い戦争」に至ってしまう。
言う通り領土を返せば安泰と言うことでもない。

むしろ日本は全支撤退要求の時には
三国干渉で「撤退したらどうなるか」を知っていた。

第一アメリカが日本の全支撤退要求するのは支那を助けるためでなく
勢力拡大なのは戦後のアメリカを見ても明らかだし、
アメリカが争いに負けて共産が拡大したことも見てる。
遠くから態々アジアを掌握しに来た白人の要求に従ってれば
戦争にならず安泰とか洗脳されすぎてる。
その要求に従わなかった日本を批判することに疑問を持つべきだ。

冒頭に書いたようにこの手の批判は
「自衛じゃない」の上でしか成り立たない。

「自衛でない、侵略戦争という悪行をした」
「その悪い国のトップが天皇」「天皇制廃止」という具合になる。

戦争(特に自衛)と国家の関係はない。
現に独裁・侵略・戦争なんてのは
君主国だろうと共和国だろうと行われてることで、
君主制を廃止したからとかで戦争が防げるというものでもなければ、
どんな体制でも敵が攻めてくれば自衛するのが当たり前。

無論敵国は「日本が自衛でなく侵略」にするに決まってる。
戦後情報統制をしてその歴史を作った。
この間違った歴史を批判して、
また日本が悪という歴史は敵国が作ったものだと知ってるのに、
外国はどうでも内の国民が自衛行為を否定する意味は分からないし
敵の作った歴史に洗脳されてるのは哀れなものだ。

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『大東亜戦争の大きな流れ』超短縮版
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-665.html
隠蔽が続く大東亜戦争の発端
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-633.html
★もっと超簡単に!大東亜戦争にいたる流れの説明
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-553.html
支那事変(日中戦争)の発端
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-554.html

「正統史観VS自虐史観」の議論例 (mixi)
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-621.html
my日本での議論【Sさん&Hさん VS Nさん】
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-644.html

明治以降の日本は世界最高水準の自由な民主主義国家であった!
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-261.html
大東亜戦争までの内閣
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-524.html
先帝陛下(昭和天皇)に戦争責任はない。
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-263.html

東京裁判(極東国際軍事裁判)
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-158.html
復興への3万3千キロ
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-355.html
昭和天皇とマッカーサーの御会見
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-383.html
漫画「はだしのゲン」の問題点
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-639.html
勇士の遺書
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-239.html
日系ブラジル人の中高生からの手紙
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-194.html
新日本建設に関する詔書 (いわゆる「天皇の人間宣言」)
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-620.html

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中学校長、教育委員会から注意を受け、ブログ記事を削除

中日新聞 平成27年(2015年)2月18日 朝刊


天皇に関する記述 市教委「断定的」 一宮・校長のブログ注意

愛知県一宮市内の中学校長(57)が、
勤務する学校のホームページ内のブログに
「古代から日本は、天皇陛下と民が心を一つにして暮らしてきた」
などとする原稿を掲載し、
市教委から口頭で注意を受けていたことが分かった。

市教委などによると、校長は、建国記念の日を前にした9日の朝礼で、
「日本の起源」というテーマであいさつし、
その元となった原稿をブログに掲載した。

ブログでは、16代の仁徳天皇が、民家から煮炊きする煙が少ないことから
困窮する人々を思い、徴税をやめて自らつつましく暮らしたとする
「民のかまど」の話を紹介。
「こうした神話こそが、国柄を示しているとも言える」などと強調し
「長い歴史とすばらしい伝統をもつこの国に誇りを持ってほしい」
と呼び掛けていた。

校長は、12日に市教委から注意を受け、ブログ原稿を削除した。

取材に対し、校長は「子どもたちに、和の心を大切にしてほしい
という思いを伝えたかった」と説明。

市学校教育課の担当者は「断定的な書き方で、
個人の考え方を押しつけかねないと判断した。
慎重さを持つように指導した」と話している。

同校には保護者からの苦情は寄せられていないが、
ブログについて「偏向教育だ」との匿名の手紙が1通届いたという。

市教組も18日、教育長宛ての抗議文を提出する予定。

〓〓〓〓〓〓〓引用おわり〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

『仁徳天皇の「民のかまど」のお話』

聖帝・仁徳天皇 民のかまどは賑いにけり

仁徳天皇の四年、天皇が難波高津宮から遠くをご覧になられて
「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、
貧しくて炊くものがないのではないか。
都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」
と仰せられ「向こう三年、税を免ず」と詔(みことのり)されました。
それからというものは、天皇は衣を新調されず、宮垣が崩れ、
茅葦屋根が破れても修理も遊ばされず、
星の光が破れた隙間から見えるという有様にも堪え忍び給いました。

三年がたって、天皇が高台に出られて、
炊煙が盛んに立つのをご覧になり、かたわらの皇后に申されました。
「朕はすでに富んだ。嬉ばしいことだ」
「変なことを仰言いますね。宮垣が崩れ、屋根が破れているのに、
どうして富んだ、といえるのですか」
「よく聞けよ。政事は民を本としなければならない。
その民が富んでいるのだから、朕も富んだことになるのだ」
天皇は、ニッコリされて、こう申されました。

そのころ、諸国より
「宮殿は破れているのに、民は富み、道にものを置き忘れても
拾っていく者もありません。もしこの時に、税を献じ、
宮殿を修理させていただかないと、かえって天罰を蒙ります」
との申し出が頻頻とあるようになりました。

それでも、天皇は引き続きさらに三年間、
税を献ずることをお聞き届けになりませんでした。
六年の歳月がすぎ、やっと税を課し、宮殿の修理をお許しになりました。
その時の民の有様を「日本書紀」は次のように生き生きと伝えている。
「民、うながされずして材を運び簣(こ)を負い、
日夜をいとわず力を尽くして争いを作る。
いまだ幾ばくを経ずして宮殿ことごとく成りぬ。
故に今に聖帝(ひじりのみかど)と称し奉る。
みかど崩御ののちは、和泉国の百舌鳥野のみささぎに葬し奉る」

http://www.rekishikaido.gr.jp/time-trip/kaido/kdsakai.htm

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

政令で定められた「建国記念の日」は、正式には「紀元節」と言います。
日本書紀によれば、紀元前660年(西暦)に、
初代・神武天皇が橿原宮で即位しました。
この、神武天皇の御即位の日をもって、
わが国の国づくりが始まった「紀元」と定められました。
その日については明治5年、文部省天文局が
現行暦の2月11日とあたると算出し、宮中でも祭祀が執り行われました。

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

愛知県一宮市立奥中学校ホームページ内の
岩原豊起校長のブログ「校長室から」

校長が市教委から注意を受け、削除させられたブログ記事

―――――――――――――――――

2月11日は建国記念日です。

そこで、今日は日本のルーツ、
日本の起源について、お話をしたいと思います。

日本の建国は、今から2675年前の紀元前660年2月11日、
初代、神武天皇が即位した日が始まりです。

世界一広いお墓、大仙古墳で有名な、16代仁徳天皇が、
ある日高台に登って遠くをご覧になられました。
すると人々の家からは、食事の準備のために煮炊きする煙が
少しも上がっていないことに気付いたのです。

仁徳天皇は「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、
貧しくて炊くものがないのではないか。
都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」
と仰せられ、三年間、税を免除されました。

税を免除したために朝廷の収入はなくなり、宮殿は大いに荒れました。
天皇は衣を新調されず、茅(かや)葦(ぶき)屋根が破れ、
雨漏りがして、星の光が屋根の隙間から見えるという有様でした。

三年がたって、仁徳天皇が同じ高台に出られて、遠くをご覧になると今度は、
人々の家々から煮炊きする煙が盛んに立つのをご覧になり、
その時、仁徳天皇がこのように言われたということです。

「高き屋に のぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」
そして、一緒におられた皇后に
「私は豊かになった。喜ばしいことだ」とおっしゃったということです。

皇后はそれを聞いて「陛下は変なことをおっしゃいますね。
衣服には穴があき、屋根が破れているのに、
どうして豊かになったといえるのですか」

すると「国とは民が根本である。その民が豊かでいるのだから、
私も豊かということだ」と言われ、天皇は引き続き、
さらに三年間、税をとることをお許しにならず、六年が経過して、
やっと税を課して、宮殿の修理をお許しになりました。

すると人々は命令もされていないのに、進んで宮殿の修理をはじめ、
またたくまに立派な宮殿ができあがったといいます。

この話は神話であり、作り話であるという説もあります。
しかし、こうした神話こそが、その国の国柄を示しているとも言えるのです。

こうした天皇と国民の関係性は、何も仁徳天皇に限ったことではありません。
敗戦直後の1945年9月27日、124代昭和天皇はマッカーサーと会見をしました。
そして、その会見で昭和天皇はこのようにマッカーサーに話したのです。

「今回の戦争の責任はすべて自分にあるのであるから、
東郷や重光らを罰せず、私を罰してほしい。
ただし、このままでは罪のない国民に多数の餓死者が出る恐れがあるから、
是非食糧援助をお願いしたい。
ここに皇室財産の有価証券類をまとめて持参したので、
その費用の一部に充ててほしい」と述べたのでした。

それまで、天皇陛下が、多くの国王のように、
命乞いに来たのだろうと考えていたマッカーサー元帥は、
この言葉を聞いて、やおら立ち上がり、陛下の前に進 み、
抱きつかんばかりにして陛下の手を握り、
『私は初めて神のごとき帝王を見た』と述べて、陛下のお帰りの際は、
マッカーサー自らが出口まで見送りの礼を 取ったのです。

このように、初代、神武天皇以来2675年に渡り、
我が国は日本型の民主主義が穏やかに定着した世界で類を見ない国家です。

日本は先の太平洋戦争で、建国以来初めて負けました。
しかし、だからといってアメリカから
初めて民主主義を与えられたわけではありません。

また、革命で日本人同士が殺しあって民主主義をつくったわけでもありません。
古代の昔から、日本という国は、
天皇陛下と民が心を一つにして暮らしてきた
穏やかな民主主義精神に富んだ国家であったのです。

私たちは日本や日本人のことを決して卑下する必要はありません。
皆さんは、世界一長い歴史とすばらしい伝統を持つこの国に誇りを持ち、
世界や世界の人々に貢献できるよう、
一生懸命勉強に励んで欲しいと思います。

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

1978年に発行されたアメリカの社会科教科書
『アジア・アフリカ世界 - その文化的理解
(The Afro-Asian World - A CULTURAL UNDERSTANDING)』(中等教育用)

「日本の建国」の概要

※神々の国 Land of the Gods

日本の子供たちは、学校で次のように学んでいる。
イザナギという権威ある神が、その妻イザナミと共に
「天の浮橋(Floating Bridge of Heaven)」の上に立った。
イザナギは、眼下に横たわる海面を見降した。
やがて彼は暗い海の中に、宝石を散りばめた槍をおろした。
その槍をひき戻すと、槍の先から汐のしずくが落ちた。
しずくが落ちると、次々に固まって、島となった。
このようにして日本誕生の伝説が生まれた。

またこの伝説によると、イザナギは多くの神々を生んだ。
その中の一人に太陽の女神があった。
女神は孫のニニギノミコトを地上に降りたたせ
新しい国土を統治することを命じた。
ニニギノミコトは大きな勾玉と、神聖な剣と、
青銅の鏡の三つを持って、九州に来た。
これらはすべて、彼の祖母から贈られたものであった。
これら三つの品物は、今日もなお、天皇の地位の象徴となっている。
ニニギノミコトにはジンムという孫があって、
この孫が日本の初代の統治者となった。
それは、キリスト紀元前660年の2月11日のことであった。

何百年もの間、日本人はこの神話を語りついできた。
この神話は、日本人もその統治者も、
国土も、神々の御心によって作られたということの証明に使われた。
現在のヒロヒト天皇は、ジンム天皇の直系(Direct Line)で、
第124代に当たるといわれる。
かくして日本の王朝は、世界で最も古い王朝(dynasty)ということになる。

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参考「世界に生きる日本の心」名越 二荒之助

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先帝陛下(昭和天皇)に戦争責任はない。
http://bit.ly/1mvBeap
2009/08/15 09:00|年表リンク用資料
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