正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

ホーム 全記事一覧 << 和算家の入澤新太郎博篤が『ソディの六球連鎖』と同内容の算額を発表。 1909年10月26日、初代内閣総理大臣 伊藤博文が暗殺される。 >>
最後の給油、パキスタンの駆逐艦から「君が代」、「ジャパンコール」も!

時事ドットコム 2010年1月15日 19:55 より引用
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201001/2010011500847

【補給艦「ましゅう」(アラビア海)時事】
新テロ特別措置法の期限切れを迎えた15日、
インド洋での各国艦艇への補給支援活動は終結。
現地に派遣された海上自衛隊の部隊は最後となる939回目の
給油を実施した。

約8年間続いた任務の終了を受け、部隊指揮官は
「締めくくりとの意識があったので安堵(あんど)している」とする一方、
隊員からは「寂しい」との声が漏れた。

強い日差しが照りつけるインド洋北部のアラビア海。
海自の補給艦「ましゅう」(13500トン)は
同日午前(日本時間同日午後)、
パキスタンの駆逐艦「バブール」と合流した。「洋上給油、給水準備」。
艦内に響いた号令を受け、甲板上に整列した隊員約50人が
一斉に持ち場へ散った。

護衛艦「いかづち」(4550トン)が後方で警戒する中、
相手はテンポの速い「君が代」を流しながら、ましゅう右舷側に接近した。
距離50メートル。並走を始めると、ましゅうからロープが射出。
甲板上のタワーからワイヤが張られ、
給油ポンプがヘビのように伸びて接続した。
パキスタン側の事情で途中何度も給油が中断したものの、
2時間余りで作業は終わった。

前方へ遠ざかるバブール艦上では「ジャパン」コールがわき上がった。
ましゅう、いかづちは速度を上げ、バブールの左右を追い抜きざまに
10秒間「ブーン」と汽笛を鳴らした。隊員らは手を振り別れを告げた。

指揮官の酒井良第7護衛隊司令(47)=1等海佐=は
「正直ほっとしている」とし、
「この活動は終わったが新たな任務があると思っている」と意欲を見せた。

派遣任務は5回目となった浪江一己1等海曹(42)は
「世界に貢献しているとやりがいを感じ希望して来たので、
最後となると寂しい」と話した。


最後の給油活動を終え、パキスタンの艦艇にヘルメットを振る
海上自衛隊の補給艦「ましゅう」の乗組員(共同通信)
最後の給油活動を終え、パキスタンの艦艇にヘルメットを振る海上自衛隊の補給艦「ましゅう」の乗組員(共同通信)

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

はためく旭日旗に目頭熱く 
緊迫する中東派遣の海自護衛艦 クルーズ船に並走、シーレーン見守る

産経ニュース 2019.8.22 07:00
https://www.sankei.com/region/news/190822/rgn1908220013-n1.html

クルーズ客船「サン・プリンセス」の船上から見える護衛艦「あさぎり」
クルーズ客船「サン・プリンセス」の船上から見える護衛艦「あさぎり」

米国とイランの対立など緊迫度が増す中東の海を4~5月、
1隻のクルーズ船が通過した。
日本人乗客が現地で目にしたのは、自衛艦旗を掲げた日本の護衛艦だった。
安堵(あんど)と感動で日の丸の旗を振る人もいた。
乗客の一人、北九州市の男性は
「感謝の気持ちで目頭が熱くなった」と語った。
クルーズ客船「サン・プリンセス」は4月10~12日、
横浜や神戸など日本各地で客を乗せ、世界一周旅行に出発した。
米国のクルーズ会社が運航する船を、日本の旅行会社がチャーターした。
約1500人の乗客のほとんどは、日本人だった。
航海は順調だった。乗客は台湾やシンガポールで観光を楽しみ、船内の食事やショーで時間を忘れた。

■高まる緊張と不安
船は中東に向かった。4月28日、アラブ首長国連邦のドバイに入港した。
直前の22日、米国がイラン産原油の全面的な禁輸を発表していた。
航海に支障はなかったが、緊張した空気は船内に伝わっていた。
乗客の一人、北九州市小倉北区の会社経営、弥登(みと)章氏(71)は
「言葉に出しても不安が解消するわけではありませんから、皆黙っていた。
でも、じわじわと不安感は高まっていた」と振り返った。
船はドバイからホルムズ海峡を過ぎ、
アラビア半島の南側にあるオマーン・サラーラに入港した。5月2日だった。
ここから先、紅海からスエズ運河を抜ける。
だが、その前に、海賊が問題となったアデン湾を通る。
ここに至るまでに船内では、万一に備えて避難訓練も実施された。
乗客の不安はサラーラで除かれた。
海上自衛隊の護衛艦が、出迎えるように停泊していたからだ。
艦尾には、大きな自衛艦旗(旭日旗)がはためいていた。
「日本人を守るためにここまで来てくれている。
思わず、目頭が熱くなりました」(弥登氏)
日本政府は平成21年から、ソマリア沖・アデン湾の
海賊対策として海自を派遣している。
護衛艦と航空機で、日本に関係する船舶を見守る。
現在は、護衛艦「あさぎり」が任務に就く。

■日の丸振る乗客
「あさぎりが護衛してくれます」。船内放送も流れた。
大勢の乗客が甲板から身を乗り出すようにして、手を振った。
持参した日の丸を掲げた人もいた。
「あさぎり」は、アデン湾を抜けるまでの数日間、
クルーズ船をエスコートするように、ぴったりと寄り添った。
弥登氏は今回、妻の真美代氏(69)とともに、
長年のあこがれだった世界一周クルーズに参加した。
「こちらはレジャーで行っているのに、自衛隊は命を張ってくれている。
誇りに思うとともに、感謝してもしきれませんでした」
船内では、食事などで乗客が顔を合わせるたびに、
「感動した」と、あさぎりの話題で持ちきりになった。
弥登氏はその後、欧州や米国などをめぐり、7月に帰国した。
ホルムズ海峡では6月、日本の海運会社が運航するタンカーが
攻撃を受けるなど、緊張の度合いは日を追うごとに高まる。
日本の海上交通路(シーレーン)を守るため、
ホルムズ海峡への自衛隊派遣も検討される。
弥登氏はこう訴えた。「中東では、クルーズ船から見えるだけでも、
日の丸をつけた民間の船がたくさん行き交っていた。
ほっといてはいけないと思う。
あの場所に居合わせた乗客は皆、私と同じ気持ちではないかと思います」
2009/08/12 09:00|年表リンク用資料
Copyright(C) 2006 正統史観年表 All Rights Reserved.
Powered by FC2ブログ. template designed by 遥かなるわらしべ長者への挑戦.