正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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ルーズベルトの愚行

Japan On the Globe (96)
国際派日本人養成講座
平成11年7月17日10,227部発行
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog096.html

アメリカ上院議員ハミルトン・フィッシュ

地球史探訪:ルーズベルトの愚行
■ 目 次 ■
1.フィッシュ議員の大統領弾劾
2.ウェデマイヤー大将の証言
3.英仏、ポーランドをけしかける
4.矛盾する二つの約束
5.挑発の罠
6.対日強硬政策に対するフィッシュ議員の批判
7.恥ずべき最後通牒
8.愚行の結果

■1.フィッシュ議員の大統領弾劾■
40年以上も前のことになるが、フランクリン・ルーズベルト大統領は、
その絶大な権力を使って、
ついに米国を日本との戦争にまきこむことに成功した。
そのことは、米国を欧州におる戦争に参戦させるという
ルーズベルトの最終目的を達成させることであった。
クレア・ルースが述べたように、ルーズベルトは、われわれをだまし、
いわば裏口からわれわれをドイツとの戦争にまきこんだのである。
[1.p19]

1941年11月26日、ルーズベルト大統領は、日本に対し最後通牒を送り、
その中で日本軍のインドシナおよび中国(満洲)からの全面撤退を要求した。
この最後通牒により、日本を開戦に追込んだ責任が
ルーズベルトにあると言うのは、歴史的事実である。
[1,p33]

これは開戦当時、
ルーズベルト大統領のライバルだった共和党下院リーダー、
ハミルトン・フィッシュ議員が自らの著書で語った言葉である。

■2.ウェデマイヤー大将の証言■
もう一つ、当時の米軍高官の証言を紹介しよう。
アメリカ陸軍参謀本部で戦争計画立案を担当していた
ウェデマイヤー大将の回想録の一節である。

日本の真珠湾攻撃は、
アメリカによって計画的に挑発されたものであるという事実は、
真珠湾の惨敗と、それにひきつづきフィリピンを失陥したことにより、
おおいかくされてしまった。

アメリカ国民をヨーロッパ戦争に裏口から
参戦させようとしていた当時のアメリカ政府は、
フィリピンのアメリカ守備隊を
日本軍の犠牲に供するもやむをえないと考えていた。

アメリカ国内の反戦派の人たちは、
ルーズベルトがドイツに対しては明らかに戦時中立を犯す行動をとり、
また日本に対しては最後通告をつきつけて、
なんとかしてアメリカを参戦させようとしていたことは、
じゅうぶん承知していた。
[2.p27]

■3.英仏、ポーランドをけしかける■
フィッシュ議員とウェデマイヤー大将の著書から、
ルーズベルト大統領がいかに日本を戦争に
巻き込んでいったのかを見てみよう。

1939年、ドイツはポーランドに対して、
ダンチヒ自由市の返還を要求していた。
同市はドイツ人人口が90%を超え、
住民投票では圧倒的多数でドイツへの帰属に賛成しており、
「民族自決の原則」から言っても、
ドイツの要求は不当なものではなかった。

しかしポーランドは、ドイツから攻撃されたら、
英仏もすかさず参戦するという約束を得ており、
さらにその英仏を陰でけしかけていたのがルーズベルトであった。

1939年1月16日、
ルーズベルトのヨーロッパにおける重要な
代表であったウィリアム・C・ブリット駐仏大使は、
パリに帰任する際にポーランドのイエルジー・ポトツキー駐米大使に
次のように語っている。

英仏は、全体主義国家と、
いかなる種類の妥協もやめなければならないというのが、
大統領の確固とした意見である。
領土的変更を目的としたどんな議論も許されてはならない。
合衆国は、孤立政策から脱却し、戦争の際には英仏の側に立って、
積極的に介入する用意がある旨を道義的に確約する。
[1.p143]

イギリスは2,3個師団しか動員できないが、
アメリカが参戦を確約してくれれば、
もう怖いものはない。ポーランドは強硬姿勢に転じて、
ドイツとの交渉のための全権使節を送ることすら拒否した。
これがドイツのポーランド侵攻を引き起こし、
第2次大戦の引き金になった。

■4.矛盾する二つの約束■
ルーズベルト大統領はドイツとの戦争を決意していたのだが、
米国民はそうではなかった。
ヒットラーが39年9月にポーランドに侵攻し、
さらに40年4月にノルウェーに侵入した時点でのギャラップ世論調査で、
参戦に賛成する米国民はわずか3%であった。

40年10月30日、
ルーズベルトは大統領選挙の1週間前に次のように発言している。

私は、母であり、あるいは父であるあなたがたに話すにあたって、
いま一つの保証を与える。
私は以前にもこれを述べたことがあるが、
今後何度でも繰り返し言うつもりである。
『あなたがたの子供たちは、
海外のいかなる戦争に送り込まれることもない』
[1.p82]

フィッシュ議員は、ここで戦争反対、
不介入主義の演説者でさえ常に用いている
「攻撃を受けない限り」という留保条件すら、
省かれていることを指摘している。

このわずか2ヶ月後に、
ルーズベルトは無二の親友であるハリー・ホプキンスを通じて、
チャーチルに次のように伝えた。

われわれが共同してこの戦争を勝ち抜くことを大統領は決意している。
これを間違わないでいただきたい。
大統領は、いかなる犠牲をはらっても、
あらゆる手段を用いてイギリスを勝利達成まで援助する、
ということをあなたに伝えるために、
私をここに派遣した。・・・大統領は、人事のすべてをつくす。
[1.p85]

こうして、ルーズベルトは大統領に再選された時点で、
矛盾する二つの約束を、国民と外国政府に対して行っていたのである。

■5.挑発の罠■
この矛盾から逃れる道はただ一つ、
敵国から攻撃を受けて、参戦を余儀なくさせてしまうことだ。
ルーズベルトは対独挑発をしかける。

米軍駆逐艦「グリヤー」は、ドイツ潜水艦を追跡し、
その位置をイギリス軍機に通報して、爆雷攻撃をさせた。
英軍機が給油のためにその場を離れた後も、
グリヤーは探査を継続したため、ドイツ潜水艦は反撃に訴えた。

明らかな中立義務違反である。
この事件をルーズベルトは、次のように全米向け演説で報告した。

私は、ドイツ潜水艦が、何らの警告なしに、撃沈の意図をもって、
米国の駆逐艦に対して先制攻撃をしかけた、
というまぎれもない事実を、皆様に報告する。

ルーズベルトはこのような挑発を1年以上も続け、
41年10月には、ドイツ戦艦および潜水艦は、
見つけ次第これを攻撃すべし、という指令まで出した。

しかしヒットラーは、ドイツ海軍に対し、米軍軍艦への攻撃は避け、
自衛に徹するよう命令しており、
ルーズベルトの罠にはひっかからなかった。
やむなく次のスケープゴートとして選ばれたのが日本であった。

■6.対日強硬政策に対するフィッシュ議員の批判■
ルーズベルトは、日本に対しては経済封鎖など強硬姿勢をとったが、
その政策の矛盾をフィッシュ議員は次のように批判している。

どうしてイギリスが極東における数多くの領土を
保有する絶対的な権利を持つべきであり、
その一方で日本が近隣諸国からコメ、石油、ゴム、錫その他の商品を
購入することさえできないくらいの制限を
米国によって課せられなければならないのか。
[1.p41]

確かに日本は、
宣戦布告のないまま四年間にわたり中国と戦争状態にあったが、
同時にソビエト・ロシアがフィンランド、ポーランド、および
バルト諸国を侵略していたのも事実である。
アメリカは、このソビエトの行動に対しては何ら対処しないばかりか、
その後、同国と同盟を結ぶに至った。

しかしながら、その一方で日本は、
自国軍の中国(満洲を除く)およびベトナムからの撤退を約束し、
南下をしないことに合意する用意があった。

日本のような強力な国家に対し、
米国はこれ以上何を要求できると言うのか。
天皇および近衛首相は、平和を維持するために、
信じられないほどの譲歩をするつもりでいたのである。
[1.p36]

■7.恥ずべき最後通牒■
対日挑発のとどめとして、
ルーズベルトがつきつけたのが、ハル・ノートであった。
それは以下のような要求を含んでいた。

・日本は中国より部隊を撤退させて、
日支戦争における全面的な敗北を認めること
・日本は中国及び満洲国における
日本の作り上げた傀儡政権を廃止し(以下略)
・日本は日独伊三国同盟に規定された独伊両国に対する
義務を事実上、廃棄すること

ハル・ノートの内容は米国議会には秘密にされていた。
それを知らずにフィッシュ議員は、真珠湾攻撃の直後、
ルーズベルト大統領のもとで一致団結しようと下院で演説を行ったのだが、
これに関して次のように述べている。

今日私は、ルーズベルトが日本に対し、恥ずべき戦争最後通牒を送り、
日本の指導者に開戦を強要したということを知っており、
この演説を恥ずかしく思う。
[1.p47]

■8.愚行の結果■
スターリンと同盟し、ヒットラーを敵視して、
ルーズベルトは「裏口から」米国を対独戦争に巻き込んだ。
その結果はどうであったか。

アメリカは戦争には勝ったが、
東ヨーロッパはソ連の鉄のカーテンに閉ざされた。
満洲とシナから日本軍を駆逐したが、
そのかわりに全域が共産中国の支配下となった。
すぐに米ソ間の冷たい戦争が始まった。

かつてヒトラーが征服を夢みた地域よりもはるかに広大な地域に、
全体主義的な専制政治を台頭させる結果となった
[2.p28]

とウェデマイヤー大将は総括する。これは結果論ではない。
当時、米国世論の大勢を占めていた反戦派は次のような主張をしていた。

それ(アメリカの参戦)は、
われわれがスターリンのためにロシアの共産党支配を確立させ、
共産主義が世界中にさらに広がる機会を与えてやることになる
(フーバー元大統領)[1.p112]

スターリンは、ヒットラー同様『血にまみれた手』をしており、
合衆国は、これら残虐な独裁者たちが
勝手に自滅し合うのにまかせておけばいいのだ
(ベネット上院議員)[1,p112]

もし、ロシアが勝ちそうになったらドイツを援助し、
ドイツが勝ちそうになったら、ロシアを援助すればよい
(トルーマン上院議員、次期大統領)[1,p112]

ルーズベルトがこのような賢明な不介入主義をとっていれば、
米国はもとより、英仏、そして日本も戦争に巻き込まれず、
独ソの両全体主義は早期に自滅したはずである。
そうなれば、その後の冷戦も、朝鮮戦争、ベトナム戦争もなく、
20世紀後半ははるかに明るい幸福な時代になっていたことであろう。

■ 参考 ■
1. 日米・開戦の悲劇、ハミルトン・フィッシュ、PHP文庫、H4.12
2. 第2次大戦に勝者なし(上)、
アルバート・ウェデマイヤー、講談社学術文庫、H9.6
2009/08/07 09:00|年表リンク用資料
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