正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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1894年(明治27年)11月21~22日、いわゆる「旅順虐殺事件」。

日清戦争で日本軍が旅順攻略の際、旅順市内および近郊で
清国軍敗残兵掃討中に旅順市民も虐殺したといわれている事件。

11月18日、旅順近郊の土城子での戦闘後、道路脇の柳や民家の軒先に、
戦死した日本兵の鼻や耳を剃った生首が吊されている陵辱行為を
日本軍兵士は見て激昂した。

11月21~22日、日本軍はその感情を持ったまま旅順市内の掃討作戦に入った。
清国兵は軍服を捨て、民間人の服を着て便衣兵戦術を展開し始めた。
―――
民間人の服を着て急に襲ってくる兵士のことを「便衣兵」という。
この便衣兵戦術は民間人を巻き込みやすくなる卑劣な作戦である。
―――
その結果、兵士と住民との区別がつかなくなり、
「終に民家に闖入して兵士と覚しき年齢の男子は引き出して
殺戮するの止むを得ざるに至れり」
という事態も起こってしまった。
便衣兵戦術を行なった側の責任は大きい。

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【犠牲者数】
民間人の服装をした遺体が民間人なのか便衣兵なのか
区別がつきにくいため、正確な犠牲者数は判明していない。

■英紙『セントラル・ニュース』・・・・0名
「公正な戦闘以外では一人の中国人も殺されていない」
■『タイムズ』(1894.11.28)・・・・200名
■有賀長雄『日清戦役国際法論』・・・・500名
■フランス人サブアージュ大尉『日清戦史』(1901年)・・・・1500名
■『ニューヨーク・ワールド』(1894.12.20)・・・・2000名
■中国では2万名弱としている。

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【外務大臣 陸奥宗光の声明文 12月16日】

1、清国兵は制服を脱ぎ捨て逃亡した。

2、旅順で殺害された平服を着た者は、大部分が姿を変えた兵士であった。

3、住民は交戦前に立ち去った。

4、少数の残留した者は発砲し交戦するよう命令され、そのように行動した。

5、日本軍は、日本兵捕虜の何名かが生きながら火焙りにされたり、
また責め苛まれたりしたうえ、
恐ろしいほどに切り刻まれたりした死体を目にして大いに激昂した。

6、従来通り日本軍は軍規を遵守していた。

7、クリールマン以外の外国人特派員は彼の報道に驚愕している。
すなわち、彼らは冬支度のために日本に戻ったものであり、
再度前線に従軍する予定である。

8、旅順陥落時に捕えられた355名前後の清国人捕虜は
好遇されており、2~3日うちに東京へ連行される。

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【旅順功略後、現地行政庁の行政官になった鄭永昌の報告】

「支那兵が旅順に駐屯するや、ほしいままに民家に乱入し、
家具を破壊し、財産を略奪せしもの少なからず、
故に日本軍の進撃せし時は旅順市街すでに空虚なり」

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【長谷川伸『日本捕虜志(上)』(時事通信社、昭和37年4月、初版) 169頁】

山路元治中将が率いる第一師団(東京)がただ一日で旅順を陥落させたのは、
そのすぐ後の11月21日である。
このとき外国新聞に、旅順市外に虐殺が数日間つづいたと電報記事が載った、
それは清兵が制服をすてて民家から普段着を盗んで着たのみか、
避難立退きで人のいない民家の住人に化けたのを、
日本兵が戸々について検索し、これを斬ったのを誤まり伝えたもので、
それも21日の一夜で、22日の朝からは新たな流血はなかった。

旅順の住民は総攻撃以前に市街から退避していたので、
少数の住民がいたのみ、婦女子はいなかった。
だがこの虐殺説は程なく雲消霧散した。

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『日本・ベルギー関係史』 磯見辰典・黒沢文責・桜井良樹著 白水社 1989年

そもそもべルギーと日本との本格的な交流は、
1866年の日本国白耳義国修好通商及び航海条約の調印に始まるが、
とりわけ明治26年から43年のあいだ日本公使を務めたアルべール・ダネタンが
敢然として明治日本の名誉を守った史実も特筆にあたいするものである。 

例えば日清戦争での日本軍による旅順港占領の際に、
無事の住民に対する虐殺が行われたとする記事が
諸外国の新聞に報道されたことがある。

ダネタンは事の真偽を確かめるべく調査に乗り出し、
結局米国記者によって捏造された「虐殺事件」が
まぼろしだったことを突き止め、
べルギー本国政府に対して注意を促す次のような報告書を提出している。

「旅順港において日本軍によって行われたと伝えられる残虐行為は、
新聞報道者、特に二ューヨーク・ワールド紙の記者によって
多分に誇張されたものであった。
私はそこに居合わせたフランス武官ラブリ子爵に会ったが、
彼は私にこう断言した。
殺された者は軍服を脱いだ兵士たちであり、
婦女子が殺されたというのは真実ではないと。
旅順港占領の数日前にほとんどの住民は避難しており、
町には兵士と工廠の職工たちだけであった。」

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【軍事情勢】“中国の蛮性”をベルギーは再び看破できるか

2014.4.10 11:34更新、産経新聞
http://www.sankei.com/smp/world/news/140410/wor1404100013-s.html

《パンダ》の語源は、国際世論の誘導も意味する
《プロパガンダ》ではないかとの思い込みを持った。
中国の習近平国家主席(60)が欧州歴訪中の3月末、
ベルギーで見せつけた《パンダ外交》はそう誤解するに十分不気味だった。
事実に基づく情報を源とする“善玉”を《ホワイト・プロパガンダ》、
偽情報を潜ませる“悪玉”を《ブラック・プロパガンダ》と呼ぶ分類が、
余計に黒白のブチが特徴のパンダを想わせる。
日本も経験済みだが、愛くるしいパンダは中国を身近に感じ、
平和的印象を勝手に醸成してしまう。
しかし、ベルギーはブラック・プロパガンダに惑わされなかった
在日特命全権公使アルベール・ダネタン男爵を輩出した国。
今一度、パンダの後ろに隠れ、少数民族を虐殺し、
自国民の自由を奪う中国の蛮性を看破してもらいたい。
人権弾圧に敏感な現代欧州の矜恃が見たい。

ダネタン男爵の慧眼

ダネタン男爵は1893~1910年の長きにわたり日本に滞在した。
その間、日本人の性行・性向を完全に見極め信頼。
日清戦争(1894~95年)中、大日本帝國を国際的孤立の危機に
追い込むブラック・プロパガンダに惑わされぬ慧眼を備えていた。

危機は主に、米紙の捏造記事拡散に因った。旅順軍港占領時
「帝國陸軍が清帝國の非戦闘員・婦女子・幼児ら6万人を虐殺。
逃げられたのは36人のみ」と報じたのだ。
帝國陸軍の軍紀を把握する男爵は、旅順の面積や人口に鑑みても、
6万人という数字に明らかな胡散臭さを直感したに違いない。
調査を始め、本国に報告書を送る。

《日本は傷病者に配慮し、赤十字は皇后陛下の後援のもとで
完璧なまでに仕事を遂行し
(陸戦での傷病者保護を目的に、日本も1886年に加盟した)
ジュネーブ条約は遵守されている》

《その場に居合わせたフランス武官ラブリ子爵より直接聞いたところ、
殺されたのは軍服を脱いだ兵士で、婦女子が殺されたのは真実ではない。
住民は占領前に避難、残っていたのは兵士と工廠の職工だけ。
日本兵は無残に扱われた戦友の死骸を見ながら、
何とか敵を捕虜にするだけにとどめた》

清國軍将兵は帝國陸軍将兵を殺し、遺体を切断して木や軒先に吊した。
確かに、帝國陸軍将兵は陵辱への激昂を引きずりつつ戦を続けた。
一方で、潰走を始めた清國軍将兵は軍服を脱ぎ捨て、
民家に押し入り民間人の服に着替えた。
《便衣兵》である。
便衣兵は脱走の機会をうかがい、民家に籠もり帝國陸軍将兵を狙撃した。
法律顧問として従軍した国際法学者・有賀長雄博士(1860~1921年)
は「清國は全く戦争法規を守らない」と指弾するとともに、
日清戦争時の《万国戦時公報 陸戦条規》の中でも銃殺を合法と断じた。
一部外国紙は、非戦闘員に偽装した便衣兵に対する応射を
「虐殺」と誤報したのだった。

魚釣島に関し大嘘を投稿

日露戦争(1904~05年)前夜にも、欧州各紙が
「日本人の外国人への憎悪が増し、日露が戦うと在日外国人が虐殺される」
と伝えたが、これにも反論を発信した。

《外国人への憎悪や敵意は日本に存在しない。
単身、あるいはメイドを連れただけで、
外国人の婦人が日本各地を旅行している。
在日外国人は仮に戦時下になっても日清戦争同様、全く安全である》

開戦後も、ロシア兵捕虜が虐待されている-
との虚偽報道を是正する報告を発出した。

《海戦で沈没した艦の捕虜601人が日本軍に救出された。
死者2名はロシア正教に従い葬られた。司式は、日本軍がジュネーブ条約に
則り直ちに自由にした艦の従軍司祭が行った》

百有余年後の2012年、在ベルギー中国大使が
ベルギー公用語・仏語の新聞に《魚釣島を中国領というのはなぜか》
なる記事を投稿した。
魚釣島を含め尖閣諸島は日本領土だが、記事は大使が
《仏軍統合参謀本部の大佐が描いた地図を
ブリュッセルのギャラリー・ボルティエ通りの
書店Schwildenで見付けた》ことから始まる。
地図は《中国が15世紀初めには既に魚釣島を発見・管轄していた》
ことを証明。以下延々と、歴史的事実を継ぎ接ぎして大嘘を大展開する。
もちろん《中国人虐殺》や《ヒトラーを祀る●(=鯖の魚が立)國神社》
も登場するお決まりのコース。

ただ、締めの殺し文句
《第二次大戦中、留学中だった中国人女性の感動の逸話》は、
ブラックかホワイトか、プロパガンダの真贋は判然としないが、
極めて効果的な演出だった。
女性が《ドイツ軍高官暗殺の報復として、
ゲシュタポ=秘密警察の人質となった市民97人を、
勇気と知恵を振り絞り救い出した》というストーリーだ。

取り込まれる欧州

斯くして欧州は、中国への人道・安全保障上の警戒感を薄めるべく
自らに言い聞かせ、中国の持つ魅力的な経済・金融力に取り込まれていく。

習氏は“スウェーデン”の自動車メーカー・ボルボのベルギー工場を
視察したが、ボルボは2010年、中国の自動車メーカーが買収。
エアバス70機購入を含む総額2兆5700億円もの売買契約を
フランスと結ぶなど、歴訪各国で新たに大商談もまとめた。
天安門事件(1989年)以降、欧州が続ける対中武器禁輸が、
日本と米国の頭ごなしに解禁となる悪夢は直ぐそこに在る。

後ろめたさの払拭に励む欧州を内心嘲笑しているであろう習氏は、
ベルギーでの講演で「他国の制度はまねしない」と、
国家挙げての非道を正当化。
中国国家主席として初訪問したEU(欧州連合)本部では
「中国とEUという2大文明(?)の協力強化」を呼び掛けた。
だが、EUの「文明」と、中国の「非文明」は相容れない。

1月に催された2013年度ベルギー絵画コンクールで、
中国の気功集団・法輪功の迫害をテーマにした
《不必要な死》が最優秀賞を受けた。
迫害で亡くなった娘を抱く母親の目が、悲痛な気持ちを語る作品。
法輪功には批判もあるが、作者の鋭い批判は紹介しなくてはならない。

「法輪功メンバーが不法逮捕され、殴打、虐待、酷刑を受けている。
その期間は長く残酷。(絵画の背景に描いた)亀裂は、
中国共産党が罪を犯す過程で自滅する将来を象徴する」

画家の気骨に東京・雑司ケ谷霊園に眠るダネタン男爵のDNAを認める。
「自滅」が待ち遠しい。(政治部専門委員 野口裕之)

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日清戦争勃発
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清国軍の暴状
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1894年(明治27年)11月21~22日、いわゆる「旅順虐殺事件」
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日清戦争の意義を理解しない韓国
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三国干渉
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三国干渉の2年後、西洋列強によるあからさまな清国の利権争奪が始まった。
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2009/07/27 09:00|年表リンク用資料
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