正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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1860年2月13日、万延元年遣米使節がサンフランシスコに向け横浜を出港。

1854年3月31日に締結された日米和親条約に続き、
1858年7月29日には日米修好通商条約が締結された。
日米修好通商条約の批准書の交換はワシントンで行うとされたため、
江戸幕府は米国に使節団を派遣することとなった。
1854年の開国後、米国への初の公式訪問団であった。

1860年2月13日、サンフランシスコに向け横浜を出港。
5月15日、ワシントンに到着。
5月16日、カス国務長官を訪問し、
5月17日、ブキャナン大統領に謁見・批准書を渡した。
5月22日、批准書は交換され、任務は完了した。
(批准交換証書は重要文化財として外務省に保管されている。)


1860年5月18日(現地の日付)、ホワイトハウスのイーストルームで
ブキャナン米大統領との接見に臨む日本代表団の様子。
当時ニューヨークで発行されていた「ハーパース・ウィークリー紙」に
掲載された挿し絵。
1860年5月18日、ホワイトハウスのイーストルームでブキャナン米大統領(左側)との接見に臨む日本代表団(右側)の様子。当時ニューヨークで発行されていた「ハーパース・ウィークリー紙」に掲載された挿し絵。

ちなみに、

ニューヨークで発刊されていた週刊誌「ニューズペーパー」1883年9月29日に
掲載された李氏朝鮮の全権大使一行がアーサー米大統領を公式接見する図。
ニューヨークで発刊されていた週刊誌「ニュースペーパー」(1883年9月29日付)に掲載された李氏朝鮮の全権大使一行が米・アーサー大統領を公式接見する図。

なんで土下座してるのでしょうか???
2009/07/23 09:00|年表リンク用資料
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