正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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ハル・ノートに対する日本の回答電報

◆「これは戦争を意味する」

東京裁判でのブラットン陸軍大佐の証言によれば、
ハル・ノートに対する日本の回答電報14部の最初の13本は、
この日の夜9時から10時までの間に完全に受領し、
10時少し過ぎに国務省の当直士官に届けたと言う。

では、この電報に対する大統領の反応はどうであったか。
当時、大統領付海軍副官ビアドール海軍大佐の連絡補助員
であったシュルツ海軍大尉は、夜9時半少し過ぎに
最初の13部の電報を大統領に渡した。

この時の状況をシュルツ中佐は1946年、
両院合同委員会で次のように証言した。

「大統領はその文書を読んだあと、
室内をゆっくり行ったり来たりしているホプキンズ氏に渡した。
ホプキンズ氏はそれを読んだのち大統領に返した。
すると大統領はホプキンズ氏の方を向いて
『これは戦争を意味する』と言った。

正確な言葉は確かではないが、内容はそうであった。
ホプキンズ氏は大統領に同意し、二人はそれから多分5分間ほど、
日本軍の状況、即ちその配置などについて話し合った。

・・・ホプキンズ氏は、疑いもなく戦争は日本の都合のよい時に
起ころうとしているのだから、我々が第一撃を与えて
奇襲を防ぐことができないのは余りにも残念だと言うと、

大統領も頷いて
『いや、我々にはそれはできないのだ。
我々は民主主義国であり、平和的な国民なのだ』という意味のことを言った。
それから大統領は声を高めて、
これだけははっきり憶えて居るが、こう言った。
『しかし我々には良い記録がある』と。
・・・新たに警報を送ることについては何も話されなかった。

しかし大統領はスターク大将(海軍作戦部長)を電話に呼び出そうとしたが
(スタークがナショナル・シアターに居ることが分かったので)
大統領は、大将にはあとで連絡しよう、劇場で呼び出して
一般に動揺を与えたくないという意味のことを言った。
(スターク以外の誰かに電話する話はあったかとの質問に)
いや、なかった」

ビアードはこれについて、ルーズヴェルト大統領は13部の傍受電報から、
開戦は必至であることを知りながら、スタークに電話した外は
前哨基地の司令官には何の警報も送らなかっかようだと推測している。

タンシルは、普通ならば傍受電報を読んだ後、
予期される攻撃に対処するため陸海軍首脳会議を即刻開くべき所なのに、
マーシャル参謀総長とスターク作戦部長の証言によれば、
大統領はこの不吉なニュースに接しても平然として居り、
少しも彼らと協議する努力をしなかったとし、
「ルーズヴェルトは米国を戦争に引きずり込むために
意図的に真珠湾攻撃を求めたのであろうか」
「遠い太平洋の前哨地点に対する攻撃の脅威を目前にして
大統領がかくも平静であったという謎に対する本当の答えは何であるのか」
と疑惑の目を向けている(Back Door to War)

◆ハワイヘの通報が遅れた理由

12月7日(日)午前9時、クレーマー海軍少佐は、日本の対米通告電報第14部
(日米交渉打切りを通告するもので、事実上の宣戦通告)
をスターク作戦部長に手渡した。

スタークは驚愕して
「何だって!これは戦争ということだ。
早速キンメルに知らせなければならん」と叫んだが、
スタークはホノルルに連絡する努力は全くせず、
代わりにマーシャル参謀総長に連絡を取ろうとした。

ところがマーシャルは何か奇妙な理由をつけて、
突然、乗馬の遠乗りに出かけてしまった。
タンシル教授は、これは歴史を作った乗馬であると言う。
何故なら、この乗馬が真珠湾への警報を遅らせ、
そのため米艦隊に大損害を与え、
2000名以上の米国人の命を犠牲にする結果になったからであると論ずる。

そしてタンシルは、この乗馬には何か重大な目的が
あったのであろうかと疑問を提起している。
この疑問は真珠湾聴聞会を検討するほどに深まってゆく。

陸軍情報部極東課長ブラットン大佐の証言では、
同大佐はこの日、午前8時15分~30分前後に第14本目の電報に接し、
直ちに国務省へ届けた。

また同大佐が午後1時に対米通告すべしとの日本の訓電を初めて見たのは
午前9時頃で、ブラットン大佐は直ちに
「日本が本日1時あるいは1時前後に対米攻撃を計画している」
ことが分かった。

クレーマー海軍少佐にとってこの電報は
「日本は本日真珠湾を奇襲する」ことを意味した。
この情報は午前10時までにノックス海軍長官の入手する所となり、
それは直ちにルーズヴェルト大統領にも届けられたのであった。
(Tansill,Beard 各前掲書。『極東国際軍事裁判速記録』第253号)。

マーシャル参謀総長が乗馬から戻った午前11時25分に、
ブラットン大佐は参謀総長室でマーシャル大将と会見、
この時マーシャルは14本の電報全部と午後1時通告電を読んだ。
(前掲「速記録」)
タンシルによると、マーシャルは自分の机上の盗聴防止用の
周波数帯変換器付き電話か海軍無線かFBI無線によって
ホノルルに連絡する時間は充分あったが、彼自身が最も良く知る理由で、
ホノルルヘの警報を商業通信ウェスタン・ユニオンから
RCAに中継して送り、
「最優先」扱いにさえしないという不用意さであった。

陸軍査問委員会は

「この通報を海軍無線、FBI無線
あるいは周波数帯変換器付き電話あるいはこの三方法全部を使う複数の
機密手段で送達しなかったことに対しては
いかなる正当な理由も見出すことができない」

と断じたが、タンシルはこれについて

「マーシャル大将は重要軍事情報伝達に関する軍規に違背せよとの
大統領命令を受けていたのであろうか」
「彼は大統領の政治目的は国家的安全への考慮に
まさると考へたのであらうか」

等々の疑問を投げかけている。

◆真珠湾攻撃は予知されていた

東京裁判でのブラットン大佐の陳述では、
マーシャル参謀総長はスターク海軍作戦部長と電話で相談のあと、
自分でハワイ、フィリピン、パナマ
その他太平洋の前哨基地に送る警告電報を書いた。

ハワイ方面陸軍司令官ショート大将にその警告電報を送ったのは
正午近くになってからであった。
そしてこの通報が到着したのは日本の真珠湾攻撃の後だったのである。

(註)警告電報は次の通り。

「東部標準時間午後1時、
日本側は実質上最後通牒に等しきものを提示しつつあり。
なお日本側はその暗号機を即時破壊すべき命令を受けたり。
指定時刻がいかなる意味を有するやは目下不明なるも右事情に鑑み厳戒を
要す。海軍当局にも本通告を伝達せよ」

「午後1時」が戦争開始時刻を意味することが明らかであるのに、
「指定時刻の意味は不明」としている。
電文中に「戦争」の文字は全く使はれていない。
なぜマーシャルはこれを明確な「戦争警告」とはしなかったのか。
疑門の残る電文である。

午後1時通告電はクレーマー海軍少佐にとって
「午後1時真珠湾攻撃」を意味したし、ブラットン陸軍大佐も、
太平洋上でその時刻に夜が明ける米国領土は
ハワイだけであると指摘していた(Neumann 前掲書)。

然るにスターク海軍作戦部長は、
キンメルにすぐ電話してはという部下の進言を容れず、
マーシャル陸軍参謀総長に至っては漸く正午近くになってから
商業通信でハワイヘ警報を送ったために日本軍の攻撃に
間に合わせることができなかった。

真珠湾攻撃の直後には、ハワイとワシントン間の直通電話が開設されたのに、
である。
真珠湾攻撃はこの日、午後1時20分に開始された。

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『大東亜戦争への道』 中村粲(あきら)著 (展転社) P624~628

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◆解決された大統領の「道徳問題」

真珠湾攻撃の日(時差によりアメリカでは12月7日)の午後2時、
ルーズヴェルト大統領はスチムソン陸軍長官に電話で、

「日本はハワイを攻撃した。やつらはハワイを空襲しているところだ。」

と述べた。

そしてスチムソンは、この日の日記にこう書いた。

「それはたまらなく面白いことだった。
・・・いまやジャップはハワイで我々を直接攻撃することで問題全部を
一挙に解決してくれた。
日本の攻撃の報を受けた時、私の最初の気持ちは、不決断の状態が終わり、
全米国民を一致団結させるような仕方で危機がやって来たという
ほっとした気持ちであった。」

同じ7日夜には閣議が開かれ、ルーズヴェルト大統領は翌日の議会での
公式声明を予示する事件の説明を行なった。
そのなかで彼は、

「大統領として戦争に際会するのは、まことに遺憾であるが、
この状態は全く思いがけなく出現したのである。
我々は攻撃されたのだ。これについては何の疑いもない。
今日、太平洋では撃ち合いの戦争が行なわれているのであり、
我々はその戦争に参入しているのだ。」

と述べた。

だがこの時のルーズヴェルトは、スチムソンと同じく、
米軍に降りかかった悲劇の報にも関わらず、
というよりは、むしろ、そのためにかえって、
ほっとした様子であったといわれる。

当時の労働長官フランシス・パーキンズ女史は戦後の1946年に証言している。

「12月7日夜の閣議で大統領は、
彼の誇りや海軍への信頼や米情報機関への信用に対する大打撃にも関わらず、
また戦争が実際にもたらした惨害にも関わらず、
いつもよりずっと平静な様子であった。
彼の恐ろしい道徳的問題がこの出来事によって解決されたのである。
退出した時、フランク・ウォーカー郵政長官は私に、
『大統領は何週間かぶりに心底からほっとしていることと思う』
と述べた」

と。

ほっとしたのはルーズヴェルトだけではなかった。
この日の夜、大西洋を隔てた英国では、
首相のチャーチルが真珠湾攻撃と日米開戦の報に、

「感激と興奮に満たされ、救われた気持ちで感謝しながら眠りについた」

(W.S.チャーチル『第二次世界大戦』)

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『大東亜戦争への道』 中村粲(あきら)著 (展転社) P634~635

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満州事変前~満州事変~支那事変まで
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2009/06/29 09:00|年表リンク用資料
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