●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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平和はいかに失われたか
ジョン・アントワープ・マクマリー原著『平和はいかに失われたか』 原書房、アーサー・ウォルドロン編、北岡伸一監訳、衣川宏訳、6~7頁 【ジョン・アントワープ・マクマリー】 国際法の専門家。ワシントン会議では米国代表団の主要メンバー。 専門的知識と外交上の知恵で人々から頼りにされる人物であった。 ――― 米国の大部分の人々はそのころ、 日本がアジアを戦争に巻き込むドラマの悪役であると信じていたが、 マクマリーはこの考えに賛成ではなかった。 日本の1930年代の新しい強引な政策は、 一方的な侵略とか軍国主義のウィルスに冒された結果などではなく、 それに先立つ時期のアメリカを含む諸国の行為が もたらしたものだと熱心に説いたのである。 ワシントン会議は、確かにアジアでの国際協力を 達成することのできる枠組みを決定した。 しかし1920年代において、 日本がワシントン条約の条文と精神を厳密に守ろうとしているのに、 この合意のもう一方の当事者、 特に中国と米国が条約諸規定の実施を繰り返し阻害したり、 拒否する事実のあったことを彼は指摘した。 このように米国に教唆された中国は、 自らの国際的地位を保証してきた法的な枠組みを一貫して軽視し、 それによって日本の激しい怒りを招く結果となった。 日本にワシントン条約を遵守させるのはなかなか難しかったのだから、 日本の態度は評価されるべきだったとマクマリーは主張した。 しかしそうした評価が得られず、 日本が自発的に参加した国際システムの全体が崩壊して 自国の利害を脅かされると感じたとき、 日本は「東アジアにおける正当な地位を保障するための強力な軍備」 に頼るようになっていったとマクマリーは考えたのである。 1930年代の中頃、マクマリーは事態が重大化したと考え、 もし米国が日本の苦情を認めないで中国への肩入ればかりを続けるならば、 結果的には間違いなく「日本との戦争」になってしまうと予言したが、 彼の外交官仲間たちの多くはこの意見に賛成しなかった。 日米戦争が勃発したのはこれが書かれた6年後である、 マクマリーは、まさに先見の明があったというべきであろう。 |
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