正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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1789年7月14日、フランス革命

アメリカ合衆国成立とともに世界史上、
現代史の始まりといえる重大な出来事。

フランスはイギリスとの植民地争奪戦争に敗北して財政危機に陥り、
これを取り戻すべく庶民に重税を課した上に、
凶作、飢餓、恐怖、失業などが加わり、社会不安が増大していた。

財政事情の悪化をめぐって、パリ市民と、
郊外のベルサイユにある王の宮廷のあいだの対立抗争となり、
パリ市民がバスティーユ監獄を襲撃すると、
フランス王の軍隊は、あっけなく雲散霧消してしまった。
フランス王ルイ16世は、市民によってパリに拉致され、
結局は3年後にギロチンにかけられて首を切られてしまう。

廃止されたブルボン王朝は、
フランスという土地全部の所有者ではなかった。
フランス革命当時、フランス全土に通用する法律さえなかった。
つまりフランスという国はまだなかった。

こういう状態のところで、
王制を廃止してしまうとすぐに起こる問題は
王の財産を相続する権利が誰にあるか、ということになる。
それまでは王の私的な領地・領民が、あちらこちらに散在していた。
そうした王の財産を、パリの市民が
そっくりそのまま自分たちのものにするのは無理だった。
地方の住民が承知しない。

このようなわけで、フランス革命は、われこそ正当な所有者なり、
と主張する各派のあいだの流血の争いとなり、
たくさんの犠牲者を出したあげく、
最後にナポレオンが実権を握って1799年に第一統領になって、
やっと「国民」が王の財産を相続するということで決着がついた。
それで、かつての王の財産は全部、フランス人という国民の「国家」だ、
ということになった。

こうしてアメリカ合衆国に続き、フランスでも国民国家が誕生した。
ナポレオンは1804年に「ナポレオン法典」というものを制定したが、
この法律のおかげで、
初めてフランス全土で同じ法律が通用するようになった。
このようにフランスという国家はナポレオンが創り出したものである。

こうして国民国家ができると、
今度は、どこからどこまでがフランス国家なのか、
フランス国民の財産なのか、ということが問題になる。

アメリカの場合は、まわりは海と先住民の住地だけだから、
国境線をきっかり引かなくても問題にはならなかったが、
どこまでも地続きの西ヨーロッパではそうはいかない。

全土で共通の話し言葉でさえ、まだなかったところに、
フランス語という「国語」を人工的に創り出して、
みんなに強要することになった。
できたばかりの「国民」の統合をそうして維持しなければ、
国民国家は存続できない。

国民が国家を所有する「国民国家」という政治形態は、
すぐにまわりに波及して、ヨーロッパ中に広まった。

―――――――

国民国家(nation-state)

アメリカ合衆国成立以前の世界には、政治形態としては君主制、
ベネチアやフィレンツェのような自治都市しかなかった。
今の人たちが考えるような国家というものは、まだなかった。

君主制の時代には、国民というものはまだなかったし、
国境というものもまだなかった。

自治都市に至っては、少数の貴族の合議制であって、
国民全部の意思の表現ではなかった。

そういう状態のところで革命が起こると、市民が王から乗っ取った財産、
つまり「国家」は、誰のものか、ということが問題になる。
市民の範囲は漠然としているから、もっとはっきりした誰かを、
王の財産権の正当な相続人として、設定しなければならないことになる。

そこで「国民」という観念が生まれて、「国民」が「国家」の所有者、
つまり主権者だ、ということになった。
「国民国家」という政治形態は、このとき初めて生まれた。
19世紀末までは、「国家」と呼べるようなものは、世界中どこにもなかった。
あったのは君主の位であり、君主の権利であり、君主の財産だった。

「国家」が「国民」を所有するという、「国民国家」の政治形態が、
19世紀に全世界に広まった後の今の時代になってから回顧すると、
君主の財産が国家だったように見えるだけのことである。
2010/03/27 06:00|年表リンク用資料
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