正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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当初、福沢諭吉は朝鮮の文明化のために尽力していた。

明治14年(1881年)、慶應義塾は、近代における朝鮮からの
正式な留学生の第1号として兪吉濬を受け入れた。

福沢諭吉は、読み書きできる朝鮮人が殆どいない惨状を直視し、
朝鮮近代化と民衆の教化にはハングルを普及させることが有効と考え、
漢字・ハングル混合文を世界最初に発案してハングル活字を作った。

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1884年、甲申政変(こうしんせいへん)
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明治18年(1885年)2月23日、26日 『朝鮮独立党の処刑』福沢諭吉(現代語訳)

朝鮮独立党の首謀者たちの縁者は処刑場に引きずり出された。
弱い立場の婦人たちや女児も年老いた老翁老婆もである。
そして処刑人たちは右も左もわからない子供たちにも
縄をかけてこれを絞め殺した。
どのような心境でこのようなことがなせるのか。
百歩譲って、処刑するものたちにも理があるとしよう。
老人婦人たちを処刑するのは善悪の判断能力が備わっているからだ、
身内の不始末は死をもって償ってもらうぞ、
というのは、わかりたくないがそれでもわからないでもない。
しかし、三歳五歳の子供は親から手を離されただけで泣き叫ぶものだ。
それが獄卒どもの手に掛かり、雪霜の吹きすさぶ城門外に引きずり出されて
縄で首を絞められて殺されるのだ。
殺されていく子供たちはどのような恐ろしさを感じるであろう。
鬼に捕まえられた心地しかしないだろう。
おそらく呼吸が止まるそのときまで、
まさか自分がこのまま死んでいくのだとは考えもしまい。
父母の名を慕って泣き叫び、
兄姉に助けを求めながらそのまま死んでいったのだ。

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『脱亜論』 福沢諭吉 【時事新報 1885年(明治18年)3月16日】

我が日本の国土はアジアの東辺に在るが、
其の国民の精神はすでにアジアの古い考えを脱して西洋の文明に移った。

ところでここに不幸なことには近隣に国があり、
一を支那と云い、一を朝鮮と云う。

この二国の人民も古来アジア流の政教風俗に養はれること、
我が日本国と異ならないといっても、其人種の由来を殊にするか、
もしかして同様の政教風俗中に居ながらも遺伝教育の趣旨に
同じと言えないものがあるのか、
日支韓三国相対し、支と韓と相似ているのは支韓が日本よりも近くて、
この二国の者共は一身につき又一国に関して改進の道を知らず。

交通至便の世の中に文明の事物を見聞していないわけではないが、
耳目の見聞はそれが心を動かすのに足らず、
その古風旧慣に恋々する情は百千年の昔と変わらず、
この文明日新の活劇場に教育の事を論ずれば儒教主義と言い、
学校の教旨は仁義礼智と称し、
一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、
その実際においては真理原則の知見が無いのみか、
道徳さえ地を払って残刻不廉恥を極め、
尚傲然として自省の念なき者のようだ。

我輩を以てこの二国を視れば今の文明東漸の風潮に際し、
とてもその独立を維持する道はないであろう。

幸にして其の国に志士が出現して、先づ国事開進の手始めに、
大いにその政府を改革すること我維新のように大挙を企て、
先づ政治を改めて共に人心を一新するような活動があれば格別だが、
もしもそうでない場合は、今より数年のうちに亡国となり、
其国土は世界文明諸国の分割に帰すべきこと一点の疑もない。

さぞかし麻疹に等しい文明開化の流行に遭いながら、
支韓両国はその伝染の自然に背き、
無理にこれを避けようとして一室内に閉居し、
空氣の流通を絶て窒塞するようなものである。

輔車唇歯とは隣国相助けるという教えだが、
今の支那朝鮮は我日本のために一毫の援助とならないだけでなく、
西洋文明人の眼を以てすれば、三国の地利相接するが爲に、
時に或はこれを同一視し、
支韓の評価をそのまま我日本におしつけるようになるかもしれない。

例えば支那朝鮮の政府が古風の専制で法律の制度も無ければ、
西洋の人は日本もまた無法律の国かと疑い、
支那朝鮮の士人が惑溺深く科学の意味も知らなければ、
西洋の学者は日本もまた陰陽五行の国かと思い、
支那人が卑屈にして恥を知らざれば、日本人の義侠もこれがために掩はれ、
朝鮮国に残酷な拷問があれば、
日本人もまた共に無情なのかと推量されるように、
これらの事例を数えれば、枚挙にいとまがない。

之を例えればこの隣軒を並べた一村一町内の者共が、
愚にして無法にして然も残忍無情なときは、
稀に其町村内の一人が正当な人事に注意しても、
他の醜に掩はれて消滅するようなものである。

その影響のが実際に現はれて、
間接に我外交上の故障となることはまことに少なからずである。
我日本国の一大不幸と言うべし。

そこで、今日の方針を立てるのに、
我が国は隣国の開明を待って共にアジアを興す余裕はない、
むしろその仲間を脱して西洋の文明国と進退を共にし、
その支那朝鮮に接する方法も隣国だからと特別の付き合いをする必要はない、
まさに西洋人がこれに接するのに従ってことに当たるだけである。

悪友を親しむ者は共に悪友となってしまう。
我は心においてアジア東方の悪友を謝絶するものなり。

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「吾輩の全集未収録随筆である」 夏目漱石の寄稿、作家・黒川創さん発掘

産経新聞 1月7日(月)7時55分配信

■1909年(明治42年)「満洲日日新聞」に寄稿

文豪、夏目漱石(1867~1916年)が新聞に寄稿した全集未収録の随筆が
見つかったことが6日、分かった。
初代韓国統監を務めた伊藤博文の暗殺などに触れた内容で、
研究者は「初めて見る貴重な資料だ」と評価している。
作家の黒川創(そう)さん(51)が国立国会図書館などから発掘した。
7日発売の文芸誌「新潮」2月号に、随筆の執筆背景などを
盛り込んだ黒川さんの小説「暗殺者たち」の一部として全文掲載される。

随筆は「韓満所感」と題し、
明治42(1909)年11月5、6日付「満洲日日新聞」に2回掲載された。
1面トップの扱いで、計約2800字の分量がある。
同紙は、日露戦争後に日本の租借地となった満州(現在の中国東北部)の
大連で発行されていた邦字新聞。
新潮社によると、随筆は全集や単行本には収録されておらず、
約100年間忘れられた作品になっていた。

伊藤博文暗殺の報に接した驚きに始まり、
満州や朝鮮で活躍する日本人に頼もしい印象を受けたことが記されている。
漱石は同年9~10月、親友の満鉄総裁、中村是公の招きで
満州・朝鮮各地を旅行していた。

黒川さんは平成22年、韓国開催のシンポジウムに参加した際、
伊藤を暗殺した安重根に関する現地の資料集に
随筆の一部が収録されているのを発見。
国会図書館所蔵の満洲日日新聞のマイクロフィルムで全体を確認した。

黒川さんは「政治など天下国家の問題を正面から論じることを
避ける態度が明らかで、漱石の低徊(ていかい)趣味
(俗事を避け、余裕を持って人生を眺める態度)がよく出ている」と話す。

東北大付属図書館の「漱石文庫」の研究に関わってきた
仁平道明・和洋女子大教授(国文学)は「漱石のアジア観を考える時に
重要な意味を持つ部分もあり、貴重な資料だ」と今回の発見に注目しており、
「漱石全集」を刊行する岩波書店も
「全集改訂時にぜひ収録したい」と話している。

■夏目漱石「韓満所感」(抜粋)

「昨夜久し振りに寸閑(すんかん)を偸(ぬす)んで満洲日日へ
何か消息を書かうと思ひ立つて、
筆を執りながら二三行認(したた)め出すと、
伊藤公が哈爾浜(はるぴん)で狙撃されたと云ふ号外が来た。
哈爾浜は余がつい先達て見物(けぶ)に行つた所で、
公の狙撃されたと云ふプラツトフオームは、
現に一ケ月前(ぜん)に余の靴の裏を押し付けた所だから、
希有(けう)の兇変(きょうへん)と云ふ事実以外に、
場所の連想からくる強い刺激を頭に受けた」

「満韓を経過して第一に得た楽天観は在外の日本人が
みな元気よく働いてゐると云ふ事であつた」

「歴遊の際もう一つ感じた事は、
余は幸にして日本人に生れたと云ふ自覚を得た事である。
内地に跼蹐(きょくせき)してゐる間は、日本人程(ほど)憐(あわ)れな
国民は世界中にたんとあるまいといふ考に始終圧迫されてならなかつたが、
満洲から朝鮮へ渡つて、わが同胞が文明事業の各方面に活躍して
大いに優越者となつてゐる状態を目撃して、日本人も甚だ
頼母(たのも)しい人種だとの印象を深く頭の中に刻みつけられた。

同時に、余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた。
彼等を眼前に置いて勝者の意気込を以て事に当るわが同胞は、
真に運命の寵児(ちょうじ)と云はねばならぬ」
(※原文の旧字体は新字体に変更し、ふりがなは一部にとどめた)
http://sep.2chan.net/zip/6/src/1357552285010.jpg
2009/06/09 09:00|年表リンク用資料
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