正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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「満洲」は民族の名

現在、「満洲」は地名ですが、本来は民族名でした。
満州には「女真(女直)ジュルチン」という民族が住んでおり、
ジュルチン族は仏教を信仰し「文殊(マンジュ)菩薩」を崇拝し、
「ジュルチン」を「マンジュ」と変えました。
これに満洲の字をあてて新しい民族名としたのです。

「東北」「東三省」「関外」「関東州」

現在、中華人民共和国は満洲を「東北」と呼びますが、
中華民国時代は「東三省」と呼び、それ以前は「関外」と呼んでいました。

「関外」とは万里の長城の東端にある「山海関」の外という意味です。
「山海関の東」すなわち遼東半島の大連一帯を「関東州」といい、

この関東州を守るために置かれた日本軍のことを関東軍と言い、
関東州の隣りの南満州鉄道沿線と、その付属地域も守りました。

漢民族にとって万里の長城より北は歴史的に異民族の地であり、
支那固有の領土ではなかったのです。


清(清国、清朝)
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満洲
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「支那」呼称について
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満州と支那は別
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もう一つのアメリカ合衆国 『満州』
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2009/06/08 09:00|年表リンク用資料
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