●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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簡単に作れそうだったのでブログで この正統史観年表を作成しました。 ブログなので各記事の一番右下に 日付が表示されてしまいますので、 適当な日付を指定しながら記事を 作成していきました。つまり各記事 の一番右下の日付はブログを書いた 日付ではなく、適当な日付です。 まぎらわしくて申し訳ありません。 |
満洲事変の終結とその後
■満洲事変の終結(1933年(昭和8年)5月31日) ◆熱河作戦 1932年(昭和7年)の満洲建国後も 張学良は満洲内の熱河省に留まって反満抗日活動を続けていたため、 日本軍は万里の長城以南(関内)へ追いました。 ◆関内作戦 その後、国民党政府は中央軍を北上させ、 日本軍が関内に踏み込まないと知って長城からの攻撃を展開したので、 ついに日本軍は関内に進撃しました。 そして、1933年(昭和8年)5月31日に「塘沽停戦協定」が締結され、 長城の南部に非武装地帯が設定されて満洲事変は終結し、以後、1937年に 支那事変が勃発するまでの4年間は日中間に大きな戦闘はありませんでした。 満州事変から大東亜戦争まで日中間の戦争が、ずっと継続していたかの ように、まるで大東亜戦争が「満洲事変」から始まったかのように 「15年戦争」と言う人がいますが、もしそれを言うなら14年ですし、 適当な表現ではありません。 ■満洲事変終結後から盧溝橋事件(1937年の支那事変発端の事件)の前まで (支那事変=日中戦争) 1.蒋介石の国民党政府は、日本との争いが一段落し、 共産党掃討作戦に注力することができました。 そして第5次掃共作戦の結果、1934(昭和9)年、 中共軍はついに瑞金を捨てて一年に及ぶ逃避行、 いわゆる「大西遷」(長征とも)を余儀なくされました。 2.1935(昭和10)年には広田弘毅外相の「不侵略演説」などもあり、 日中関係は比較的平穏でした。 3.延安にたどり着いた中国共産党を救ったのは、 1935年のコミンテルンによる第7回反ファシズム人民統一戦線の宣言です。 これに基づき「抗日救国」を全国に呼びかけた、いわゆる「8・1宣言」です。 従来の労働者中心を変更し、小ブルジョア・労働者・農民・学生など 各階層を味方にし、かつ国民党政府陣営に深く浸透する作戦でした。 4.1935年終盤、万里の長城南部に「冀東防共自治政府」が誕生、 これは南京政府の支配を受けたくない華北人による親日政権です。 これに対応して、国民党の南京政府もこれに隣接する北支那に、河北省と その北方のチャハル省を管轄する「冀察政務委員会」を発足させました。 ■西安事件 1936年(昭和11年)12月、蒋介石は、兵力が激減し壊滅寸前であった共産軍の 根拠地 延安に総攻撃をかけるため、 張学良軍などを西安に集結させていました。 ところが西安にやって来た蒋介石が、 突如、張学良に逮捕・監禁されるという事件が起きました。 そして張学良は中国共産党との内戦の停止と 抗日を要求する宣言を発表します。 コミンテルンより蒋介石を殺さないよう指示を受けた中国共産党は、 周恩来を西安に派遣し、蒋介石に共産党との協力を条件に 張学良に蒋介石を釈放するよう説得し、こうして第二次国共合作が実現して、 蒋介石は掃共を中止して抗日に向かうことになります。 ――――――――――――――――― 参考 『近現代史の必須知識』 |
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