●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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すばらしい日本
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1936年(昭和11年)2月、共産軍が山西省に侵入。
共産軍は軍閥・閻錫山(えんしゃくざん)が支配する山西省に侵入してきた。 共産軍は抗日という旗印を掲げ、ナショナリズムを打ち出していた。 このため兵隊たちは軍閥よりも 共産主義の名の下の国家主義に惹かれ、軍閥側は劣勢になった。 閻錫山の5万の山西軍は2万の共産軍に連戦連敗し、 3分の1が共産軍の支配下に置かれてしまった。 (その後は蒋介石が大軍を投入して山西省を取り戻す) 日本は、北支那における居留民保護の必要性から 支那駐屯軍を1570名から5774名に増強した(これはたいした数ではない)。 この駐屯軍は天津に置かれたので「天津軍」と呼ばれるが、 その一部を通州に置こうとしたところ、北清事変最終議定書の趣旨に則れば 京津鉄道から離れた通州は駄目だと梅津陸軍次官が反対し、 その代わり北京の西南4キロの豊台に一個大隊を置くことになった。 こののち、豊台の日本軍は盧溝橋事件に巻き込まれ、 軍隊を配置しなかった通州で日本人虐殺事件(通州事件)が起き、 完全に日本を激怒させてしまった。 通州に兵隊を派遣しておけば、通州事件は起きえなかったであろう。 豊台に兵隊たちがいなかったら盧溝橋事件に巻き込まれなかったかもしれない。 辛亥革命後に消滅した清朝との協定を重んじた日本の義理堅さが 不幸なことになってしまった。 |
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