●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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簡単に作れそうだったのでブログで この正統史観年表を作成しました。 ブログなので各記事の一番右下に 日付が表示されてしまいますので、 適当な日付を指定しながら記事を 作成していきました。つまり各記事 の一番右下の日付はブログを書いた 日付ではなく、適当な日付です。 まぎらわしくて申し訳ありません。 |
1937年(昭和12年)11月、蒋介石(国民党)、「重慶政府」樹立へ。
1937年(昭和12年)12月13日の南京陥落前に南京から逃げ出した蒋介石は 最初は漢口、そして重慶に逃げ込んで重慶を首都にして重慶政府を樹立した。 重慶は山奥の都市で機関銃や大砲を作る工場もない。 日本軍に商工業の拠点すべてを占領され、奥地の重慶に撤退した蒋介石は、 普通なら武器弾薬の調達ができず、講和に望む以外なかった。 しかしながら、この蒋介石の重慶政府にアメリカ、イギリス、 ソ連(フランスもドイツに降伏するまで)が莫大な援助を行い続けた。 巨額な借款が供与され、援蒋ルートと呼ばれる道路や鉄道が開かれ、 重慶には膨大な兵器弾薬が運び込まれていた。 ソ連は陸続きで共産ゲリラを助け、飛行機も送り込んだ。 イギリスはインド・ビルマルートを通じて援助した。 アメリカは空軍部隊まで送り込んだ。 いずれも中立国にあるまじき行為だった。 特にアメリカの援助が崩壊寸前の蒋介石に抗戦を続けさせ、 日本軍を泥沼に引きずり込んだ。 日本のインドシナ進駐も、この蒋援ルート(蒋介石の援助ルート)を 止めるためであった。海南島の占領も同じ目的であった。 |
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