正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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1938年(昭和13年)10月26日、武漢三鎮陥落。

武漢三鎮(武昌、漢口、漢陽)が日本軍によって陥落。
盧溝橋事件から始まった支那事変は、これで本格的な戦闘が終わった。

武漢三鎮陥落後、支那の各地方の治安は、
それぞれの自治政府によって維持され、戦いは小康状態になった。

支那側では徹底抗戦か和平交渉かで対立が起き、
●蒋介石の重慶政府
●汪兆銘の南京政府
●毛沢東の延安政府
による三つ巴の抗争と内戦が主流となった。

そこへ日本、アメリカ、ソ連がそれぞれの勢力に加担し、内戦に加入した。

武漢三鎮攻略
2009/05/22 09:00|年表リンク用資料
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