正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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真珠湾攻撃の真相

『第二次大戦に勝者なし』 ウェデマイヤー回想録(上)より引用

著者のウェデマイヤー将軍は、1940年初めから43年の秋まで、
アメリカ陸軍参謀本部戦争計画部の政戦略班に勤務し、
米国の第二次大戦戦略動員計画である『勝利の計画』をみずから作成し、
またマーシャル参謀総長の懐刀として数次の米英首脳会談にも列席し、
その裏面史を親しく目撃してきた。
それから彼は、中国戦線で米軍総司令官兼蒋介石付参謀長を務めており、
終戦時、中国大陸にいた390万の日本軍将兵と在留邦人の
早期内地送還について大いに尽力した人物である。

―――――――

真珠湾攻撃の真相

日本の真珠湾攻撃は、アメリカによって計画的に
挑発されたものであるという事実は、真珠湾の惨敗と、
それにひきつづきフィリピンを失陥したことにより、覆い隠されてしまった。

アメリカ国民をヨーロッパ戦争に裏口から参戦させようとしていた当時の
アメリカ政府は、フィリピンのアメリカ守備隊を
日本軍の犠牲に供するもやむをえない、と考えていた。

アメリカ国内の反戦派の人たちは、
ルーズベルトがドイツに対しては明らかに戦時中立を犯す行動をとり、
また日本に対しては最後通告をつきつけて、
なんとかしてアメリカを参戦させようとしていたことは、
じゅうぶんに承知していた。

・・・略・・・

この二十世紀のもっとも悲惨な時代に、
主要な役割を演じた人々の伝記や覚え書きが出版され、
また米・英・独の公式文書が発表されたりしたので、
日本軍の真珠湾攻撃以前の反戦派の人達によって
わずかに想像されていた事柄が、今や、これを知ろうとする者には誰にでも、
はっきりと知ることができるようになった。

・・・略・・・

アメリカはかつて第二次大戦中の『勇敢なる同盟国』であったソ連との冷戦に
終始し、これまで第二次大戦の真の原因は何であったかについては、
第一次大戦後のそれに比較されるような探究も行われていない。

そしてまた、現在の危機をはらんだ世界情勢は、
主としてアメリカが招いたものであるということも、
国民の間に認識されていない。

もしもアメリカが、フーバー元大統領やタフト上院議員その他の愛国者たちが
熱心に提唱した政策を支持していたとしたら、アメリカはその参戦によって
共産主義国ソ連に無条件の援助を与えるかわりに、公正で永続的な世界平和を
強力に進められることが明確になるまで、
おそらくは第二次大戦に参加するのを回避していたにちがいない。

・・・略・・・

われわれの目標は、モンロー主義の維持とヨーロッパとアジアにおける
勢力均衡の復活でなければならなかった。
これはイギリスにとっても同様であったろう。
イギリスの国家的利益は、一時的な敵国の抹殺どころか、
ソ連の領土、勢力、影響力を途方もなく増大する結果に終わった
第二次大戦の『勝利』によって、
取り返しがつかない痛手をこうむる結果になってしまった。

ウィンストン・チャーチルは、
「イギリス帝国の崩壊を主宰するため、
私はイギリスの首相となったのではない」
と言明していたが、
その彼がイギリスを現在の第二流国の状態に急転落下させるような
諸政策をとったことは、実に歴史の運命の大きな皮肉といわねばなるまい。

・・・略・・・

チャーチルは300年以上にわたってイギリスの一貫した政策目標であった、
ヨーロッパ大陸の勢力均衡を再建しようとはせずに、
ドイツの破壊を企図したが、
結局、ソ連にヨーロッパ支配の機会を与えてしまった。

・・・略・・・

ルーズベルトは彼自身が大いに憎悪していた独裁者と同様に、
アメリカの政治を自分の思うように支配した。

また、彼は、スターリンは『彼の友人』であり、
あるいは友人となりうるものであり、
そしてソ連は、アメリカの永久的な同盟国、
あるいは永久的な同盟国となりうる国である、と想像した。

1941年6月、ヒトラーがソ連に開戦した結果、
イギリスがドイツの攻撃から比較的に安全であったころ、
フーバー元大統領は、
「これまでの歴史のなかでの大きな笑いぐさは、
アメリカがソ連を援助したことであろう」
といっていた。

・・・略・・・

ルーズベルトはアメリカ国民が参戦反対であるのに、
なんとかしてアメリカ国民を戦争に介入させよう、と決心していた。

武器貸与法(1941年3月成立)から1941年8月の大西洋会談にいたる間、
ルーズベルトは戦時国際法の中立違反や、
アメリカの議会、国民の意志とは反対の行動をとって、
あるときは堂々と正面からやるかと思えば、あるいは裏面工作を行った。

たとえば、イギリスを援助するためにアメリカがとった『戦争一歩手前』
の行動につづいて、「独伊の適性軍を攻撃撃破すべし」と、
アメリカ大西洋艦隊あての1941年8月25日付け秘密命令が発せられた。

この秘密命令は、大西洋会談の二週間後に出されたものである。
この会談において、ルーズベルトは、
「余は宣戦しないかも知れないが、戦争はするかも知れない。
もし、議会に宣戦するようにと要請すれば、
彼らはそれについて三ヶ月も議論するかもしれない」
と述べている。

アメリカ駆逐艦がドイツ潜水艦を攻撃したグリア号事件ののち、
ルーズベルトは9月11日、
「ドイツ潜水艦は見つけ次第攻撃せよ」
という演説を行った。
彼はこの演説で、ドイツ潜水艦と通商破壊艦を『ガラガラヘビ』と決めつけ、
「ガラガラヘビがカマ首を持ち上げるのを見つけたら、
飛び掛るのを待つまでもなく、直ちにたたきつぶせ」
と述べ、
「今後、独伊の艦船でアメリカの設定した防衛水域に立ち入るものは、
それによってこうむる損害は彼ら自身の責任である」
と言明している。

・・・略・・・

もしヒトラーが、アメリカの戦争挑発行為に乗ぜられないように、
確固たる態度をとっていなかったなら、
アメリカは日本の真珠湾攻撃の数ヵ月前に、
公然と戦争に介入していたであろう。

・・・略・・・

これに反してルーズベルトは、将来、アメリカが攻撃されるという恐怖を
持ち出して、議会を自分のかたよった行動に合致するように指導した。

アメリカ国民はニュールンベルグ軍事裁判の際、
ドイツの秘密文書を徹底的に調べた結果、
ドイツはアメリカ攻撃計画をなんら持っていなかったことを承知している。

アメリカ攻撃どころか、ヒトラーはアメリカとの戦争を回避するために、
全力を尽くしていたことが判明している。

・・・略・・・

ルーズベルトは、ドイツの対米宣戦をさせようとした極端な
挑発行動も失敗し、アメリカ国民の大多数の参戦反対の決意も固く、
アメリカ議会で宣戦布告の同意が得られる見通しもなかったので、
彼は目を太平洋に転じた。

実際、日本を強制して対米宣戦を布告させるよう、
外交的、経済的に日本を圧迫することは可能な状況であったので、
もしそうするならば、日本はドイツほど、我慢強くないと思われた。

これに対し日本は、その存在を危機にさらさずには後退できないまでに、
あまりにも深く日中事変に突入していた。
アメリカは、日本が面目をつぶさない限り、
現に保持している地点から撤退できない、
という妥協の余地のまったくない提案を日本側におしつけた。

1941年7月26日、ルーズベルトは日本に対して経済的な制裁を加えたが、
この制裁は、日中事変の勃発当初であったなら
中国を助けたかも知れなかったが、1941年7月では、
もはや中国にとってなんの利益にもならなかった。

いまや、こうした制裁は、中国を援助するためではなく、
日本を戦争に挑発するためであり、イギリスの勢力を維持するために、
どうしたらアメリカを参戦させられるかという、
ルーズベルトのジレンマを解決するために使用されていた。

ルーズベルトは、彼がイギリスと結んだ秘密の約束事項については、
アメリカ議会にも国民一般にも少しも報告していなかった。
そのやり方は、他の国のどの独裁者にも負けないくらい巧妙であった。
このイギリスとの秘密の約束は、
アメリカ国民をヨーロッパ戦争には巻き込まないという、
ルーズベルトの選挙公約を信じて、彼をアメリカ大統領に選んだ多数の
選挙民の意志と希望を踏みにじるものであった。
2009/05/03 09:00|年表リンク用資料
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